20 竜
「た、助けてくれ、誰か…… たのむ、たすけ…」
半身が砕けちった冒険者の助けを求める声に、周りの冒険者は誰も反応しなかった。
仲間であるはずの冒険者達は、誰も助けようと手を差し伸べたりしない。
別に彼らが無情だと言う訳ではない。
単純に、そんな事をする余裕など誰にも無かったからだ。
「撃て!撃て!撃てー!」
悲痛な叫び声と共に無数の矢と、魔法攻撃が放たれた。
多くの魔物達を一撃で屠ってきた熟練の技で放たれた矢。
厳しい修行の果てに魔の流れを具現化した魔術。
それらの攻撃が、いっせいに其の者に襲い掛かる。
魔法による爆風と煙が一瞬、視界を遮り、姿が見えなくなる。
『やったか?』
冒険者の誰もが淡い期待を浮かべる。
だが、すぐさまにその期待は叩き砕かれる。
煙がはれた向こう側、薄暗い森の中に、悠々と其の者は佇んでいた。
魔物の最強種ドラゴン。
たとえドラゴンの中では最小最弱のライトドラゴンであっても、其の者はあまりに強かった。
冒険者の数人が、ライトドラゴンに襲い掛かかる。
両手剣を振りかぶって切りかかり、斧を振り回して切りかかり、片手剣を素早く操り切りかかる。
だが、冒険者達の命をかけたその攻撃も、強固な鱗にその刃を阻まれ、わずかな切り傷さえつけられずに終わってしまう。
ライトドラゴンが強靭な腕を振り上げ、鋭い爪で逆に切りつけてきた。
まるで雑草を刈るかのように軽々と冒険者達が打ち倒され、次々と四散して地面に転がっていく。
冒険者の一人が、絶望に支配された空ろな眼で呟く。
「は、話がちがう。ライトドラゴンがこんなに強いなんて……」
呟きが終わりもしないうちに、ドラゴンの丸太のような尻尾が、横殴りに冒険者の上半身を吹き飛ばす。
ライトドラゴンが、後方から弓や魔法で攻撃していた冒険者達の方向へ視線を向けた。
首を上げて、大きく息を吸い込む。
「放射炎が来るぞ!」
冒険者の一人が叫んで、回りに警戒を促した。
が、その叫びは殆ど無意味だった。警戒しようともドラゴンのブレスを防ぐ方法は殆どなかった。
後方で弓を撃っていた者達が、その一撃で黒い炭と化す。
火炎耐性を持つ質の高いローブを着ていた数人の魔法使いだけが、なんとか生き残っている。
だが、そこへライトドラゴンの巨体が突進をしてくる。せっかくブレスから一命をとりとめた魔法使い達が、その巨体に次々と無残に踏み潰されていった。
冒険者の死体を踏みつけて、まるで勝鬨をあげるかのように、ライドドラゴンが咆哮する。
その咆哮は、圧倒的な強者、王者の咆哮であった。
"男"は恐怖で、身動き一つとれない。
一緒にライドドラゴンを包囲した先発隊は、もうすでに、その男以外は全滅していた。
挟撃をする予定だった、主力の後発隊は、もう来ないだろう。
先発隊が、あまりにあっさり全滅したのを見て、今頃は全力で逃げているはずだ。
男は恐怖で、死を覚悟しそうになる。
だが、諦めるわけにはいかなかった。
男の家には、まだ幼い三人の妹が腹を空かせて待っている。
どんなことがあっても、死ぬわけにはいかない。絶対に生き延びなければならない。
身動きのできない男に、ライトドラゴンが気がついた。
その凶悪な瞳が、こちらを見る。
