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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
第三章 これからのこと

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第7話 最深部へ 前編


 第十六階層へ続く転移魔法陣の光が足元へ沈み、最後の残光が消えていく。


 ゆうきはすぐには動かなかった。


 頬を撫でていった空気が、それまでの階層よりも明らかに冷たい。湿った石の匂いに混じって、どこか鉄にも似た重い臭気が微かに漂っている。


 目の前に伸びる通路は、十五階層までと同じ石造りだった。


 ただし、広さが違う。


 横幅は五人が並んでも余裕があり、天井も高い。壁に埋め込まれた魔力結晶は間隔が広く、その隙間へ落ちた影が通路を実際以上に深く見せていた。


 偶然広く造られているわけではない。


 ここを歩くものに合わせた広さなのだと、考えるまでもなく分かった。


「ここから、オーガか」


 ゆうきの声が高い天井へ反響し、薄暗い通路の奥へ消えていった。


 先頭に立っていたさめちゃんが、大盾の革紐へ指を掛けて位置を直す。十五階層までにも何度となく見てきた仕草だったが、今日は盾を身体の正面へ置かず、いつでも角度を変えられるよう少し外側へ構えていた。


「図書館で調べた通りなら、まともに受け止めるのはやめた方がいいよね。十五階層でも飛ばされちゃったし……今日は最初から、流すつもりでやってみる」


「ああ。オークよりさらに一撃が重いって話だった。さめちゃんだけじゃない。全員、受けられると思わない方がいいな」


「大きい分、動きは見やすそうだけどねぇ」


 ももちゃんが通路の先を見つめながら、腰元へ手を添えた。


「でも、そこも実際に見るまでは決めつけない方がいいかなぁ」


「それがいいと思う」


 ゆうきは頷き、歩き出した。


 ももちゃんの灰銀色の髪の後ろでは、第十五階層の宝箱から手に入れたリボンが小さく揺れている。


 装備してからまだそれほど時間は経っていない。それでも、歩いているだけで以前との差は少し見えた。


 足そのものが速くなったわけではない。


 ももちゃんの歩調は相変わらずゆっくりしているし、本人も急ごうとはしていない。ただ、曲がり角で身体の向きを変える時や、段差を越える時の動きに、以前あった僅かな重さがない。


