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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
間章 獣人の約束

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第8話 積み重ねた足跡 中編


 熱線が石床を抉り、赤く焼けた亀裂を残した。


 カイは右へ転がりながら大剣を引き寄せ、スイは反対側へ跳ぶ。二人の間を走り抜けた熱が、背後の石扉へ直撃した。


 重い衝撃音。


 開いていたはずの扉がわずかに軋み、天井から細かな砂が降る。


「出口、塞がれてない?」


 スイが体勢を立て直しながら叫ぶ。


「まだ開いてる!」


 カイは一度だけ背後を確認した。


 石扉は完全には閉じていない。だが、熱で歪んだ岩が床へ落ち、入口の半分近くを塞いでいた。


 今なら抜けられる。


 けれど、戦いが長引けばどうなるか分からない。


「スイ!」


「分かってる!」


 《私の箱庭》が薄く広がる。


 迷宮の主の全身が、魔力の輪郭としてスイの意識へ重なった。


 大きい。


 これまでに戦ったどのゴーレムよりも、遥かに巨大だった。


 岩で覆われた胴体。


 四本の脚。


 金属質の角。


 腹の奥には、溶けた鉱石のような魔力が循環している。


 核らしき反応は一つではない。


「カイ、核が分からない!」


「ないのか?」


「違う。身体の中に大きな反応が三つある!」


「全部壊せってことか?」


「まだ分からない!」


 迷宮の主が前脚を持ち上げる。


 地面へ叩きつけた瞬間、床全体が大きく揺れた。


 石が波打つ。


 足元から岩の槍が突き出し、二人を追うように連続して伸びてくる。


「止まるな!」


 カイは大剣を肩へ担ぎ、横へ走った。


 昨日までの疲労はない。


 身体も十分に動く。


 それでも、岩の槍は速かった。


 一歩遅れれば、脚を貫かれる。


 カイは最後の一本を大剣で叩き折り、そのまま敵へ向かって踏み込んだ。


「正面は危ない!」


「分かってる。脚を見る!」


 巨体の左前脚。


 硬い岩で覆われているが、関節部分だけ魔力の流れが細い。


 カイは振り下ろされた爪を避け、地面すれすれまで身体を沈める。


 すれ違いざま、大剣を関節へ叩き込んだ。


 高い金属音が響く。


「硬っ!」


 刃は表面を僅かに削っただけだった。


 弾かれた衝撃が両腕へ返る。


 指先が痺れ、大剣を落としかけた。


「カイ、下がって!」


 スイの風魔法が横から入り込む。


 狙ったのは敵ではない。


 カイの身体を後ろへ押し戻し、振り下ろされた尾から逃がす。


 巨大な尾が床を叩く。


 破片が散り、カイの頬を掠めた。


「助かった!」


「普通に斬っても無理だよ!」


「じゃあ、どうする?」


「今見てる!」


 スイは敵から距離を取り、《私の箱庭》を胴体の奥へ集中させた。


 三つの大きな魔力反応。


 頭。


 胸。


 尾の付け根。


 すべてが同じ強さで脈動している。


 その間を、熱い魔力が巡っていた。


「三つが繋がってる」


「同時に壊す?」


「たぶん違う。どれか一つだけなら、他から魔力が流れて直るかも」


「面倒だな」


「嬉しそうにしないで」


「してないって!」


 迷宮の主が頭を低くする。


 二本の角へ赤い光が集まった。


「また熱線!」


 スイが叫ぶ。


 今度は一本ではない。


 角の間から広がった光が、扇状に空間を焼いた。


 逃げ場が狭い。


 カイはスイの方へ駆ける。


「跳べ!」


「何するの?」


「壁作る!」


 カイが土魔法を地面へ叩き込む。


 二人の前へ分厚い岩壁が立ち上がった。


 熱線がぶつかる。


 岩の表面が一瞬で赤く染まり、溶け始める。


「持たない!」


「少しでいい!」


 カイはスイの腰を抱え、そのまま横へ飛んだ。


 直後、岩壁が崩れる。


 溶けた石が床へ降り注ぎ、二人がいた場所を焼いた。


