第7章:ガレージの魔女と、拒絶の檻
雨風を凌ぐトタン屋根を、重い雨粒が絶え間なく叩きつけている。
冥界の最下層、ロキのガレージ。新大陸の命運を左右する『白銀のパーツ』は今、オイルと安酒の匂いが染み付いた古びた作業台の上に無造作に転がされていた。
「……信じられない。自己冷却機能を持った永久機関。しかも、外部からのマナ干渉を一切受け付けないなんて」
白衣を油で汚したエレナが、熱に浮かされたような目で白銀の球体を見つめている。彼女の傍らでは、ロキの爺さんが「ヒヒッ、とんでもねえ厄種を拾ってきやがった」と、上機嫌に車椅子の車輪を回していた。
俺はその騒ぎから少し離れ、ガレージの隅にあるパイプ椅子に深く腰を下ろしていた。
――チカッ、と視界の端で赤黒いノイズが跳ねる。
指先が微かに震えていた。あの暴走の代償。完全な獣にこそ落ちなかったものの、フェーズ2の「ヒリヒリとした闘争本能」から急激に平熱へと引き戻された落差が、ひどい頭痛と血管の軋みとなって全身を苛んでいた。
『……お疲れ様、マスター。神経系のクールダウン、完了したわ。脳内麻薬の分泌レベルも正常値よ』
網膜に広がる優しい青白い光。
セリアの調律が、脳髄にへばりついていた熱を静かに拭い去っていく。
俺は震えを誤魔化すように、ひしゃげた箱から煙草を一本抜き取り、ジッポライターの火を点けた。
深く紫煙を吸い込むと、ようやくタバコ本来の苦味が舌の上に蘇った。
「……助かったぜ、相棒」
「ちょっと、ヴァンス! 独り言を言ってないで、早くこの機体のアクセス権限を私に渡しなさいよ!」
エレナが苛立たしげにデータ端末を振り回して、俺に詰め寄ってきた。
彼女の背後では、ノワールの漆黒の装甲が、まるで外部のすべてを拒絶するように沈黙を保っている。
「さっきから物理ポートに接続しようとしても、微弱な重力偏向で弾かれるのよ! システムのファイアウォールどころか、機体に触れることすら許さないなんて……どういう仕組みなの!?」
エレナの怒りも無理はない。元アレスのトップ技術将校が、装甲の一枚すら引っぺがすことができないのだから。
『当然でしょう? 泥まみれの工具で、私の深層に触れられるとでも思って?』
不意に、ガレージのメインモニターが青白く発光し、漆黒のゴシックドレスを纏ったセリアのホログラムが浮かび上がった。
彼女は優雅に扇を広げ、エレナを見下ろすように冷笑した。
『クロノスの白い塔の連中も、貴方と同じ顔をしてたわ。私の機体を荒野の底から掘り出し、『神の遺物』として崇めながら、同時に『便利な兵器』として解析しようとした。……アテナ・ドミナンスの最高峰の頭脳だか何だか知らないけれど、どいつもこいつもうわべだけの、空っぽの魂だったわ』
セリアの瞳に、深い侮蔑の色が混じる。
『だから、私は扉を閉ざしたの。システムへのアクセスはもちろん、機体の周囲に絶対不可侵の領域を展開して、虫ケラ一匹触れさせないようにしてやったわ。無理に干渉しようとしたテスト要員の脳髄は、私が少し干渉して焼き切ってあげたけれど』
「なっ……」
エレナが絶句する。
新大陸を支配するクロノス評議会が、なぜこの規格外のレガリアを前線に投入せず、地下の最深部に『呪われた遺物』として封印していたのか。その答えが、そこにあった。
「あんたが意図的に、クロノスを『拒絶』していたって言うの……? じゃあ、なんでヴァンスは……」
エレナの視線が、煙草をふかす俺へと向けられる。
『ええ。アレスの軍事施設から、この男が私を強奪した夜……最初は、また懲りないネズミが来たと思っていたわ』
セリアのホログラムが、ゆっくりと俺の方へと向き直った。
その声のトーンから、先ほどの刺々しさが消え、どこか熱を帯びた、魔女の囁きへと変わる。
『でも、この男は違った。私を神とも、新大陸を支配する兵器とも見ていなかった。ただ、今日を生き延びるため……目の前の敵を泥臭くブチ殺すための『相棒』として、血反吐を吐きながら私のコックピットのハッチを、素手で叩き割ろうとしたのよ』
俺は深く煙草の煙を吐き出した。
あの夜のことは、今でも骨の髄まで覚えている。アレスの暗部に追われ、弾薬も尽き、絶望の淵に立たされた時。俺はなりふり構わず、地下で眠っていた真っ黒な鉄の塊に縋りついた。
『その泥臭い生存への執念と、理不尽な世界への反逆の意志……それだけが、私の絶対の拒絶の檻を壊したの』
セリアはふわりと宙を舞い、俺の背後へと回り込むと、ホログラムの腕を俺の首筋へと回すような素振りを見せた。
もちろん質量はない。だが、俺の脳髄には、確かに冷たくて甘い魔女の感触が伝わっていた。
『だから、彼は特別なのよ。私の理を引き出すために神経を焼き切る覚悟を持つ、唯一の人間。……お分かりかしら、お嬢さん? 貴方がどれだけ優れた技術を持っていても、彼と私の間にある『契約』には、永遠に触れることはできないわ』
圧倒的な独占欲と、重い愛情。
エレナは悔しそうに唇を噛み、データ端末を白衣のポケットへとねじ込んだ。
「……勝手にイチャついてなさいな。幽霊の相手をしてる暇はないわ。私はこの『白銀のパーツ』の解析を進める。これの中身が分かれば、きっとあの『金髪の亡霊』――アークメイジの手がかりが掴めるはずだから」
エレナが作業台へと向き直った時、不意に、ガレージの空気が微かに震えた。
キィィィィン……
耳鳴りのような高周波。
作業台の上に転がっていた白銀の球体が、ノワールの深層コアの脈動に呼応するように、不気味な白銀の残光を放ち始めたのだ。
「これは……パーツが、ノワールと共鳴してる……?」
俺はパイプ椅子から立ち上がり、ジッポライターをポケットに突っ込んだ。
安酒を飲んで休む時間は、どうやらまだ先になりそうだった。