 巨大な大斧を展開すれば、その差はもっと分かりやすくなるだろう。


「ももね、そのリボンどう? もう馴染んだ?」


 少し後ろを歩いていたおむたろが、興味深そうに覗き込む。


「うん。いい感じだよぉ。普通に歩いてるだけだと、そこまで分からないんだけどねぇ。身体の向きを変える時とか、ちょっと楽かなぁ」


「やっぱり? あの大斧出したら、かなり違いそうだよね」


「たぶんねぇ」


「いいなあ。私の槍もそうだけど、宝箱ってちゃんと使う人に合った物が出てる感じあるよね。そう考えると、次も楽しみじゃない?」


「まだ十六階層に着いたばっかりだぞ」


 ゆうきが振り返ると、おむたろは悪びれる様子もなく槍を肩へ寄せた。


「分かってるって。楽しみにするくらいいいじゃん。別に今から二十階層の宝箱だけ取りに行こうなんて言ってないし」


「言ったら止めるよ」


 さめちゃんが小さく笑う。


「二人がかりで?」


「ちゃまも止めるよ!」


「四人じゃん!」


「ももちゃんは?」


 ちゃまに振られたももちゃんは少し考えたあと、普段と変わらないゆっくりした口調で答えた。


「んー……行くなら、帰ってくるまでここで待ってるかなぁ」


「一番ひどい!」


 おむたろの声が響く。


 張りつめかけていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


 ゆうきも口元を緩める。


 ただし、意識までは緩めない。


 隊列はもう確認する必要すらなかった。


 先頭をさめちゃんが歩き、左右をゆうきとももちゃんが補う。その一歩後ろにおむたろが入り、最後尾をちゃまが守る。


 最初にこの五人でダンジョンへ潜った頃は、歩くだけでも随分ぎこちなかった。


 さめちゃんが少し先へ出れば、その背中を追おうとして全体の速度が上がる。誰かが何かを見つけて立ち止まれば、後ろの者が一拍遅れて足を止める。


 今では一人の足音が変われば、それだけで全員の歩調が揃う。


 言葉にするほど大きな変化ではない。


 それでも、こういうところにこそ一緒に戦ってきた時間が残っているのだろう。


 ゆうきは歩調を崩さないまま、無属性の探知魔法を薄く広げた。


 壁。


 天井。


 床。


 その向こうへ、触れるだけの魔力を流していく。


 すぐ近くには何もいない。


 けれど、少し先。


 曲がりくねった通路の向こうから、こちらへ近づいてくる反応が一つあった。


「……いる」


 ゆうきが足を止めると、誰に言われるでもなく四人も止まった。


「前?」


 さめちゃんが声を落とす。


「ああ。一体だと思う。まだ少し距離はあるけど、こっちへ動いてる」


「最初に見るなら、一体はちょうどいいかもね」


 おむたろが背負っていた槍を手へ移した。


 第十階層で手に入れてから使い続けている槍。その穂先に埋め込まれた魔石は、今はまだ静かな赤色をしている。


 ゆうきは全員を一度見回した。


「最初から倒し急ぐのはやめよう。図書館で調べたことと実際の動きが同じか、まず見る。分からないものがあったら無理に攻めない」


「うん。私が前に出るね」


 さめちゃんが大盾を持ち上げる。


「危ないと思ったら受けないで避けるから、その時は横をお願い」


「任せて」


 再び歩き始める。


 十歩。


 二十歩。


 まだ姿は見えない。


 その代わり、低く響く足音が通路の向こうから届き始めた。


 ずん、と。


 一歩ごとに床が僅かに震える。


 間隔だけなら、それほど速くない。


 しかし一歩が大きいのだろう。探知魔法の反応は、音の印象以上の速さで近づいてきている。


 曲がり角の先で、大きな影が揺れた。


 最初に見えたのは肩だった。


 それだけで、ゆうきの目線よりもずっと高い。


 続いて太い首と頭が現れ、最後に長い腕。その手には、削った丸太をそのまま武器にしたような棍棒が握られていた。


「……大きいね」


 ちゃまの声から、さっきまでの明るさが少しだけ薄れた。


 オーガ。


 図書館の資料では何度も姿を見た。


 学院の講義でも聞いている。


 筋力に優れ、人間の何倍もの膂力を持ち、耐久力も高い。単純な力だけなら、中級ダンジョンに出現する魔物の中でも明確に上位。


 そんな説明を、ゆうきは知っている。


 けれど、目の前に立つ巨体を見上げた瞬間に浮かんだのは、もっと単純な感想だった。


 ――でかい。


 盛り上がった肩。


 人間の胴ほどもある腕。


 握っている棍棒すら、普通の人間なら持ち上げるだけで精一杯に見える。


 オーガが足を止めた。


 こちらを見た。


 それは、ほんの一瞬だった。


 巨体が沈む。


「来る!」


 ゆうきが叫んだ時には、すでに床が鳴っていた。


「速っ――」


 おむたろの声が途中で切れた。


 オーガが走る。


 一歩。


 それだけで数メートルが消えた。


 二歩目には、もう遠目に見ていた巨体が目の前まで迫っていた。


 身体が重いから遅い。


 そんな予想を、圧倒的な脚力で無理やり裏切ってくる。


「さめちゃん、流して!」


「うん!」


 棍棒が横薙ぎに振るわれる。


 さめちゃんは盾を正面へ立てなかった。


 半歩だけ下がり、身体を斜めへ逃がしながら、棍棒の軌道へ盾の表面を滑り込ませる。


 直後。


 耳の奥まで震えるような音が通路へ響いた。


「っ……!」


 盾の表面を棍棒が滑る。


 軌道は変わった。


 確かに受け流せている。


 それでも、さめちゃんの身体が横へ二歩ほど押し出された。


 逸らされた棍棒はそのまま石壁へ叩きつけられ、大きな破片を撒き散らす。


 削れた石の匂いが一気に広がった。


「うわ……」


 おむたろが目を見開く。


 ゆうきも、ほんの一瞬だけ動きを忘れた。


 一撃が重い。


 盾ごと吹き飛ばされることもある。


 本にはそう書いてあった。


 けれど、文字の中では音までは聞こえない。


 盾を流したさめちゃんの腕がどれだけ震えたかも。


 石壁が崩れた時の破片がどれほど遠くまで飛ぶのかも。


 目の前に立って初めて分かる。


「さめちゃん!」


「大丈夫!」


 返事はすぐにあった。


 だが、オーガは待ってくれない。


 壁へ食い込んだ棍棒を腕の力だけで引き戻す。


 大きな動き。


 隙がある。


 そう見えた。


 ゆうきは反射的に踏み込んだ。


「ゆうきくん、待って!」


 おむたろの声が飛ぶ。


 同時に、視界の横で何かが動いた。


 オーガの左腕。


 武器を持っていない手が、ゆうきへ伸びてきている。


「っ!」


 頭を掴まれる。


 そう気付くより先に身体を沈めた。


 太い指が髪のすぐ上を通り過ぎ、その風圧に前髪が乱れる。


 棍棒だけではない。


 空いた手も。


 足も。


 この巨体そのものが武器だ。


 沈めた姿勢のまま一歩踏み込み、ゆうきは脇腹へ剣を走らせた。


 手応え。


 しかし、想像より浅い。


「硬い……!」


 刃は通っている。


 それでもオークへ斬り込んだ時のようには沈まない。


 オーガが低く唸り、今度は左腕を横へ振るう。


「ゆうき、下がってぇ」


 ももちゃんの声が聞こえた。


 考えずに床を蹴る。


 次の瞬間、巨大な拳が先ほどまで頭のあった位置を通り過ぎた。


 勢いで壁際の空気が揺れる。


「武器だけ見ちゃ駄目だ!」


「ほんとそれ!」


 答えながら、おむたろが走った。


 棍棒が戻りきる前を狙い、槍を腿へ突き込む。


 まだ炎は纏わせていない。


 まず通常の攻撃がどこまで通るのかを見るためだ。


 穂先は皮膚へ刺さった。


 だが深くはない。


「こっちも硬い!」


 おむたろが引き抜く。


 その直後、オーガの膝が上がった。


「おむちゃん!」


「見えてる!」


 槍を抱えるようにして後ろへ跳ぶ。


 重い足が床へ落ち、石畳が鈍く揺れた。