 スイは転がりながらカイの腕から抜け、すぐに立ち上がる。


「急に抱えないで!」


「説明してる時間なかっただろ!」


「せめて一言!」


「跳べって言った!」


「何するか分からないじゃん!」


「でも避けられた!」


「そうだけど!」


 言い合う間にも、迷宮の主は次の動きへ移っている。


 赤い亀裂が胴体から脚へ広がった。


 巨体が沈む。


「来るぞ!」


 魔物が突進した。


 岩山そのものが動いたような迫力だった。


 正面から受ければ、防御ごと押し潰される。


 二人は左右へ分かれる。


 迷宮の主はカイを追った。


「こっちかよ!」


 カイは壁際へ走る。


 巨体の進路を引きつけ、ぎりぎりのところで横へ跳んだ。


 金属の角が岩壁へ突き刺さる。


 轟音。


 壁に大きな亀裂が走り、魔物の頭が一瞬だけ固定された。


「今!」


 スイが駆け寄る。


 ショートソードへ風魔法を纏わせ、露出した首の隙間へ刃を差し込んだ。


 だが、浅い。


 岩と岩の間に、さらに硬い金属質の膜がある。


「中まで届かない!」


「離れろ!」


 迷宮の主が首を振る。


 角が壁を砕き、石の破片が飛び散った。


 スイは身を屈めて避けたが、一つが左肩へ当たる。


「ぐっ……!」


「スイ!」


「大丈夫! 掠っただけ!」


 カイの胸の奥が熱くなる。


 《愛を求める怪獣》が強く反応した。


 視界が研ぎ澄まされる。


 疲労が薄れ、身体へ力が満ちていく。


 同時に、スイの箱庭から流れ込む魔力が、動きをさらに軽くした。


「カイ、無理に出ないで!」


「分かってる!」


 以前なら、そのまま正面へ飛び込んでいた。


 今は違う。


 力が高まったからこそ、使う場所を選ぶ。


 カイは敵の動きを見る。


 角。


 脚。


 尾。


 三つの魔力反応。


 それぞれが攻撃の直前に強く光っている。


「スイ!」


「なに?」


「三つの核、攻撃する時に動いてないか?」


 スイは再び意識を集中させた。


 迷宮の主が尾を持ち上げる。


 その瞬間、尾の付け根にあった反応が弱まり、胸の反応が大きくなる。


「動いてる!」


「核じゃなくて、魔力を溜める場所か?」


「三つの間を移動してる。攻撃する場所へ魔力を集めてるんだと思う!」


「じゃあ、本体はどこだ?」


「流れの中心……」


 スイは目を閉じる。


 大きな反応だけを追っていては見つからない。


 三つを繋ぐ魔力の流れ。


 頭から胸。


 胸から尾。


 尾から再び頭へ。


 その循環が、胴体の奥で僅かに交差していた。


「腹の下!」


 スイが目を開く。


「三つの流れが、腹の奥で一度重なってる!」


「そこが核か!」


「たぶん。でも、岩に覆われてる!」


「開ければいいんだろ」


 迷宮の主が再び突進の姿勢を取る。


 カイは大剣を地面へ立て、柄を両手で握った。


「また壁へぶつける気?」


「同じのは効かないかもしれない」


「じゃあ、どうするの?」


「脚を止める」


「その大きさを?」


「一瞬でいい!」


 カイは土魔法を足元へ流した。


 迷宮の床は硬い。


 通常なら、少し盛り上げるだけでも多くの魔力が必要になる。


 スイの《私の箱庭》が、流れを整える。


 カイの魔力が地面へ深く入り込み、敵の進路へ広がった。


「来る!」


 巨体が走り出す。


 地面が揺れる。


 カイは動かない。


「カイ!」


「まだ!」


 距離が縮まる。


 二十歩。


 十歩。


 五歩。


「今!」


 カイが大剣の柄を踏みつけた。


 前方の床が大きく裂ける。


 深い穴ではない。


 だが、迷宮の主の前脚が沈むには十分だった。


 巨体の均衡が崩れる。


 角が地面へ突き刺さり、腹部が持ち上がった。


「スイ!」


「見えてる!」


 スイは魔力を足へ集め、一気に距離を詰めた。


 持ち上がった腹の中央。


 岩の隙間から、青白い光が漏れている。


「そこ!」


 ショートソードを突き立てる。


