第6話 再挑戦 前編
翌朝のルーメンは、薄い雲に覆われていた。
夜のあいだに少しだけ雨が降ったらしく、宿の窓から見える石畳はまだ濡れている。通りを走る荷馬車の車輪が水を跳ね、その音に混じって、店を開ける商人たちの声が遠くから聞こえてきた。
ゆうきはベッドの端に腰掛けたまま、膝の上に広げた数枚の紙へ目を落としていた。
昨日、国立魔導図書館で書き留めたものだ。
コボルトについての記録。その下には、今日から戦うことになるオークについて調べた内容が並んでいる。
体格。
筋力。
耐久力。
武器を失った後の行動。
突進。
組み付き。
そして、その横には自分なりに付け足した短い言葉があった。
それらを踏まえて再度の挑戦する。
ダンジョン、第十一階層。
転移魔法の淡い光が消えると、ひんやりとした空気が肌へ触れた。
第十階層までとは、少し雰囲気が違う。
岩肌を削って造られた通路そのものに大きな変化はない。それでも天井はわずかに高く、壁と壁の間も広い。ところどころに埋め込まれた魔力結晶の明かりが床を照らし、五人分の影を長く伸ばしている。
ゆうきはその場からすぐには動かず、周囲を見渡した。
昨日、国立魔導図書館で読んだ資料を思い返す。
第十一階層から現れるのは、オーク。
コボルトよりも大柄で、筋力も耐久力も高い。武器を扱う個体も多いが、武器を失わせたからといって安心できる相手ではない。太い腕で掴まれれば、それ自体が十分な脅威になる。
そして何より、正面から力比べをする必要はない。
「よし。まずは昨日調べたことを、歩きながら共有しようか」
ゆうきがそう言うと、隣で新しい槍を肩に担いでいたおむたろが、待ってましたとばかりに笑った。
「いいね! 今回は予習済みってわけだ。前みたいに実際に戦いながら相手の特徴を探すのも悪くないけど、知ってる状態でどれくらい変わるのかは試してみたいよね」
「でも、本に書いてあった通りに動くとは限らないから、そこは気をつけよう。知ってるつもりで決めつける方が危ないかもしれないし」
「うん。私も、最初は無理に受けないようにするね。どれくらい重い攻撃なのか分からないうちは、盾があるからって正面から止め続けない方がいいと思う」
さめちゃんが左腕の大盾を少し持ち上げる。
第五階層で手に入れたそれも、今ではすっかり彼女の装備として馴染んでいた。大きな盾を持つ小柄な身体という組み合わせは相変わらず少し不思議に見えるが、構えた時の安定感は最初の頃より明らかに増している。
三人の会話を聞きながら、ももちゃんは少し前方へ視線を向けていた。
急かされる様子もなく、ゆっくりと通路の奥を観察する。
「体が大きいならぁ、動き出す前は見やすいと思うよぉ。コボルトみたいに細かく入れ替わらないなら、私も見る場所を絞れそうかなぁ」
「ちゃまは後ろから見るね。大きい相手なら、前が塞がれちゃうこともありそうだし。みんなの姿が見えなくならないように気をつける」
ちゃまが巨大な魔石の付いた杖を両手で持ち直す。
その言葉を聞いて、ゆうきは一度全員の位置を確かめた。
先頭はさめちゃん。
その少し後ろを自分とももちゃん。
おむたろは状況に応じて左右へ動ける位置。
最後尾にちゃま。
第六階層へ入った頃には、毎回確認しながら決めていた隊列だった。
今は誰かが指示を出さなくても、自然とこの形になる。
ほんの数日。
それでも、五人で歩いてきた時間は確かに残っていた。
「じゃあ、行こう」
ゆうきの声に合わせて、五人が歩き始める。
靴音が岩の通路へ静かに響いた。
第六階層へ入った時は、曲がり角一つ進むにも慎重になっていた。コボルトがどこから現れるのか分からず、足跡や匂いを探しながら進んだものだ。
今回は少し違う。
警戒はしている。
けれど、必要以上に身体へ力は入っていない。
ももちゃんは床や壁を見ている。
ちゃまの耳は時折小さく動き、周囲の音を拾っている。
さめちゃんは前。
おむたろは横。
ゆうきはその全体を見ながら歩く。
自分一人で全部を見ようとはしていなかった。
そのことに気付いて、ゆうきは小さく息を吐いた。
少し前までなら、先頭へ出て探知魔法まで使い、できる限り自分で危険を見つけようとしていただろう。
今は違う。
自分に見えていないものを、仲間が見ている。
それを知っているだけで、随分と周囲を見る余裕があった。
「ゆうき」
ももちゃんの声がした。
足を止める。
ほぼ同時に、前を歩いていたさめちゃんも止まった。
「どうした?」
「いるよぉ。たぶん、二……ううん。三体かなぁ」
ももちゃんが通路の先を指差す。
緩やかに右へ曲がっているため、その先はまだ見えない。
ちゃまも耳を澄ませ、少し遅れて頷いた。
「ちゃまも聞こえる。足音が重いね。コボルトより、ずっとゆっくり歩いてる感じ」
「三体か。最初にしてはちょうどいいね」
おむたろが槍を肩から下ろした。
黒い柄を握ると、赤銅色の穂先が魔力結晶の光を鈍く反射する。
「それ、いきなり燃やさないでよ」
「えー」
「えー、じゃないって。まず普通の状態で戦ってみよう。相手の硬さも動きも分からないんだから」
「分かってるって! さすがに最初から全開では行かないよ。……ちょっと試したいとは思ってるけど」
笑いながら答えるおむたろに、さめちゃんが小さく笑った。
その間にも、重い足音が近づいてくる。
ひとつ。
また、ひとつ。
コボルトとは明らかに違う。
隠そうという意思すら感じられないほど、堂々とした足取りだった。
やがて曲がり角の向こうから、最初の一体が姿を現した。
ゆうきは思わず目を細める。
「……でかいな」
資料で知っていた。
授業でも姿絵を見た。
それでも、実際に対峙した時の印象は違う。
身長はゆうきより頭一つ以上高い。
分厚い胸板。
太い腕。
緑がかった褐色の皮膚の上から粗末な革鎧を身につけ、右手には幅広の鉈のような武器を持っている。
その後ろから、さらに二体。
一体は棍棒。
もう一体は何も持っていなかった。
「素手のやつもいる」
ゆうきが言う。
「本にあったやつだね」
おむたろの声から、先ほどまでの軽さが少しだけ消えた。
五人がそれぞれ武器を構える。
オークたちもこちらを認識した。
先頭の一体が低く唸り、鉈を持ち上げる。
次の瞬間。
走った。
「来るよ!」
さめちゃんが盾を構える。
しかし、正面から待ち構えたままではない。
オークが勢いを増す前に、自分から斜め前へ踏み出した。
鉈が振り下ろされる。
大盾がその軌道へ差し込まれた。
――ガァンッ!