 一拍遅れていたら、そのまま踏みつけられていた。


「棍棒だけじゃなくて手も足もって、ずるくない?」


「魔物に言っても仕方ないだろ!」


「分かってるけどさ!」


 口ではいつもの調子を保ちながら、おむたろはすぐに間合いを取り直している。


 怖くないわけではないだろう。


 むしろ、最初に想像していたよりずっと危険だと分かったばかりだ。


 だからこそ普段通りに喋っている。


 ゆうきは一度大きく距離を取った。


「倒し急がない! まず速さと間合いに慣れよう!」


「うん!」


 さめちゃんが前へ戻る。


 盾を少し下げ、オーガの足元まで視界へ収める。


 オーガも棍棒を構え直した。


 大きい。


 重い。


 その二つは予想通りだ。


 一番厄介なのは、この巨体が思っていたより遥かに速く間合いを詰めてくることだった。


 再び身体が沈む。


 今度は全員が見ていた。


「来るよ!」


 さめちゃんが正面から外れる。


 振り下ろされた棍棒が床を砕き、石片が跳ねた。


「左手!」


 ゆうきが声を上げる。


 予想通り、空いた手が追いかけるように伸びる。


 さめちゃんは盾で弾かず、身体ごと後ろへ引いた。


 太い指が空を掴む。


「おむたろ!」


「はいよ!」


 槍の穂先が赤く染まった。


 火属性。


 横から踏み込み、伸び切ったオーガの手首へ炎を纏った一撃を突き込む。


 焼ける臭い。


 オーガが低く吠え、反射的に腕を引いた。


「効いてる!」


「ももちゃん!」


「任せてぇ」


 小さな装飾品が魔力を帯びる。


 次の瞬間には、ももちゃんの両手に巨大な大斧が収まっていた。


 そのまま踏み込む。


 やはり軽い。


 斧そのものの重量が減ったわけではない。だが以前なら大きく踏み込んでから身体を回していた動作が、今は一つに繋がっている。


 狙うのは、ゆうきが最初に傷を入れた脇腹。


 大斧が唸りを上げ、同じ場所へ叩き込まれた。


「グォォォッ!」


 オーガの巨体が傾く。


 ももちゃんは振り抜いた斧の勢いへ身体を預けず、すぐに一歩離れた。


「まだ来るよぉ」


 その直後、棍棒が横を薙いだ。


 すでにそこにももちゃんはいない。


「そのリボン、やっぱりすごくない!?」


 おむたろが思わず声を上げる。


「あとでねぇ」


「はい!」


 こんな時でも、ももちゃんの返事はいつも通りだった。


 オーガが向きを変える。


 ゆうきは肩ではなく、足を見る。


 踏み込む前に、重心が落ちる。


 膝が曲がる。


 そこから来る。


 何度か見れば、分かる。


「動き出しは見やすい!」


「私も、ちょっと分かってきた」


 さめちゃんも同じところを見ていた。


「踏み出す前に身体が沈むね。そこを見てれば、最初みたいに急に来た感じはしないかも」


「ああ!」


 三度目。


 オーガが走る。


 今度は、誰も慌てなかった。


 さめちゃんが正面から外れ、ゆうきは反対へ回る。巨体が二人の間を抜けていく。


 止まろうとする。


「今!」


 おむたろの《彩域》が重なった。


 ゆうきたちには見えない。


 けれど、結果は分かる。


 踏ん張ろうとしたオーガの足が僅かに遅れ、巨体が前へ流れた。


「右足だよぉ」


 ももちゃんが横へ回る。


 大斧は膝へ。


 深く刃が入り、オーガの右脚が崩れた。


 片膝をつく。


 ゆうきはすぐに前へ出る。


 狙うのは首ではない。


 何度も攻撃を重ねた脇腹。


 剣へ無属性の魔力を沿わせ、その傷へもう一度刃を入れる。


 今度は深い。


 オーガが苦し紛れに腕を振るった。


 だが、それも見えていた。


 剣を抜き、そのまま後ろへ退く。


「ちゃま!」


「うん!」


 後方で杖の魔石が光った。


 小さな光弾が飛び、ゆうきが開いた傷へ正確に当たる。


 攻撃魔法として見れば大きな威力ではない。


 それでも痛みに反応してオーガの身体が揺れた。


「おむたろ!」


「これでどう!」


 炎を纏った槍が同じ傷へ突き込まれる。


 皮膚の内側で炎が弾け、オーガが大きく仰け反った。


 棍棒が指から落ちる。


 床へ当たり、重い音が響いた。


 巨体が前へ傾く。


 そして床へ倒れる直前、身体の輪郭が崩れた。


 黒い瘴気が広がり、冷たい空気へ溶けていく。


 あとに残った魔石が、乾いた音を立てて床へ転がった。


「……ふぅ」


 ゆうきは剣先を下げ、息を吐いた。


 相手は一体だった。


 それなのに、呼吸は最初の階層でゴブリンを何体も相手にした時より乱れている。


「一体でこれなんだね……」


 ちゃまが床の魔石を見つめる。


「うん。思ってたよりずっと速かった」


 さめちゃんは盾を下ろし、最初の一撃を流した部分へ手を触れた。


 表面には新しい傷が一本、深く残っている。


「ちゃんと斜めにしたのに、腕まで痺れたよ。あれを正面から受けたら……たぶん、一回で盾を持てなくなると思う」


「じゃあ絶対やめよう」


 おむたろが即座に言った。


「なもちゃんが飛んでくところ、十五階層でもう見たからね。二回目はいらない!」


「私も飛びたくないかな」


 さめちゃんが少し困ったように笑う。


 ゆうきは砕けた壁へ目を向けた。


 一度棍棒が当たっただけで、石の表面が大きく削れている。


「火力は想像以上。でも速さは……慣れれば追えそうだ」


「そうだねぇ」


 ももちゃんが大斧を小さな装飾品へ戻しながら頷いた。


「走るのが速いっていうより、一歩がすごく大きいんだと思うよぉ。動き始めも分かりやすいし。最初みたいに、大きいから遅いって思わなければ大丈夫そう」


「問題は複数になった時か」


 ゆうきが言う。


 さっきまで少し緩んでいた空気が、静かに引き締まった。


 一体なら、全員で動きを見られる。


 さめちゃんが正面を外し、横から攻撃する余裕もある。


 二体。


 三体。


 数が増えれば、一体を見ている間にも別の棍棒が飛んでくる。


「まあ、その時はその時!」


 数秒の沈黙を破ったのは、やはりおむたろだった。


「最初の一体で結構分かったじゃん。次は今より上手くやれるって!」


「うん。でも無理そうなら戻ろうね」


 さめちゃんが静かに続ける。


「ここからは、一回の失敗が大きそうだから」


「ああ」


 ゆうきも頷いた。


 慎重に進む。


 けれど、怖がって止まり続けるわけではない。


 それが今の五人にはちょうどよかった。


     ◇


 二度目の戦闘は、間もなく訪れた。


 今度は二体。


 並んで歩いてくるオーガを見た瞬間、おむたろが小さく息を吸ったが、誰も足を止めなかった。


 一体目で知ったことがある。


 巨体が沈む。


 踏み込む。


 攻撃へ移る前には、必ず大きな身体のどこかに予兆が出る。


 一体目のオーガがさめちゃんへ向かって走り出した。


 彼女は最初から進路を譲り、真正面には立たない。


 その横を抜けようとする二体目へ、ゆうきとももちゃんが回った。


「私、後ろの方落とすね!」


 おむたろが《彩域》を重ねる。


 足取りが僅かに鈍る。


 それでも、一体が増えただけで視界の忙しさはまるで違った。


「ゆうきくん、後ろ!」


 ちゃまの声。


 振り返る暇はない。


 ゆうきは言われた方向へ考えずに跳んだ。


 直後、背中すれすれを棍棒が薙ぐ。


 風圧が服を強く引っ張った。


「助かった!」


「もう一体、なもちゃんの方行く!」


「うん!」


 さめちゃんが向きを変える。


 正面に一体。


 横からもう一体。


 どちらも攻撃を受け止めるわけにはいかない。


「さめちゃん、右は俺が取る!」


 ゆうきが割り込んだ。


 こちらへ向いたオーガは、棍棒ではなく拳を振り上げる。


 剣で止める考えは、最初からなかった。


 横へ身体を投げる。


 拳が床を叩き、足元から鈍い振動が伝わった。