 刃が岩の隙間へ入った。


 だが、奥の核までは届かない。


「硬い!」


 迷宮の主が暴れる。


 前脚を引き抜こうと、地面を削る。


 スイの身体が揺さぶられ、剣が抜けそうになる。


「離れろ!」


 カイが叫ぶ。


「もう少し!」


「潰される!」


 尾が迫る。


 カイは駆け込み、大剣で受け止めた。


 重い衝撃。


 両足が床を滑り、傷の治ったばかりの肩へ痛みが走る。


「ぐっ……!」


「カイ!」


「俺はいい! 早く!」


 スイは歯を食いしばり、ショートソードへ風魔法を重ねた。


 刃の周囲で風が細く渦巻く。


 金属を削るような音が鳴った。


 岩の隙間が少しずつ広がる。


「あと少し……!」


 迷宮の主の脚が穴から抜けかける。


 カイの大剣も、尾に押し負けていた。


「スイ、下がれ!」


「でも核が!」


「一回で終わらせなくていい!」


 その言葉に、スイの手が止まった。


 目の前に核がある。


 今離れれば、また隠される。


 それでも。


 二人で帰る。


 昨日、決め直したばかりだった。


「分かった!」


 スイはショートソードを引き抜き、地面を蹴る。


 カイも尾を受け流し、同時に後退した。


 次の瞬間、迷宮の主が身体を起こす。


 腹部が再び地面へ沈み、核は岩の奥へ隠れた。


「惜しかった」


 カイが息を切らしながら笑う。


「惜しかったじゃないよ。肩!」


「少し痛いだけ」


「さっき聞いた」


「今度は本当に少し」


 スイはカイの肩を確認した。


 防具の下から血は出ていない。


 だが、強い衝撃を受けたせいで、腕が僅かに震えている。


「次は私が尾を止める」


「無理だろ」


「止めるんじゃなくて、逸らす。カイは腹を開いて」


「ショートソードで核まで届かないぞ」


「穴は作った。次は、カイの大剣なら届く」


 迷宮の主がこちらを向く。


 腹の岩には、スイが削った細い傷が残っていた。


 一度では倒せない。


 なら、同じ場所を少しずつ崩せばいい。


「もう一回やる?」


「同じ方法は警戒されると思う」


「じゃあ変える」


 スイは敵の周囲へ意識を広げた。


 床。


 壁。


 天井。


 先ほどの突進で、右側の壁に大きな亀裂が入っている。


 崩れかけた岩が、天井近くで引っかかっていた。


「カイ。右の壁まで誘導して」


「またぶつける?」


「今度は上を落とす」


「分かった」


「でも、真下には入らないでよ」


「それくらい分かる」


「カイだから言ってるの」


「信用ないなぁ」


「あはは。少しはあるよ」


 二人は左右へ分かれた。


 カイが大剣の背で床を叩く。


「おい、岩の化け物!」


 迷宮の主の赤い目が向く。


「今度はこっちだ!」


「挑発しなくても見てるよ!」


「気分の問題!」


 魔物の角へ光が集まる。


 突進ではない。


 熱線。


「カイ、動いて!」


 赤い光が放たれる。


 カイは右の壁沿いに走った。


 熱線が背後を追い、石床を焼いていく。


 壁の亀裂へ近付く。


「まだ!」


 スイは崩れかけた岩の位置を測る。


 カイが早く避ければ、熱線は壁へ届かない。


 遅すぎれば、カイが焼かれる。


「今!」


 カイは前へ飛び込んだ。


 熱線が壁の亀裂へ直撃する。


 赤く焼けた岩が膨張し、支えを失った天井の一部が崩れ落ちた。


 巨大な岩塊が、迷宮の主の背へ直撃する。


 轟音と共に、巨体が沈んだ。


「効いた!」


「今行く!」


 カイが引き返す。


 落石に押さえつけられ、迷宮の主の腹が僅かに浮いている。


 スイは先に駆け込み、ショートソードを以前作った傷へ差し込んだ。


「風を入れる!」


 刃を中心に、圧縮した風が岩の内側へ流れ込む。


 亀裂が広がる。


「カイ!」


「任せろ!」


 カイは大剣を逆手に持ち替え、両手で切っ先を腹部へ突き立てた。


 スイが開いた隙間へ、刃が深く入る。


 青白い光が強くなった。


「届いた!」


