第7話 最深部へ 後編
十九階層の奥にあった階段を下りきると、それまで背後から聞こえていた仲間たちの足音が、少しずつ広い空間へ溶けていった。
ゆうきは最後の一段から足を離し、正面を見上げる。
そこには、これまで何度も目にしてきたものと同じようで、どこか違う扉があった。
学院管理中級ダンジョン、第二十階層。
最深部。
扉そのものに華美な装飾はない。ただ、十五階層までのボス部屋と比べても一回り以上大きく、左右の壁まで含めて一枚の岩から削り出したような重厚さがある。
その向こうから、微かな魔力が漏れていた。
探知魔法を使うまでもない。
肌に触れる空気が、ここまでとは違っていた。
「……着いたね」
後ろから聞こえたおむたろの声にも、いつもの軽さは少しだけ残っている。それでも槍を持つ手はすでに戦う時の位置へ収まり、視線も扉から外れていなかった。
「うん。ここまで来ると、さすがに緊張するかな。十九階層の子たちもかなり強かったし、その上にいる相手だもんね」
さめちゃんはそう言ってから、大盾を一度持ち上げて位置を確かめる。昨日までの疲れは残っていないようで、動きに硬さはなかった。
少し離れたところでは、ちゃまが杖を両手で持ちながら右手の指輪へ目を落としている。
十三階層で手に入れた、魔力を少しずつ自然回復させる指輪。
十九階層までの戦闘で魔力を使ってはいるものの、以前なら感じていたはずの消耗はかなり軽減されているらしい。大きな回復魔法を使わずにここまで来られたこともあり、表情にはまだ余裕が残っていた。
ももちゃんも小さく息を吐くと、灰銀色の髪をまとめるリボンの位置を軽く直した。
「十九階層までで、普通のオーガにはだいぶ慣れたねぇ。でも、最後はジェネラルだからぁ……同じつもりでは行かない方がいいかなぁ」
「ああ。しかも今回は取り巻きがいないって聞いてる」
ゆうきは扉を見たまま答えた。
これまで戦ったゴブリンジェネラル、コボルトジェネラル、オークジェネラルには、いずれも複数の取り巻きがいた。
指揮官自身の強さだけでなく、周囲の魔物をどう処理するか。それがジェネラル級との戦いでは大きな問題になっていた。
だが、二十階層は違う。
学院から事前に知らされている情報では、最深部にいる個体は単独。
それ以上の情報はない。
「取り巻きがいないなら楽……って思いたいけど、たぶん逆だよね」
おむたろが苦笑する。
「一体だけでボスやってるってことは、それだけ本人が強いってことでしょ?」
「そう考えておいた方がいいだろうな。何が出てきても、最初から倒しにいかない。まず動きを見る。それでいい?」
ゆうきが振り返ると、全員が頷いた。
ここまで何度も繰り返してきたことだった。
分からないものを、分からないまま力で押し切らない。
観察して、試して、必要なら一度退く。
図書館へ行く前の自分なら、もう少し違ったかもしれない。
強くなれば何とかなる。
もっと上手く魔法を使えれば、もっと剣を振れれば。
そんなふうに考えていた。
今は、少しだけ違う。
知らないなら、知るところから始めればいい。
「じゃあ、開けよう」
ゆうきが扉へ両手を掛けると、さめちゃんが隣へ並んだ。
「手伝うよ」
「ありがとう」
二人で力を込める。
石が擦れる低い音が響き、重い扉がゆっくりと奥へ開いていった。
冷えた空気が流れ出す。
その中に、僅かに焦げたような匂いが混じっていた。
ゆうきは足を止める。
火。
そう気付いた時には、開いた隙間の向こうで壁際の魔力灯が一つずつ灯り始めていた。
淡い青白い光が広い空間を照らしていく。
十五階層よりも遥かに広い円形の部屋だった。
高い天井を支える太い石柱が壁際に並び、床には何度も戦闘が行われた跡なのか、古い亀裂が幾重にも走っている。
そして、その中央。
巨大な影が座っていた。
最初に目へ入ったのは、青い肌だった。
これまで戦ってきたオーガは褐色や暗い赤みを帯びた皮膚を持つ個体が多かったが、目の前のそれは明らかに違う。冷えた岩のような青黒い肌を持ち、座っているだけでも通常のオーガより一回り大きく見えた。
右手には大剣。
左手には巨大な戦斧。
どちらも人間が扱うことを前提にしていない大きさだった。
だが、五人が言葉を失った理由はそこではない。
太い肩から伸びた首の先に、二つの頭があった。
「……二人いるんじゃなくて、一体なんだ」
ちゃまが小さく呟いた。
その声が届いたのか。
二つの顔が、ほぼ同時にこちらを向く。
四つの目。
片方は赤みを帯び、もう片方は鈍い黄褐色。
ゆうきの脳裏に、図書館で読んだ魔物資料の一節が蘇った。
通常の進化系統とは異なる、特殊進化個体。
「ツインヘッドオーガ……」
思わず零れた言葉に、ももちゃんが少しだけ眉を寄せる。
