第2章:黒と紅の死闘
右腕の関節部に食い込んだワイヤーが、ギリギリと嫌な金属音を立てる。
俺は三人の女のやかましい通信を強制ミュートに叩き込み、操縦桿を力任せに手前に引いた。
「……力比べなら、こっちに分があるぜ!」
メインジェネレーターが唸りを上げ、漆黒の巨躯が後方へ強引にステップを踏む。
機体重量に優るノワールの圧倒的なトルク。それに引かれたワイヤーが悲鳴を上げ、真紅の機体『ブラッド・ウィドウ』の姿勢が空中で大きく崩れた。
『……ッ! 相変わらず、ロマンのない馬鹿力ね!』
シャーリーが舌打ちをする気配と共に、ワイヤーアンカーの基部から火花が散った。
彼女は機体が引きずり下ろされる寸前で、ワイヤーを自らパージ(強制切断)したのだ。
空中で自由を取り戻したブラッド・ウィドウは、背部の高機動ブースターを吹かし、崩れかけの旧世界の高架橋へと軽業師のように着地する。
間髪入れず、両腕の二丁拳銃がノワールに向けて火を噴いた。
タタタタタタタタッ!!
超音速の徹甲弾が、足元の岩盤を砕き、ノワールの肩部装甲を浅く抉る。
俺は左腕のシールドを構えたまま、ノワールの脚部スラスターを点火。地を這うような低い姿勢で、峡谷の岩陰から岩陰へと滑るように移動した。
『無駄よ、ヴァンス! あんたのその独特な『歩法』の癖、私が忘れてるとでも思った!?』
外部スピーカーから、シャーリーの勝ち誇ったような声が響く。
その言葉通り、俺が遮蔽物から飛び出そうとした死角の先へ、正確無比な置きエイムの弾幕がばら撒かれた。
「チッ……!」
俺は慌てて推進剤を逆噴射し、姿勢を立て直す。
昔、同じアジトで暮らしていた頃、俺たちは何度も模擬戦や実戦を共にこなした。俺が踏み込む直前に右肩が一瞬だけ下がる癖も、最短距離を詰めるためのスラスターの吹かし方も、この女は完全にインプットしている。
『あんたの動きは最適解すぎるのよ。機械みたいに合理的で、だからこそ……読めば簡単に罠に掛けられる!』
ブラッド・ウィドウが頭上の高架橋から飛び降りながら、両手、そして腰部のハードポイントから一斉にワイヤーアンカーを射出した。
だが、それは俺の機体を狙ったものではない。
周囲の岩壁、崩れた橋の鉄骨、そして地面。四本のワイヤーが俺を囲むように打ち込まれ、即席の『蜘蛛の巣』を形成したのだ。
「レーザーカッター付きのワイヤーかよ。趣味が悪いぜ」
ワイヤーに高圧電流と微細な振動刃が走る。触れればノワールの重装甲とて無事では済まない。
動きを封じられた空間の中央に、シャーリーが真上から急降下しながら、二丁の徹甲ハンドガンの銃口を俺のコックピットへ向けた。
『悪いわね、ヴァンス! あんたの首の値段で、一生遊んで暮らさせてもらうわ!』
必殺のタイミング。
過去の俺なら、最適解として「シールドで急所のみを守り、相打ち覚悟で突っ込む」という痛覚を無視した戦法を選んでいただろう。彼女はそれを知っているからこそ、相打ちにならない高所からの完全なアウトレンジ攻撃を仕掛けてきた。
――だが、今の俺は、ただの「壊れた部品」じゃねえ。
「……高くつくぜ、シャーリー!」
俺はスラスターの出力を、前進ではなく『その場での旋回』に全振りした。
ノワールの漆黒の巨躯が、独楽のように超高速でスピンする。同時に、マニピュレーターで腰から引き抜いたヒートホーク(熱斧)を、遠心力を乗せて周囲のワイヤーごと薙ぎ払った。
ガガガガギィィィンッ!!
赤熱した刃が、高圧ワイヤーを次々と焼き切る。
そのままの勢いで、俺は右手のノワール・ブラスターを上空のシャーリーへ向け、ショットガンモードで面制圧の散弾を放った。
『なっ……!? 回避を捨てて、迎撃!?』
合理的ではない、力任せで感情的な反撃。
かつての「機械のような」俺からは決して出てこない泥臭い動きに、シャーリーの反応が一瞬遅れた。
散弾の雨が、ブラッド・ウィドウの脚部装甲を削り飛ばす。
姿勢を崩した真紅の機体が、空中でバランスを失い、渓谷の地面へとハードランディングした。
ドズンッ! と土煙が舞う。
「もらったァッ!」
俺はワイヤーの残骸を蹴り散らし、地を蹴った。
土煙を突き破り、ブラッド・ウィドウの眼前へと肉薄する。左腕のパイルバンカーが、凄まじい駆動音と共に撃鉄を起こした。
『――ッ!!』
コックピットの中で、シャーリーが息を呑む気配が伝わってきた。
逃げ場はない。パイルバンカーの巨大な鋼鉄の楔が、ブラッド・ウィドウの胴体めがけて射出される。
ガキィィィンッ!
凄まじい金属音が渓谷に響き渡った。
だが、手応えが浅い。
シャーリーは最後の一瞬、残っていた右腕のワイヤーを自機の足元の岩盤に打ち込み、強引に機体を横へとスライドさせていたのだ。
パイルバンカーの楔は、ブラッド・ウィドウの左肩の装甲を大きく抉り飛ばすに留まった。
しかし、その衝撃でシャーリーの機体は岩壁まで吹き飛び、背中の高機動ブースターから黒煙を噴き上げて沈黙する。
「……ハァ、ハァ……。しぶとい女だ」
俺はパイルバンカーの楔を巻き戻し、ノワール・ブラスターの銃口を、動きの止まった真紅の蜘蛛へと突きつけた。
「チェックメイトだ、シャーリー。懸賞金首の夢は諦めて、大人しくそこを退きな」
強制ミュートを解除し、外部スピーカーでそう告げる。
岩壁に寄りかかったブラッド・ウィドウのメインカメラが、ギロリとこちらを睨み返した。
『……馬鹿ね。あんた、いつからそんな人間臭いフェイントをかけるようになったのよ』
通信越しに聞こえる彼女の声は、どこか憎まれ口を叩きながらも、信じられないものを見たような驚きを含んでいた。
『昔のあんたなら、迷わず自分の装甲を犠牲にしてでも最短距離で私のコックピットを撃ち抜いてた。……痛覚を思い出したの? それとも、その後ろにいる過保護な女たちの影響かしら』
「どっちもだ。……泥水啜って生きてりゃ、少しはマシな戦い方も覚える」
俺が引き金に指をかけた、その時だった。
『――警告。警告。所属不明機、二機。未登録の魔導波長を確認』
突然、谷間に無機質な電子音声が響き渡った。
俺の機体でも、シャーリーの機体でもない。渓谷の入り口、そして空から降ってきた異常な数の『熱源』だった。