金属音が通路へ響く。
さめちゃんの身体がわずかに沈んだ。
「っ……!」
止めた。
だが、軽くはない。
そのことは後ろから見ていたゆうきにも分かった。
「さめちゃん、離して!」
「うん!」
盾を傾ける。
鉈を真正面から押し返すのではなく、横へ流した。
オークの上半身がつられるように傾く。
そこへ、おむたろが飛び込んだ。
「よし、そこ!」
槍が低い位置から伸びる。
狙ったのは胴ではない。
膝。
穂先が革鎧に覆われていない場所を打ち、オークの足が止まった。
ゆうきも同時に踏み込む。
剣を横から振り、がら空きになった脇腹へ叩き込んだ。
硬い。
刃から腕へ、重い手応えが返ってくる。
ゴブリンやコボルトとは明らかに違った。
一撃で倒れない。
「まだ!」
後ろからちゃまの声。
傷を負ったオークが、ゆうきへ腕を伸ばしていた。
咄嗟に後ろへ跳ぶ。
太い指が、胸元を掠めた。
ほんの少し遅ければ掴まれていた。
着地しながら距離を取る。
「武器より腕の方が怖いな……!」
「だから言ったでしょ!」
「言ったの俺だよ!」
「そうだった!」
おむたろが笑いながら槍を引く。
だが、視線は敵から外れていない。
二体目が棍棒を振り上げていた。
そのさらに横から、素手のオークがさめちゃんを避けるように動く。
「右、抜けるよぉ」
ももちゃんの声。
ゆったりとした声とは裏腹に、大斧を展開する動きは一瞬だった。
手のひらほどだった装飾品が魔力を帯び、本来の巨大な姿へ戻る。
素手のオークが一歩踏み込む。
その瞬間には、ももちゃんはもう動いていた。
大斧が低く薙がれる。
狙ったのは足。
オークが咄嗟に止まった。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で十分だった。
「なもちゃん、そっち大丈夫だよぉ」
「うん。ありがとう」
さめちゃんが棍棒のオークへ向き直る。
棍棒が横薙ぎに迫る。
盾で受ける。
今度は完全に止めなかった。
衝撃軽減の効果を利用しながら、足を一歩滑らせるように後ろへ引き、勢いを逃がす。
「さっきより、いいかも」
小さく呟いたさめちゃんの顔に、わずかな余裕が戻る。
ゆうきはそれを確認してから、最初のオークへ視線を戻した。
脇腹を斬られ、膝を打たれている。
それでも立っている。
やはり耐久力が高い。
ならば。
「おむたろ。もう一回、足を崩せる?」
「任せて! 次はちょっとだけ新しいの試すよ!」
返事と同時に、おむたろの槍の魔石が赤く輝いた。
穂先へ薄い炎が纏わりつく。
大きな炎ではない。
刃の輪郭をなぞる程度の赤い火だ。
それでも、周囲の空気がわずかに熱を帯びた。
「いくよ!」
おむたろが走る。
オークが迎え撃つように鉈を振る。
その直前。
ゆうきはオークの足元へ魔力を流した。
無属性の念動。
相手を吹き飛ばせるほどの力はない。
ほんの少し。
踏み込もうとした足を、横へ押す。
「――っ!」
巨体が僅かに揺れた。
鉈の軌道がずれる。
おむたろはその横をすり抜け、炎を纏った穂先を傷ついた膝へ叩き込んだ。
鈍い衝撃音。
遅れて、焦げた匂いが広がる。
オークの膝が落ちた。
「ゆうきくん!」
「ああ!」
今度は迷わない。
ゆうきは踏み込み、剣を振り抜いた。
首元へ深く刃が入る。
オークの巨体が前へ傾き、そのまま床へ倒れた。
重い音が響く。
一体。
振り返る。
残る二体も、すでに形勢は崩れていた。
さめちゃんが棍棒の攻撃を受け流し、おむたろがその横へ回る。
素手の個体はももちゃんが距離を保ちながら動きを制限している。
ちゃまは後方。
まだ回復魔法は使っていない。
誰も大きな傷を負っていないからだ。
その代わり、戦場全体を見ている。
「ももちゃん、その子、次にゆうきくんの方へ行きそう!」
「うん。見えてるよぉ」
素手のオークが向きを変える。
ちゃまの予想通りだった。
仲間を一体倒したゆうきを狙ったのか、巨体がこちらへ向く。
走り出す。
ゆうきは剣を構えた。
受ける。
そう考えかけて、やめた。
昨日の本。
今朝の話。
そして、最初の一体と戦った感触。
正面から受ける理由はない。
半歩、横へ。
オークの腕が伸びる。
さらに一歩。
掴もうとした手が空を切った。
勢いのついた巨体は、すぐには止まれない。
「ももちゃん!」
「今だねぇ」
巨大な大斧が振るわれる。
今までの穏やかな動きが嘘のように鋭い。
刃がオークの背中へ叩き込まれた。
巨体が床へ倒れ込む。
それでも起き上がろうとしたところへ、ゆうきが剣を向ける。
今度は急がない。
相手の腕の届く範囲を見ながら、確実に仕留める。
少し離れたところで、最後の一体もさめちゃんとおむたろに追い込まれていた。
「なもちゃん、もう一回お願い!」
「うん。合わせるね」
棍棒が振り下ろされる。
さめちゃんが盾を斜めに構えた。
受け止めるのではなく、滑らせる。
棍棒が盾の表面を擦りながら地面へ落ちる。
オークの身体が前へ流れた。
そこへおむたろの槍が伸びる。
炎は纏わせていない。