「これ剣で受けたら、本当に折れそうだな……!」


「ゆうきくんも一緒に飛んでいきそう!」


「笑えないぞ!」


「でもちょっと想像できる!」


「するな!」


 おむたろの槍が横から伸びた。


 炎を纏った穂先がオーガの肩を掠める。


 向こうが振り向く頃には、もうおむたろは間合いの外へ逃げていた。


「よし、こっち見た!」


 攻撃を当てることだけが目的ではない。


 誰を狙わせるか。


 どこを向かせるか。


 どの一体を今、自由にしてはいけないのか。


 第五階層へ挑んだ頃なら、きっと五人で同じ敵へ攻撃を集中させていた。


 一体を早く倒せば楽になる。


 それ自体は間違っていない。


 けれど、一体へ集まり過ぎた瞬間にもう一体が自由になる。


 今は、それがどれほど危険か分かる。


「ももちゃん、そっちどう?」


「あと少しかなぁ」


 ももちゃんは最初の一体へ張りついていた。


 オーガが棍棒を振り下ろす。


 避ける。


 すぐには斧を返さない。


 一呼吸だけ待つ。


 次に空いた手が伸びてきた。


「そこだねぇ」


 身体を引き、腕が伸び切るのを待つ。


 脇へ大斧が入った。


 深い。


「今!」


 ゆうきが合流する。


 先ほどももちゃんが開いた傷へ剣を重ねる。


 オーガの身体が崩れ、そのまま黒い瘴気へ変わった。


「一体!」


 ちゃまの声が響く。


 残る一体へ、今度は五人の意識が集まった。


 さめちゃんが進路を制限し、おむたろが足を鈍らせる。


 ももちゃんが脚を崩し、ゆうきが傷を作る。


 ちゃまは攻撃へ参加し過ぎず、全員を見渡しながら必要な時だけ魔法を飛ばした。


 最初ほど時間はかからなかった。


 二つ目の魔石が床へ落ちる。


「……慣れてきたな」


 ゆうきは乱れた呼吸を整えながら呟いた。


「うん。最初より怖くないかも」


 さめちゃんも大盾を下ろす。


「攻撃は怖いよ。でも、どこから来るか分かれば、避けられる」


「それ大事!」


 おむたろが槍をくるりと回そうとして、すぐ横に壁があることへ気づき、途中で止めた。


「当たったらまずい。でも当たらなければいい!」


「すごく簡単に言ったねぇ」


「でも合ってるでしょ?」


「合ってるけどぉ」


 ももちゃんが小さく笑った。


 ゆうきもつられて息を漏らす。


 単純な言葉だ。


 けれど今のオーガ相手には、それが一番大切なのかもしれない。


 力比べをしない。


 受けない。


 踏み込みを見る。


 間合いを保つ。


 一体ずつ自由を奪う。


 図書館で読んだ文章が、一戦ごとに身体の感覚へ置き換わっていった。


 第十六階層を抜ける頃には、最初に感じた巨体そのものへの圧迫感は随分薄れていた。


     ◇


 第十七階層でも、出てくるのは通常のオーガが中心だった。


 最初の三体を相手にした時こそ少し時間が掛かったものの、戦い方そのものは第十六階層より安定している。


 二体。


 三体。


 途中では四体の群れとも遭遇した。


 広い場所で正面からぶつかれば、さめちゃん一人では進路を制限しきれない。


 だから、戦う場所を変えた。


「ここまで引こう」


 ゆうきが指したのは、少し手前にあった曲がり角だった。


 通路が直角に折れているため、巨体のオーガが一度に並べる数が減る。


 さめちゃんが先頭の一体だけを引きつける。


 横から来ようとする個体はゆうきが牽制し、後ろの二体へおむたろが《彩域》を重ねた。


 ももちゃんは前へ出たものだけを狙う。


 四体を同時に相手にしない。


 四体いる状況を、自分たちで崩す。


 それだけで随分違った。


 大きな怪我はない。


 ちゃまが《星降る祈り》を使わなければならない場面もなかった。


 それでも、身体とは別のところへ疲れが溜まっていく。


 オーガの攻撃は、一度判断を間違えればそれだけで大きな傷になる。


 避ける時も。


 攻撃へ入る時も。


 常に次の動きを考えなければならない。


 第十七階層の途中に設けられた安全地帯へ入ると、誰からともなく足が止まった。


「つっかれたぁ……」


 おむたろが壁際へ座り込み、槍を横へ置く。


「当たってないのに何でこんな疲れるの。ずっと頭の中で『これ当たったら終わる!』って思いながら避けてるから、身体より頭が疲れる!」


「分かるよ」


 さめちゃんも壁へ盾を立てかけ、その隣へ腰を下ろした。


「最初の一回以外はほとんど受けてないのに、肩が重い。ずっと盾を動かせるように力入れてたみたい」


「治す?」


 ちゃまが杖を抱えたまま尋ねる。


「ううん。怪我じゃないよ。休めば大丈夫」


「分かった。じゃあ、ちゃんと休もう」


 ちゃまも近くへ腰を下ろした。


 指に嵌められた魔道具は、今も淡い魔力を帯びている。


 今日は大きな回復をほとんど使っていないため、魔力そのものにはまだ余裕がありそうだった。


 ゆうきも壁へ背を預け、水筒の蓋を開ける。


 一口飲んだ水が、いつもより冷たく感じた。


 腕も脚も動く。


 呼吸も少し休めば戻る。


 それでも、頭だけが重い。


 ゴブリンなら腕で庇って済んだ攻撃。


 コボルトなら剣で受け流せた攻撃。


 オークでも、体勢を整えていれば防げるものはあった。


 オーガには、その考え方が通じない。


 避ける。


 流す。


 真正面から止めるなら、一人ではやらない。


 一つの判断を間違えれば、その後の戦闘そのものに響く。


「でもさ」


 おむたろが水を飲みながら、壁に頭を預けた。


「十六階層の最初と比べたら、だいぶ楽になったよね。最初に走ってきた時、ほんとにびっくりしたもん。大きいのに、あんな距離すぐ詰めてくると思わないじゃん」


「私も」


 さめちゃんが頷く。


「本で読んでたのにね。速いって書いてあったわけじゃないから、もっとゆっくりなのかなって勝手に思ってた」


「知識だけじゃ足りないってことか」


 ゆうきが何気なく口にすると、向かいに座っていたももちゃんが水筒を両手で包んだまま首を傾げた。


「でもぉ、知らなかったらもっと危なかったと思うよぉ」


「ん?」


「力がすごく強いって知ってたから、なもちゃんも最初から受け流そうとしてたでしょぉ? 知らなかったら、最初の一回を普通に受けようとしてたかもしれないし」


 ももちゃんは少し考えてから続ける。


「知らないことを知るのとぉ、知ったことを自分で確かめるのって、どっちもいるんじゃないかなぁ」


「……そうだな」


 ゆうきは素直に頷いた。


 図書館へ行った意味。


 学院で授業を受ける意味。


 そして、こうして実際にダンジョンへ入る意味。


 きっと、どれか一つでは足りない。


 本に書かれていたオーガは、間違っていなかった。


 一撃が重い。


 耐久力が高い。


 巨体に似合わず、踏み込みも速い。


 けれど、盾に棍棒が触れた時の音までは本から聞こえない。


 走ってくる巨体を目の前にした時、視界がどれほど埋まるのかも。


 攻撃を避けた直後に、空いた手が伸びてくる怖さも。


 知識は必要だ。


 でも、知っただけでは自分のものにならない。


「よーし。ちゃんと休んだら十八階層行こう!」


 おむたろが両手を上へ伸ばす。


「時間的にはまだ余裕あるし、今日は十九階層の帰還地点まで行ければ予定通りでしょ?」


「ああ。ただ、十八階層からは少し変わるはずだ」


 ゆうきの言葉に、おむたろの腕が止まる。


「職種持ち?」


「そう。図書館で調べた限り、深い階層になるほど普通のオーガだけじゃなくなる。武器の扱いに慣れた個体もいるし、魔法を使う個体もいる」


 さめちゃんが立てかけた盾へ目を向けた。


「ナイトやガーディアンなら、私と同じように仲間を守ったり、攻撃を防いだりするってことだよね」


「たぶんな。普通のオーガみたいに、攻撃を避けたあとへそのまま入れば通るとは限らない」


「じゃあ、また最初は見るところからだねぇ」


