第5章:深淵の真実と白銀の脈動
制限区域の奥は、表の居住区の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
冷たい鋼鉄の回廊を満たすのは、巨大換気扇の重低音と、等間隔に配置された赤黒い非常灯の不気味な瞬きだけだ。空気は重く淀み、微かなオゾン臭と機械油の匂いが混じり合っている。
俺とエレナは、セリアが網膜に投影する戦術マップに従い、音もなく進んでいく。
『……次の交差点、右から巡回兵が二名。五秒後に視界に入るわ』
セリアの冷徹なカウントダウンが脳内に響く。
俺はエレナの肩を軽く叩いて壁の窪みに押し込み、自らも闇に溶け込んだ。
ブーツの硬い足音が近づき、交差点を曲がった瞬間——
俺は背後から一人目の口を塞ぎ、コンバットナイフを頸動脈に正確に突き立てた。
声にならない痙攣が起きるのと同時に、その体を盾にして二人目へ肉薄。驚愕に見開かれた目にナイフの柄を叩き込み、意識を刈り取る。
一滴の血も床に落とさず、完璧なクリアリング。
「……相変わらず、無駄のない手際ね」
暗がりから歩み出たエレナが、冷たい目で倒れた兵士たちを見下ろした。彼女の拳は、怒りを抑えきれずにわずかに震えていた。
「ただの作業さ。それより、あの扉を開けられるか?」
俺が顎でしゃくった先は、中央ブロックへの分厚い隔壁だった。
「私を誰だと思っているの」
エレナは小型データ端末を接続し、指先を高速で動かした。十秒足らずで緑色のランプが点灯する。
『ふん。旧式のファイアウォールなら、そのくらいで破ってもらわないと困るわね』
セリアの声が響き、重い隔壁がゆっくりとスライドした。
そこは、広大な地下ドックだった。
俺たちはキャットウォーク(高所の点検用通路)に身を潜め、眼下に広がる異様な光景を見下ろした。
ドックの中央に鎮座するのは、見上げるほど巨大な『白銀の腕』——
胴体も脚も頭部もない。ただ右腕から肩にかけてのパーツだけが、無数の極太ケーブルに繋がれ、培養液のような青白い液体の入った巨大シリンダーの中に浮かんでいる。
その装甲の滑らかさと、周囲の空間そのものを歪めるような圧倒的な存在感は、ノワールに刻まれた黒い紋章と完全に同質の——旧世界の『過ぎた力』そのものだった。
青白い光が脈動するたび、空気が微かに震えるような錯覚を覚える。
「……白銀のレガリア」
エレナが息を呑んだ。
しかし、彼女の視線はすぐに、その白銀の腕の『根元』に接続されている、武骨で巨大な機械へと釘付けになった。
「あれは……夫の融合炉! 完成していたの……!」
青白い光を放つ円筒形の装置。それは、魔法に頼らず純粋な物理的エネルギーだけを生み出す、エレナの夫が夢見た希望の光だった。
だが今は、その希望が、白銀の巨神を強引に目覚めさせるための『心臓』として組み込まれ、異様な脈動を繰り返している。
「素晴らしいだろう? ヴォルフが遺したこの忌まわしい技術が、まさか旧世界の神を蘇らせるための最高のバッテリーになるとはな」
静寂を破り、ドックの底から響き渡ったのは、スピーカーを通した傲慢な男の声だった。
融合炉のメインコンソールの前に、純白の将校服を着た細身の男——アンスバッハ特務大尉が立っていた。背後には、重武装の精鋭歩兵が十名以上控えている。
「……アンスバッハ!」
エレナの声が、殺意で低く震えた。彼女の指が手すりを強く握りしめ、白くなるほど力を込めている。
アンスバッハは薄気味悪い笑みを浮かべ、キャットウォークに潜む俺たちを見上げた。
「君たちがここへ来ることは分かっていたと言っただろう? 手厚く歓迎させてもらうよ」
ガコンッ、という重々しい機械音がドック内に響き渡る。
キャットウォークの四方、そしてドックの床から、赤いセンサーアイを光らせたアレス最新鋭の無人警備魔導鎧が、次々と姿を現した。その数、優に十機以上。
完全に退路は断たれ、俺とエレナは生身のまま、鉄の化け物たちに包囲されていた。
『……ヴァンス。ちょっとばかり、お行儀の悪いお出迎えのようね』
セリアの声が、わずかに緊張を帯びて響いた。
「チッ……だから、数の暴力ってやつは嫌いなんだ」
俺は拳銃の撃鉄を起こし、エレナも静かにコンバットナイフと小型銃を構えた。
深淵の底で、生身での絶望的な死闘が、今始まろうとしていた。