足を払うように柄を引っ掛け、重心をさらに崩した。
さめちゃんが一歩前へ出る。
「ごめんね」
小さく呟いて。
大盾を押し込んだ。
完全に体勢を崩したオークが仰向けに倒れる。
その隙を逃さず、おむたろが槍を突き下ろした。
やがて、三体のオークが瘴気となって消えていく。
残された魔石が岩床へ転がった。
静けさが戻る。
「……ふぅ」
ゆうきは剣を下ろした。
最初の戦闘。
勝った。
誰も大きな怪我はしていない。
それでも、コボルトとの戦闘より一体一体の圧力は明らかに上だった。
「さめちゃん、腕大丈夫?」
「うん。最初の一回だけ、ちょっと重かったかな。でも、二回目からはちゃんと流せたから大丈夫だよ」
盾を下ろしたさめちゃんが、自分の左腕を軽く動かして確かめる。
痛みを隠している様子はない。
ちゃまも近づき、腕の動きを確認してから杖を下ろした。
「治すほどじゃなさそうだね。よかった。でも、何回も続いたら疲れそうだから、全部なもちゃんに任せない方がよさそう」
「そうだな」
ゆうきは頷く。
実際に戦ったからこそ分かる。
資料にあった「高い筋力」という一文と、盾越しに響く衝撃は別物だ。
それでも、知らなかった時とは違った。
最初から注意する場所を決められた。
武器を失った相手にも油断しなかった。
突進を真正面から止めるのではなく、避けるという選択肢を持てた。
「どう? 昨日のお勉強、役に立った?」
おむたろが槍をくるりと回そうとして、穂先の大きさに気付いたのか途中でやめる。
「かなり。少なくとも、最初から何を警戒すればいいか分かってたのは大きい」
「じゃあ図書館行った甲斐あったね! 私も今度、武器関係の本でも探してみようかな。これ、まだ全然使いこなせてないし」
おむたろは新しい槍を見下ろした。
先ほど纏わせた炎はすでに消えている。
「でもぉ、前の槍より似合ってると思うよぉ」
「ほんと? やった!」
「そこなんだ」
思わずゆうきが笑う。
重かった戦闘の空気が、少しだけほどけた。
魔石と素材を回収してから、五人は再び歩き始める。
第十一階層はまだ続いている。
その後も数体のオークと遭遇したが、最初ほど時間は掛からなかった。
一度知った重さ。
一度見た踏み込み。
そして、本で得た知識。
それらが少しずつ繋がっていく。
もちろん、全部が同じではない。
剣を持つ個体。
斧を使う個体。
革鎧を厚く着込んだ個体。
同じオークでも違いはある。
だからこそ、五人は戦う前に見るようになった。
何を持っているのか。
どちらの足から踏み込むのか。
どの程度の距離で走り始めるのか。
戦闘が始まってから考えるのではない。
出会った時から、戦いは始まっている。
第十一階層を抜ける頃には、その感覚が五人の中へ少しずつ馴染み始めていた。
◇
第十二階層へ降りてから、通路の形が変わった。
一本道が多かった第十一階層と違い、岩柱が点在する広い空間が増えている。
視界は開けている。
その代わり、敵も動きやすい。
広間の手前で、ゆうきたちは足を止めた。
奥に四体。
オークがいる。
二体は大剣。
一体は槍。
最後の一体は、他より少しだけ軽装だった。
「四体か」
ゆうきは岩陰から様子を見る。
まだこちらには気付いていない。
以前なら、この時点でどう仕掛けるかを考えていた。
今は、その前に見る。
「ももちゃん、どう?」
「ちょっと待ってねぇ」
ももちゃんは岩陰から僅かに顔を出し、しばらくオークたちを観察した。
視線。
立ち位置。
武器。
足。
呼吸。
彼女が何を見ているのか、ゆうきにはすべては分からない。
けれど、第六階層で《魂の共鳴》を通して、その感覚の一端には触れた。
ただ敵を見るのではない。
相手の動きへ繋がる情報を探す。
今では共鳴していなくても、ももちゃんがどこを見ているのか少しだけ想像できる。
「槍の子がぁ、たぶん最初に動くよぉ」
「理由、聞いていい?」
「他の三体より、ずっとこっち見てるからぁ。たぶん、もう気付いてると思う」
「え?」
おむたろが小さく声を漏らした。
その瞬間。
槍を持ったオークが吠えた。
残る三体が一斉にこちらを向く。
「ほんとだ!」
「来るよ。広いから囲まれないようにしよう!」
ゆうきの声と同時に、五人が岩陰から出る。
オークたちも動いた。
槍持ちが先行。
後ろから大剣の二体。
軽装の一体だけが少し外側へ回っている。
「右のやつ、回り込む!」
「私が見る!」
おむたろが右へ走った。
新しい槍を構え、軽装のオークとの間へ入る。
真正面から突き合うのではない。
相手が仲間の側面へ入れない位置を取る。
「こっちは通さないよ!」
オークが腕を振る。
おむたろは後ろへ跳んで避け、そのまま槍の石突きを地面へ当てた。
足元に、彼女にしか見えない色が広がる。
《彩域》。
ゆうきにはその色そのものは見えない。
ただ、おむたろの動きが僅かに速くなったことで、何かを自分へ付与したのだと分かった。
正面では、さめちゃんへ槍持ちが迫る。
「なもちゃん、槍は受けないで!」