 ももちゃんの言葉へ、ゆうきは頷いた。


「そうしよう」


 焦る必要はない。


 今日は十九階層の入口まで進んだら帰る。


 そこから先は、休んでからでいい。


 そして十九階層を越えれば、二十階層。


 最深部。


 今までの階層と同じなら、そこに待つのはジェネラル級の個体だ。


 取り巻きを従えるゴブリンジェネラル。


 コボルトジェネラル。


 オークジェネラル。


 それらを越えてきた。


 けれど、だから次も同じだとは誰も考えていなかった。


     ◇


 第十八階層へ降りてから、最初の戦闘はそれほど待たずに訪れた。


 探知魔法へ触れた反応は二つ。


 一つは、もう知っている重い足音。


 そしてもう一つには、それとは別の音が混ざっていた。


 硬いもの同士が擦れる、低い金属音。


「二体なら、さっきみたいに――」


 言いかけたゆうきが口を閉じる。


「装備してる」


 さめちゃんも気付いたらしい。


 盾を持つ手へ少しだけ力が入った。


 暗がりから一体目が姿を現す。


 棍棒を持った、通常のオーガ。


 その後ろから続いた二体目を見て、おむたろの表情が変わった。


 胴。


 肩。


 腕。


 急所になる部分へ金属の防具を付けている。


 両手に握っているのは棍棒ではなく、幅の広い巨大な剣。


 そして何より違うのは、その立ち方だった。


 武器をただ持っているのではない。


 大剣を身体の前へ構え、こちらを見ながら間合いを測っている。


「……オーガナイト」


 ゆうきが呟く。


「普通の方から先に落とす?」


 おむたろが声を抑える。


「できればそうしたい。でも、ナイトがどう動くか見てからだ」


 さめちゃんが前へ出た。


 通常のオーガがこちらへ気づき、身体を沈める。


 突進。


 もう、それだけでは驚かない。


 さめちゃんが進路を外し、ゆうきが横へ回る。


 その瞬間。


「ゆうき、来るよぉ」


 ももちゃんの声。


 金属の擦れる音が一気に近づいた。


 オーガナイトが踏み込んでいる。


「っ!」


 大剣が横へ振るわれた。


 反射的に自分の剣を上げかける。


 すぐにやめた。


 受けるな。


 身体を沈める。


 頭上を巨大な刃が通り過ぎた。


 ゆうきはそのまま後ろへ跳ぶ。


 正解だった。


 横薙ぎの大剣が止まらない。


 オーガナイトは振り切った勢いへ身体を乗せ、腰を回す。


 二撃目。


 下から斜めに斬り上げる軌道が迫った。


「連撃か!」


 剣先が服を掠める。


 ゆうきはさらに一歩下がった。


 オーガナイトは深追いしない。


 二撃目を振り抜くと、そのまま大剣を身体の前へ戻した。


 構え直す。


「……ちゃんと剣使ってるな」


「そりゃナイトだもん!」


 おむたろが横から槍を突く。


 通常のオーガなら反応しづらい位置。


 だが、オーガナイトは大剣を立てた。


 甲高い音が鳴る。


「えっ」


 槍が刃に弾かれ、おむたろの腕が外へ流れた。


 その隙へ大剣が返ってくる。


「おむちゃん!」


 さめちゃんが間へ大盾を差し込んだ。


 正面から止めない。


 刃へ角度を合わせ、横へ滑らせる。


 それでも衝撃は大きく、さめちゃんとおむたろの身体が揃って後ろへ押された。


「重い……!」


「ありがと、なもちゃん!」


「うん。一回離れよう」


 二人が下がる。


 その向こうでは、通常のオーガがももちゃんへ棍棒を振るっていた。


 大斧とぶつければ力負けする。


 ももちゃんは一歩外へずらして避け、その横から脇腹へ大斧を入れる。


 通常のオーガが腕で庇った。


 刃が腕へ食い込む。


「こっちは今までと一緒だよぉ」


「じゃあ先にそっち!」


 ゆうきは通常個体へ向かおうとする。


 だが。


 オーガナイトが一歩動いた。


 進路へ入る。


「やっぱり来るか!」


 大剣が振り下ろされる。


 ゆうきは足を止め、すぐに後ろへ引いた。


 床が砕ける。


 大剣が石へ食い込む。


 隙。


 そう見えて、一歩入ろうとした。


 次の瞬間、柄の末端が動いた。


「来る!」


 剣を引き抜かない。


 柄尻をこちらへ突き出してくる。


 ゆうきは身体を捻った。


 完全には避けきれない。


 硬い柄が肩へ当たり、鈍い痛みが走った。


「っ……!」


 身体が崩れる。


 そこへ、石へ刺さっていた大剣が引き抜かれる。


「ゆうきくん!」


 ちゃまの杖が光った。


 オーガナイトの足元へ小さな光弾が落ち、弾ける。


 傷を与えるほどではない。


 けれど、視線が一瞬だけ下へ向いた。


 その間にゆうきは床を転がるように距離を取る。


「助かった!」


「肩、大丈夫!?」


「動く。後で見て!」


「分かった!」


 ゆうきは剣を構え直した。


 強い。


 単純な火力だけなら、通常個体と極端な差はないのかもしれない。


 違うのは使い方だ。


 大剣。


 柄。


 間合い。


 攻撃の後。


 防御。


 普通のオーガなら隙になる場所を、そのまま次の動きへ繋げている。


「おむたろ! ナイトは俺たちで引く! さめちゃんとももちゃん、通常個体を先に!」


「了解!」


「うん!」


 敵を分ける。


 ナイトを今すぐ倒そうとはしない。


 通常個体を自由にしたまま五人でナイトを囲む方が危険だ。


 ゆうきとおむたろが左右へ分かれる。


 オーガナイトは大剣を構えたまま、二人を交互に見た。


「私から!」


 おむたろが踏み込む。


 正面から槍。


 大剣で防がれる。


 それは分かっていた。


「ゆうきくん!」


 その瞬間、反対からゆうきが入る。


 脇腹。


 剣を振る。


 オーガナイトが大剣を返した。


 金属音。


 刃同士がぶつかる。


「硬っ……!」


 押し合うつもりはない。


 それでも一瞬触れただけで、腕へ重い力が伝わってきた。


 ゆうきは逆らわずに剣を引く。


 その間、通常のオーガはさめちゃんとももちゃんを相手にしていた。


「なもちゃん、右へぇ」


「うん!」


 棍棒。


 さめちゃんが盾で軌道をずらす。


 巨体が少し流れたところへ、ももちゃんが左から回る。


 大斧は膝。


 深く入る。


 オーガが体勢を崩した。


「もう一回いくよぉ」


 ももちゃんが斧を引く。


 さめちゃんは倒れかけたオーガの腕へ盾を押し当て、動きを邪魔した。


 次の一撃が脇腹へ叩き込まれる。


 通常個体の身体が瘴気へ崩れた。


「一体倒した!」


 ちゃまの声が飛ぶ。


 その瞬間、オーガナイトの構えが変わった。


 守る相手がいなくなった。


 大剣を両手で握り直し、腰を低くする。


「来るよ!」


 今度は向こうから踏み込んだ。


 狙いはおむたろ。


「私!?」


 振り下ろし。


 おむたろが横へ逃げる。


 続けて斬り上げ。


「二段目!」


 さらに下がる。


 そこから大剣を引かず、そのまま切っ先を前へ。


「三段!?」


 突き。


 完全には避けられない。


 おむたろは槍の柄を斜めへ当て、切っ先の軌道をずらした。


 火花が散る。


 力に押され、身体が横へ流れた。


「おむちゃん!」


「大丈夫! まだいける!」


 さめちゃんが前へ入る。


 大盾で進路を塞ぐ。


 オーガナイトはそのまま大剣を振った。


 受けない。


 さめちゃんが角度を変え、刃を外へ流す。


 同時に、反対側からももちゃんが踏み込んだ。


 大斧。


 オーガナイトが気づく。


 大剣を引き戻す。


「間に合うのぉ?」


 大斧と大剣がぶつかった。


 腹へ響くような轟音。


 純粋な力ではオーガナイトが上だった。


 ももちゃんの身体が後ろへ押される。


 以前なら、そこで足が止まっていたかもしれない。