「でもぉ、それだけじゃなさそうだねぇ」
「ああ」
感じる魔力が違う。
十九階層で戦った職種持ちより、明らかに濃い。
ジェネラル級。
しかも、特殊進化を経た異常個体。
「ツインオーガジェネラル……亜種、ってところかな」
ゆうきが剣を抜く。
その音を合図にしたように、巨体が立ち上がった。
石床へ足が触れただけで、低い振動が伝わってくる。
「来るよ。広がりすぎないで」
さめちゃんが大盾を前へ出した。
ツインオーガジェネラルはすぐには突進してこなかった。
二つの頭が別々の方向へ僅かに傾き、五人を眺めている。
まるでこちらの配置を確かめているようだった。
その仕草に、ゆうきの背筋が冷える。
通常のオーガとは違う。
こちらを見ている。
考えている。
「最初は俺とさめちゃんが前に出る。ももちゃんとおむたろは左右から、ちゃまは距離を保って――」
言い終えるより早く、右側の顔が大きく息を吸った。
口の奥に赤い光が灯る。
「散って!」
同時に左の顔の前へ、黄土色の魔法陣が浮かんだ。
床が鳴る。
ゆうきが横へ飛んだ直後、先ほどまで立っていた場所から岩の槍が突き上がった。その向こうを巨大な火球が通過し、後方の壁へぶつかって爆ぜる。
熱風が背中を叩いた。
「二つ同時!?」
おむたろが岩槍を避けながら声を上げる。
答える余裕はなかった。
火球を放った直後には、すでにツインオーガジェネラルが動き出していた。
巨体が沈む。
第十六階層で何度も見た、オーガが踏み込む前の動き。
「さめちゃん、来る!」
「うん!」
さめちゃんは大盾を真正面には立てなかった。
斜めに構え、腰を落とす。
ツインオーガジェネラルが一息で距離を詰め、大剣を振り下ろした。
耳を塞ぎたくなるような金属音が響く。
さめちゃんは刃を盾の表面で滑らせ、身体を横へ逃がした。それでも衝撃を殺しきれず、靴底が石床を削りながら大きく後退する。
「っ……重い。でも、流せるよ!」
「無理して二回目は受けるな!」
ゆうきが叫びながら側面へ回り込む。
大剣を振り切った。
今なら。
そう思って踏み込んだ瞬間、もう片方の腕が動いた。
戦斧が低い位置から薙ぎ払われる。
ゆうきは反射的に足を止め、身体を後ろへ倒した。巨大な刃が胸元のすぐ前を通り抜け、風圧だけで服が激しく揺れる。
着地するより先に、今度は左側の顔がこちらを向いた。
床へ魔力が流れ込む感覚。
「ゆうき、足元ぉ!」
ももちゃんの声に押されるように地面を蹴る。
岩が突き上がった。
間一髪。
だが、避けた先には大剣が待っている。
「ゆうきくん!」
横から大盾が入った。
さめちゃんが大剣の腹を押し、僅かに軌道をずらす。
その隙にゆうきは床を転がって距離を取った。
「ありがとう!」
「うん。でも、これ……思ったより手数が多いね」
さめちゃんの声にも、少しだけ余裕がなくなっている。
大剣と戦斧。
それだけでも一体の魔物が扱うには多い。
さらに二つの頭が、それぞれ火と土の魔法を使ってくる。
一つの攻撃を避けた先へ次が重なり、さらにその隙を武器で潰される。
「でも、ずっと全部を同時に使ってるわけじゃない!」
おむたろが槍を構えながら前へ出る。
「魔法を撃つ時、ちょっとだけ武器の動き止まってるよね?」
「私もそう見えたよぉ。二つの頭は別々に動いてるけどぉ、身体まで二つあるわけじゃないからねぇ」
ももちゃんの言葉に、ゆうきはツインオーガジェネラルの肩を見る。
確かに。
火球と岩槍を同時に使った瞬間、両腕は動いていなかった。
二つの頭で別々の魔法を扱えても、身体そのものを同時に別方向へ動かすことはできない。
「魔法を使わせて、その間に入る。まず傷を作ろう!」
「それなら私が誘う!」
おむたろが駆け出した。
「ちょっと、こっちこっち! 二つも顔あるなら一個くらい私の方見てよ!」
挑発が通じたのかは分からない。
けれど右側の顔が、おむたろへ向いた。
赤い光。
「火、来る!」
「待ってました!」
おむたろは火球が放たれる直前に進路を変えた。
炎が横を通り過ぎる。
同時に左側の顔がももちゃんへ向き、足元に魔法陣が浮かぶ。
ももちゃんは慌てず一歩だけ位置をずらした。
岩槍が突き上がる。
その瞬間。
「今!」
ゆうきとさめちゃんが同時に踏み込んだ。
両腕が僅かに遅れて動く。
大剣はさめちゃん。
戦斧はゆうき。
さめちゃんは大盾で受け流し、ゆうきは戦斧の間合いへ入る前に方向を変えた。
そして、反対側。
大きく開いた右脚へ、ももちゃんが回り込む。
掌ほどの装飾品だった大斧が、一瞬で本来の大きさへ戻った。
踏み込み。
身体を回す。
リボンの効果もあり、以前よりその動きは滑らかだった。
刃が青い脚へ食い込む。
鈍い音が響いた。
「硬いけどぉ……ちゃんと入るよぉ」