ちゃまの声が後ろから飛ぶ。
「うん!」
さめちゃんは盾を構えながらも、穂先の正面から身体を外した。
突き出された槍を盾の側面で弾く。
甲高い音。
軌道を逸らされた穂先が横へ流れる。
そこへゆうきが入った。
剣を振る。
オークが槍の柄で受けた。
「硬っ……!」
力で押し返される。
ゆうきは逆らわず、一歩退いた。
その背後から、大剣を持つ二体が近づいている。
数が多い。
さめちゃん一人に集めれば、いずれ押し切られる。
「ももちゃん、左を任せていい?」
「いいよぉ。でも、一人じゃ倒すの時間かかるかもぉ」
「倒さなくていい。止めてくれれば十分」
「じゃあ、ゆっくり相手してるねぇ」
そう答えたももちゃんが大斧を構える。
大剣のオークが振り下ろす。
ももちゃんは受けない。
半歩ずれる。
巨大な刃が目の前を通り過ぎた直後、大斧の柄をオークの手首へ叩きつける。
武器を落とさせようとはしない。
ほんの少し、次の攻撃を遅らせる。
その判断が、妙にももちゃんらしかった。
勝つために急がない。
必要な時間だけ作る。
ゆうきは正面へ意識を戻した。
槍持ち。
大剣持ち。
二体。
「さめちゃん。大剣の方、俺が一回引く」
「分かった。槍の方を見るね」
位置を入れ替える。
大剣のオークがゆうきへ向いた。
大きく振りかぶる。
昨日なら、その威力を知らなかった。
今は知っている。
そして第十一階層で、どの程度まで身体が流れるのかも見た。
だから、攻撃そのものではなく足を見る。
右足。
踏み込む。
腰が回る。
剣が来る。
ゆうきはその直前に横へ走った。
大剣が地面へ叩きつけられる。
轟音。
岩の欠片が飛んだ。
けれど、もうそこにゆうきはいない。
「なるほど……!」
重い。
強い。
でも、その分だけ大きい。
避けた後には、時間がある。
剣へ無属性魔力を流す。
刃を強化。
振り下ろされた大剣を戻そうとしているオークの腕へ斬りつけた。
一度。
浅い。
二度目。
同じ場所。
オークが腕を引く。
そこで追わない。
怒ったオークが大剣を捨て、両腕を広げて突っ込んできたからだ。
「やっぱり来るか!」
武器を失ったら弱くなる。
そう決めつけていれば、ここで距離を詰めていた。
ゆうきはすぐに後ろへ退く。
オークの手が空を掴む。
「ゆうきくん、そっち!」
ちゃまの声。
見るより先に身体を沈める。
頭上を槍が通った。
さめちゃんと戦っていた個体が、こちらへ穂先を伸ばしていた。
「ありがとう!」
礼を言いながら横へ転がる。
立ち上がった時には、さめちゃんが槍持ちとの間へ戻っている。
「こっちは大丈夫。ゆうきくんはそっちをお願い」
「任せた!」
短いやり取り。
それだけで、それぞれが見るべき相手へ戻れる。
以前より明らかに迷いが少ない。
ゆうきは素手になったオークを見る。
太い腕。
大きな手。
まともに掴まれれば危険だ。
なら、近づかせない。
足元へ魔力を集中する。
念動力。
直接巨体を動かすのは難しい。
だから狙うのは、踏み出す瞬間。
オークが走る。
一歩。
二歩。
三歩目。
足が地面を離れた瞬間、横方向へ力を加えた。
僅かに着地点がずれる。
それだけで、走っていた巨体の重心は大きく傾いた。
「今!」
誰へ言ったわけでもなかった。
それでも、反応した者がいた。
おむたろだ。
右側の敵を《彩域》で鈍らせ、距離を取った直後だった。
「了解!」
炎を纏った槍が飛び込む。
穂先がオークの腿へ突き刺さった。
焼ける匂い。
オークが吠える。
「おむたろ、右!」
「分かってる!」
追撃せず、すぐ離れる。
先ほど相手をしていた軽装のオークが迫っていた。
その判断を見て、ゆうきは剣を握り直した。
前なら、おむたろが作った隙を見れば、すぐに倒しに行っていた。
今は違う。
周りを見る。
さめちゃん。
問題ない。
ももちゃん。
まだ大剣持ちを抑えている。
ちゃま。
後方。敵はいない。
おむたろ。
右の敵へ対応中。
なら。
「ここは俺が行く」
倒すべき相手を決める。
足を負傷したオークへ踏み込んだ。
剣が閃く。
一撃目を腕で防がれる。
二撃目。
身体強化。
無属性の魔力を脚へ集中し、一気に距離を詰める。
懐へ。
オークの腕が届くより内側。
剣を振り上げる。
刃が胸元を深く裂いた。
巨体が揺らぐ。
もう一度。
今度は首元。
オークが倒れた。
「一体!」
「じゃあ次、こっちもらうよ!」
おむたろが声を上げる。
軽装のオークを引きつけながら、ゆうきたちの方へ戻ってきた。
五人の距離が再び近づく。
分断されていた戦場が、一つへ戻る。
そこからは早かった。
さめちゃんが槍を弾く。
ももちゃんが大剣の振り下ろしを読み切る。
おむたろが《彩域》で動きを崩す。
ちゃまが死角を知らせる。
そしてゆうきが、空いた場所へ入る。
一人が一体を倒す戦いではない。
誰かが作った一瞬を、別の誰かが使う。
また次へ渡す。
最後の一体が倒れた頃には、五人とも息は上がっていた。
けれど、大きな傷を負った者はいなかった。
