第5章:暗闇の休息と、交差する女たち
崩落した岩盤が外の光を完全に遮断し、地下廃棄ダクトの中は、非常用の薄暗いオレンジ色の誘導灯だけが等間隔に並ぶ不気味な空間だった。
ノワールのメインジェネレーターをスタンバイモードに切り替えると、コックピット内に充満していた異常な熱気が、ハッチの隙間から白い蒸気となって噴き出した。
「……ハァッ、クソ暑い。茹でダコになるかと思ったぜ」
俺はヘルメットを脱ぎ捨て、汗で肌に張り付いたパイロットスーツの胸元を大きくはだけさせながら、ノワールの装甲を伝って冷たいコンクリートの地面へと飛び降りた。
ダクト内には、古い機械油とカビ、そして――何かが腐ったような、ひどく生臭いアンモニア臭が漂っていた。俺は顔をしかめながら、ポケットからひしゃげた煙草を取り出し、ジッポライターで火を点けてその匂いを誤魔化す。
直後、背後の暗闇から、軽いブーツの足音が響いた。
「相変わらず、タフな野犬ね。……でも、少しは歳を取ったかしら?」
ブラッド・ウィドウから降り立ったシャーリーだった。
頭に乗せた無骨なゴーグル。身体のラインが出る赤いビスチェのようなインナーに、使い込まれたレザーのライダースーツ。腰のホルスターには、さっきまで俺に弾幕を浴びせていた二丁の徹甲ハンドガンが収まっている。
十数年前、同じアジトで泥水を啜り合っていた頃と変わらない、大人の余裕と危険な香りを漂わせた女。
「お前こそ、相変わらず派手ななりをしてるな。……さっきは助かった」
俺が煙草の煙を細く吐き出しながら言うと、彼女はコツコツと足音を立てて俺の目の前まで歩み寄り、至近距離から俺の顔を覗き込んだ。
「……ふふっ。驚いたわ。無精髭なんて生やしちゃって」
シャーリーの緑色の瞳が、俺の顔にある古傷や、汗に濡れた表情を値踏みするように見つめる。
「昔は氷みたいに冷たくて、痛いって顔一つしなかったのに。……今はちゃんと、生きてる人間の目をしているじゃない」
彼女が艶やかな紅を引いた唇で微笑み、レザーの手袋越しに俺の頬へ触れようと手を伸ばした――その瞬間だった。
「ちょっと。うちの専属パイロットに、気安く触らないでくれる?」
冷ややかな声と共に、シャーリーの伸ばした手と俺の間に、無造作にモンキーレンチが突き出された。
ホバー形態のヴォルフ・ハウンドから降りてきたエレナだ。白衣代わりのデザートコートを羽織り、徹夜の解析と戦闘の疲労で少し目を細めているが、その瞳には明確な「威嚇」の色が宿っている。
「あら」
シャーリーはレンチを避けて手を引っ込めると、面白そうにエレナを観察した。
「貴女がさっきのやかましいメカニックさんね? 泥まみれかと思ったら、随分と綺麗で頭の良さそうなお嬢ちゃんじゃない」
「どうも。貴女は想像通り、派手でガメつそうな『昔の女』って感じね。……言っておくけど、ヴァンスの首の懸賞金は誰にも渡さないわよ。こいつにはまだ、私への莫大な借金と、世界の命運ってやつが懸かってるんだから」
エレナはレンチを肩に担ぎ、一歩も引かずにシャーリーを睨み返す。
『その通りです。マスターの脳髄から遺伝子に至るまで、現在彼を管理しているのは私です。……泥棒猫には、お引き取り願いましょう』
さらに、俺の腰のデータ端末からセリアのホログラムが青白く浮かび上がり、エレナの横に並んでシャーリーへと扇を突きつけた。
「……おいおい」
俺は頭痛を堪えるように眉間を揉んだ。
薄暗く生臭いアテナの地下ダクトで、俺を挟んで火花を散らす三人の女たち。先ほどのドローン群のレーザーよりも、よっぽど寿命が縮む空間だった。
「ふふっ、あははははっ!」
だが、そのピリついた空気を破ったのは、シャーリーの豪快な笑い声だった。
「傑作ね。あの孤独だった空っぽの野犬が、こんなに優秀で独占欲の強いメス犬たちに囲われてるなんて! あーあ、これじゃ私が入り込む隙なんて、ミリ単位も残ってなさそうね」
彼女は腰に手を当てて笑い転げた後、ふっと真面目な顔つきに戻り、エレナへと右手を差し出した。
「バウンティ・ハンターのシャーリーよ。……安心して、お嬢ちゃん。ヴァンスの首にかかった金は惜しいけど、私は金にならない死に方はしない主義なの。あの上空のハエどもがうろついている間は、一時休戦して道案内をしてあげるわ」
エレナは数秒だけ怪訝な顔でその手を見つめた後、小さくため息をつき、油で汚れた手で握り返した。
「……元アレス技術将校、エレナよ。こっちは相棒AIのセリア。案内してくれるっていうなら、今は信じるわ。どうせ貴女も、アテナの正規軍に見つかればタダじゃ済まないでしょうし」
「話が早くて助かるわ」
女同士の奇妙な不可侵条約が結ばれたのを見て、俺はやっとの思いで深く息を吐き出した。
「……で、道案内ってのはどうするんだ。このまま機体に乗って進むのか?」
俺がダクトの奥に続く暗闇を顎でしゃくると、シャーリーは首を横に振った。
「ダメよ。この先はアテナの『地下廃棄ラボ』の処理区画に繋がってる。機体のジェネレーターを回したまま突っ込めば、熱源センサーで一発で警備網に引っかかるわ」
シャーリーは懐から小型のデータ端末を取り出し、空中に立体マップを投影した。
「ここから先は機体をステルス状態にして、生身で進むの。途中のセキュリティゲートを、お嬢ちゃんとAIの腕でハッキングして開けてもらう必要があるわ。……ただ」
シャーリーの緑色の瞳が、スッと冷たい色を帯びた。
「心して進むことね。さっき、アテナの最近の情勢を話していたでしょう? 『被検体』の消費ペースが異常だって」
「……ああ」
「あの上層の白亜の街が『天国』なら、この先にあるのは本物の『地獄』よ。……アークメイジを神輿に担いだ白衣の狂人たちが、いったい地下で何を作り出そうとしているのか。吐かないように気を付けることね」
シャーリーの言葉に、エレナの顔が微かに強張る。
ダクトの奥から吹き抜けてくる風は、機械油の匂いよりも、むせ返るような血と腐敗の匂いを濃く含み始めていた。
「……行くぞ」
俺は煙草をブーツの裏で揉み消し、腰のホルスターから大型のハンドガンを引き抜いてスライドを引いた。
チャキッ、という冷たい金属音が地下道に響く。
俺たちは鉄の棺桶を降り、生身の足で、アテナ・ドミナンスの狂気が煮詰まる深淵へと歩みを進めた。