ももちゃんがすぐに大斧を引き、反撃の範囲から離れる。
浅い。
それでも初めて明確な傷がついた。
「同じところ狙う!」
ゆうきが走る。
傷口へ剣を滑り込ませるように斬ると、青い皮膚がさらに裂けた。
二つの顔が同時にこちらへ向く。
まずい。
そう思った時には、おむたろの槍が反対側から伸びていた。
「ゆうきくん、こっち空けて!」
穂先が脇腹を掠める。
ツインオーガジェネラルの意識が一瞬だけ揺れた。
ゆうきはその間に離れる。
追撃は来なかった。
代わりに、右の口元へ再び炎が集まる。
「さめちゃん、火!」
「任せて!」
火球が飛ぶ。
さめちゃんが盾を斜めに立てる。
爆発そのものを完全に受けるのではなく、正面から外側へ流すように角度をつける。炎が盾の左右へ分かれ、その向こうでおむたろとももちゃんが距離を詰めた。
「いける!」
おむたろの槍が傷ついた右脚へ入る。
今度は炎を纏わせていた。
穂先が傷口へ触れた瞬間、赤い炎が青い皮膚を這う。
二つの頭から重なった咆哮が響いた。
巨体が大きく動く。
「離れて!」
ゆうきの声で全員が一度距離を取った。
次の瞬間、ツインオーガジェネラルは大剣と戦斧を力任せに振り回した。
先ほどまで五人がいた空間を、二つの巨大な刃が薙ぎ払う。
石柱の一つに戦斧が食い込み、表面が大きく砕けた。
「怒った?」
ちゃまが少し不安そうに言う。
「たぶん。でも、効いてる証拠だよ」
ゆうきは息を整えながら答えた。
まだ倒せる気はしない。
けれど。
最初に感じた、どう攻めればいいのかすら分からない感覚は消えていた。
傷を作れる。
動きも少しずつ見えてきた。
あとは。
「右の頭、火の方が厄介だな」
広範囲を焼く炎は、五人の位置を大きく動かしてしまう。その直後に土魔法を重ねられると、避けられる場所まで制限される。
「じゃあ、右を先に狙ってみる?」
おむたろが尋ねる。
「ああ。ただ、頭を落とすとかじゃなくていい。魔法を使いにくくできれば十分だ」
「首かなぁ」
ももちゃんがツインオーガジェネラルを見上げる。
「さっきから魔法を使う時、喉の辺りまで魔力が集まってるよぉ。そこを傷つけたら、少しは変わるかもねぇ」
「高いな……」
普通に剣を振っても届かない。
ゆうきが考えていると、さめちゃんが大盾を少し持ち上げた。
「前みたいに、これ使う?」
何を言っているのか。
すぐに分かった。
「……いける?」
「ゆうきくんがちゃんと乗ってくれれば。私が押し上げるよ」
「じゃあ、それで行こう」
無茶ではある。
けれど、一人で届かないなら。
一人でやる必要はない。
「おむたろとももちゃんは武器を押さえて。ちゃまは右の顔へ魔法を撃って、一瞬でいいから視線をずらしてほしい」
「任せて!」
「いいよぉ」
「ちゃまも大丈夫!」
全員が動いた。
最初におむたろ。
槍で戦斧側へ仕掛ける。
ツインオーガジェネラルが戦斧を振り下ろすが、おむたろは受けずに大きく横へ逃げた。その先へ追おうとした大剣へ、ももちゃんの大斧が横からぶつかる。
力では押し切れない。
それでも一瞬。
動きが止まった。
「ちゃま!」
杖の先から光が飛ぶ。
右の顔へ。
ツインオーガジェネラルが顔を逸らした。
「ゆうきくん!」
さめちゃんが大盾を低く構える。
ゆうきは走った。
一歩。
盾の縁へ足を掛ける。
次の瞬間、さめちゃんが全身を使って盾を持ち上げた。
身体が浮く。
巨体の肩が近づく。
右の顔がこちらを向いた。
赤い魔力。
間に合う。
「――っ!」
剣を両手で握る。
首元。
ももちゃんが言った、魔力の集まる場所。
斬り抜けた。
確かな手応え。
直後、右の頭が大きく仰け反った。
火が口元で弾け、形になる前に消える。
ゆうきは肩を蹴って離れた。
着地。
少し体勢を崩す。
そこへ戦斧が振られたが、さめちゃんの盾が間へ滑り込んだ。
「ゆうきくん、下がって!」
「ありがとう!」
二人で距離を取る。
右の首から、濃い血が流れていた。
火の魔力が集まりかける。
しかし、先ほどまでのように滑らかではない。
「効いた!」
おむたろが嬉しそうに声を上げる。
「もう一回いけるよ!」
「いや、同じ手は警戒される。今は足だ!」
火を完全に封じることに固執しない。
弱った。
それで十分。
五人は再び動いた。
そこからの戦いは、長かった。
右脚へ傷を重ねれば、左の頭が土魔法で足場を崩す。
距離を取れば、傷ついた右の頭が無理にでも火球を放とうとする。
さめちゃんは一撃を受け止めるのではなく、何度も角度を変えて流し続けた。それでも腕へ伝わる衝撃は消せず、時間が経つにつれて盾を持つ手が僅かに震え始める。
おむたろも《彩域》を使い続けていた。
相手の動きを鈍らせ、仲間が踏み込む瞬間だけ補助を重ねる。