「……結構、変わったね」
ゆうきが息を整えながら言った。
おむたろが槍を肩へ乗せ、額の汗を腕で拭う。
「何が?」
「俺たち。第六階層の頃なら、四体相手にこんな動きできなかっただろ」
「あー、それはそうかも。最初は『誰がどれ行く?』って毎回確認してたもんね。今はなんとなく空いてるところに入るようになってるし」
「でもぉ、なんとなくで動いてるわけじゃないと思うよぉ」
ももちゃんが大斧を小さな装飾品へ戻しながら、ゆっくりと続ける。
「みんなが何をするか、前より分かるからじゃないかなぁ。なもちゃんが前にいたら、そこは大丈夫って思えるし。おむが横に行ったら、何かするんだろうなぁって待てるしねぇ」
言われてみれば、その通りだった。
相手の能力を知った。
戦い方を知った。
癖を知った。
だから、全部確認しなくても動ける。
ゆうきは第六階層で交わした会話を思い出した。
仲間を知ることは、信じるための材料になる。
あの時は、まだ言葉として理解していただけだった。
今は少しだけ、それが身体に馴染んできている。
「みんな、ちょっと休もう。急いで次へ行かなくても大丈夫だよ」
さめちゃんが壁際の安全そうな場所を指差す。
誰も反対しなかった。
五人はそこで短い休憩を取った。
水を飲み、装備を確認する。
ちゃまも杖を膝の上へ置き、壁へ背を預けた。
まだ《星降る祈り》を使うほどの傷はない。
それでも長時間ダンジョンを歩けば、魔力も体力も少しずつ減っていく。
「ちゃま、疲れてない?」
ゆうきが尋ねる。
「大丈夫だよ。今日はまだほとんど治してないから、痛いところもないし。でも、後半のこと考えたらちゃんと休んでおいた方がいいよね」
「十五階層まで行く予定だからな。無理そうなら途中で戻ろう」
「うん。ちゃまも無理そうだったらちゃんと言うね。前で頑張ってるみんながいるのに、ちゃまだけ黙って倒れたら困らせちゃうもん」
明るく言って、ちゃまは水筒へ口をつけた。
その言葉を聞きながら、ゆうきは少しだけ安心した。
ちゃまの《星降る祈り》は強力だ。
だからこそ、無理をさせたくない。
治した傷の痛みを、自分で引き受ける。
そのことを知る前と後では、回復を頼む時の感覚も変わった。
仲間の能力を知る。
それは、便利な部分だけを知ることではない。
どこまで頼っていいのか。
何をさせてはいけないのか。
そこまで含めて知ることなのだろう。
休憩を終えた五人は、第十二階層の探索を再開した。
その後も何度かオークと遭遇したものの、先ほどの四体ほど苦戦することはなかった。
無理に倒し急がない。
正面から力をぶつけない。
武器を落とした相手にも近づきすぎない。
ひとつひとつ、昨日得た知識を確かめるように進んでいく。
やがて下層へ続く階段が見つかった。
◇
第十三階層。
ここへ降りてしばらくしたところで、最初に異変へ気付いたのはちゃまだった。
「ねえ、ちょっと待って」
狐の耳がぴんと立つ。
先頭を歩いていたさめちゃんが止まり、後ろの三人も続いた。
「どうした?」
「今、何か聞こえた気がする。魔物の足音じゃなくて……なんだろう。石が動いたみたいな音」
ちゃまが右側の壁へ顔を向ける。
一見すると、何の変哲もない岩壁だった。
ゆうきも近づいてみる。
触れる。
冷たい石の感触。
「この辺?」
「もうちょっと奥かな。たぶん」
ちゃまが数歩進む。
ももちゃんも壁を眺めながら、その後ろについていった。
やがて、少しだけ色の違う岩の前で立ち止まる。
「ここぉ、変かも」
「変?」
「うん。線があるよぉ」
指先が岩壁をなぞる。
よく見なければ分からない。
だが確かに、縦に細い切れ目がある。
自然に割れた岩とは違う。
「扉……?」
ゆうきが呟く。
おむたろが横から覗き込んだ。
「隠し部屋ってやつ? いいじゃん、こういうの! ダンジョンっぽくなってきた!」
「まだそうとは決まってないよ」
「でも、ちょっとわくわくしない?」
「するけど」
「するんじゃん!」
おむたろが楽しそうに笑う。
さめちゃんも少しだけ口元を緩めていた。
ただし、すぐには触れない。
宝箱や隠し部屋があるなら、罠の可能性もある。
昨日読んだダンジョンの資料にも書かれていた。
学院管理下だからといって、すべてが安全に作り変えられているわけではない。
「探知してみる」
ゆうきは壁から少し離れ、目を閉じた。
無属性魔法。
魔力を薄く広げる。
岩壁。
その奥。
空洞がある。
「やっぱり部屋だ。そんなに広くない」
「中に魔物はぁ?」
「待って」
さらに探る。
動く反応はない。
ただ、中央付近に魔力を帯びた何かがある。
「生き物はいないと思う。でも、真ん中に何かある」
「宝箱じゃない?」
おむたろの声が少し弾む。
「可能性はあるな」
「よし、開けよう!」
「扉の開け方から探そうよ」
「分かってるって!」
おむたろは笑いながらも、勝手に壁へ触れようとはしなかった。
五人で周囲を調べる。
壁。
床。
近くの岩。
少し時間は掛かった。