 だが、核は砕けない。


 柔らかい。


 硬い石ではなく、魔力そのものを固めた膜に包まれている。


「刃が滑る!」


「魔力を流して!」


 カイは大剣へ土属性の魔力を込めた。


 重さ。


 圧力。


 大地へ押しつける力。


 刃の先から、核を覆う膜へ魔力が流れ込む。


 青白い光が揺らぐ。


 迷宮の主が咆哮した。


 背の岩を押し退け、身体を持ち上げようとする。


「もう少し!」


 スイはカイの背へ手を当て、《私の箱庭》を狭く集中させた。


 カイだけを包む。


 魔力の流れを整え、両腕へ力を集める。


 《愛を求める怪獣》がさらに強く反応した。


 隣にスイがいる。


 自分へ力を送り、同じ敵へ向かっている。


「おおおおっ!」


 カイが全体重を乗せた。


 膜に亀裂が走る。


 その瞬間、迷宮の主の尾が横から迫った。


「カイ、続けて!」


 スイは手を離し、尾へ向かう。


 風魔法を両手に集め、斜め下から放った。


 止められない。


 なら、軌道を変える。


 尾の先が僅かに浮き、カイの背中を掠めて岩床へ叩きつけられた。


 衝撃でスイの身体が吹き飛ぶ。


「スイ!」


「止めないで!」


 転がりながらも、スイは叫んだ。


 カイは歯を食いしばり、再び大剣へ力を込める。


 青白い核の膜が砕けた。


 剥き出しになった中心へ、刃が突き刺さる。


 光が弾けた。


 迷宮の主の全身を走っていた赤い亀裂が、一斉に消える。


 四本の脚から力が抜けた。


「倒れる!」


 カイは大剣を引き抜き、スイの方へ走る。


 巨体が横へ崩れ始める。


 カイは床に倒れたスイを抱き上げ、そのまま全力で駆けた。


「だから急に抱えないで!」


「今は言ってる場合か!」


 背後で、迷宮の主が地面へ倒れた。


 床が大きく揺れる。


 二人は衝撃に押され、再び石床を転がった。


 しばらく、何も聞こえなかった。


 迷宮の奥に残るのは、崩れた岩が小さく転がる音だけ。


「……終わった?」


 スイがカイの腕の中で呟く。


「たぶん」


「下ろして」


「あ、悪い」


 カイが慌てて腕を離す。


 スイはゆっくり立ち上がり、迷宮の主へ意識を向けた。


 三つの大きな魔力反応は消えている。


 腹部にあった核も、完全に砕けていた。


「倒した」


「本当に?」


「うん」


 カイはしばらく動かなかった。


 やがて、大剣を杖代わりにして立ち上がる。


「……勝ったぞ」


「うん」


「俺たちだけで」


「うん」


「一年かけて」


 声が少しずつ大きくなる。


「攻略したぞ!」


 カイの叫びが、広い石室へ響いた。


 反響した声が何度も返ってくる。


 スイは耳を押さえながら笑った。


「うるさいよ!」


「嬉しいんだからいいだろ!」


「あはは! でも、やったね!」


 二人は手を合わせた。


 乾いた音が、静かな迷宮に残る。


 初めてのダンジョンでは、洞窟鼠にも苦戦した。


 ゴブリンメイジを前に、何度も危ない場面があった。


 それから一年。


 何度も逃げた。


 何度も引き返した。


 勝てない相手を前に、悔しさを抱えて町へ戻ったこともある。


 それでも、また準備をして挑んだ。


 その積み重ねの先で、二人は大型ダンジョンの主を倒した。


「傷、見せて」


 喜びを味わったのも束の間、スイが真顔に戻る。


「今?」


「今」


「宝物庫探してからでいいだろ」


「駄目」


 カイの肩。


 背中。


 腕。


 大きな傷はない。


 尾が掠めた背中に腫れがあり、以前の肩も少し熱を持っていた。


 スイの左肩にも、石の破片が当たった痕が残っている。


「スイも怪我してるじゃん」


「私は後で見る」


「一緒に見ればいいだろ」


「背中、自分で見えないでしょ」


「スイの肩も見えにくいだろ」


「じゃあ交代で」


 二人は安全な場所へ移動し、傷薬を塗った。


 以前より、持ち歩く薬の種類も増えている。


 出血を止める物。


 魔力による火傷を抑える物。


 打撲へ使う冷却薬。