その目は、敵をみる目ではない。単なる獲物を見る目だった。
ライトドラゴンが、無造作に近づいてきて、大きく口を開ける。
何十本という鋭い牙が、恐怖で支配された男の頭上に、ゆっくりと迫ってきた。
――――――
男の両親はそろって、冒険者だった。
両手剣を背中にかついだ剣士の父親と、治癒魔法が使える魔法使いの母親。
子供の頃は寝る前に、両親がドラゴン退治した話や、国を滅ぼそうとする悪い魔法使いをやっつけた話を聞いて育った。
自分も大きくなったら両親のような立派な冒険者になる。
ずっとそう思いながら、子供時代を過ごしたものだ。
もちろん、ある程度成長してくると、それらの話が嘘だとわかった。
ドラゴンを倒したはずの両親の首に掛かっているのは銀の札だったし、
国を滅ぼそうとする悪い魔法使いをやっつけたはずなのに、家はいつも食うのがやっとの貧乏暮らしだった。
それでも、両親のことは尊敬していた。
冒険者としては、それ程優秀ではなかったかもしれないが、父は力強く、母は優しかった。
両親と、自分、すぐ下の弟、そして三人の妹。
一家七人で、貧しくも慎ましく平和に暮らしていた。
男にとって、両親はずっと代わらず英雄だった。
そんな平和が終わったのは、男が十一歳の時だった。
両親が、帰ってこなかった。
『依頼で一週間程出かける。その間、家を頼んだぞ』
そう言って出かけてから、三ヶ月が過ぎた、両親は帰ってはこなかった。
何の連絡もない。
家にあったお金は底をつき、食べ物もなくなった。
両親は、死んでしまったんだろうな。
まだ子供らしさのぬけない幼かった頃の男は、静かに決意した。
家にあった、両親の予備の剣をつかみ冒険者ギルドに向かった。
家には耕す畑もなく家畜もなく、取引する商品がある訳でもない。他に選択肢などなかった。
まだ幼い弟と三人の妹達を食わせるに、男は両親と同じ冒険者になった。
『冒険者に向いていない』
そのことは、男は自分でも解っていた。
体力もなく、魔法も使えないで、反射神経も普通で、これといって特技も無い。
弱い魔物にも苦戦し、周りの冒険者にも馬鹿にされた。
それでも、弟と三人の妹のために、耐えた。
才能の無い十一歳の新人冒険家。
まじめに実力どうりに働いていては、とても食っていけるだけの稼ぎにならない。
才能がなくても、少しでも多く稼ぐために人の嫌がる辛い依頼をやった。
体力がないから、少しでも多く稼ぐために人を陥れるような汚い仕事もやった。
稼ぐために、弟と三人の妹の為に何でもやった。
どんなことでも、何でもやった。
周りに馬鹿にされない為に、頭をモヒカンにした。
やさしく礼儀正しかった口調を止めて、呂律の回らないような、いかにも柄の悪い喋り方をするようになった。
金の為に、強いものには媚を売り、地面にはいつくばって靴だってなめた。
自分の仕事の邪魔になりそうな新人たちはつぶしていった。
ついた二つ名は《ウロガエル》
凶暴な闘牛のような鳴き声を発して回りを脅かすが、実は単なる醜いカエルのウロガエル。
ウロガエル!
いいじゃねえかぁあ、へっへっへ
いかぁにもぉおおおお、俺らしいぃくてぇえええ、いいじゃねぇえかああああ!