結局、仕掛けを見つけたのはももちゃんだった。
「これかなぁ」
壁際。
腰ほどの高さに、小さく突き出た石がある。
自然な岩の一部にしか見えない。
「押す?」
「ちょっと待って。全員離れよう」
ゆうきの言葉で、ももちゃん以外が距離を取る。
ももちゃんも大斧をいつでも展開できるよう手を添えながら、石へ指を掛けた。
「押すよぉ」
ゆっくり押し込む。
ごとり。
内部で何かが動いた。
直後、岩壁が低い音を立てながら横へずれていく。
埃っぽい空気が流れ出した。
その先には、小さな部屋があった。
壁に埋め込まれた魔力結晶が淡く灯り、中央だけを照らしている。
そして。
「あった!」
おむたろが指差す。
部屋の中央。
石造りの台座。
その上に、小さな宝箱が置かれていた。
「ほんとに宝箱だね」
さめちゃんが少し驚いたように目を瞬かせる。
「第十階層の報酬とは違うな」
ゆうきは入口から中を観察した。
ボスを倒した後に現れたものではない。
探索中に見つけた隠し部屋。
昨日までなら、宝箱を見つけたこと自体に意識を取られていたかもしれない。
今はまず床を見る。
壁を見る。
天井を見る。
不自然な魔力の流れがないか確かめる。
「罠は……たぶんない」
「たぶん?」
「絶対とは言えない」
「じゃあ慎重に行こう。宝箱が逃げるわけじゃないし」
さめちゃんの言葉に、全員が頷いた。
五人で少しずつ近づく。
何も起きない。
台座の前まで来る。
宝箱は両手で抱えられるほどの大きさだった。
古びてはいるが、壊れてはいない。
「誰が開ける?」
おむたろが聞く。
視線が自然とゆうきへ集まった。
「なんで俺?」
「だって、こういう時はゆうきくんかなって」
「どういう基準だよ」
「なんとなく!」
即答される。
ももちゃんが小さく笑った。
「開けていいと思うよぉ。変な魔力の動きもないしねぇ」
「分かった」
ゆうきは宝箱の前へしゃがむ。
念のためもう一度探知。
問題はなさそうだ。
金具へ手を掛ける。
「開けるぞ」
ゆっくり蓋を持ち上げた。
何も飛び出してこない。
中に入っていたのは、一つだけだった。
「……指輪?」
銀色の細い指輪。
派手な装飾はない。
中央に、淡い青緑色の小さな魔石が埋め込まれている。
ゆうきが手を伸ばしかけると、おむたろが隣から覗き込んだ。
「装備品っぽいね。誰用だろ?」
「まず効果を調べよう」
学院から渡されている簡易鑑定用の魔道具を取り出す。
指輪へ近づけると、表面へ淡い文字が浮かび上がった。
ゆうきはその内容を読み、少し目を見開いた。
「魔力の自然回復を補助する指輪だって」
「おお、当たりじゃん!」
おむたろが嬉しそうな声を上げる。
さめちゃんとももちゃんも近づいてくる。
ちゃまだけが少し後ろから宝箱を覗いていた。
「魔力回復かぁ」
ももちゃんが指輪を見る。
「誰が使っても便利そうだねぇ」
「そうだな」
ゆうき自身も魔法を使う。
おむたろも《彩域》を使う。
ももちゃんも大斧の展開や戦闘で魔力を使うし、さめちゃんにも魔力は必要だ。
誰が持っても無駄にはならない。
けれど。
ゆうきは指輪を見てから、ちゃまへ視線を向けた。
「ちゃまが持つのがいいと思う」
「え、ちゃま?」
金色の瞳が丸くなる。
「うん。《星降る祈り》を使う時、一番魔力を残しておいてほしいのはちゃまだと思う。回復が必要になる時って、だいたい俺たちの誰かが余裕なくなってる時だろ。その時にちゃまの魔力まで足りなかったら困る」
「私も賛成だよ」
さめちゃんがすぐに頷いた。
「ちゃまちゃんが後ろにいてくれると安心するから。少しでも魔力が戻りやすくなるなら、その方がいいと思う」
「うんうん。私もそれがいいと思う! こういうのは一番必要な人が使うのが一番でしょ。ちゃま、遠慮したらそのまま指にはめるからね?」
おむたろが冗談めかして指輪へ手を伸ばす。
「えぇ、それは自分でつけるよ!」
ちゃまが慌てて宝箱へ近づいた。
その様子に小さな笑いが起こる。
ももちゃんも微笑みながら、ゆっくり頷いた。
「ちゃまがいいと思うよぉ。回復してもらうの、私たちだしねぇ」
「……じゃあ、もらっていい?」
ちゃまは少しだけ申し訳なさそうに全員を見る。
「もちろん」
ゆうきが指輪を取って渡す。
ちゃまは両手で受け取った。
小さな指輪をしばらく眺める。
それから、右手の指へゆっくりとはめた。
青緑色の魔石が淡く光る。
「あ……」
「どう?」
「なんとなくだけど、分かる。すぐに魔力が増えるって感じじゃないけど、少しずつ戻ってくる感じがするよ」
ちゃまが自分の手を光へかざす。
指輪の魔石が、彼女の魔力に馴染むように柔らかく明滅していた。
「似合ってるじゃん!」
「ありがとう。……大事にするね」
ちゃまはそう言って、指輪を付けた手を胸元へ寄せた。
大げさなものではない。
それでも、その顔は少しだけ嬉しそうだった。
ゆうきは宝箱の中が空になったことを確認してから立ち上がる。
第五階層では、さめちゃんの盾。
第十階層では、おむたろの槍。
そして今度は、ちゃまの指輪。
