第1章:老狗の狂気と足りない欠片
ガシャァァンッ……!
重々しい金属音と共にシャッターが閉まり、エレボスの毒々しいネオンの光が遮断された。
代わりにガレージを満たしたのは、むせ返るような純度の高い機械油の匂いと、作業用ランタンの煤けた灯りだ。
俺のノワールが中央のドックに固定されると、ロキは機械化された両脚を不器用に軋ませながら、狂ったように機体へすがりついた。
「ヒヒヒ……! 面白い、実に面白い! 外装こそ現行のジャンクパーツでツギハギにされているが、メインフレームの分子構造がまるで違う。局所的な物理改竄を前提とした、大戦時の『レガリア』そのものじゃないか!」
深い皺に刻まれた老顔に、マッドサイエンティストじみた歪んだ熱が浮かび上がる。
ペンライトの光でフレームの歪みを執拗になぞるその姿は、八十歳を超えているとは思えないほどの凄絶な執念に満ちていた。
「直せるのか、爺さん」
俺が壁際に寄りかかり、煙草に火を点けながら問いかける。
「ワシの腕を舐めるな、若造。だが……アレスのマナ・カノンを正面から喰らったな? 内部のアクチュエータが完全に焼き切れておる。これを繋ぎ直すには、現行のチタン合金じゃ三秒と保たずに自壊するぞ。大戦時の『超高密度合金』の無垢なパーツが要る」
「……そんなもの、アレスの極秘保管庫にでも忍び込まないと手に入らないわよ」
エレナが黒のレザージャケットを脱ぎ、軍服の袖を捲り上げながら眉をひそめた。
『あら。現行のガラクタで私の体を誤魔化そうとしないだけ、少しはマシな眼を持ったお爺さんね』
突如、コンソールの上で青白い粒子が舞い、セリアのホログラムが顕現した。
漆黒のゴシックドレスの裾を揺らし、腕を組んでロキを値踏みするように見下ろす。
その姿を視界に捉えた瞬間、ロキのギラギラとした瞳が大きく見開かれた。
咥えていた葉巻が、ポロリと床に落ちる。
「自律型の……ホログラムAI、だと……?」
老狗の口から、掠れた声が漏れた。彼は震える機械の右手を、自身の胸元へと伸ばす。
「まさか、ただのナビゲーションにここまでの自我と独立した演算領域を持たせているのか。……昔、ワシが故郷の大陸にいた頃……これによく似た、生意気なホログラムAIを知っていてな」
ロキの濁った瞳の奥に、遠い昔の記憶がフラッシュバックしているのが分かった。
だが、老人はすぐに首を激しく振り、落ちた葉巻を乱暴に踏み消した。
「……チッ、ただの老人の繰り言だ。とにかく、その生意気な魔女サマを完全に目覚めさせたいなら、エレボスのさらに底、旧世界の廃棄区画である『スカベンジャーの巣窟』へ行ってこい。そこにしかない合金だ」
「アレスの追手が嗅ぎ回っているのに、随分と物騒な場所を指定するのね。……あそこは完全な未開拓区画よ。案内人はいるの?」
エレナが端末のデータを書き換えながら尋ねる。
「あの巣窟は今、ワシの旧知であるS級ハンター『ロイド兄妹』が縄張りにしている。腕は確かだが、ひどく厄介な猟犬どもだ。奴らに通信を入れておく。上手く交渉して、必要なパーツをハントしてくるんだな」
「……交渉、ね」
俺は煙草の煙をゆっくりと吐き出し、腰の大型拳銃の感触を確かめた。
「冥界の猟犬どもが、言葉の通じる相手だといいんだがな……ところで俺の足はどうすりゃ良い? 生身で巨大な鉄屑を狩りに行けってのか?」
俺が呆れたように煙草の煙を吐き出すと、ロキはニヤリと悪魔のように笑い、ガレージの片隅に被せられていた分厚い防塵シートを乱暴に引き剥がした。
「足なら、これを貸してやる」
舞い上がる埃の中から姿を現したのは、見るからに時代遅れの、無骨極まりない旧式魔導鎧だった。
洗練されたアレスの現行機とは対極にある、ただ鉄板を何重にもリベットで打ち付けただけの巨大な『鉄塊』。
「名付けて『テッカブラIII』だ。……OSは化石レベル、武装のマウントも旧規格だが、装甲の分厚さとフレームの物理的な強度だけは、最新鋭機にも引けを取らんようワシが徹底的に鍛え上げてある。よっぽど無茶苦茶せんかぎり耐えうるはずだ」
「……見た目はただの歩くドラム缶だがな。まあいい、背に腹は代えられねえ」
俺はノワールの横へ歩み寄り、マウントラッチを手動で解除して、身の丈ほどもある巨大な銃剣『ノワール・ブラスター』だけを取り外した。
この馬鹿げた質量の鉛玉を撃ち出せる武器さえあれば、後は俺の腕と気合でどうにでもなる。
『……絶対に、無茶しそうよね』
コンソールの上に青白い粒子が舞い、セリアのホログラムが浮かび上がった。
彼女は漆黒のドレスの裾を揺らしながら、不機嫌そうに俺とテッカブラIIIを交互に睨みつける。
『私はこのノワールの深層システムの再構築と、ロキのオーバーホールに完全に同期しなければならないわ。つまり……今回の泥んこ遊びは、正真正銘の「お留守番」よ』
「なんだ、俺の頭の中に響く小言が減って、せいせいするぜ」
俺が軽口を叩くと、セリアはベールの奥の瞳を細め、ふいとそっぽを向いた。
『……せいぜい、そこの新しいメイドに背中を守ってもらいなさいな。私の完璧な演算サポートなしで、無様に死んだら絶対に許さないわよ、ヴァンス』
素直じゃない魔女の、彼女なりの精一杯の激励。
AIらしからぬその不器用な気遣いに、俺は短く鼻で笑い、ノワールの装甲を軽く叩いた。
「悪いな、エレナ。どうやら今日は、俺の耳はあんたの指示だけを聞くことになりそうだ」
俺が振り返ると、エレナは自身の愛機『ヴォルフ・ハウンド』のライフルを調整しながら、自信に満ちた艶やかな笑みを浮かべた。
「ええ、任せておいて。魔女ほど優秀な演算機能はなくても、私の技術と勘で、貴方をきっちりエスコートしてあげるわ」
ロキに見送られ、俺は借り物の分厚い鉄塊『テッカブラIII』の重い操縦桿を握った。右腕にはお馴染みのノワール・ブラスター。
隣には、しなやかな銀狼『ヴォルフ・ハウンド』。
魔女をお留守番に残し、俺たちはエレボスの最深部――スカベンジャーの巣窟へと降下していくのだった。