 旅を続ける中で、一つずつ必要性を知ったものだった。


「痛っ」


「動かないで」


「スイ、押してるだろ」


「腫れてるか確認してるの」


「昨日も聞いた気がする」


「昨日じゃないよ。一年前」


「そんなに前だっけ」


「最初のダンジョンの後」


 カイは少し笑った。


「あの時もスイに薬塗ってもらったな」


「今も変わってないね」


「俺は強くなった」


「薬を嫌がるところは変わってない」


「痛いもんは痛い」


「はい、終わり」


 スイが布を巻き直す。


 次にカイが、スイの肩へ薬を塗った。


「痛かったら言えよ」


「うん」


 カイの手つきは、以前より慎重だった。


 薬を傷の周囲へ薄く伸ばし、布が擦れないように巻いていく。


「上手くなったね」


「何回やったと思ってんだよ」


「私が怪我した回数?」


「俺も含めて」


「多いね」


「生きてるからいいだろ」


「これからは減らそうね」


「それな」


 応急処置を終え、二人は倒した迷宮の主を調べた。


 巨大な身体は、少しずつ崩れ始めている。


 腹部にあった核の欠片。


 金属質の角。


 熱を蓄える赤い鉱石。


 どれも高価な素材になるだろう。


「全部持てないね」


 スイが見上げる。


「角一本でも重そう」


「切って持ってく?」


「帰り道で捨てることになるよ」


「勿体ない」


「攻略証明になる部位だけでいい。あとでギルドの回収隊が来るでしょ」


 スイは核の欠片と、角の先端を少しだけ回収した。


 荷袋へ入る量。


 帰り道を歩ける重さ。


 それ以上は欲張らない。


 カイは何度も本体を振り返ったが、今回は何も言わなかった。


「宝物庫、どこだろ」


 カイが周囲を見回す。


 広い石室。


 中央には倒れた迷宮の主。


 奥の壁には、他より色の濃い岩が並んでいる。


 スイは《私の箱庭》を薄く広げた。


 戦闘で魔力を使ったため、長くは維持できない。


 それでも、壁の向こうに空間があることは分かった。


「奥」


「あそこ?」


「壁の向こうに部屋がある」


「隠し扉か」


 二人で近付く。


 壁には、入口と同じ古い文字が刻まれていた。


 大地を砕きし者へ。


 眠りし雷鳴を。


「やっぱり報酬がある」


 カイが嬉しそうに壁を探る。


「待って。罠があるかもしれない」


「ボス倒した後だぞ?」


「だからって安全とは限らないでしょ」


「この一年で、宝物庫に罠があったこと何回?」


「三回」


「少ない」


「三回もだよ」


 スイは壁や床の魔力を慎重に調べた。


 不自然な反応はない。


 仕掛けらしい窪みが、古い文字の中央にある。


「たぶん、ボスの核を使う」


 スイは先ほど拾った核の欠片を取り出した。


 窪みへ嵌めると、青白い光が壁へ広がる。


 岩が左右へ分かれ、奥へ続く短い通路が現れた。


「ほら、安全だった」


「まだ中見てないよ」


「行こう!」


「先に入らない!」


 スイが服を掴む。


 カイは一歩目を踏み出したまま止まった。


「もう罠ないだろ」


「床を確認してから」


「慎重すぎ」


「カイが雑すぎるの」


 短い通路に罠はなかった。


 その先には、小さな石室がある。


 中央には黒い石台。


 その上に、細長い箱が一つ置かれていた。


 宝箱というより、武器を収める棺のような形だった。


 蓋には、雷を纏う二羽の鳥が向かい合う紋様が刻まれている。


「武器だ」


 カイが目を輝かせる。


「まだ開けてないよ」


「形が武器の箱だろ」


「また調べるから待って」


「分かってるって」


 返事とは裏腹に、尾が落ち着かなく揺れている。


 スイは箱の周囲を一周した。


 魔力の流れ。


 床との接続。


 蓋に触れた時の反応。


 危険な術式は感じない。


「開けても大丈夫そう」


「俺が開ける」


「二人で」


「重そうだしな」


 二人は箱の左右へ立ち、同時に蓋へ手をかけた。


 ゆっくりと持ち上げる。


