第1章:赫い暗号と暴走特急
雨と重油の入り混じった不快な匂いが立ち込める冥界最下層。
俺は泥だらけになったリリアの秘書と、血と硝煙の匂いが染み付いたアタッシュケースを抱え、ロキのガレージへと帰還した。
「……まったく。貴方っていう人は、少し目を離すとすぐに行き倒れの女を拾ってくるのね」
ガレージの救護ベッドに秘書を寝かせ、手当を終えたエレナが、腕を組んで呆れたように溜め息をついた。
「人聞きの悪い言い方をするな。あの白い塔のお姫様から、わざわざこんな地の底まで届けられたラブレターのオマケさ。アレス暗部の猟犬どもが血眼になって追ってくるほどの代物だぜ」
俺はメインコンソールの上に、重厚な金属製のアタッシュケースを置いた。
「アレスの暗部が……。リリア・ヘリオス、あの女、完全に失脚したわけじゃなく、強引に席を取り戻したのね」
エレナは顔つきを険しくし、ケースの生体ロックへと自前のデータ端末を接続した。
元アレス技術将校の腕と、俺の頭の中にいる魔女の演算能力が合わされば、開かない箱など新大陸に存在しない。
『マスター、ロックを強制解除するわよ。……ビンゴ。テキストメッセージと、一枚の広域マップデータね』
セリアが優雅に指を鳴らすと、空中に赤い文字の羅列と、新大陸の広大な荒野を横断する『赤い軌道』のルートが浮かび上がった。
『――久しぶりね、黒の傭兵。貴方たちがまだ地の底で泥水を啜っていると信じて、この手紙を送るわ』
読み上げられたメッセージは、テキストでありながら、あのリリアの何処か優雅で、けれど確かな覚悟を持った声が脳内再生されるようだった。
『単刀直入に言うわ。クロノス評議会の一部派閥に、看過できない不穏な動きがある。奴らは新大陸の北部荒野を横断する、評議会の最高機密輸送列車『エグゼキューター号』を用いて、ある“遺物”の運搬を開始した』
「遺物……」と、エレナが息を呑む。
『積荷の正体は、貴方たちもよく知るもの。……『白銀のレガリア』の主要パーツよ。目的は不明だが、これが奴らの本拠地に運び込まれれば、新大陸の勢力図は完全に崩壊する。私の復権の総仕上げとして、奴らの計画をここで叩き潰しておきたいの』
メッセージの最後は、こんな言葉で締めくくられていた。
『――黒の傭兵。この暴走特急を止め、白銀を奪いなさい。ヘリオス財閥は、貴方の銃に相応の報酬と、クロノス内部の『真の敵』へと繋がる情報を支払う用意があるわ』
通信はそこで途絶えていた。
ガレージに、重い沈黙が落ちる。
「クロノス内の派閥争いの尻拭いを、裏社会の傭兵にやらせようって腹か。相変わらず、人使いの荒いお嬢様だぜ」
俺は空になったコーヒーの紙コップをゴミ箱へ放り投げた。
だが、エレナの表情は真剣だった。
「ヴァンス、リリアの思惑はどうあれ、これは見過ごせないわ。あの『白銀の腕』の残りのパーツがクロノスの研究施設に渡れば、夫の融合炉のような悲劇が、今度は完全に制御された軍事力として繰り返されるかもしれない」
『ええ。それにマスター、白銀のパーツを解析すれば、ノワールの失われた機能のコアに迫れる可能性が高いわ。……あのお嬢様が餌にしている『真の敵』ってのが、もしアークメイジのことだとしたら、乗らない手はないわよ』
セリアの言葉に、俺は無意識に懐の煙草へ手を伸ばしかけ、思い留まった。
ライオスやミラは今、上層で情報収集に奔走している。あいつらの両親の仇に繋がる糸口なら、ここで逃すわけにはいかない。
「……爺さん、列車の装甲をブチ抜くための『特大の杭』は残ってるか?」
俺が振り返ると、車椅子に座ったロキが悪魔のような笑みを浮かべた。
「ヒヒヒッ! テッカブラの右腕に付けていたパイルバンカーを、ノワールの出力に合わせて調整してやる。……数千トンの推進力だ、どんな装甲列車だろうが風穴を開けられるぞ」
「上等だ」
俺は作業服の襟を正し、立ち上がった。
「エレナ、ハウンドの準備をしろ。お前は少し離れた場所から、俺の侵入経路の確保と電子戦のサポートだ。セリア、エグゼキューター号の現在位置と、合流可能なポイントを弾き出せ」
『了解、マスター。最高速の狩りを始めましょう』
俺たちは再びノワールを起動させ、バジリスクの合金を纏った漆黒の装甲に血生臭いオイルを巡らせる。
舞台は太陽の届かぬ地の底から、暴風雨の吹き荒れる荒野の鉄路へ。
白銀の破片を巡る、巨大装甲列車での死闘の幕が、今ここに切って落とされた。




