エピローグ:硝煙の花嫁と次なる厄介事
クロノス評議会――あの白い塔の神様たちに、とびきり派手な喧嘩を売っちまった。
アンスバッハを吹き飛ばした後の脱出は、まさに地獄そのものだった。
狂乱するスカベンジャーの群れと崩れ落ちる天井。俺たちは『鉄の鯨』へ強引に帰還し、全速力でその海域を離脱した。
だが、手放しで勝利の美酒に酔える結末じゃなかった。
ドックが完全に海に呑まれる直前、セリアのセンサーが捉えたのは、混乱の最中に海中から浮上したクロノスの不可視回収艇だった。
奴らはアンスバッハや歩兵たちを見殺しにし、あの『白銀のレガリアの右手』だけを正確に回収して、深海へと姿を消した。
俺たちはエレナの夫の仇を討ったが、白い塔の豚どもは確実に『神のパーツ』を手に入れた。
それから紆余曲折ありながらも、俺たちはアレスの追跡を撒き、無事にこの薄汚れた中立港湾都市『ニケ・ハーバー』へと帰り着いた。
*
数日後。潮の香りが漂う裏路地の酒場。
俺はいつもの指定席で、泥水みたいなバーボンのグラスを傾けていた。
「相変わらず、そんな底の浅い酒を飲んでいるのね」
横からふわりと、硝煙の代わりに微かな香水の匂いが漂ってきた。
隣の丸椅子に腰を下ろしたのは、エレナだった。油塗れの軍服ではなく、体にフィットした黒いレザージャケットを羽織っている。休日の技術者というよりは、これから獲物を狩りに行く雌豹のような出で立ちだ。
「……夫の技術は、海の底で静かに眠らせてきたわ。クロノスの手には、二度と渡らない」
彼女はバーテンダーにジンを頼み、グラスを見つめながら静かに言った。
融合炉は暴走の末に自壊し、深淵の棘と共に冷たい海の底へ沈んだ。彼女の復讐は、そこで一つの区切りを迎えたのだ。
「これで未亡人の未練は終わりだ。あんたも、こんな薄暗い街を出て、マシな生き方を探すんだな」
俺が紫煙を吐き出しながら言うと、エレナはジンのグラスを呷り、艶やかな笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んだ。
「そうはいかないわ。……クロノス評議会に喧嘩を売った貴方たちは、これから世界中から追われることになる。貴方のあのツギハギの『鉄屑』じゃ、すぐにガタが来るでしょうね」
エレナは俺の胸ポケットに手を伸ばし、勝手に煙草を一本抜き取って自分の唇に咥えた。
「私を雇いなさい、ヴァンス。専属のメカニックとして。……もちろん、前衛で暴れる貴方の背中を守る『後衛』も兼ねてね」
『……あら、随分と図々しい未亡人ね』
俺が火を点けるより早く、カウンターの上にセリアの青白いホログラムが浮かび上がった。
漆黒のベールを揺らし、腕を組んでエレナを見下ろす。
『この男の脳髄の隣には、私の指定席しかないのよ。でも……そうね。泥まみれの装甲を磨く下働きと、弾除けの「盾」くらいになら、及第点を与えてあげてもいいわ』
「ポンコツが、相変わらず偉そうに」
俺がセリアのホログラムに向かって鼻で笑うと、エレナは咥えた煙草に自分で火を点け、面白そうに目を細めた。
「また、頭の中の嫉妬深い幽霊とお話し中? ……まあいいわ。幽霊が何と言おうと、ハードウェアの整備は生身の女にしかできないから」
エレナが俺のグラスに自分のグラスを軽く当てた。
カチン、と涼やかな音が酒場に響く。
「これで契約成立ね、傭兵さん」
「……好きにしろ」
俺は残りのバーボンを一息に喉の奥へと流し込んだ。
クロノスの陰謀。暗躍する回収部隊。そして、少しずつパーツを集め、目覚めの時を待つ『白銀の巨神』。
この新大陸で、俺たちが平穏な夢を見られる夜は、どうやら当分来そうにない。
俺は空になったグラスを置き、新しく加わった『硝煙の花嫁』と、頭の中に棲みつく『黒の魔女』を引き連れて、潮騒と錆の匂いがする夜の街へと足を踏み出した。
(第2幕「傭兵と黒の魔女 ―硝煙の未亡人―」・了)