 中から、淡い青色の光が漏れた。


「……なに、これ」


 スイが息を止める。


 箱の中には、二丁の見慣れない武器が収められていた。


 金属の筒。


 握るための柄。


 指をかける輪。


 前世の記憶にあるものと、よく似ている。


「銃?」


 カイが呟く。


「拳銃だよね」


 ただし、火薬を使うようには見えない。


 銃身には細かな魔法文字が刻まれ、内部から雷属性の魔力が流れている。


 二丁は左右対称。


 片方には白い鳥。


 もう片方には黒い鳥の紋様が刻まれていた。


 スイが恐る恐る右手を伸ばす。


「触って大丈夫かな」


「調べたんだろ?」


「未知の魔道具までは分からないよ」


「俺が先に触る?」


「これは私が持つ」


「まだスイのって決まってないぞ」


「二丁あるし、今の私に合いそう」


「俺、片方使えるかも」


「大剣どうするの?」


「背負って、片手に銃」


「絶対使いにくいよ」


 言いながら、スイは白い鳥の拳銃を握った。


 冷たい金属の感触。


 次の瞬間、武器から細い雷が走り、手首へ絡みついた。


「スイ!」


 カイが手を伸ばす。


「待って!」


 痛みはない。


 拳銃の中へ、自分の魔力が吸い込まれていく。


 代わりに、武器の構造が感覚として伝わってきた。


 魔力を弾丸へ変換する。


 引き金を引けば、圧縮した魔力が銃身から放たれる。


 属性を乗せることもできる。


 白い鳥は速射。


 黒い鳥は貫通。


 二つを同時に使うことで、本来の力を発揮する。


「使い方、分かる」


 スイはもう一丁へ手を伸ばした。


 黒い鳥の拳銃も、同じように魔力を受け入れる。


 二丁を持った瞬間、銃身の紋様が淡く光った。


「格好いい」


 カイが素直に呟く。


「似合う?」


 スイは少しだけ腕を上げた。


 まだ引き金には触れない。


「めっちゃ似合う」


「本当?」


「うん。ショートソードよりスイっぽい」


「私っぽいって、どういう意味?」


「速くて、離れた場所から援護できて、二つ同時に使うと強い」


「最後は見たままだよ」


「あはは」


 スイは武器を見つめた。


 前世では扱ったことがない。


 記憶の中で、何度も映像として見たことはある。


 それでも、この世界で実際に使うものとしては未知だった。


「試し撃ちしたい」


「ここで?」


「壁に撃ったら崩れるかも」


「帰ってからにする?」


「うん。まず使い方を調べてもらう」


 以前なら、手に入れた場ですぐに試していたかもしれない。


 今は違う。


 未知の武器ほど、慎重に扱う。


 スイは二丁を箱へ戻そうとした。


 だが、武器は指から離れなかった。


「え?」


「くっついた?」


「違う。魔力を切れば……」


 スイが意識を変える。


 銃身の光が消え、今度は手を離せた。


「所有者を選ぶ魔道具かも」


「スイに決めたってこと?」


「たぶん」


「俺も触ってみる」


 カイが黒い鳥の拳銃へ手を伸ばす。


 持ち上げることはできた。


 だが、魔法文字は光らない。


 引き金にも強い抵抗があり、動かなかった。


「使えない」


「やっぱり私専用みたい」


「一丁くらいくれてもいいのに」


「カイには大剣があるでしょ」


「新しい武器、羨ましい」


「次のダンジョンで探そう」


「俺にも宝物庫あるかな」


「攻略の度にあるわけじゃないよ」


 箱の底には、二丁を収めるための腰帯と、古い文字で書かれた薄い金属板が入っていた。


 スイは文字を確認する。


「名前が書いてある」


「何て?」


「《双雷鳥》」


「二丁合わせて?」


「うん。白い方が《ハク》。黒い方が《コク》……たぶん、昔の呼び方だと思う」


「そのままだな」


「分かりやすくていいよ」


「俺の能力名と交換してくれない?」


「無理でしょ」


「あはは」


 スイは腰帯を装着し、二丁を左右へ収めた。


 ショートソードはまだ必要だ。


 弾丸の代わりに魔力を使う以上、撃てなくなる場面もある。


 近距離での戦い方も捨てられない。


