第五幕【鉄屑の家族】 プロローグ:太陽のない街の休日と、不死身の老犬
エレボス最下層、ロキのガレージ。
ノワールの完全修復が終わり、少しばかりの暇と退屈を持て余していた日の午後だった。
作業台でハウンドのライフルを調整するエレナの横で、俺はひしゃげたジッポライターの蓋を弄りながら、ぼんやりと紫煙を吐き出していた。アークメイジの手がかりは、猟犬ギルドのネットワークを使ってもそう簡単には引っかからない。平和とは言えないが、血を流さない『日常』が数日続いていた。
――ピピピッ
不意に、俺の個人用暗号端末が、古臭い電子音を鳴らした。
「……珍しいわね。借金の取り立て?」
エレナが工具から目を離さずに尋ねる。
「違う。……もっとタチの悪い相手だ」
発信元のコードを見た俺は、思わず小さく舌打ちをして通話ボタンを押した。
「よお、ザック。生きてたか」
『……ヴァンスか! 繋がってよかった!』
通信機越しに響いたのは、焦燥感に駆られた若い男の声だった。ザック。俺がかつて所属していた中小傭兵団『灰犬』の現団長であり、俺と共に泥水を啜って育った兄弟分だ。
「どうした? お前がわざわざ俺の個人回線を叩くなんて、余程の厄介事か?」
『ああ……厄介事だ。俺たちのことじゃない。親父……ガルドの親父の様子がおかしいんだ。ここ数日、まともに飯も食わねえで、奥のテントに引きこもっちまってる。いくら声をかけても、怒鳴り返されるだけでよ……。なあヴァンス、一度だけでいい、顔を出してやってくれ。親父には、もう時間がねえのかもしれねえ』
「……親父が?」
俺は無意識に、咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。
ガルドに時間がない、だと?
俺は思わず鼻で笑いそうになった。あの殺しても死にそうにない、不死身の化け物みたいな老犬に限って、そんなチャチな終わり方をするはずがない。
アレスの研究所から脱走し、感情も痛覚もロックされたまま荒野で行き倒れていた『ただの実験動物』だった俺を拾い上げたのが、ガルドだった。
当時の親父は、野盗の魔導鎧五機を相手に、たった一機の旧式機体で突っ込み、文字通り機体を蜂の巣にされながらも、腕力だけで敵のコックピットをこじ開けて大笑いしながら帰ってくるような男だった。
俺が傭兵として、人間として今ここで息をしているのは、間違いなくあのクソ親父のおかげだ。
――『おい坊主。飯ってのはな、ただの燃料じゃねえんだよ』
味のしない固形レーションを無表情で噛み砕いていた幼い俺の口から、ガルドはレーションを乱暴にむしり取った。代わりに、自身の焚き火で焼いた不格好で焦げた肉の塊を無理やり俺の口に押し込んだ。
――『焦げて不味けりゃ文句を言え。美味けりゃ笑え。それが、機械じゃねえ「人間」ってもんだ』
またある時は、戦闘訓練で高い崖から落ちて脚の骨を折った俺が、痛覚ロックのせいで無表情のまま立ち上がろうとした時だ。
ガルドは本気で俺の頬を張り飛ばし、自分もボロボロと大粒の涙を流しながら怒鳴り散らした。
――『ふざけるな! 痛え時は痛えって叫べ! お前はアレスの部品じゃねえ、俺の息子だ! 泣き方も分からねえなら、俺が何度でも引っぱたいて教えてやる!』
感情のプログラムなど存在しなかった俺の脳髄に、無理やり「喜怒哀楽」というバグを叩き込んだ男。
あの理不尽で、豪快で、誰よりも泥臭く人間臭かった親父が、飯も食わずにテントで死にかけている?
「……分かった。少し時間をくれ、すぐに向かう」
通話を切ると、コンソールの上で青白い粒子が舞い、セリアのホログラムが浮かび上がった。
『あら。マスターの顔色を変えるなんて、よっぽど特別な相手のようね。……ヴァンスの『実家』、少し興味があるわ』
「悪いが、エレガントな茶会にはならねえぞ。エレナ、ノワールを出す。ハウンドの留守番を頼めるか?」
「冗談。貴方が『実家』に帰るっていうのに、専属メカニックが同行しないなんてあり得ないわ。それに、その『灰犬』って傭兵団の機体、アレス時代から悪い意味で噂は聞いてるのよ。整備不良の動く棺桶の博覧会だって」
エレナはレンチを放り投げ、ウインクをしてレザージャケットを羽織った。
実家の惨状をプロの目で見られるのは少しばかり胃が痛いが、この二人の女を置いていくという選択肢は、俺の辞書にはハナから存在しないらしい。
俺は苦笑し、ガレージの奥で眠る漆黒の巨躯を見上げた。
「……行くぞ。親父の小言を聞くための、里帰りだ」