派手な攻撃ではない。
けれど、その僅かな差が何度も仲間を救った。
ももちゃんは大斧を振り回さない。
一撃。
離れる。
相手の武器が別の誰かへ向いた瞬間だけ、確実に同じ傷へ刃を入れる。
ちゃまも回復を急がなかった。
掠り傷。
軽い打撲。
それらまで全部引き受ければ、先に自分が動けなくなる。
今治すべき傷だけを選び、残りは声で知らせる。
誰か一人が頑張っているわけではなかった。
だから。
戦いが長くなっても、崩れなかった。
「――来るよ!」
ちゃまの声。
左の頭が魔法を使う。
床から複数の岩柱が斜めに伸び、五人を分断しようとする。
ゆうきはその配置を見た。
右。
空いている。
「さめちゃん、右へ!」
「うん!」
二人が動く。
おむたろとももちゃんも、言われるより先に同じ方向へ回っていた。
岩柱の間を抜ける。
ツインオーガジェネラルが大剣を振り上げた。
遅い。
右脚の傷が深くなり、最初の頃ほど踏み込めていない。
「ももちゃん!」
「今かなぁ」
大斧が低く走る。
傷ついた右脚へ。
深い。
巨体が揺れた。
おむたろの槍が続く。
炎が傷口へ入り込み、ツインオーガジェネラルが大きく体勢を崩す。
片膝が床へついた。
その音が、広い部屋へ響いた。
「崩れた!」
ゆうきが踏み込む。
大剣が振られる。
まだ速い。
だが。
「ゆうきくん、そのまま!」
さめちゃんが横から大盾をぶつけた。
大剣の軌道が逸れる。
反対から戦斧。
ももちゃんの大斧が柄へ叩きつけられた。
二つの武器。
両方が止まる。
「おむたろ!」
「分かってる!」
槍。
右腕。
鎧のない部分へ穂先が刺さる。
炎。
握力が緩む。
大剣が床へ落ちた。
重い音。
「一本!」
けれど、喜んでいる暇はない。
左の頭が魔力を集める。
土。
ゆうきはそちらへ剣を向けた。
「ちゃま!」
「任せて!」
光弾が左の顔へ飛ぶ。
威力は小さい。
だが、魔法を組み上げる瞬間にぶつけられれば、それだけで集中を乱せる。
岩柱は現れた。
しかし、一本だけ。
しかも狙いは僅かにずれた。
「いける!」
戦斧が振られる。
さめちゃんが流す。
ももちゃんが腕へ大斧を入れる。
おむたろの槍が続いた。
そして。
ゆうきは正面から走った。
ツインオーガジェネラルの四つの目がこちらを見る。
拳が来る。
武器がなくても。
オーガの腕そのものが凶器だ。
分かっている。
身体を沈める。
頭上を拳が抜けた。
そのまま懐へ。
剣を振る。
胸。
浅い。
一度離れる。
追ってくる。
右脚が動かない。
巨体が僅かに傾く。
その瞬間。
「ゆうき、そこだよぉ」
ももちゃんの声が届いた。
ゆうきは剣を握り直した。
もう一度。
同じ場所。
胸へ。
無属性の魔力を刃へ集める。
大きな技ではない。
派手な魔法でもない。
ただ、これまで何度も練習してきた魔力制御。
刃から散らさない。
必要な場所だけへ。
踏み込む。
突く。
硬い皮膚を越える。
剣が深く入った。
ツインオーガジェネラルの身体が止まる。
左の腕が上がった。
掴まれる。
そう思った瞬間。
横から大盾がぶつかった。
「ゆうきくん、離れて!」
さめちゃん。
ゆうきは剣を引き抜き、後ろへ跳ぶ。
入れ替わるようにおむたろが前へ出た。
「最後まで油断しない!」
槍が胸の傷へ入る。
炎。
ツインオーガジェネラルが仰け反る。
ももちゃんも大斧を振り上げた。
けれど。
振り下ろさなかった。
必要がない。
巨体から力が抜けていた。
二つの頭が、それぞれ違う方向へ傾く。
右の口元に灯りかけた火が消えた。
左の頭が最後に土魔法を使おうとしたのか、床へ淡い光が走る。
それも。
途中で途切れた。
片膝。
もう片方。
ゆっくりと床へ落ちる。
巨体が前へ傾いた。
誰も近づかなかった。
まだ見る。
腕。
呼吸。
魔力。
やがて青い皮膚の端から、黒い瘴気が立ち上り始めた。
肩が崩れる。
腕が消える。
二つの頭も、ゆっくりと輪郭を失っていく。
最後に残った胸元が黒い粒子へ変わった時。
床へ。
硬いものが落ちる音がした。
魔石。
それだけが残った。
しばらく。
誰も喋らなかった。
ゆうきは剣を下ろしたまま、荒くなった呼吸を整える。
腕が重い。
脚も震えている。
喉が乾いていた。
それでも。
立っている。
隣を見る。
さめちゃんも。
おむたろも。
ももちゃんも。
ちゃまも。
全員。
いる。
「……終わった?」
最初に口を開いたのは、ちゃまだった。
ゆうきは床の魔石を見て。
ようやく笑った。
「ああ」
それだけ答えると、張っていたものが一気に抜けた。
「勝った」
一拍遅れて。
「やったぁぁぁ!」
おむたろの声が、二十階層いっぱいに響いた。
◇
「ちょっと待って、足がもう無理!」
戦闘が終わって数分。
