第3話 握手(後編③)
人混みの中を歩きながら、アムネジアは一度だけ後ろを振り返った。
もうそこに、ゆうきの姿はない。
「……行っちゃったか。」
ぽつりと漏らした声は、街の喧騒に紛れて消えていく。
そのまま歩き出そうとして、不意に胸元へ手を当てた。
「……?」
鼓動が、いつもより少しだけ速い。
走ったわけでもない。
息が切れているわけでもない。
それなのに、胸の奥がじんわりと温かかった。
(なんだろう……。)
理由が分からない。
初めて会った青年。
昨日助けて、今日も少し案内した。
それだけのはずなのに。
(変なの。)
ふっと笑みがこぼれる。
今までにも困っている人を助けたことは何度もあった。
けれど、こんな気持ちになったことは一度もない。
別れたばかりなのに、もう一度顔を見たいと思ってしまう。
元気に街を歩けているだろうか。
迷子になっていないだろうか。
そんなことばかり考えてしまう。
「私らしくないなぁ……。」
小さく苦笑する。
面倒見がいい、と言われることは多い。
だから心配しているだけ。
きっと、それだけだ。
そう自分に言い聞かせても、胸の奥の違和感は消えなかった。
ギルドで握手をした瞬間。
ほんの一瞬だけ。
誰かの手を握ったことがあるような、そんな感覚が胸をよぎった。
…もちろん、気のせいだ。
ゆうきとは昨日初めて出会った。
それ以前に会った記憶なんてあるはずがない。
「……考えすぎかな。」
誰に言うでもなく呟く。
すると、通りの向こうから聞き慣れた声が飛んできた。
「アムネジアー!」
「ん?」
振り向くと、知り合いの女性が大きく手を振っている。
「こんなところで何してるの?」
「あ、ちょっとギルドまで。」
「また誰か助けてたんでしょ?」
「えへへ……。」
図星を突かれ、思わず笑ってしまう。
「ほんと、お人好しなんだから。」
「放っておけなくて。」
「知ってる。」
女性は肩をすくめながら笑った。
「でも無茶だけはしちゃ駄目だよ。」
「うん。」
短く返事をしながらも、アムネジアの意識は少しだけ別のところにあった。
(ゆうき……。)
たった二日。
それだけの付き合い。
なのに、その名前が頭から離れない。
自分でも理由は分からない。
分からないままでいい。
またどこかで会える。
そんな気がしていた。
根拠なんて何一つないのに、不思議とそう信じられた。
アムネジアは空を見上げる。
澄み渡る青空の下、白い雲がゆっくりと流れていた。
「また会おうね。」
誰にも聞こえないほど小さな声。
その言葉は風に溶け、静かに空へと消えていった。