誰か一人だけが強くなるのではない。
少しずつ、それぞれに必要なものが揃っていく。
「じゃあ、行こうか。まだ十三階層だからな」
「はーい! 次は私の槍みたいなのもう一本落ちてないかな!」
「おむはもう貰ったでしょぉ」
「二本あってもいいじゃん!」
「槍二本どうやって使うんだよ」
「そこはこれから考える!」
賑やかな声を残しながら、五人は隠し部屋を出た。
岩壁の仕掛けを抜け、元の通路へ戻る。
探索を再開してからしばらくすると、再びオークの群れと遭遇した。
今度は五体。
これまでで最も多い。
だが、最初の戦闘ほどの戸惑いはなかった。
戦う前に武器を見る。
位置を見る。
どの個体が先に動きそうなのかを考える。
ももちゃんが観察し、ちゃまが音を拾う。
ゆうきが探知魔法で死角を補う。
そして、相手が動くより少しだけ早く、五人が位置を変える。
戦闘は決して楽ではなかった。
オークの一撃は重く、耐久力も高い。
さめちゃんの盾へ何度も鈍い衝撃が響き、おむたろの槍も一撃で深くは通らない。
それでも、誰か一人へ攻撃を集中させない。
受ける者を固定しすぎない。
危険な攻撃は避け、崩せる時だけ崩す。
時間を掛けて、一体ずつ数を減らした。
途中、ゆうきの肩へ大剣の柄が掠めた。
強い衝撃。
骨までは届いていない。
それでも腕を上げると痛みが走った。
「ゆうきくん、ちょっと待って!」
戦闘が終わると、ちゃまがすぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫。これくらいなら――」
「それ、言わないの。動かして痛いなら、ちゃんと見せて」
いつもの明るさを残しながらも、言葉には少しだけ強さがあった。
ゆうきは反論せず、肩を見せる。
ちゃまが杖を向けた。
淡い光が広がる。
肩の痛みがゆっくりと引いていく。
同時に、ちゃまの表情が僅かに歪んだ。
ゆうきはそれを見逃さなかった。
「ちゃま」
「大丈夫だよ。このくらいなら、ほんとにちょっと痛いだけだから」
ちゃまは笑う。
右手の指輪が淡く光っていた。
失った魔力を、ほんの少しずつ補っている。
それでも。
魔力が戻ることと、痛みを肩代わりすることは別だ。
その指輪があるから無理をさせていいわけではない。
「ありがとう。でも次から、これくらいなら少し様子を見るよ」
「うん。でも、本当に必要な時はちゃんと言ってね。ちゃまが治せるのに我慢される方が困るから」
「分かった」
そのやり取りを聞いていたさめちゃんが、安心したように小さく笑った。
五人はそこで少し長めの休憩を取った。
第十三階層を抜けた頃には、探索を始めてからかなり時間が経っていた。
◇
第十四階層へ降りる。
ここまで来ると、五人の疲労も少しずつ積み重なっていた。
歩く速度は変わっていない。
会話もある。
それでも、第十一階層へ入った直後のような軽さはない。
ゆうきは自分の足だけでなく、仲間の様子を見る。
さめちゃんは大盾を持つ腕を時折軽く振っている。
おむたろは元気そうだが、新しい槍を持つ手を何度か入れ替えている。
ももちゃんはいつも通りに見える。
ちゃまも問題なさそうだ。
右手の指輪は今も時折淡く光っている。
「ここ抜けたら、十五階層だよね?」
おむたろが前を見ながら言う。
「ああ。ただ、今日はボスとは戦わない。部屋の前まで確認したら戻るつもり」
「賛成。さすがにこのままジェネラルは嫌かな。戦えないわけじゃないけど、万全で行った方がいいよね」
そう言って、おむたろは槍を持ち直した。
普段なら「行ける行ける」と先へ進みそうな彼女が、自分からそう判断する。
ゆうきは少し意外に思ったが、すぐに納得した。
おむたろは勢いだけで動くわけではない。
明るく見えても、周囲はよく見ている。
「私も、一度休んでからの方がいいと思う。盾は大丈夫だけど、腕に少し疲れが残ってるから」
さめちゃんも正直に状態を伝える。
「じゃあ決まりだな。今日は十五階層の入口まで」
「うん。ゆっくり行こう」
ももちゃんが柔らかく答えた。
第十四階層の攻略は、これまでより静かに進んだ。
オークとの戦闘は何度かあった。
けれど、もう一戦ごとに立ち止まって長く話し合うことはない。
二体なら、さめちゃんとももちゃんが前を止める。
おむたろが側面へ入り、ゆうきが空いた場所を埋める。
三体なら、まず武器と位置を確認する。
突進してくる個体は避ける。
重い武器を持つ個体には振らせ、空いた時間を使う。
ちゃまは必要な時だけ声を出す。
誰かが小さな傷を負っても、すぐに《星降る祈り》を使うわけではない。
戦闘を続ける上で支障があるのか。
自然に治る程度なのか。
それを本人と確認してから判断する。
知識を得たから、急に強くなったわけではない。
剣の威力が上がったわけでもない。
魔力量が増えたわけでもない。
それでも、無駄な動きは減った。
無駄に受ける攻撃も減った。
誰か一人へ負担を押し付ける場面も、少しずつ少なくなった。