おむたろは壁際まで歩くことすら諦め、その場へ座り込んでいた。
「さっきまで普通に走ってたじゃん……なんで終わった瞬間こんなに重くなるの!?」
「気が抜けたんじゃないかなぁ。私も座りたいよぉ」
ももちゃんも近くへ腰を下ろし、大斧を元の小さな装飾品へ戻した。
その横では、さめちゃんが大盾を床へ置いて両腕を伸ばしている。
「私は腕かな。最後の方、ちゃんと持ってるつもりだったけど、結構震えてたみたい」
「見せて」
ちゃまがすぐに近づく。
「怪我じゃないよ?」
「分かってる。でも、ちゃんと見るの。ゆうきくんもあとでね。途中で何回か吹き飛ばされてたでしょ」
「俺も?」
「当たり前だよ。自分だけ逃げられると思わないでね」
ちゃまの声は明るい。
けれど、そこには有無を言わせないものがあった。
ゆうきは苦笑しながら剣を鞘へ戻す。
「分かった。お願いします」
「よろしい!」
ちゃまは満足そうに頷くと、さめちゃんの腕を確認し始めた。
大きな怪我はない。
何度も重い攻撃を流したせいで筋肉に負担が掛かっているものの、回復魔法を使うほどではないらしい。
「今日はちゃんと休んでね。あと、帰ったら腕を温めた方がいいと思う」
「ありがとう。ちゃまちゃんも大丈夫? 回復はあんまり使わなかったけど、魔法は結構使ってたよね」
「うん。でも、これのおかげで思ってたより平気」
ちゃまが右手を持ち上げる。
指輪。
淡い光はまだ消えていなかった。
「戦ってる間も少しずつ戻ってくるから、前みたいに『あと何回使えるかな』ってずっと考えなくてよくなったの。もちろん使いすぎたら駄目だけど、すごく楽だよ」
「ちゃんとちゃまに合ってたね!」
おむたろが座ったまま笑う。
「私の槍も、ももねのリボンもそうだけど、宝箱ってその人に合ったもの出してくれてる気がする!」
「そうなのかなぁ」
「じゃあ次はなもちゃんかゆうきくんじゃない?」
「次って何の話だよ」
「ここの宝箱!」
おむたろが部屋の奥を指差した。
全員の視線がそちらへ向く。
戦闘中は気付く余裕がなかった。
ツインオーガジェネラルが消えた場所よりさらに奥。
壁際。
いつの間にか、一つの宝箱が現れていた。
「……あったな」
「あるよ! ほら!」
「分かったから、立てる?」
「……ちょっと待って」
「無理なんじゃん」
ゆうきが笑う。
結局、全員がしばらくその場で休むことになった。
冷たい石床。
戦闘の熱がまだ残っているせいか、それすら気持ちいい。
誰かが喋り。
少し黙り。
また誰かが喋る。
最深部を制覇した直後なのに、不思議と大騒ぎにはならなかった。
疲れているのもある。
それ以上に。
まだ実感が追いついていない。
「最初のゴブリン、覚えてる?」
おむたろが唐突に言った。
「急だな」
「なんとなく思い出したの。最初の頃ってさ、私たち結構バラバラだったよね」
「そうかな?」
さめちゃんが首を傾げる。
「なもちゃんは最初から守るの上手かったけど、みんな自分のやることしか見えてなかったじゃん。私も動けるところ見つけたらすぐ入ってたし」
「おむちゃんは今も割と入るけどね」
「なもちゃん!?」
さめちゃんが口元へ手を添えて、小さく笑う。
「でも、今は戻ってきてくれるから。最初より安心して見てられるよ」
「……それ褒めてる?」
「褒めてるよ」
「ならいいや!」
切り替えが早い。
そのやり取りに、ちゃまも笑った。
ゆうきは四人の顔を見ながら、第六階層でユニークスキルを見せ合った日のことを思い出していた。
あの時は。
まだ知らないことが多かった。
何ができるのか。
何が苦手なのか。
どこまで任せていいのか。
知っているつもりでも、実際に戦わなければ分からないことばかりだった。
今は。
さめちゃんが盾を構えれば、その後ろにどれくらいの安全な場所ができるのか分かる。
おむたろが走れば、何を狙っているのか何となく読める。
ももちゃんが大斧を持ったまま一歩止まれば、そこには理由がある。
ちゃまがすぐに回復しない時も、それは見落としているからではないと知っている。
知る。
それだけで。
戦い方はこんなにも変わる。
「ゆうき?」
ももちゃんの声で我に返る。
「どうしたのぉ?」
「いや。最初と比べたら、結構変わったなって思って」
「ゆうきくんも変わったよね!」
おむたろがすぐに乗ってくる。
「最初は何でも自分でやろうとしてた!」
「そんなに?」
「してたしてた。『俺が行く』『俺が見る』『俺が止める』って感じ!」
「そこまで言ってないだろ」
「言葉では言ってなくても、動きがね!」
否定しようとして。
やめた。
たぶん。
間違っていない。
自分は器用だ。
剣も使える。
魔法も使える。
誰かの技術を借りることもできる。
だからこそ。
足りない場所を自分で埋めようとしていた。
