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傭兵と黒の魔女  作者: KK
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第3章:ロマンスと呪い

戦闘後、俺達は無言で、それぞれの乗機にメンテナンスを施し、簡単な食事を取り終える。


格納庫の息苦しい油の匂いから逃れるように、エレナはハッチを開けて夜の甲板へと出た。


 俺も無言のまま、その後を追う。


 外は、どこまでも続く暗黒の海だった。


 『鉄の鯨』が波を裂く低い振動音と、潮風のざわめきだけが鼓膜を打つ。遠く水平線の彼方には、微かに赤黒く光る海上資源採掘基地の影が見えた。


 エレナは冷たい手すりに寄りかかり、油で汚れた軍服の襟元を夜風に揺らしていた。


「……夫が死んだあの夜も、こんな風に潮の匂いが強かったわ」


 振り返らずに呟いた彼女の横顔は、先ほどまでの「硝煙の花嫁」としての鋭さが鳴りを潜め、ただの伴侶をうしなった孤独な女の痛みに満ちていた。


 切れ長の双眸そうぼうが、海の底に沈む幻影を探すように微かに揺れている。


「みっともないかしら。アレスの軍人として散々他人の命を奪ってきたくせに、自分の夫が死んだ途端に、こんな場所で未練がましく海をにらんでいるなんて」


「いいや」


 俺は隣に立ち、ポケットから銀色のスキットルを取り出して、安物のバーボンを一口煽あおった。アルコールの熱が喉を焼く。


鉄屑てつくずみたいに冷たいつらをしてるより、よっぽど人間らしくていいぜ」


 俺がスキットルを差し出すと、エレナは少しだけ躊躇ためらった後、それを受け取って直接口をつけた。


 色気のない飲み方だが、それがかえって彼女の生々しい美しさを際立たせている。


「……貴方は?」

 唇についた酒を手の甲で拭いながら、エレナが俺の黄金の瞳を見上げた。


「腕利きの傭兵で、口も減らない。おまけに女の扱いに慣れているような憎たらしい目をしてる。……過去に、喪って泣き明かしたような女の一人や二人、いそうだけれど」


「買い被りすぎだ」

 俺は潮風に向かって、短く鼻を鳴らした。


 胸の奥で、古い傷跡が微かにうずく。


「荒野の戦争屋なんて人種に惚れる女は、大抵長続きしねえ。最初は火薬の匂いや、危険な刺激に酔ってしがみついてくるが……いつか必ず気づくんだ。自分が握っているのが温かい手じゃなくて、ただの冷たい『引き金』だってことにな」


 波の音が、俺の低い声を掻き消すように響く。


「泣いて去っていくならまだマシな方だ。最悪なのは、俺のそばにいたせいで、俺に向けられた鉛玉の巻き添えを食うことだ。……だから、俺の隣にはもう指定席は作らねえ。残ったのは背中の弾痕と、こんな底の浅い酒の味だけさ。契約書と金で繋がってるくらいが、お互いに一番怪我をしなくて済む」


 自嘲気味に笑う俺の横顔を、エレナはしばらく黙って見つめていた。


 やがて彼女は、ふっと憑き物が落ちたような、柔らかくつややかな笑みを零した。

「……そう。貴方も、不器用な生き方しかできないのね。少しだけ、安心したわ」


『あら。私の他にも、そんな物好きな女たちがいたのね』

 視界の隅で、セリアのホログラムが不機嫌そうにドレスの裾を揺らした。


『でも安心なさい、ヴァンス。私は絶対にあなたから離れないし、死にもしない。……一生、あなたの脳髄にへばりついて離れない『呪い』みたいなものだから』


「……ああ、そうだな。まったく、世界で一番タチの悪い呪いだよ」

 俺が思わず苦笑して呟くと、エレナが不思議そうに小首を傾げた。


「誰の話?」


「いや。俺の頭の中にいる、嫉妬深い幽霊の話さ」


 俺が新しく煙草を取り出し、エレナがそれに火を点けようと歩み寄ってきた、その時だった。


 エレナの指先がライターの火を近づけた瞬間、水平線の彼方が不気味に赤黒く染まり始めた。


「……あれ」

 エレナの声がわずかに緊張する。


 俺も煙草を咥えたまま、ゆっくりと目を細めて前方を見やった。


 夜の海に浮かぶ、巨大な人工の怪物。


 海上資源採掘基地『クロノス・デプス・ノード03』——通称「深淵の棘」。


 遠くからでもその威容は圧倒的だった。海面から突き出た無数の鋼鉄の柱とプラットフォームが、まるで海底から這い上がってきた死神の冠のように連なっている。基地全体を覆う赤黒い照明は、劣化マナ結晶の排気と油煙で濁り、夜空を不健康な色に染め上げていた。


 波の音に混じって、低く重い機械の唸りが風に乗って届いてくる。まるで巨大な生き物が息をしているかのような、嫌な振動だ。


 ところどころで火花が散り、溶接の光が瞬いている。基地は今も稼働中だ。表向きは資源採掘施設だが、その奥底では夫の研究を巡る何かが蠢いている——エレナの瞳が、そう語っていた。


「……あの光の真下に、夫の最期の場所があるわ」

 エレナは手すりを強く握りしめ、唇を強く結んだ。


さっきまでの柔らかい表情はすでに消え、硝煙の花嫁の冷たい仮面が戻っている。


 俺は煙草の煙をゆっくり吐き出し、赤黒く輝く基地を睨みつけた。

「派手な照明だな。まるで『ここに秘密があるぞ』と宣伝してるみたいだ」


『ふん。派手な墓標ね。あの基地の最深部で、何が眠っているのか……楽しみだわ』

 セリアの声が、俺の脳内で冷たく響いた。


 潮風が強くなり、鉄の鯨の甲板を震わせる。重油と海水、焦げた金属の匂いが混じり合い、鼻腔を刺激した。


 エレナは軍服の襟を立て直し、俺の方を振り返った。彼女の瞳には、悲しみと怒りと、そして静かな決意が燃えていた。


「ヴァンス。……この先、どんなものが出てきても、私は止まらないわ。あなたは護衛として、好きに暴れてくれればいい。でも——」

 彼女は一瞬だけ言葉を切り、俺の黄金の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「もし夫の仇が、本当にあの白銀の影に関わっているなら……私はそれを、この手で引きずり出して、叩き潰す」


 俺は短く鼻を鳴らし、煙草を海に投げ捨てた。


「契約書に書いてある通りだ。俺は弾丸を撃つだけ。後はあんたの好きにしろ」


 巨大タンカー『鉄の鯨』は、ゆっくりと、だが確実に赤黒い光の海域へと近づいていく。


 夜の海は静かだった。


 だが、その静けさの奥底に、血と重油と、復讐の匂いが濃く立ち込め始めていた。

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