第1章:真紅の蜘蛛と、やかましい女たち
荒野の廃道ハイウェイ。
かつての旧世界が残した、崩れかけの高架橋と巨大な岩山が入り組む渓谷地帯を、二機の魔導鎧が猛スピードで駆け抜けていた。
「……後方の野盗どもは撒いたわ! でも、この先の渓谷、レーダーの反響が異常よ。ジャミング粒子が散布されてる!」
ヴォルフ・ハウンドを駆るエレナからの通信に、俺はノワールの操縦桿を強く握り直す。メインモニターには、ノイズ混じりの等高線データが明滅していた。
「伏兵か。……いや、ただの野盗にこんな高度な電子戦はできねえ」
俺が渓谷の入り口、切り立った岩壁の影に差し掛かった、その瞬間だった。
――パァンッ!!
圧縮ガスの鋭い炸裂音と共に、岩陰の死角から射出された『特殊硬化ワイヤー』が、ノワールの右腕の駆動関節部に深々と巻き付いた。
ワイヤーの先端に仕込まれた電磁パージがガコンと音を立ててロックされ、強烈な張力が発生する。
「なっ……! ワイヤーアンカー!?」
機体重量百トンを超えるノワールの推進力を、ワイヤーが強引に岩壁の方へと引き寄せようとする。右腕の内部で、超大型アクチュエータと人工筋肉束がギリギリと軋む悲鳴を上げた。
俺は咄嗟に足裏の電磁ロックを起動。荒野の硬い岩盤に火花を散らしながら深々と爪を食い込ませ、全身の姿勢制御スラスターを逆噴射させて急ブレーキをかける。
『上方から熱源反応! 急降下してくるわよ、マスター!』
セリアの警告と同時。太陽の逆光を背にして上空から降ってきたのは、真紅に塗装された軽量級の魔導鎧だった。
装甲を極限まで削ぎ落としたスケルトン構造の脚部。背面に増設された高機動ブースターが断続的に火を噴き、落下のベクトルを空中で三次元的に捻れさせている。
その両腕のマニピュレーターには、連射型の徹甲ハンドガンが二丁、俺のコックピットを正確に狙って構えられていた。
タタタタタタタタッ!!
真紅の機体が空中で流れるようにトリガーを引く。排莢された無数の空薬莢が雨のように降り注ぐ中、超音速で放たれた徹甲弾がノワールの胸部に殺到した。
俺は拘束されていない左腕のパイルバンカー付きシールドを掲げ、弾幕を弾き返す。バジリスクから移植した超高密度合金の表面で、凄まじい火花と金属音が弾けた。
「……『ブラッド・ウィドウ』。マジかよ」
重装甲で耐え凌ぎながら、俺の口から無意識にその機体の名前が漏れた。
『――久しぶりね、ヴァンス。あんたの寝顔も好きだったけど……今のあんたの首にかかってる懸賞金のケタを見たら、もっと好きになっちゃったわ』
オープンチャンネルから響いたのは、愛用のルージュが似合う、飄々《ひょうひょう》とした大人の女の声だった。
「シャーリー……。てめえ、よりによってこのタイミングで現れやがったか」
シャーリー。
俺が傭兵として独り立ちしたばかりの頃、一時的にコンビを組み、同じアジトでの一緒に生活をしていた時期がある女だ。
あいつの「ロマンや愛より、今日の現金」という徹底した現実主義と、俺の厄介事を背負い込む性格が合わず、愛想を尽かして(正確には、俺の金を持ち逃げして)別れた、腐れ縁のバウンティ・ハンター。
「相変わらず、隙あらば首を狙ってくるじゃねえか。泥棒猫が」
『人聞きの悪いこと言わないでよ。私はただの超現実主義者なだけ。金にならないあんたの不器用な優しさは好きだったけど、今はその首が新大陸で一番の「現金」なんだから、仕方ないでしょ?』
真紅の蜘蛛『ブラッド・ウィドウ』が、腰部から二本目のワイヤーを別の岩角に打ち込み、振り子の原理で空中の軌道を急激に変える。
関節部をワイヤーでロックされ、鈍重になっているノワールの完全な死角へと高速で回り込みながら、容赦のない銃撃を浴びせてくる。完全なアウトレンジからの立体機動戦術だ。
俺が力任せに右腕のサーボモーターを回し、ノワール・ブラスターでワイヤーを引きちぎろうとした、その時。
コックピット内の通信回線が、かつてないほどの『冷気』に包まれた。
『……あら。マスターの昔の泥棒猫かしら?』
網膜に浮かび上がったセリアのホログラムは、優雅な扇の奥で、氷のように冷たい――そして露骨な独占欲に満ちた瞳を向けていた。
『寝顔が好きだった? 笑わせないで。悪いけれど、今の彼の「中」を、マナの波長から脳髄のシナプスの隅々まで知り尽くしているのは私だけよ。……マスター。その安っぽいワイヤーごと、あの厚化粧の女をミンチにして差し上げなさい』
「おい、セリア! 殺気立ちすぎだ、機体のマナ・バイパスにノイズが走って……!」
『ちょっとヴァンス!! あんた、荒野のあちこちにどんなツケを残して歩いてるわけ!?』
スラスターの推力調整に四苦八苦する俺の鼓膜を、今度はエレナの怒声が突き破らんばかりに響いた。
『しかも寝顔って……信じられない! ダイナーのおばちゃんにも色目使ってたし、ホントに節操のない野良犬ね!! 狙撃の援護してあげようと思ったけど、少しその女に撃たれなさい!』
「馬鹿野郎、あの時はただの成り行きだ! それにエレナ、装甲が厚いっつっても同じ箇所に集中砲火浴びたら抜かれちまう、今は痴話喧嘩してる場合じゃ……!」
『痴話喧嘩!? 誰が貴方なんかと!』
『私のシステム領域に割り込んでこないで、泥まみれのメカニック。機体制御は私がやるわ。マスターの過去を掃除するのは正妻たる私の役目よ』
『誰が泥まみれよ! 勝手にバイパス開かないで、このポンコツAI!』
『……あらあら』
メインモニターの向こう側で、シャーリーがワイヤーを巻き取って空中ターンを決めながら、クスクスと笑い声を漏らす。
『随分と賑やかなお供を連れてるじゃない。昔は無口で可愛いだけの野犬だったのに、随分とやかましく飼い慣らされたのね、ヴァンス』
「……チッ。どいつもこいつも、外野からうるせえッ!!」
アラートが鳴り響くコックピットで、俺は三人の女のプライドと嫉妬が飛び交う「火の車」と化した回線を強制ミュートに叩き込んだ。
物理的な徹甲弾の雨よりも精神的なダメージを喰らいながら、俺はメインジェネレーターの出力を限界まで引き上げる。
右腕を縛るワイヤーごと岩壁を引き剥がすつもりで、漆黒の巨躯を力任せに旋回させた。