けれど。
今日の戦いで。
自分一人では、右の頭へ剣を届かせることすらできなかった。
さめちゃんの盾がなければ。
ももちゃんとおむたろが武器を止めなければ。
ちゃまが視線を逸らさなければ。
あの一撃は生まれなかった。
「……そうかもな」
ゆうきが認めると、おむたろが満足そうに頷く。
「でしょ?」
「なんでそんな得意げなんだよ」
「気付かせてあげたから?」
「自分で気付いてたよ」
「じゃあ私いらなかった!?」
「そうは言ってないって」
笑い声が広がった。
ボス部屋だった場所。
さっきまで巨大な魔物が暴れていた空間。
今は。
五人の声だけが残っている。
「そろそろ行く?」
さめちゃんが立ち上がった。
腕を軽く動かし、問題がないことを確認する。
「おむちゃん、立てる?」
「復活した!」
おむたろも勢いよく立ち上がり、少しふらついた。
「……たぶん!」
「ゆっくりでいいよぉ」
ももちゃんも立つ。
ちゃま。
ゆうき。
五人で宝箱へ向かった。
これまでと同じように、罠がないことを確認する。
問題なし。
「開ける人!」
おむたろが手を上げる。
「またおむたろ?」
「じゃあゆうきくん!」
「なんで俺」
「なんとなく!」
理由になっていない。
それでも。
四人がこちらを見ている。
「分かったよ」
ゆうきは宝箱の前へしゃがんだ。
蓋へ手を掛ける。
少しだけ。
緊張する。
「開けるぞ」
ゆっくりと持ち上げる。
淡い光。
中に入っていたものを見て、ゆうきは一度瞬きをした。
「……手袋?」
取り出す。
左右一組。
黒を基調とした薄手のグローブだった。
剣を握る邪魔になりそうな厚みはなく、手の甲から指先へ細い魔法術式が刻まれている。
杖ではない。
防具とも少し違う。
「これ、魔導具だねぇ」
ももちゃんが覗き込む。
「魔力流してみたらぁ?」
「やってみる」
右手にはめる。
続いて左。
サイズは不思議なくらい合っていた。
ゆうきがほんの少しだけ魔力を流す。
その瞬間。
「……あ」
指先まで。
魔力が通った。
いつもとは違う。
普段なら身体の中で整え、掌や剣へ集め、それから外へ出す。
その途中にある僅かな引っ掛かりが消えていた。
指を動かす。
魔力も追う。
試しに小さな無属性の光球を作る。
右手。
一つ。
左手。
もう一つ。
「え、二個同時?」
おむたろが顔を近づける。
「今までもできなくはなかった。でも……」
ゆうきは二つの光球をゆっくり動かした。
右を上。
左を横。
別々の軌道。
難しくない。
「すごく扱いやすい」
グローブを見下ろす。
魔法の伝達能力。
そして。
指先の細かな動きまで、以前より正確に魔力へ伝わっている。
器用さそのものを底上げされているような感覚だった。
「杖の代わりになるタイプかなぁ」
ももちゃんが言う。
「魔導士が杖を使うのってぇ、魔力を集めたり、術式へ流しやすくするためだからぁ。その手袋が同じことしてくれてるなら、手が空いたまま魔法を使えるねぇ」
ゆうきは腰の剣へ目を落とした。
右手で柄を握る。
抜く。
グローブは薄い。
握りを邪魔しない。
剣を構えたまま。
左手へ魔力を集める。
光球。
すぐに形になる。
「……これなら」
自然に言葉が漏れた。
今まで。
自分は魔法剣士として、剣へ魔法を纏わせることをよく考えていた。
無属性で身体を強化する。
刃へ魔力を通す。
必要なら剣を持ち替えて、空いた手で魔法を使う。
でも。
剣と魔法を一つにすることだけが、魔法剣士ではない。
剣を使いながら。
同時に魔法を扱う。
右手の剣で相手を牽制しながら、左手で魔法を組む。
近距離と中距離を切り替えるのではなく。
重ねる。
「ゆうきくん、なんか楽しそう!」
おむたろに言われ、ゆうきは顔を上げた。
「そう見える?」
「見える見える。新しいおもちゃ貰った時みたい!」
「子供かよ」
「いいじゃん! 私も槍貰った時ずっと触ってたし!」
確かに。
人のことは言えない。
ゆうきは剣を鞘へ戻し、もう一度グローブを見る。
派手な武器ではない。
強力な攻撃魔法が使えるようになったわけでもない。
けれど。
自分には合っている。
「これ、俺が使っていい?」
「もちろんだよ」
さめちゃんが迷わず答えた。
「ゆうきくんが一番合ってると思う。私が使っても、たぶん盾持って終わっちゃうから」
「私も大斧あるからねぇ」
「ちゃまには杖あるし、おむちゃんには槍があるもんね」
ちゃまが笑う。
「じゃあ決まり!」
おむたろが両手を叩いた。
「最深部のお宝はゆうきくん!」
「ありがとう」
ゆうきはグローブを外さなかった。
そのまま。
手に馴染ませるように何度か指を曲げる。
剣。
魔法。
どちらかではなく。
どちらも。
自分の器用さを、器用貧乏のまま終わらせないために。
