42 夢
エイシャール・ダ・カシスル・フォン・アガンタール
今年で十六歳になる。
金髪の巻き毛が可愛らしい女性だ。
そして、ダーヴァの街を中心とした広い地域を支配する現公爵の孫娘。
今回の依頼の依頼主であるオーウェン次期公爵の愛娘である。
彼女の生い立ちは、貴族の娘としては、ごくごく平凡な物であった。
公爵家は、地方では絶対の力があり刃向かう者おらず、ダーヴァの街を中心とした地方にいるかぎり、政戦に巻き込まれることもない。
第三正妃の娘と言う事もあり、権力争いとも直接は関係ない。
オーウェン次期公爵から父親としても愛情もたっぷりと注がれ、すくすくと成長した。
彼女は小さい頃、森へ出てコーウェルの実を拾うのが趣味だった。
別に、森を駆け巡るのが好きなわんぱくな子供と言うわけでもない。ただ、森をきままに散歩して落ちているコーウエルの実を集めるだけだ。
非常に子供っぽい、なおかつ貴族らしくない趣味だったが、なぜか辞められなかった。
街に近い森で魔物が少ないといえ、やはり森は、森。まったく危険が無いというわけではない。
普通の貴族なら、親に禁止されて終わるところだ。
だが、良い意味でも悪い意味でも親馬鹿のオーウェン次期公爵は、拾ったコーウェルの実でつくった人形を娘にもらって以来、その趣味をつぶさないようにあらゆる手を打った。
腕に覚えがある冒険者あがりの護衛を雇い、エイシャ様が森に行くときは、いつも付かず離れず守らせた。
貴族の娘は、野暮で粗雑な冒険者を嫌う傾向にある。
だが、彼女は、そんな幼年期の体験があるせいか、冒険者を毛嫌いすることはない。
それどころか、"いつか一緒に冒険してみたい"などと、町の少年のような夢をもっていた時期すらあった。
伝説の『白龍に乗った英雄リヨン』と共に、波乱万丈の旅にでる。
眠る前に、そんな夢想を何度もした時期もあった。
だが、そんな子供の夢は、もちろん叶うことはない。
彼女自身も、成長するにしたがってそんな夢は忘れていった。
そして、そろそろ良い年頃になりつつある。
十五歳で成人と認めれるこの異世界において、貴族の娘で十六歳になる彼女は、すでに結婚相手が決まっていてもまったく不思議でない年齢だ。
花婿候補の数は多い。
家柄は抜群に良く、見た目も可愛らしい彼女が、引く手数多に、ならないはずがない。
ただ、父親のオーウェン次期公爵が親馬鹿を発揮して、よりよい結婚相手を探そうと力を入れすぎている。
その為、なかなか花婿は決まらない。
まあ、オーウェン次期公爵が、娘を手放したくないから、わざと決めずにいると言った側面もあるのだが。
エイシャ様、彼女自身の性格には、あまり突飛な所が無い。
貴族の娘にしては、多少おっとりしていて大人しいのが特徴といえば特徴の娘だった。
彼女は聡明で、自分の立場も十分にわきまえていた。
私は、波乱万丈の冒険などとは縁がない。
私の所に、子供の頃に夢で憧れた『白龍に乗った英雄リヨン』の様な人が現れる事は無いだろうな。
お父様が決めた、良い縁のお相手のところに嫁ぎ、良いお嫁さんになるんだ。
それが、私の人生なんだ。
そう思っていた。
ついさっきまで。
――――――
暗闇の中。
誰かに抱きかかえられている。
やさしく力強く。
眼を開ける。
自分を抱きかかえてくれている相手の顔を、下から見上げる。
だが、前を見据えるその顔は、満月の月明かりが逆光になっていて、シルエットしか見えない。
誰?
ぐぅうぉぉおおおおおおおおあ ぐわえええ うぉおおおおお あぉおおおおおおおぉおおおおお うがぁああああ ぐぐぐぐううぅうう ぎぃあああああぁあ うぉおおおおぉおおん ぢぃあああああうがぁぁあああああ ぐがぁあああああ ぐげぇえええぇぇぇ ぐぎぃぃいぎぃぎいいいいい あびゃゃびゃびゃあああぁぁああぁああ うぉうぉうぉおおぉぉおおお ぎぎぎぎぃいいぎぃいいいいいいぃぃ びゃああぉおおお う゛ぁやああああああああ いいぃやああぃいいいいいいい ぎぃやぁああああああああ
怨念に満ちた、狂おしい叫びが、下から聞こえてきた。その声の方向に眼をやる。
自分達がいる館の屋上から、見下ろす風景。
其処に何万にも届こうかと言う大量の死霊達が蠢いている。
その地獄の様な光景を見て、エイシャ様は自分の置かれた立場を思い出した。
そうだ。
私、誘拐されているんだ。
それほど酷い事はされなかったけど、ずっと監禁されていて……。
でも……、
今のこの状況は なに? いったい……どうゆうこと?
エイシャは混乱する。
「お気づきになられましたか、エイシャ様」
声を掛けられ、自分を抱きかかえている者を、改めて見上げる。
月の光が逆光になっていて、その者の顔は、やはりシルエットしか見えない。
「貴方は……、誰?」
震える声で問いただす彼女に、男は答えた。
「私は、父上のオーウェン次期公爵の命により、エイシャ様を助けに参った者……」
僅かに角度が変わり、月明かりが、その剣士の顔を映し出す。
地獄のようなこの状況で、自分をやさしく力強くだきしめてくれている剣士。
月明かりが映し出す、くっきりと彫りの深いその顔が、優しく微笑む。
「我が名は、グルキュフ・ヨーグ・ラーティンと申します。
グルキュフとお呼びください、エイシャ様」
グルキュフの端正な顔に浮かぶ、その場に不似合いな程に、爽やかな優しい笑顔。
「……グルキュフ様……」
月明かりに浮かぶその笑顔を見た、その瞬間。
エイシャール・ダ・カシスル・フォン・アガンタール。
彼女は人生最初の、 ―そして人生最後となる― 恋に落ちた。