 今は違う。


 一歩。


 後ろへ足が滑るように動く。


 もう一歩。


 大斧の重さへ引っ張られず、自分から力を逃がした。


「おお……ちゃんと動けるねぇ」


 ももちゃんが少しだけ嬉しそうに目を細める。


「そこ!」


 オーガナイトの大剣は、まだももちゃん側へ向いている。


 ゆうきが脇へ入った。


 剣を振る。


 手応えが浅い。


 金属へ刃が弾かれた。


「鎧か!」


「じゃあ隙間狙えばいい!」


 おむたろがすぐに槍を構える。


 穂先へ炎が宿る。


 オーガナイトがこちらへ向こうとした。


「させないよ」


 さめちゃんが大盾を前へ出す。


 大剣が振られる前に、武器の腹へ盾を押し当てた。


 力比べではない。


 振り始める前なら、僅かでも動きを遅らせられる。


「今!」


 おむたろの槍が伸びる。


 狙いは鎧の継ぎ目。


 脇の下。


 炎を纏った穂先が差し込まれた。


「グォォッ!」


 オーガナイトが初めて大きく怯む。


「ももちゃん!」


「うん」


 大斧が今度は身体ではなく、大剣の柄へ向かう。


 重い一撃が手元へ入った。


 オーガナイトの腕が下がる。


 ゆうきは一気に距離を詰めた。


 首元。


 鎧で覆われていない場所。


 無属性の魔力を乗せた剣を横へ走らせる。


 刃が通った。


 オーガナイトが後退する。


 それでも倒れない。


「しぶといな……!」


 再び大剣を上げる。


 ただ、最初ほど鋭くはなかった。


 脇の傷。


 首の傷。


 少しずつ動きへ影響が出ている。


「焦らなくていい! 一回離れる!」


 ゆうきの声で、全員が距離を取った。


 追わせる。


 オーガナイトが踏み込む。


 大剣が振り下ろされる。


 避ける。


 そのまま斬り上げ。


 避ける。


「次、突き!」


 おむたろが叫ぶ。


 三撃目。


 大剣の切っ先が伸びる。


 そこまで。


 最初に見た連撃と同じ。


 三撃目のあと、大剣が最も身体から離れる。


「今だねぇ」


 ももちゃんの大斧が横から飛んだ。


 狙うのは身体ではない。


 伸び切った大剣。


 刃の腹を上から叩き落とす。


 大剣が床へ落ち、オーガナイトの両腕が引っ張られるように下がった。


 さめちゃんが踏み込み、大盾を巨体へ押し当てる。


「ゆうきくん!」


「ああ!」


 ゆうきは正面へ入った。


 鎧の継ぎ目。


 先ほどおむたろが槍を入れた場所。


 剣を突き込む。


 今度は深い。


 オーガナイトの身体が止まった。


 ゆうきはすぐに剣を抜き、その場から離れる。


 一歩。


 二歩。


 オーガナイトが落ちた大剣を持ち上げようとした。


 腕が震える。


 上がらない。


 やがて巨体が膝をつき、その輪郭がゆっくりと黒い瘴気へ崩れていった。


 鎧も。


 大剣も。


 最後には何も残らない。


 床へ魔石だけが落ちた。


「……強かったぁ!」


 おむたろが大きく息を吐く。


「普通のオーガと全然違うじゃん! 同じオーガって名前に入ってるのに、戦い方ほぼ別物じゃん!」


「職種って、思ってた以上に大きいな」


 ゆうきは剣を収める前に、肩へ触れた。


 柄尻が当たった場所には、まだ鈍い痛みが残っている。


「ゆうきくん、見せて」


 ちゃまがすぐ近くまで来た。


「大丈夫だって」


「動くかどうかじゃなくて、傷になってるか見るだけ。治すかは見てから決めるの」


「……はい」


 言われるまま、肩の服を少しずらす。


 皮膚が赤くなっていた。


 触れば痛い。


 ただ、腕は問題なく上がる。


 ちゃまは指先で周囲を軽く確かめると、小さく頷いた。


「打っただけだと思う。これなら今は治さなくても大丈夫そう」


「よかった」


「でも、次また同じところに当たったら絶対言ってね。重なると嫌だから」


「ああ。分かった」


 ちゃまが満足そうに杖を抱え直した。


 その横で、さめちゃんが先ほどまでオーガナイトのいた場所を見つめている。


「ナイト……仲間を守ってたね」


「そうだな」


「最初に普通のオーガを狙おうとした時、必ず間へ入ってきた。あれ、ただ剣が上手いだけじゃないんだね」


 ゆうきは床に残った二つの魔石を見る。


 ナイト。


 メイジ。


 ガーディアン。


 バーサーカー。


 図書館では、それぞれの特徴を名前と一緒に覚えた。


 けれど職種というのは、単に武器や能力が変わることではないらしい。


 戦場で何をするのか。


 誰を守るのか。


 どう動くのか。


 役割そのものが変わる。


「十八階層、ちょっと時間掛かりそうだねぇ」


 ももちゃんが言った。


「ああ」


 ゆうきは通路の奥へ視線を向ける。


「ここからは名前だけ見て判断しない方がいいな。武器と装備と、最初の動きを見る。何をする個体なのか分かるまで、無理に攻めない」


「賛成!」


 おむたろが槍を持ち直した。


「次にメイジが出たら、さすがに後ろへ置いときたくないしね」


「それは本当にそうだな」


 五人は再び、第十八階層の奥へ歩き始めた。


     ◇


 そこから先は、第十七階層までのようには進まなかった。


 通常のオーガだけなら、もう大きく戸惑うことはない。


 踏み込みを見る。


 棍棒だけではなく、空いた手や足にも注意する。


 囲み過ぎず、誰か一人へ狙いが集中しないよう動く。


 それだけで、危険はかなり減らせる。


 問題は、その中へ混ざる職種持ちだった。


 最初に遭遇したのは、大型の盾を構えたオーガガーディアンと、その後方に立つオーガメイジ。


 見つけた瞬間から、配置そのものが嫌だった。


 通路の大半を巨大な盾が塞いでいる。


 その後ろから、魔力の揺らぎが立ち上った。


「前、ガーディアン! 後ろにメイジ!」


 ゆうきの声へ、全員が散る。


 ガーディアンの肩越しに赤い魔法陣が浮かんだ。


「来る!」


 火球。


 通路が狭い。


 完全に全員が避ける余裕はない。


 さめちゃんが一歩前へ出て、大盾を斜めに構えた。


 火球が盾の表面へ当たり、炎が左右へ弾ける。


 熱風が頬を撫で、髪を揺らした。


「っ……!」


「さめちゃん!」


「大丈夫! 火は止められる!」


 炎が散る。


 視界が開いた。


 その直後、向こう側から巨大な盾が迫ってきた。


 オーガガーディアンがそのまま突進している。


「なもちゃん、受けないで!」


 ちゃまの声。


「分かってる!」


 さめちゃんはすぐに横へ逃げようとする。


 しかし、通路が狭い。


 完全には避けきれず、ガーディアンの盾の端が大盾へ触れた。


 鈍い衝撃。


 さめちゃんの身体が横へ押される。


「なもちゃん!」


 おむたろが背中へ手を当て、倒れるのを支えた。


「ありがとう!」


「これ前抜けないと、ずっと後ろから魔法飛んでくるよ!」


「分かってる!」


 ゆうきがガーディアンへ斬りかかる。


 大盾。


 剣は簡単に止められた。


 硬い。


 正面を割るのは現実的ではない。


「正面からは無理だ!」


「じゃあ向き変えさせよう!」


 おむたろが左へ回る。


 槍で盾の外側を狙う。


 ガーディアンがそちらへ身体を向けた。


 ゆうきが反対へ。


 すぐに盾が戻ってくる。


「速いな!」


 巨体に大盾。


 見た目は鈍重なのに、防御へ必要な動きだけが短い。


 そこへ。


「また来るよぉ」


 ももちゃんの声。


 後方。


 オーガメイジの魔法陣が今度は青白く光った。


「属性が違う!」


 氷の塊が飛んでくる。


 ゆうきは身体強化を使い、横へ跳んだ。


 氷塊が床へ激突し、砕け散る。


 石床の一部が白く凍りついた。


「うわっ!」


 踏み込もうとしていたおむたろの足が滑りかける。


