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傭兵と黒の魔女  作者: KK
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第3幕 【冥界の猟犬たち】プロローグ:太陽のない街と、伝説の老狗

新大陸には、あの忌まわしい白い塔の光すら届かない『底』がある。



 巨大な地割れを利用して作られた地下空間に、毒々しい極彩色のネオンが乱反射している。


 『エレボス・シンジケート』――冥界の名を冠するこの巨大な地下都市は、表向きこそどの勢力にも属さない自由な交易都市を装っている。だが、その実態はクロノス評議会が表立って処理できない汚れ仕事を一手に引き受ける、巨大なマフィア・カルテルの巣窟だった。


 大気が淀み、換気システムから吐き出される合成麻薬と機械油の甘ったるい匂いが、肺の奥にねっとりとへばりつく。


「……吐き気のする街だ。ニケ・ハーバーの潮風が懐かしくなるぜ」

 俺はコートの襟を立て、ネオンの裏路地を歩きながら毒づいた。


「文句を言わないの。今のノワールを、アレスの追手から完全に隠せる場所はここしかないわ」

 前を歩くエレナが、黒のレザージャケットのポケットに両手を突っ込んだまま振り返る。


 深淵のドックでの激闘から数週間。俺の黒のレガリア『ノワール』は、アンスバッハが放ったマナ・カノンの直撃と度重なる無茶な機動のせいで、素人目にも分かるほどの限界を迎えていた。


 フレームは歪み、偽装用の追加装甲は半分以上が炭化して剥がれ落ちている。


「私の腕なら、装甲の修復やスラスターの換装くらいはできる。でも、あの旧世界特有の『物理ロック』の機構と、歪んだメインフレームだけは、現行の規格じゃどうにもならないわ。……下手に触れば、機体そのものが自壊する」


 エレナの言葉に、俺の網膜でセリアのホログラムが不機嫌そうに腕を組んだ。


『あら、自分の技術不足を棚に上げるのね、未亡人。……まあいいわ。私の「体」を安物の現行パーツで誤魔化されるよりは、マシな判断よ』


「ポンコツが。エステに行く金もねえのに、注文だけは一丁前だな」


 俺が心の中で溜め息をつきながら歩き続けると、やがて極彩色のネオン街は途切れ、光の届かないさらに深い最下層――エレボスのスラム街へと足を踏み入れた。


 違法なジャンクパーツの山が、まるで墓標のように高く積み上げられている。


「着いたわ。……ここよ」

 エレナが立ち止まったのは、鉄屑の山に半分埋もれた、巨大なシャッターの前だった。


 看板はない。ただ、扉の横に『猛犬注意』とだけ殴り書きされている。


「おい、技術屋。こんなゴミ溜めの奥に、本当にノワールを直せる奴がいるのか?」


「ええ。名前は『ロキ』。……かつてアレス・セキュリティが発足したばかりの時代に、魔導鎧の基礎フレームを設計した伝説のメカニックよ。とうの昔に死んだことになっていたけれど、こんな冥界の底で生き延びていたのね」


 エレナが暗証コードを入力して物理キーを叩き割るように回すと、けたたましい金属音と共にシャッターがゆっくりと上がり始めた。


「……人の家の鍵を勝手に開けるとは、最近の若い者は随分と躾がなっておらんようだな」


 シャッターの奥。

 むせ返るような純度の高いオイルの匂いと共に、奥の暗がりから車椅子に乗った『それ』が現れた。


 年齢は八十をとうに超えているだろう。

 深い皺に刻まれた顔は枯れ木のように痩せこけているが、その眼光だけは猛禽類のようにギラギラと濁りなく輝いている。


 そして何より目を引くのは、彼の首から下のほぼ半分——右腕と両脚が、無骨で旧式な剥き出しの機械化義体になっていることだった。


「あなたが、ロキね」

 エレナが一歩前に出る。


「私はエレナ・ヴォルフ。元アレスの技術将校よ。……あんたの腕を見込んで、直してほしい『鉄屑』を持ち込んだわ」


「ふん。アレスの小娘か。帰れ。ワシはもう、人殺しの道具なんぞ弄らん」


 ロキと呼ばれた老人は、義手の指先で葉巻に火を点けながら、頑固なメカニックらしく面倒そうに手をシッシッと振った。


「おまけに、マフィアの犬どもが嗅ぎ回りおって。……おい、そこの目つきの悪いチンピラ。表の路地に隠してあるそのデカい鉄屑、早くどかさんか」

 老人が俺の方を顎でしゃくった。


 その瞬間、ロキの視線が、路地の奥にカモフラージュネットで隠してあるノワールのシルエットへと向いた。


 ピタリ、と老人の葉巻を持つ義手の動きが止まる。


「……おい。今の言葉、取り消すぞ」


 ロキは車椅子のモーターを唸らせ、俺たちを無視して猛スピードでノワールの前へと移動した。


 車椅子から降り、機械の足で不器用に立ち上がった老人は、震える左手でノワールの炭化した偽装装甲を撫でる。その奥にある、漆黒のメインフレームの質感を確かめるように。


「……まさか。こんな『バケモノ』が、まだこの世に残っておったとはな……」

 頑固な老狗の目に、狂気じみた技術者の熱が宿る。


「おい、小娘。それにそこのチンピラ」

 ロキは振り返り、満面の、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。


「前金はいらん。マフィアどもにこの隠れ家がバレる前に、中に入れろ。……こいつの『内臓』の隅々まで、ワシに拝ませてみろッ!」


 どうやら、冥界の底には、俺の相棒セリアと同じくらい狂った老狗が棲みついていたらしい。


 俺はエレナと顔を見合わせ、肩をすくめてノワールのエンジンを起動した。

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