第5章:微睡む神殿の亡霊
翌朝、荒野の激しい砂嵐を突き抜けた先に、その『亡霊』は姿を現した。
干上がった巨大な峡谷の割れ目。その奥深くに埋もれるようにして、大戦前の旧世界が遺した神殿の遺構がひっそりと佇んでいた。
風化し、崩れかけた巨大な大理石の柱列。かつては豊かなマナの奔流によって浮遊していたであろう幾何学的な装飾が、今では重力に従って砂に半ば埋もれている。
ノワールを入り口の岩陰に潜ませ、俺とリリアは生身で神殿の内部へと足を踏み入れた。
「……綺麗。外の荒野とは、まるで空気が違うわ」
リリアが感嘆の息を漏らし、周囲を見上げた。
一歩足を踏み入れると、そこは外の砂と錆の世界とは完全に隔絶された、神聖で退廃的な空間だった。
ひび割れた天井の隙間から差し込む朝光に混じって、空間そのものが微弱なマナの残光を放っている。青く淡いエメラルドグリーンの光の粒子が、夜光虫のようにゆらゆらと宙を漂い、苔むした女神像の指先を優しく照らしていた。
大戦によってマナが枯渇したこの大陸で、ここは奇跡的にその残滓が隠され、微睡み続けている場所なのだろう。
『……ふん。相変わらず、旧世界の遺物ってやつは無駄に美意識が高いわね。吐き気がする』
網膜の端で、セリアのホログラムが不機嫌そうにドレスの裾を揺らした。
「少しはノスタルジーに浸ったらどうだ。お前と同類なんだろ」
「え? ヴァンス、誰かと話しているの?」
リリアが振り返る。
「独り言だ。……お姫様、感傷に浸るのはそのくらいにして、案内を頼むぜ。こんな綺麗な墓場に長居する趣味はねえ」
俺は腰のホルスターに収まった愛銃の感触を確かめながら、リリアを促した。
彼女は小さく頷き、記憶を頼りに神殿の奥——かつて祭壇だったと思われる広間の崩れた壁の裏へと導いた。
そこに、古代神殿風の装飾とは明らかに異質な、冷たい黒色金属の旧世界データ・コンソールが鎮座していた。
「これよ……父が死の間際、私にだけ教えてくれた隠し場所」
リリアが震える指でペンダントトップを鍵穴に差し込む。
カチリ、という硬質な音と共に生体認証の光が走り、死んでいたコンソールが低く唸りを上げて起動した。青白いホログラムディスプレイが宙に展開される。
そこに流れ込むのは、ヘリオス・カンパニーの最重要機密データ。
「……これが、『マナ再覚醒計画』の全貌……!」
リリアが息を呑んだ。
クロノス評議会は、都市中心の巨大結晶炉に劣化マナ結晶を臨界点まで投入し、大陸全土の物理法則を強制的に書き換えようとしていた。成功すれば彼らは神になる。失敗すれば、数千キロ圏内が分子レベルで分解され、光るガラスの砂漠と化す。
「狂ってる……自分たちが神にでもなったつもりなの……ッ!」
リリアが拳を握りしめる。
だが、俺の目を釘付けにしたのは、計画書の末尾に添付されたもう一つの報告書だった。
――『第5のレガリア:コードネーム・ノワール発掘記録』。
「……おい、セリア。これは」
『ええ……間違いないわ、ヴァンス』
セリアの声がわずかに震えた。
画面には、数年前にクロノス調査隊が掘り起こした「漆黒の巨大な箱」の映像が映っていた。表面の紋章は、ノワールのフレームに刻まれたものと完全に一致する。
報告書にはこう記されていた。
『本機体は物理改竄能力【局所慣性偏向】を有するが、パイロットの脳神経への負荷が著しく、テストパイロットは悉く発狂・死亡。制御不能につき、永久封印を推奨する——』
「なるほどな……。通りで、俺がこいつを『拾った』わけだ」
俺は苦く笑った。
クロノスが持て余し、闇に葬ろうとした化け物。それをアレスから強奪し、ただの魔導鎧に偽装したのが俺とセリアの始まりだった。
『私の記憶の鎖が、また一つ繋がったわ。……どうやら私たちは、あの白い塔の亡霊から、最初から逃れられない運命だったみたいね』
セリアがベールの奥で冷たく微笑む。
「データの転送、完了したわ! ヴァンス、これを持ってすぐに——」
リリアがデータチップを引き抜いた、その瞬間。
神殿の静寂を切り裂いて、けたたましい金属音が響き渡った。
天井のひび割れから砂埃がパラパラと落ちてくる。
『……感傷に浸る時間は終わりのようね』
セリアの声が鋭くなった。
『神殿の外、完全に包囲されたわ。熱源多数……魔導鎧が一個小隊以上。それに生身の歩兵部隊も展開中。昨日のお遊びとは格が違うわよ』
「チッ。アレス・セキュリティの精鋭か。……ハメられたな」
俺はリリアの腕を強く掴み、自分の背後へ引き寄せた。
神殿の入り口の向こうから、重厚な鉄の足音と、銃器の安全装置を外す冷たい金属音が近づいてくる。
「お姫様、データチップを絶対に離すなよ」
俺は腰の銃を引き抜き、淡いマナの残光が揺れる闇の回廊の先を見つめた。
亡霊の隠れ家は、一瞬にしてネズミ捕りの檻へと変わっていた。