それが積み重なることで、同じ相手との戦いが以前より短くなる。
ゆうきは最後のオークから剣を引き抜き、一歩下がった。
巨体が瘴気へ変わる。
「終わり」
剣を振って付着したものを払い、鞘へ戻す。
「みんな、大丈夫?」
「私は大丈夫だよ」
さめちゃんが答える。
おむたろも槍を持ち上げた。
「私も平気! さすがにちょっと疲れたけど、歩くくらいなら全然問題なし」
ももちゃんは小さく頷く。
ちゃまも杖を支えにすることなく、自分の足で立っている。
五人とも疲れている。
けれど、余力は残っている。
それくらいがちょうどいい。
「じゃあ、階段探して終わろう」
探索を続ける。
しばらくして、通路の先から僅かに空気の流れを感じた。
ゆうきが足を止める。
「こっちかな」
「うん。広いところに出そうだねぇ」
ももちゃんも同じ方向を見る。
進む。
通路が少しずつ広がる。
天井も高くなっていく。
やがて。
五人の前に、下へ続く大きな石階段が現れた。
「見つけた」
ゆうきはその先を見下ろす。
第十五階層。
五階層ごとに存在するボス。
ここまでの規則が同じなら、待っているのはオークジェネラルだ。
階段を下りる。
一段。
また一段。
誰も急がない。
下へ進むほど、空気が僅かに重くなっていくような感覚があった。
やがて階段が終わる。
その先には短い通路。
そして。
巨大な石扉。
第十階層で見たものより、一回り大きく感じた。
扉の表面には、古い傷が無数に刻まれている。
五人は少し離れた場所で立ち止まった。
「……ここだな」
ゆうきが呟く。
誰も扉へ近づかない。
今日はここまで。
最初から決めていた。
「オークジェネラルかぁ」
おむたろが石扉を見上げる。
「取り巻きもいるんだよね?」
「たぶん十体前後。今までと同じなら、ジェネラルが指揮してくる」
「今日戦ったオークが十体くらい。それにジェネラル……やっぱり、一回戻って正解だね」
さめちゃんが静かに言った。
その声に怖がっている様子はない。
ただ、自分たちの状態と相手の戦力を比べている。
「私もそう思うよぉ。今日はいっぱい見れたしねぇ」
ももちゃんは扉ではなく、仲間たちを見ていた。
ゆうきも今日一日を思い返す。
第十一階層。
初めて戦ったオークの重さ。
第十二階層。
広い場所での四体との戦闘。
第十三階層。
隠し部屋と、ちゃまが手に入れた指輪。
第十四階層。
戦い方を確認する必要さえ少なくなっていった。
昨日まで、本の中にあった知識。
今日はそれを、自分たちの身体で確かめた。
全部が正しかったわけではない。
本には載っていない違いもあった。
けれど、知らずに来た時とは明らかに違う。
「明日は、今日みたいにはいかないだろうな」
ゆうきが言うと、おむたろが横を見る。
「ジェネラルだから?」
「ああ。それに取り巻きもいる。普通のオーク相手に通用したやり方を、そのまま使えるとは思わない方がいい」
「じゃあ、また考えればいいじゃん」
おむたろはあっさりと言った。
「今日分かったこともあるし、相手が違ったらその時また変えればいいでしょ。私たち、最初の頃よりはそういうの得意になってると思うよ」
その言葉に、ゆうきは少しだけ目を瞬いた。
隣では、さめちゃんが小さく頷いている。
「うん。私も、前よりみんなの動きが分かるようになったよ。だから、明日もちゃんと周りを見ながら戦えば大丈夫だと思う」
「ちゃまも見るよ。今日みたいに、危ないところがあったらちゃんと声出すから。回復もあるし、指輪ももらったからね」
ちゃまが右手を少し持ち上げる。
青緑色の魔石が、薄暗い通路の中で淡く光った。
ももちゃんは石扉を見上げてから、いつものようにゆっくり笑う。
「ジェネラルがどんな動きするのかぁ、明日ちゃんと見てみるねぇ。今日のオークと同じところも、違うところもあると思うからぁ」
「……そっか」
ゆうきはもう一度、扉を見る。
第十階層では。
戦いながら、答えを探した。
コボルトジェネラルの癖をももちゃんが見抜くまで、決定打を作れなかった。
だから図書館へ行った。
もっと知ろうと思った。
そして今。
また次の扉の前に立っている。
けれど、あの時とは少し違う。
自分だけが何かを考えているわけではない。
全員が見ている。
全員が考えている。
自分とは違うものを、それぞれの場所から。
ゆうきは扉へ背を向けた。
「戻ろう。明日、またここからだ」
「了解!」
おむたろが明るく答える。
五人は来た道を戻り始めた。
石扉は開けない。
その向こうにいるものも、まだ見ない。
焦る必要はなかった。
今日知ったことを持ち帰り、休んで、考える。
そして次は、五人であの扉を開く。
階段へ向かう途中、ゆうきは一度だけ振り返った。
薄暗い通路の向こう。
巨大な石扉は、何も言わずそこに立っている。
その向こう側から、低く何かが響いた気がした。
声なのか。
足音なのか。
それとも、ただのダンジョンの音なのか。
確かめる者はいなかった。
ゆうきは前へ向き直り、仲間たちの後を追った。




