エピローグ:野犬の餞《はなむけ》と、蓋の底の亡霊
アレスの殲滅部隊を退けたその夜。
『灰犬』の駐屯地では、ささやかだが熱狂的な宴が開かれていた。
エレナが修復した旧式機体群の無事を祝し、ザックやベイル、バークスたちが安い酒と焦げた肉で歓声を上げている。その輪の中には、文句を言いながらも傭兵たちの感謝の杯を受けるエレナの姿もあった。
だが、俺はその騒ぎの輪から離れ、キャンプの外れにある岩山に腰を下ろしていた。
「……一人で黄昏るなんて、似合わねえ真似をしてるじゃねえか」
背後から、義足の重い足音と、金属の杖を突く音が近づいてきた。
ガルドだ。親父は昼間に掲げていた特上ウイスキーのボトルと、くすんだグラスを二つ持っていた。
「ドンパチの後の安い酒は、俺の舌には合わなくてな。親父の奢りなら、喜んで付き合うぜ」
俺が皮肉を返すと、ガルドは俺の隣にどっかりと腰を下ろし、グラスに琥珀色の液体を注いだ。
カチン、と無骨なグラスが合わさる。
喉を焼く強いアルコールと、芳醇なピートの香り。確かに、荒野の掃き溜めには不釣り合いな極上の味だった。
「……ザックたちには、地下のことは言わねえのか?」
ガルドが葉巻に火を点けながら、ボソリと呟いた。
「ああ」
俺はジッポライターを弄りながら、短く答えた。
「あいつらは地上のお留守番だ。アレスが地下の『白銀』を狙って本隊を動かすなら、今日の雑魚どもとは次元が違う。……灰犬のツギハギ装甲じゃ、三秒で灰になる」
「だから、お前とあの嬢ちゃんたちだけで地下を掃除するってか。……相変わらず、可愛げのねえ放蕩息子だ」
ガルドは短く鼻を鳴らした。
「どっちにしろ、潜るには準備が必要だ。灰犬は一旦ここを離れて、別の仕事を見つけろ。」
突き放しているように聞こえるが、それはこれ以上家族を危険な世界に巻き込まないための、俺なりの線引きだった。
親父は、それを完全に見透かしている。
「ヴァンス」
親父が葉巻の煙を空へ吐き出し、濁った瞳で俺を見据えた。
「俺がお前を拾った時、お前はただの壊れた『部品』だった。泣き方も笑い方も知らねえ、空っぽのガキだった。……だが今は違う」
ガルドは分厚い手で、俺の背中をバンと強く叩いた。
「お前が背負ってる厄介事は、きっと俺の想像もつかねえくらいデカくて、理不尽なもんなんだろう。だが……お前はもう、俺の庇護が必要なガキじゃねえ。自分の命の使い道を決めた、一人の『男』だ」
「……親父」
「地上のことは俺たち灰犬が押さえておく。お前は、お前の戦争を片付けてこい。……そして、美味え飯を食うために、必ず生きて帰れ」
それは、老犬から一匹の野犬へと贈られる、最上級の餞だった。
俺は深く息を吐き、グラスに残ったウイスキーを一息に飲み干した。
「……ああ。長年のツケは、この美味え酒でチャラにしてやるよ」
岩山から立ち上がり、心地よい酔いに身を任せようとした俺の耳に、砂利を踏みしめる切羽詰まった足音が届いた。
「ヴァンス!」
宴を抜け出してきたエレナだった。その手にはデータ端末が握られており、彼女の顔からは先ほどまでの安堵感が完全に消え失せていた。
「どうした、血相を変えて」
「……解析が終わったの。ノワールの胸に収めた、あの『白銀のパーツ』の」
エレナは親父に軽く目配せをすると、俺に画面を突きつけた。
「あのパーツの起動システム……特定の生体波長を持つ人間でしか、物理的にアクセスできないように遺伝子レベルでロックが掛かっていたわ」
「生体波長?」
「ええ。驚いたわ。その登録されている波長データ……貴方のDNAと、99%一致しているのよ。でも、残りの1%が、私たちが知っている『人間』とは別次元の、異常な質量を持ったマナで変異している」
エレナの言葉に、親父の顔つきが険しくなる。
俺は無意識に、眉間に皺を寄せた。
「貴方がマナを持たずに生まれ、物理的な強度を突き詰められた『影』だとするなら、この波長の持ち主は、マナを極限まで増幅させるために作られた『光』の最高傑作。……つまり、貴方と同じ遺伝子培養槽から作られた双子よ」
エレナは震える指で端末を操作し、暗号化された深層データから復元した一つの古い画像を空中に投影した。
それは、十数年前の凍りついたアレス研究所の記録映像だった。
そこに映っていたのは、俺と瓜二つの顔をした、金髪の長髪の男。
その男は、研究者たちを惨殺し、悪魔のような無邪気な笑みを浮かべながら……同じ実験体の子供たちを、まるでオモチャを壊すように凄まじい魔法で蹂躙していた。
「……あ」
――ガァンッ!