何か一つを極める人間にはなれないかもしれない。
でも。
それなら。
できることを繋げればいい。
自分の力も。
仲間から学んだものも。
「帰ろうか」
ゆうきが言った。
「賛成!」
おむたろが元気よく答える。
「今度こそ本当にご飯!」
「学院に戻ってからね」
さめちゃんが笑う。
「分かってるって! でも今日は絶対なんか美味しいもの食べようよ。せっかく二十階層まで制覇したんだよ?」
「打ち上げ?」
ちゃまの耳がぴくりと動いた。
「それいい! ちゃま、お肉食べたい!」
「急に元気になったねぇ」
「戦ったからお腹空いたの!」
「じゃあ行くか」
ゆうきも笑った。
◇
学院へ帰還した頃には、外はすっかり夕方になっていた。
実習の終了報告を済ませ、装備を預けるものは預ける。
最深部制覇の確認には少し時間が掛かった。
異常個体だったツインオーガジェネラルについても報告しなければならず、教師たちが驚いた顔をしていたのが妙に印象に残った。
それらを全部終えて学院を出た時には、ルーメンの街に魔法灯が灯り始めていた。
空はまだ僅かに明るい。
橙色と藍色の境目。
昼の熱を残した石畳を、夕方の涼しい風が撫でていく。
「自由だー!」
学院の門を出た瞬間、おむたろが両腕を伸ばした。
「いやー、報告長かった! 倒すより報告の方が疲れたかもしれない!」
「それは言いすぎだよ」
さめちゃんが笑う。
「途中からおむちゃん、椅子でずっと動いてたもんね」
「だって座って話聞くだけって苦手なんだもん!」
「おむ、最後の方ずっと槍の紐触ってたよぉ」
「見られてた!?」
「近くにいたからねぇ」
ももちゃんが小さく笑う。
ゆうきは少し後ろを歩きながら、そのやり取りを聞いていた。
戦闘が終わった。
ダンジョンを制覇した。
それだけなのに。
街の景色が少し違って見える。
たぶん。
何かが変わったのは景色ではなく、自分たちの方なのだろう。
「で、どこ行く?」
おむたろが振り返る。
「お肉!」
ちゃまが即答した。
「ちゃまちゃん、そこは譲らないんだね」
「今日はいっぱい動いたから!」
「私もお肉でいいよ。お腹空いたし」
さめちゃんも賛成する。
「私もぉ。ゆうきは?」
「俺も何でもいい。今日は好きなの食べよう」
「決まり!」
店を探す必要はほとんどなかった。
学院の学生がよく利用する大衆食堂が近くにあると、おむたろが知っていた。
学院から歩いて十分ほど。
大通りを少し外れた場所にある店は、夕食時ということもあって賑わっていた。
扉を開けた瞬間。
焼いた肉と香草の匂いが流れてくる。
「ここ!」
ちゃまの目が輝いた。
「まだ何も見てないだろ」
「匂いで分かる!」
「何が?」
「美味しい!」
その返事に、ゆうきは笑ってしまった。
五人で大きめの卓を囲む。
注文した料理が運ばれてくるまでの間も、話題は尽きなかった。
最初に出たのは。
やはり、二十階層の話だった。
「あの二つ頭、ほんと反則じゃない?」
おむたろが水の入った杯を持ちながら言う。
「こっちは頭一個なのに、向こう二個だよ? しかも魔法二個同時って!」
「おむちゃんも手は二本あるよ」
さめちゃんが言う。
「そういう問題!?」
「でも、槍は一本だねぇ」
「ももねまで!」
ゆっくりした声で重ねられ、おむたろが机へ突っ伏す。
ちゃまが楽しそうに笑った。
「でも、最初に火と土が一緒に来た時は、ちゃまも本当にびっくりしたよ。どっちを見ればいいのか分からなかったもん」
「俺もだよ。武器まで二つ持ってたしな」
ゆうきはグローブをはめた手を眺める。
今は魔力を流していない。
ただの薄い手袋にしか見えない。
「でも、途中からみんな動けてたよね」
さめちゃんが静かに言った。
「最初は声を聞いてから動いてたけど、最後の方は誰かが何かする前に、次にどこへ行けばいいか分かる時があった」
「あったあった!」
おむたろがすぐに身体を起こす。
「ももねが右に行ったら、じゃあ私は左かなーって自然に思ったり。なもちゃんが盾出したら、その後ろに入るんじゃなくて横から行った方がいいな、とか」
「私もぉ。前は誰かが動いてから考えてたけど、今日は先に分かる時があったねぇ」
ももちゃんが頷く。
それは。
ゆうきにも分かる。
言葉にしなくても。
何となく。
次が見える。
ももちゃんの《静謐なる観測者》のように未来を予測しているわけではない。
もっと単純なもの。
何度も一緒に戦ったから。
その人がどう動くのか知っている。
それだけ。
「それが連携ってことなのかもな」
ゆうきが呟く。
「最初から決めた動きをするんじゃなくて、相手を見ながら、それぞれが必要なことを選べるようになる。その時に仲間が何をするのかも、少しずつ分かるようになる」