 槍を床へ突き、どうにか踏みとどまった。


「これ嫌!」


「足元気をつけろ!」


「言われなくても!」


 オーガメイジ。


 魔法を使う。


 だからといって、身体が人間の魔法使いのように細くなるわけではない。


 巨体。


 筋力。


 耐久力。


 それらを残したまま、さらに魔法まで使ってくる。


「ちゃま、メイジまで届く?」


「やってみる!」


 杖が光る。


 小さな光弾がガーディアンの上を越え、後ろのメイジへ向かった。


 しかし、オーガメイジは腕を上げた。


 薄い魔力の膜が前へ広がる。


 光弾が触れ、弾けた。


「防ぐの!?」


「魔法使いだからな!」


「そうだけどぉ!」


 ちゃまが頬を膨らませる暇もなく、次の魔法陣が浮かぶ。


 ゆうきは一度呼吸を整えた。


 前を抜けない。


 その間に後ろから魔法が飛ぶ。


 正面から盾を壊すのは時間が掛かりすぎる。


 なら。


「おむたろ! ガーディアンの足、鈍らせられる?」


「やる!」


 《彩域》。


 ガーディアンの踏み替えが僅かに遅くなる。


「さめちゃん、押し合わなくていい! 右へ誘って!」


「うん!」


 さめちゃんが通路の右側へ寄った。


 大盾を前へ見せる。


 ガーディアンもそちらへ動く。


 防御役なら。


 こちらが抜けようとする場所へ、向こうも入ってくる。


「ももちゃん、左!」


「分かったぁ」


 ももちゃんが反対側へ走る。


 大斧を持っていても、足は以前ほど重くない。


 ガーディアンの身体が僅かに迷った。


 右へ行けばももちゃんが抜ける。


 左へ行けばさめちゃんが前へ出る。


 ほんの一瞬。


 盾が中央から外れた。


「今!」


 ゆうきはガーディアンを狙わない。


 空いた真ん中を抜ける。


 後ろ。


「メイジ!」


 オーガメイジがすぐにこちらへ骨飾りを向けた。


 魔法陣が赤く光る。


 距離が近い。


「ゆうきくん!」


 ちゃまの声。


 火球が放たれる。


 ゆうきは身体を横へ投げるように避け、そのまま前へ進んだ。


 横を通過した炎の熱が頬に残る。


 メイジが後ろへ下がった。


 魔法使い。


 接近した。


 ここまで入れば。


 そう思った瞬間。


 太い腕が横へ振られた。


「っ!」


 剣を上げかける。


 すぐに思い出した。


 ――こいつもオーガだ。


 しゃがむ。


 拳が頭上を通った。


「危なっ……!」


 魔法を使うからといって、近づけば安全なわけではない。


 ただ、魔法陣を作る余裕は減った。


「ちゃま!」


「うん!」


 光弾が飛ぶ。


 今度は障壁を張る余裕がない。


 メイジの肩へ当たり、巨体が少し揺れる。


「おむたろ!」


「こっちは任せて!」


 ガーディアンの脇を抜けたおむたろも、こちらへ走ってくる。


 炎を纏った槍がメイジの脇腹へ入った。


 オーガメイジが反射的に腕を振るう。


 おむたろはすぐに離れた。


「ゆうきくん、もう一回!」


「ああ!」


 同じ傷。


 剣を入れる。


 深い。


 オーガメイジが膝をつき、そのまま瘴気へ崩れていった。


「よし!」


 残るガーディアン。


 後ろから魔法が来ないだけで、空気が一気に軽くなる。


 とはいえ、大盾は変わらず厄介だった。


「で、これどうする?」


 おむたろが盾を見上げて苦笑する。


「正面から壊すの、私やだよ?」


「俺も嫌だな」


「私も押し合うのは無理かな」


 さめちゃんも自分の盾を見た。


 少し考えたももちゃんが、ガーディアンの腕へ目を向ける。


「盾じゃなくてぇ、持ってる方を狙えばいいんじゃないかなぁ」


「腕か」


「うん。持ってられなくなれば、盾も下がるでしょぉ」


「それいい!」


 おむたろが槍を構え直す。


「じゃあ私、向き変えさせる!」


 そこからは時間が掛かった。


 おむたろが左。


 ガーディアンが盾を向ける。


 反対からさめちゃんが前へ出る。


 また向きが変わる。


 その僅かな隙をももちゃんが狙い、大斧を盾ではなく腕へ入れる。


 一度では届かない。


 二度目も浅い。


 三度。


 ゆうきも同じ場所へ剣を重ねた。


 少しずつ。


 確実に。


 やがて、ガーディアンの腕から力が抜けた。


 巨大な盾が下がる。


「今!」


 全員が同時に動いた。


 大斧。


 槍。


 剣。


 続けざまに攻撃が入り、最後にはさめちゃんの盾が巨体の逃げ道を塞ぐ。


 オーガガーディアンが崩れた。


 黒い瘴気が消えたあと、床に魔石が残る。


「……時間かかったぁ」


 おむたろが肩を落として息を吐いた。


「でも倒せたね」


 さめちゃんが盾を下ろし、小さく笑った。


「うん。大きな怪我もないよ」


 ちゃまは一人ずつ顔を見て、ようやく杖の力を抜いた。


 ゆうきは二つの魔石を拾う前に、しばらくその場へ立っていた。


 職種が一つ付く。


 ただそれだけで。


 考えることが一気に増える。


 相手の攻撃だけを見ていればよかった戦いから、役割そのものを崩さなければならない戦いへ変わる。


「十九階層は、今日は到達までにしよう」


 ゆうきが言う。


 誰も反対しなかった。


「十八階層を抜けたら、帰還地点だけ登録して一度戻る。これ以上疲れてから先へ行くより、二十階層に備えた方がいい」


「賛成!」


 おむたろがすぐ槍を上げる。


「もう頭の中いっぱい! ナイトにガーディアンにメイジって、次は何なのって感じ!」


「バーサーカーもいたよぉ」


「それ忘れようとしてたのに!」


「忘れたら危ないよぉ」


「分かってるけど!」


 ももちゃんが小さく笑う。


 さめちゃんも口元を緩め、ちゃまの狐耳も少し揺れた。


 疲れてはいる。


 けれど、誰かが無理に明るく振る舞わなければならないほど、空気は重くなっていない。


 五人はそこで短い休憩を取り、十八階層の残りを進んだ。


 通常のオーガ。


 オーガバーサーカーを含む三体。


 オーガナイトと通常個体。


 どれも簡単ではない。


 それでも、最初のオーガナイトを見た時ほどの戸惑いはなかった。


 武器を見る。


 装備を見る。


 立っている位置を見る。


 誰を守ろうとしているのか。


 誰を狙おうとしているのか。


 名前を覚えただけでは足りない。


 役割を知る。


 そして、その役割に合わせて自分たちの動きを変える。


 第十八階層も終わりに近づいた頃。


 巨大な大斧を両手で握ったオーガバーサーカーが、咆哮とともに前へ出てきた。


 防御を考えていない。


 傷を受けることさえ無視して、とにかくこちらへ一撃を入れようとする。


 初めて見た時なら、その勢いに押されて全員が下がっていただろう。


「さめちゃん、左!」


「うん!」


 さめちゃんが真正面から外れる。


 バーサーカーの視線が彼女を追った。


「おむたろ!」


「任せて!」


 《彩域》。


 踏み込みが僅かに重くなる。


 大斧が振り下ろされた。


 さめちゃんが避ける。


 刃が床へ叩きつけられ、石片が跳ねた。


「ももちゃん!」


「ここだねぇ」


 ももちゃんも大斧を持っている。


 けれど、力比べはしない。


 相手の斧が床へ落ちた直後、その柄へ自分の大斧を叩き込む。


 衝撃でバーサーカーの手が開いた。


 巨大な斧が床を転がる。


「ゆうき!」


「ああ!」


 無防備になった脇へ入る。


 剣。


 傷を作る。


 すぐ離れる。


 武器を失っても、相手はオーガだ。


 拳が飛ぶ。


 空を切った。


「ちゃま!」


「いくよ!」


 光弾が顔の前で弾ける。


 傷を作るためではない。


 一瞬だけ視界を奪う。


「おむたろ!」


「これで終わり!」


 炎を纏った槍が胸元へ突き込まれた。