完全に下卑した、悪口のような二つ名だったが、男はけっして恥じること無く、その名に誇りにさえ感じていた。
男が、《ウロガエル》と周りから忌み嫌われ、それでも一目置かれる存在になった頃。
弟も冒険者になりたいと言い出した。
弟は今年で、十一歳なっていた。自分が冒険者になった年齢だった。
駄目と言うことも出来ず、それならばと自分のパーティーに入れてやった。
弟をつれていった初めての依頼の日。
その日のことは今でも、毎日のように夢に見る。
いつもは汚いよごれ仕事や、人を騙すような事ばかりやっていたが、この日に受けた依頼は、まっとうな魔物退治の依頼だった。
けっして強い魔物ではないし、報酬も高くなかった。
ようするに、弟の前で魔物を倒す兄の姿をみせたかったのだ。
少しだけでいいから、かっこ良い所をみせたかった。
ただ、それだけだった。
だが、それが仇になった。
討伐対象の魔物の数が予定より多くて、パーティーは自分を残して全滅した。
弟も死んだ。
男の目の前で魔物に首を折られて死んだ。助ける間もない即死だった。
それから男の新人いじめは、更に陰湿になった。
この前も、へんな格好した、いかにも田舎から出てきたって感じの新人に蹴りをいれたばかりだ。
『ある女に近づく奴はすべて邪魔しろ』という依頼もあって、その新入りをいじめたんだが、それ以上に、妙に平和ぼけした女みたいな顔が、気に入らなかった。
だから、本気で蹴りを入れてやった。
俺の虐めで根をあげるような奴は、さっさと田舎でも帰ったほうがいい。
そう言わんばかりだ。
実際、冒険者の新人は簡単に死んでいく。
実力があったり、才能があったり、魔法が使えたりした将来有望な新人達が、ちょっとしたミスであっさり死んでいった。
いや新人だけでない、冒険者なんて、みな簡単に死ぬ。
優秀な者が生き残るのでは無い、何でもいいから生き残った者が、優秀なのだ。
男はいままで、何とか生き残ってきた。
自分よりもずっと強い冒険者が死んでいく、そのすぐ横をすりぬけるように生き抜いた事も、一度や二度ではない。
俺にゃあよぉ、力もぉお、魔法もぉお、特技もぉお、まぁああたく無かったけどぉおおお
ある意味ぃ、『生き抜く』っていう、最強の才能はぁああ、あったのかもぉしれないなぁあああ。
ひゃっはあああ!
男は自分のことをそんな風におもっていた。
だが、そんなモヒカンの男"ウロガエル"も、今回だけは駄目かもしれない。
目の前に、死を具現化したライトドラゴンがいる。
圧倒的な体躯から伸びた首の上で、凶暴な目がこちらを冷たく見つめている。
背中を見せて逃げても、手に持つ剣で最後の抵抗をしても、どちらにしても、死ぬだろう。
一緒にいた先遣隊は皆、すでに死んでいる。
冒険者が死ぬことなんて、珍しくない。いつも起こる、日常的な出来事だ。
そして、その日常が自分にも起こる番がきただけだ。
それでもぉ、それでもぉよぉおおお、まだ死ぬわけにはいかねぇんだよぉおお。
こんどさぁ一番上の妹がぁ 嫁入りすることが決まったんだよぉおお。
嫁入りの道具とかぁあ いるんだよぉぉ、まだ死ぬわけにはいかねぇんだよぉ。
神様たのむぅうよぉお。いや悪魔でもいいよぉおお。助けてくれるならぁ なんでもするからぁぁああ。
俺のケエツウのあなぁでも 何でもくれてやるからぁぁあああ!
そんな男の願いを無視して、ライドドラゴンの鋭い牙が、頭上から男に迫る。
モヒカンの男は思わず目を閉じ、叫ぶ。
涙と涎とまみれながら、恥も外聞も無く叫んだ。
「誰でもいいからぁぁあああああああああ!