俺の脳髄が、けたたましい金属音を立てて悲鳴を上げた。
視界が一瞬にして、あの赤黒いノイズに塗り潰される。
あの日。
俺が生き延びるために、自らの心と痛覚を焼き切って『獣』に落ちた、本当の理由。
ただの戦闘兵器としてリミッターをかけられたわけじゃない。あの金髪の亡霊による絶望と恐怖から逃れるために、俺は強引に自分の記憶の蓋を閉ざしたのだ。
「……ッ、ぐあぁぁぁぁッ!!」
「ヴァンス!?」
ガルドが弾かれたように立ち上がり、俺の腕を掴む。
俺は頭を抱え、膝から崩れ落ちた。
脳の奥底に分厚く打ち込まれていた「重い杭」が、映像の男に呼応して抜けかけ、地獄の記憶が逆流しようと暴れ狂う。
『――マスター!! ダメよ、そこを開けたら……貴方の魂が壊れてしまうわ!!』
網膜にセリアの絶叫が響き渡った。
直後、青白い光の粒子が俺の脳神経を強制的に包み込み、熱暴走を起こしかけたシナプスを強引にシャットダウンさせた。
「……ハァ……ッ、ハァッ……」
俺は冷たい岩肌に両手をつき、脂汗を滴らせながら荒い息を吐いた。
「おい、ヴァンス。大丈夫か!」
親父の太い手が、俺の背中をさする。エレナは蒼白な顔で俺を見つめていた。
「……あいつだ」
俺は血の滲むような声で、空中のホログラムを睨み据えた。
「あの顔……金髪の長髪の男。俺たちのルーツであり、あのクソったれなアレスの研究所で作られた『最高傑作』だ」
ライオスやミラの家族を奪い、そして俺から人間としての最初の一歩を奪った男。
「金髪の亡霊……あいつが、アークメイジだ。俺たちが追っている亡霊であり、この新大陸を燃やそうとしているすべての元凶だ」
エレナは言葉を失い、俺の背中にそっと手を添えた。
俺の震えが、物理的な恐怖ではなく、心の奥底で封印していた「獣」の目覚めに対するものだと察したのだろう。
「……そう。貴方が過去を隠していた理由が、やっと分かったわ。貴方は世界の危機なんかじゃなく、自分自身のトラウマと向き合うために……」
俺はゆっくりと立ち上がり、乱れた息を整えた。
もう、あの記憶は過去の遺物じゃない。アークメイジは今もどこかで笑っている。そして、クロノスの中枢でこの『白銀』が俺のノワールと交わることを待っている。
「……親父。俺の戦争は、ここからが本当の地獄になりそうだ」
俺は岩山の上から、嵐の予感を孕んだ新大陸の暗い夜空を見上げた。
俺が傭兵として泥を啜ってきたのは、いつかこの亡霊と決着をつけるため。
俺の心の中に棲みつく魔女と、隣で背中を支えてくれるメカニックと共に、俺はついに「自分自身の過去」という暗い深淵へと、重い足を踏み出す決意を固めた。
(第5幕「傭兵と黒の魔女 ―鉄屑の家族―」・了)