「なんかゆうきくん、先生みたい!」
「今いいこと言ったつもりだったんだけど」
「いいことだったよ!」
「じゃあ先生は余計だろ」
おむたろが笑う。
その時。
料理が運ばれてきた。
大皿に盛られた肉料理。
焼きたてのパン。
野菜の煮込み。
香草を使ったスープ。
「わぁ……!」
ちゃまの視線が料理へ釘付けになる。
「話はあと!」
「ちゃまちゃん、分かりやすいね」
さめちゃんが笑った。
五人で食べ始める。
最初の数分。
本当に会話が減った。
それだけ全員腹が減っていた。
肉を噛む。
香草の匂い。
温かいスープ。
ダンジョンの携帯食とは全く違う。
「……美味しい」
さめちゃんが小さく呟く。
「うん」
ゆうきも頷いた。
たったそれだけ。
でも。
今日一日を終えたのだと、ようやく実感できた気がした。
ダンジョンの最深部で勝った瞬間より。
こうして同じ卓を囲んでいる今の方が。
不思議と胸に残る。
「ゆうきくん」
ちゃまが呼ぶ。
「ん?」
「その手袋、これからずっと使うの?」
「ああ。そのつもり」
ゆうきは左手を持ち上げた。
「まだ試さないと分からないけど、剣を持ったまま魔法を使いやすくなる。今までより、戦い方を変えられそうなんだ」
「剣やめるわけじゃないんだ?」
「やめないよ」
答えはすぐに出た。
剣は必要だ。
近くで誰かを守る時。
魔法を使う暇がない時。
自分の手で相手へ届かなければならない時。
ここまで何度も助けられてきた。
だから捨てるつもりはない。
「ただ、剣を使ってる時に魔法を諦める必要もないんだなって思った。右手で剣を使いながら左で魔法を組めれば、できることはもっと増えるから」
「ゆうきくんらしいね」
さめちゃんが言った。
「そう?」
「うん。一つだけ選ぶより、できることを増やして、それをちゃんと使おうとするところ」
「器用貧乏ってこと?」
「そういう意味じゃないよ」
さめちゃんは少し困ったように笑った。
「褒めたんだけどな」
「ごめん」
「ゆうきくん、たまに変なところで自分に厳しいよねぇ」
ももちゃんがスープを一口飲んでから言う。
「できることが多いのって、普通にいいことだと思うよぉ。今日だって、ゆうきが前にも後ろにも入れたから助かったところいっぱいあったし」
「そうそう!」
おむたろが肉を飲み込んでから続ける。
「私たちって役割結構はっきりしてるじゃん。なもちゃんは守る、ももねは火力、ちゃまは回復、私はまあ色々! でも、ゆうきくんは足りないところに入れるから、それでいいんじゃない?」
「おむちゃんの『色々』が一番雑だね」
「ちゃま!?」
また笑いが起こる。
ゆうきも笑った。
器用貧乏。
それは自分でもずっと思っていた。
何でもある程度。
でも。
何か一つで誰かに勝てるほどではない。
それを欠点だと思うこともあった。
けれど。
このパーティで戦って。
少しだけ考え方が変わった。
誰かより上手くなくてもいい。
必要な時に。
必要なものを繋げられれば。
それはきっと。
自分にしかできない役割になる。
「……ありがとな」
ゆうきが言う。
おむたろが首を傾げる。
「急にどうしたの?」
「いや。なんとなく」
「変なの!」
「いいだろ、別に」
窓の外。
ルーメンの夜が深くなっていた。
通りを歩く人々。
魔法灯の柔らかな光。
遠くに見える学院の塔。
ほんの少し前まで。
あの学院へ来ることすら決まっていなかった。
世界のことも。
魔法のことも。
魔物のことも。
知らないことばかりだった。
今だって。
知らないことの方が遥かに多い。
けれど。
それでいい。
知らないなら。
知ればいい。
「次、何頼む?」
おむたろの声で、ゆうきは窓から視線を戻した。
「まだ食うの?」
「ちゃまが食べるって!」
「ちゃま!?」
「デザートは別だよ!」
「お肉って言ってなかった?」
「お肉はご飯。甘いのは別!」
「なるほどねぇ」
「ももちゃん納得するの?」
さめちゃんが笑う。
その声に。
また誰かが笑った。
大きな出来事ではない。
世界を救ったわけでもない。
ただ。
一つのダンジョンを。
五人で最後まで歩いただけ。
それでも。
今日ここで過ごしている時間は。
きっと。
ずっと先まで残る。
ゆうきは新しいグローブをはめた手で杯を持ち上げた。
「じゃあ」
四人がこちらを見る。
「中級ダンジョン制覇、お疲れさま」
おむたろがすぐに杯を持つ。
「お疲れー!」
「お疲れさま」
さめちゃん。
「お疲れさまぁ」
ももちゃん。
「みんな、お疲れさま!」
ちゃま。
五つの杯が。
卓の中央で軽く触れ合った。
小さな音だった。
賑やかな店の中では、すぐに消えてしまう程度の音。
それでも。
ゆうきの耳には。
不思議なくらい、いつまでも残っていた。