 けれど、今後の主武器は変わる。


 そう思えるほど、二丁の拳銃は手に馴染んでいた。


「帰ろうか」


 スイが言う。


「もう?」


「目的は達成したよ。素材も取ったし、報酬も手に入れた」


「他に隠し部屋あるかも」


「帰り道で見つけたら調べる。でも、無理には探さない」


「分かった」


 カイは名残惜しそうに石室を見回したが、素直に頷いた。


 箱の中には、もう何も残っていない。


 二人は宝物庫を出た。


 倒れた迷宮の主の横を通り、入口の石扉へ向かう。


 熱で歪んだ岩を二人で退かし、人一人が通れる隙間を作った。


「先にスイ」


「一緒に戻るんでしょ」


「隙間狭いから一人ずつだよ」


「あ、そっか」


「あはは」


 スイが先に抜け、反対側からカイの荷物を受け取る。


 続いてカイも身体を滑り込ませた。


 最後に大剣を引き抜き、二人は最下層を後にした。


 七層から地上までの道は長い。


 戦いを終えた身体には、下ってきた時よりも遥かに険しく感じられた。


 崩れた橋。


 ゴーレムの残骸。


 狭い岩道。


 何度も休憩を挟み、魔力と体力を戻しながら進む。


「スイ、拳銃重くない?」


「ショートソード二本より少し軽い」


「本当に使える?」


「感覚は分かる。でも、練習は必要だと思う」


「俺が的になる?」


「ならないよ」


「防御の練習にもなる」


「未知の武器を人に向けないの」


「じゃあ岩」


「最初はそれでいい」


「速射と貫通だっけ?」


「ハクが連続で撃てて、コクが一発を強くするみたい。魔力の込め方で属性も変えられると思う」


「雷だけじゃないの?」


「銃そのものは雷属性だけど、私の魔力を弾に変えるから、風とか土も混ぜられるかもしれない」


「すげぇな」


「まだできるって決まってないよ」


「できるだろ。スイだし」


 何の根拠もない。


 それでも、カイにそう言われると、本当にできるような気がした。


「練習、付き合ってね」


「もちろん」


「危ないから離れて見てて」


「近くで見たい」


「流れ弾が当たったらどうするの?」


「避ける」


「最初から避ける前提にしないで」


 地上へ近付くにつれ、風の匂いが変わっていく。


 湿った岩の匂いの中に、草と土の気配が混じり始めた。


 やがて遠くから、僅かな光が見えた。


「出口だ」


 カイの声が明るくなる。


「まだ気を抜かないで」


「分かってる」


 最後の通路を抜け、二人はダンジョンの外へ出た。


 夕暮れだった。


 入ってから四日。


 入口近くに設置された野営地では、ギルドの監視役たちが二人の姿へ気付き、一斉に立ち上がった。


「戻ったぞ!」


 カイが大きく手を振る。


「攻略した!」


 返事の代わりに、何人もの冒険者がこちらへ駆けてくる。


 無事を確認する声。


 怪我を尋ねる声。


 迷宮の主について聞く声。


 カイは一つずつ答えようとしたが、興奮で順番が崩れていた。


「でかい岩の魔物で、熱線撃ってきて、核が三つあると思ったら違って、スイが見つけて――」


「一度に話すな。まず座れ」


 監視役の男に肩を押され、カイは敷物の上へ座らされる。


 スイもその隣へ腰を下ろした。


「攻略証明は?」


「これ」


 スイは核の欠片と角の先端を差し出す。


 冒険者たちの間から、どよめきが起きた。


「本当に倒したのか」


「二人だけで?」


「最下層まで行ったのか?」


「うん」


 スイは疲れた顔で笑う。


「ちゃんと、二人で帰ってきたよ」


 カイも笑った。


「約束したからな」


 その夜。


 迷宮の入口では、簡単な祝いが開かれた。


 本格的な報告と素材の回収は、町へ戻ってからになる。


 それでも、大型ダンジョンの攻略を待っていた冒険者たちは、保存食と酒を持ち寄った。


「一杯だけ」


 スイが念を押す。


「攻略祝いだぞ?」


「怪我してるし、疲れてるでしょ」


「じゃあ二杯」


「増えてる」


「一年分の祝い」


「一杯に一年分詰めて」