 オーガバーサーカーの巨体が止まる。


 力が抜けるように前へ傾き、その身体が黒い瘴気へ変わっていった。


 床へ落ちた魔石を見ながら、ゆうきは剣を下ろす。


 第十六階層。


 最初のオーガ一体。


 あれほど驚いた。


 棍棒の重さ。


 巨体が走る速さ。


 武器以外からも飛んでくる攻撃。


 今は。


 職種を持つ複数のオーガを相手に、それぞれが次に何をすべきか考えて動いている。


 急に強くなったわけではない。


 魔力量が倍になったわけでもない。


 誰かが新しい大技を覚えたわけでもなかった。


 最初に見た。


 失敗した。


 知った。


 次は少しだけ変えた。


 それを繰り返してきただけだ。


 けれど、その小さな積み重ねは、確かに五人をここまで連れてきていた。


     ◇


 第十九階層へ続く階段が見えた頃には、さすがに全員の足取りが重くなっていた。


「着いたぁ……!」


 おむたろが階段を見つけた途端、声を弾ませる。


「十九階層! 今日はここまで!」


「まだ降りてないよぉ」


「降りれば十九階層でしょ!」


「帰還地点まで行くんじゃなかったぁ?」


「ももね、こういう時だけ細かくない?」


「そうかなぁ」


 ももちゃんが小さく笑う。


 さめちゃんも肩の力を抜き、盾を持ち直した。


 ちゃまは一足先に階段へ近づき、下を覗き込む。


「静かだね」


「近くには何もいない」


 ゆうきも探知魔法を階段の先へ伸ばした。


 すぐ近くに魔物の反応はない。


「帰還地点まで行こう。登録さえ済ませれば、次は十九階層から始められる」


「じゃあ、ほんとにあとちょっと!」


 おむたろが元気を取り戻す。


 五人は階段を降りた。


 一段。


 また一段。


 足音だけが高い天井へ響く。


 十八階層より、さらに静かだった。


 第十九階層。


 最深部の一つ手前。


 壁に埋め込まれた魔力結晶の光は淡く、通路の奥までは届いていない。


 その入口付近に、学院が設置した帰還用の魔法陣があった。


「あった!」


 おむたろが指を差す。


「これ登録したら帰れるんだよね?」


「ああ」


 ゆうきは魔法陣へ近づき、手を触れた。


 足元に淡い光が流れ、学院から預かっている実習証へ魔力の記録が刻まれていく。


 さめちゃん。


 おむたろ。


 ももちゃん。


 ちゃま。


 ゆうき。


 一人ずつ登録を済ませる。


 これで次は、ここから始められる。


「……ふぅ」


 全部終わったのを確認してから、ゆうきはようやく大きく息を吐いた。


「今日は終わり」


「やったー!」


 おむたろが両腕を上げる。


「帰れる! ご飯! お風呂! ベッド!」


「その順番でいいの?」


 ちゃまが笑う。


「全部同じくらい大事だからいいの!」


「私はお風呂が先かな」


 さめちゃんが自分の服を見下ろした。


 戦闘でついた埃。


 石の粉。


 汗。


 身体には大きな傷こそないが、一日中ダンジョンを歩いた跡は十分に残っている。


「今日はいっぱい動いたから、さすがにちょっと汗かいたよ」


「私もぉ」


 ももちゃんが髪の後ろへ手を回し、リボンへそっと触れる。


「これも一回ちゃんと綺麗にしたいなぁ」


「気に入った?」


 おむたろがすぐ食いつく。


「うん。気に入ったよぉ」


「でしょー!」


「おむたろが出したわけじゃないだろ」


「一緒に取ったからいいの!」


 そんなやり取りを聞きながら、ゆうきはふと視線を横へ向けた。


 第十九階層の奥。


 魔力結晶の光が届かない先。


 まだ歩いていない道が、暗闇の中へ伸びている。


 そこにも、きっと職種を持ったオーガたちがいる。


 ナイト。


 ガーディアン。


 メイジ。


 バーサーカー。


 今日知ったものだけとも限らない。


 そして、その先。


 二十階層。


 このダンジョンの最深部。


「ゆうきくん?」


 さめちゃんの声がして、ゆうきは振り返った。


「ごめん。帰ろう」


「うん」


 さめちゃんも一度だけ暗い通路の先へ目を向ける。


「気になるよね。あと少しだから」


「ああ」


「でも、今日は帰ろう。疲れてる時に見に行っても、たぶんちゃんと見られないと思う」


 柔らかい声だった。


 止めるというより、確かめるような言い方。


 ゆうきは少しだけ笑った。


「そうだな」


「珍しいじゃん。ゆうきくんが先に行きたそうな顔するの」


 おむたろが横から顔を覗き込んでくる。


「そんな顔してた?」


「してたしてた。『ちょっとだけ先見ない?』って言いそうだった!」


「言わないよ。今日はここまでって決めただろ」


「じゃあよし!」


「何目線なんだよ」


「お姉さん目線?」


「同い年だろ」


「こっちではね!」


 おむたろが笑う。


 その言葉に、ゆうきの目がほんの少し細くなった。


 前なら、そこから昔の話へ繋がったかもしれない。


 けれど今は、それ以上触れなかった。


 ここで五人で過ごしている時間も、もう十分に自分たちのものになっている。


「帰るよぉ」


 ももちゃんが先に魔法陣へ乗った。


「明日じゃなくてもいいんだしぃ、ちゃんと休んでから来ようねぇ」


「ちゃまもいっぱい寝たい」


 ちゃまも隣へ入る。


「魔力はまだ平気だけど、身体は普通に疲れたもん」


「そこは回復じゃどうにもならないからな」


「寝るのが一番!」


「ちゃまちゃんが言うと説得力あるね」


 さめちゃんも魔法陣へ乗る。


 おむたろが続いた。


 最後にゆうきだけが残る。


 もう一度、第十九階層の奥を見た。


 暗い。


 何も見えない。


 音もない。


 それでも、第十六階層へ降りた時に感じたような不安はなかった。


 第十階層を越えたあと。


 一度、足を止めた。


 自分たちには知識が足りない。


 それを認めて、図書館へ行った。


 調べた。


 話した。


 学んだ。


 そして、戻ってきた。


 十一階層からオークと戦い。


 第十五階層でオークジェネラルを倒し。


 第十六階層で初めてオーガの一撃を見た。


 第十八階層では、職種を持つオーガとも戦った。


 知っていれば勝てるわけではない。


 力があれば、それだけで進めるわけでもない。


 仲間がいる。


 それだけでもきっと足りない。


 知らなかったものを知る。


 目の前で確かめる。


 自分にできることを知る。


 仲間が何を見ているのかを知る。


 そして、それをどう使えば五人で前へ進めるのか考える。


 何度も繰り返して。


 ようやくここまで来た。


「ゆうきくーん?」


 魔法陣の上から、おむたろが手を振った。


「置いてくよー!」


「置いていけないだろ。これ全員揃ってから起動するやつだぞ」


「じゃあ早く来て!」


「はいはい」


 ゆうきは暗い通路へ背を向けた。


 魔法陣へ足を乗せる。


「全員いる?」


 ちゃまが辺りを見回す。


「いるよ」


 さめちゃん。


「いるよぉ」


 ももちゃん。


「もちろん!」


 おむたろ。


 最後にゆうきも頷いた。


「ああ」


 魔法陣へ魔力が流れる。


 足元から白い光がゆっくりと立ち上り、五人を包んだ。


 第十九階層の冷たい空気が、光の向こうへ薄れていく。


 次にここへ来る時も。


 きっと、分からないことはある。


 見たことのない攻撃もある。


 今日までの知識が、そのまま通じない相手だっているかもしれない。


 それなら。


 また見ればいい。


 考えればいい。


 必要なら、止まればいい。


 五人で。


 白い光が視界を満たす。


 最後まで残っていた暗い通路も、やがて光の中へ消えていった。

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