たすけてくれぇぇぇえええ!」
光が走る。
一筋の光が、暗い森の中を切り裂いた。
モヒカンの男には何が起こったのか解らなかった。
ライドドラゴンの動きが止まっている。
恐る恐る目を開けて見ると、目の前にあるライトドラゴンの横顔に十字が切り刻まれていた。
十字の傷口からは煙が立ち上がり、肉の焦げた匂いが漂ってくる。
突然の攻撃に驚き動きを止めていたライトドラゴンが、また動きだす。
光が発せられた方角に向かって、咆哮をあげる。
モヒカンの男も、思わずそちらの方角に目を向けた。
暗い森の中に、誰かがいる。
死の直前だった自分を救ってくれた、救世主がそこにいるが、暗くてよく見えない。
モヒカンの男は、目を凝らす
「な?! なにぃいいいい? うそぉぉおおだろおおおおお?!!」
モヒカンの男は、驚愕の声をあげてしまう。
森の中に立っている、救世主。
それは、新人くぅうんだった。
ライトドラゴンが牙をむき出しにして、再び威嚇の咆哮をあげる。
聞くだけで心臓が止まるような咆哮が、森の木々をビリビリと揺らした。
それを無視するかのごとく、森の中を光が奔る。
光がドラゴンの肩口に十字を刻みつけた。
勇一の横には、ディケーネもいる。だが彼女が、ドラゴンへ向けて放つ攻撃は、中々と命中しない。
勇一は、ドラゴンを見据えて、フゥと小さく息を吐きだす。
冷静に、冷静に。
全神経を集中しろ。
相手をよく見ろ。
反撃をさせるな。
もし、ドラゴンの反撃を、一撃でもくらったら……、俺たちは終わりなんだ。
勇一の神経がそのままレーザー小銃に直結しているかのように、射出される光の筋は、的確にドラゴンに十字を刻んでいく。
二人に向かって突進しようと踏み込んだドラゴンの右足に、出鼻をくじくように十字が刻む。
バランスを崩しかけたところで、今度は左足に十字を刻む。
それでも無理矢理にドラゴンの巨体が迫ってくる。
その巨体にむけて、暗い森を切り裂きながら、いく筋もの光の筋が奔る。
矢をはじき、魔法を受け付けず、普通の剣や斧ではわずかな傷しかつかなかった強固な鱗に、易々と十字を刻んでいく。
反撃を試みようと振り上げた手に、十字が刻む。
炎を吐こうと広げた口内に、十字を刻む。
打ち付けようと、振りかぶった尻尾にも、十字を刻む。
ドラゴンが何か行動を起こそうとする、その部位に、先回りするように的確に十字を刻む。
魔物の最強種ドラゴン
その身体に傷を負わせることができる魔物すら、殆どいない。
そのライトドラゴンが、光の筋の猛攻に、思わず一歩、あとずさった。
それでも、もちろん勇一は攻撃の手を止めない。
勇一とディケーネの持つレーザー小銃から次々と光の筋が射出される。
体中に十字を刻まれる中、情勢の打開をはかるドラゴンが、翼を広げる。
まったく敵う相手のいない、自分の独壇場である大空。
その大空へと飛翔しようと、大きく翼を広げ、羽ばたく。
だが、その広げた翼にも、次々と十字が刻まれていく。
十字の穴が無数に開いた翼は、ドラゴンの体を僅かに浮かせるだけだった。
いくら羽ばたいても、大空へ、空中高くへ、その巨体を持ち上げはしない。
更に、光の筋が奔り、ドラゴンの翼に十字の穴を開け続ける。
力をうしなった翼は、その巨体を支えられなくなり、ドラゴンが地面へと堕ちる。
地面にはいくつばるように堕ちたドラゴンが、身を捩り、咆哮をあげる。
それでも容赦なく光の筋が行く筋も降り注ぎ、その体に十字が刻み続ける。
ドラゴンが巨体が揺れ、重力に屈して地面へと倒れこむ。
首だけをもたげて、咆哮でなく、今度はとうとう断末魔の悲鳴をあげた。
その首にも十字が刻まれ、力をうしない地面へと、崩れ落ちる。
光の筋は止まず、地面に横たわる巨体に十字を刻み続ける。
ドラゴンの動きは、どんどん小さくなっていく。
それでも光の筋が、十字を刻み続ける。
何十いや何百という十字が刻まれる。
そして、とうとうドラゴンはピクリとも動かなくなった。
それと同時に、やっと光の筋による猛攻も、止まった。
森の中に静けさが戻る。
もう動く者は、何もない。
魔物の最強種ドラゴン
勇一達は、そのドラゴンに、まともな反撃すらさせず、
ほぼ、一方的に打ち倒したのだった。




