エピローグ:掃き溜めの日常と、白銀の残響
雨音は、まだトタン屋根を叩き続けていた。
冥界最下層、ロキのガレージ。新大陸の均衡を揺るがしかねない『白銀のパーツ』を奪還した激動の夜は、不気味な静寂の中に幕を閉じようとしていた。
「……共鳴は、完全に収まったわね。ジェネレーター出力も、冷却ガスの圧力もすべて平常値。……ただの静かな金属の塊に戻ったわ」
エレナが端末を置き、荒く息を吐いた。
先ほどまでの異様な残光は消え、ノワールの胸部格納庫に収まったコアは、ただ冷たい沈黙を保っている。なぜノワールと反応したのか。あの現象に名前を付けることすら、今の俺たちにはできなかった。
「……ま、答えが出ねえなら今のところは問題ねえだろ。動かなくなったのなら、それはそれで『ただの荷物』だ」
俺はコックピットから降り、ガレージの隅のパイプ椅子へ深く身を沈めた。
頭痛は消えていたが、代わりに全身に鉛を詰め込まれたような気怠さが残っている。ジッポライターを鳴らし、ひしゃげた煙草に火を点けた。紫煙が肺を満たすと、ようやく「人間」としての実感が舌の上に蘇る。
『……ふふっ。相変わらず、貴方は楽観的ね、マスター』
ガレージの薄暗い空間に、セリアのホログラムが浮かび上がった。
扇を広げ、優雅に宙を舞う姿は、まるで戦場など存在しない貴婦人のようだった。
『今の共鳴の正体なんて、調べたところで泥を啜る日々に何の変化ももたらさないでしょう? 貴方の目的は、いつだって明日を生き延びること。……それ以上の深入りは、貴方の神経を焼き切る原因になるだけよ』
「あら。今の現象を「問題ない」で片付けるなんて、傭兵っていうのは随分と能天気なのね」
エレナが呆れたように鼻を鳴らし、白衣のポケットに端末をねじ込む。
『でも……確かに今は、そのパーツが何なのかよりも、このガレージの家賃を払うことの方が先決ね。ノワールのメンテナンス代、今回の戦いでかなり跳ね上がってるわよ。貴方のその泥臭い稼ぎだけじゃ、全く足りないんだから』
「……分かってる。明日、上層の『猟犬』ギルドに新しい依頼を回してくる」
俺は煙草の灰を床に落とし、ノワールの漆黒の巨躯を眺めた。
アークメイジだの、世界の崩壊だの、そんな大きなことは俺には分からん。俺にとって大切なのは、このガレージの騒がしい空気と、俺の脳髄にへばりつくこの魔女が、明日も俺を「人間」として繋ぎ止めてくれることだけだ。
『……ふん。せいぜい稼ぎなさいな。貴方が野垂れ死んだら、私も退屈するんだから』
「ええ。私も、貴方の脳を焼き切らせないために、もう少し長く付き合ってあげるわ。貴方のメンテナンスは、私の技術の証明にもなるんだから」
セリアの皮肉と、エレナの不器用な献身。
二人の女の視線が交差する中、俺は小さく息を吐いた。
「……やれやれ。明日も、泥を啜る日々だ」
雨の上がる気配のないエレボス。
誰の未来も約束されていない、光の届かない掃き溜めの都市。
だが、その不快な重油と硝煙の匂いこそが、今の俺が生きているという確かな証だった。