「そんな飲み方ある?」


 結局、カイは小さな杯で一杯だけ酒を受け取った。


 スイも果実酒を少しだけ口にする。


 焚き火の向こうでは、冒険者たちが二人の戦いを聞きたがっていた。


 カイは身振りを交え、大げさになりすぎない程度に話す。


 以前なら、自分が倒したように語っていたかもしれない。


 今は、スイが核を見つけたこと。


 尾を逸らしたこと。


 二人で何度も引き返しながら、ここまで来たことを話した。


「俺一人じゃ無理だった」


 カイは杯を見つめながら言う。


「スイがいたから勝てた」


「私もだよ」


 スイは腰の二丁拳銃へ軽く触れる。


「カイが前にいたから、核まで近付けた」


「それ、俺たちの能力そのままだな」


「何が?」


「一人じゃ弱いけど、二人だと強い」


「私は一人でもそこそこ強いけどね」


「そこは合わせろよ」


「あはは!」


 周囲からも笑いが起きる。


 焚き火の火の粉が、夜空へ昇っていく。


 一年。


 短いようで、長かった。


 最初は歩くだけでも疲れた。


 依頼の意味も、魔物との距離も、自分たちの力も分からなかった。


 今も、分からないことは多い。


 それでも、二人は確かに進んでいる。


 仲間はまだ見つからない。


 世界の広さも、ほんの一部しか知らない。


 だから、旅は終わらない。


「次、どこ行く?」


 カイが尋ねる。


「まず町へ戻って報告」


「その後」


「新しい武器の練習」


「その後」


「里に手紙」


「その後」


「休む」


「その後」


「もう少しゆっくり考えようよ」


「行きたい場所あるんだよ」


「どこ?」


 カイは懐から、古びた紙を取り出した。


 旅の途中、酒場で手に入れた噂を書き留めたものだった。


 何度も折り畳まれ、端が擦れている。


「これ」


 紙には、遠い西の山岳地帯にある古代ダンジョンについて書かれていた。


 誰も最奥へ辿り着いたことがない。


 入口さえ、一定の季節にしか現れない。


 そして、その奥には――


「神の酒?」


 スイが眉を寄せる。


「そう。神様が造った酒が眠ってるらしい」


「絶対、ただの噂でしょ」


「本当かもしれない」


「今から行くの?」


「まだ無理だろ」


 カイは意外にも、すぐには行くと言わなかった。


「もっと強くなってから。何年かかってもいい」


「珍しい」


「伝説級だぞ。今の俺たちじゃ入口で死ぬ」


「分かってるんだ」


「俺だって成長してる」


「酒のためだと慎重になるの?」


「神の酒を飲む前に死ねないだろ」


「理由はいつもどおりだった」


 スイは呆れたように笑った。


 だが、紙を返さず、内容をもう一度読んだ。


 最奥へ辿り着いた者はいない。


 存在すら確かではない。


 危険だけが語られる、伝説級のダンジョン。


「行くなら、ちゃんと準備してからね」


「行っていいの?」


「いつかだよ。もっと経験を積んで、二人とも今より強くなってから」


「約束な」


「うん」


「十八になる頃には行けるかな」


「あと四年もあるよ」


「四年あれば十分だろ」


「どうかな」


「行けるって」


 カイは迷いなく笑った。


 その表情を見ながら、スイは小さく息を吐く。


 簡単ではない。


 危険な道になる。


 それでも、二人なら進める気がした。


「じゃあ、十八になったら」


 スイが言う。


「神の酒を探しに行こう」


「それな!」


 カイの声が夜空へ響いた。


 焚き火の向こうで、誰かが何の話だと笑っている。


 二人は顔を見合わせ、同じように笑った。


 大型ダンジョンを制覇した夜。


 積み重ねた一年の終わりに、二人は新しい約束を交わした。


 今より強くなり。


 もっと多くの世界を知り。


 十八歳になった時、伝説の奥へ挑む。


 その先に待つものが、神の酒だけではないことを。


 この時の二人は、まだ知らなかった。

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