第7話 世界のどこかで 後編
防具屋は、冒険者ギルドから二本ほど通りを外れた場所にあった。
石造りの店先には、革鎧や籠手が所狭しと吊るされている。扉の上では、金属板を重ねた看板が風に揺れ、乾いた音を立てていた。
カイが中へ入ると、鼻を刺すような革と油の匂いが広がる。
「おう。昨日のダンジョン帰りか」
作業台の奥から、太い腕をした男が顔を上げた。
この町へ来てから何度か世話になっている防具職人だ。カイの革鎧を選んだ時も、身体に合わせて細かな調整をしてもらった。
「何で分かるんだ?」
「肩を庇ってる。あと、その傷み方は普通の刃じゃない」
職人はカイを作業台の前へ座らせ、革鎧を脱がせた。
裂けた肩口を指でなぞり、表と裏を交互に確認する。
「影属性か」
「ゴブリンメイジにやられた」
「ゴブリンメイジ?」
男の手が止まった。
「《風抜けの洞》にいた」
「立入禁止の札は見たが、お前たちが見つけたのか」
「そう」
カイが少し得意そうに答えると、隣に立つスイが補足した。
「見つけただけです。討伐したわけじゃありません。逃げられました」
「それでも生きて帰ったなら上等だ。あそこは新人がよく使う場所だからな」
職人は再び革鎧へ目を落とした。
「直せる?」
「表の革を替えて、内側の魔力を抜く。今日預ければ、明日の夕方には仕上がる」
「いくら?」
スイがすぐに尋ねる。
「銀貨二枚と銅貨六枚」
「高くない?」
カイが思わず身を乗り出す。
「影魔法の残滓が入った革は、そのまま縫っても脆くなる。旅の途中で裂けて腹まで開いてもいいなら、銅貨だけで縫ってやるぞ」
「ちゃんと直してください」
スイが即答した。
「俺の鎧だぞ」
「だからだよ。東の町まで六日かかるんでしょ。途中で壊れたら困るじゃん」
「報酬が減る」
「命より安いよ」
正面から言われ、カイは口を閉じた。
銀貨二枚と銅貨六枚。
昨日受け取った追加報酬の一部が消える。
肉なら何皿食べられるだろうと考えかけて、スイの視線に気付いてやめた。
「分かった。直す」
「最初からそう言えばいいの」
「スイ、最近俺の財布みたいになってない?」
「カイが使いすぎるから管理してるだけ」
「自分の金なのに」
「旅費も二人分まとめてるでしょ」
「半分は俺のだぞ」
「だから半分はカイのために残してるよ」
「酒代は?」
「必要経費じゃない」
「心には必要」
「身体には水で十分」
職人は二人のやり取りを聞きながら、鎧の寸法を書き留めている。
「相変わらず仲がいいな」
「幼馴染だから」
カイが答える。
「腐れ縁です」
スイが続けた。
「どっちだ?」
「両方」
二人の声が重なる。
職人は喉の奥で笑い、代わりに簡素な革の肩当てを差し出した。
「修理中はこれを使え。防具としては頼りないが、何も着けないよりはましだ」
「貸し出し?」
「ああ。返す時に汚れてたら洗ってこい」
「血がついたら?」
「新しい物を買ってもらう」
「今日は戦わないから大丈夫」
スイが言う。
「今日だけじゃないよ。明日も治るまで大剣振るなって」
「聞いてたのか」
「隣にいたでしょ」
「痛くてそれどころじゃなかった」
「都合の悪いことだけ聞こえなくなるよね」
修理代を払い、二人は店を出た。
外へ出ると、昼前の光が通りを白く照らしている。
カイは借りた肩当てを何度か動かし、具合を確かめた。
「軽いな」
「無理に動かさない」
「確認してるだけ」
「それ、さっきも聞いた」
「まだ何もしてないだろ」
スイは答えず、カイの腕を軽く押さえた。
肩を動かさなくても済むよう、荷袋を受け取ろうとする。
「自分で持てる」
「片方だけ貸して」
「スイもまだ疲れてるだろ」
「じゃあ、少ない方」
「俺が持つ」
「傷を治す気ある?」
「あるって」
二人はしばらく荷袋を挟んで引っ張り合った。
先に手を離したのはカイだった。
スイが後ろへ倒れそうになり、慌てて踏み止まる。
「急に離さないでよ!」
「持ちたいんだろ?」
「そうだけど!」
「じゃあ頼む」
「……こういう時だけ素直なんだから」
スイは荷袋を背負い直した。
中には財布と帳簿、それに今日買い足す物を書いた紙が入っているだけで、それほど重くはない。
「次は?」
カイが尋ねる。
「薬屋。傷薬と、魔力を回復しやすくする薬草。それから保存食の値段も見たい」
「昼飯は?」
「買い物の後」
「先に食べた方が元気出る」
「朝ご飯、大盛りだったでしょ」
「歩いた分減った」
「そんなにすぐ減らないよ」
「俺の腹の中見たの?」
「見なくても分かる」
「箱庭?」
「普段のカイを見てれば分かるってこと」
薬屋では、傷薬と乾燥させた薬草を買った。
どちらも旅人向けの一般的な物で、重い怪我を治せるほどの力はない。それでも擦り傷や疲労を放置するよりはいい。
スイは店主へ何度も使い方を確認し、紙へ細かく書き込んでいた。
その隣で、カイは色の違う瓶を眺めている。
「これ何?」
「毒消しだよ」
「こっちは?」
「眠気を飛ばす薬」
「酒に入れたら、ずっと飲める?」
「やめなさい」
店主とスイの声が重なった。
「聞いただけだろ」
「若いうちから変な飲み方を覚えるんじゃないよ」
店主は呆れたように瓶を棚の奥へ戻した。
「二人とも和の国の成人だって話は聞いてるけどね。身体まで大人と同じとは限らないんだから、飲みすぎるんじゃないよ」
「俺、里では普通に飲んでた」
「里の習慣と、身体にいいかは別の話さ」
「ほら」
スイが得意そうに言う。
「スイも飲むじゃん」
「カイほどじゃないよ」
「昨日、一杯飲んだ」
「カイは半杯だったでしょ」
「数では俺の負けじゃん」
「あれは治療師に止められてたから」
「なら今日は一杯」
「薬を飲んでる間は控えた方がいいよ」
店主が言う。
カイは棚から目を逸らし、薬屋を出るまで一言も話さなかった。
外へ出てから、深く息を吐く。
「旅に出たら、誰も止めないよな」
「私がいるよ」
「忘れてた」
「何で忘れるの?」
「あはは」
笑いながら歩き出すカイの横で、スイは買った薬の袋を確かめた。
旅立ちが近付くにつれ、必要な物が次々に見えてくる。
水袋の予備。
雨具。
簡易の調理道具。
虫除けの香。
乾燥させた肉と野菜。
里を出た時にも荷物は用意していたが、今なら何が本当に必要か分かる。
足りない物だけではない。
いらない物も、少しずつ見えてきた。
「木の駒は置いていかないからな」
カイが突然言った。
「まだ何も言ってないよ」
「荷物の整理って顔してた」
「どんな顔?」
「駒を減らしたい顔」
「そんな顔してない」
「でも考えた?」
「少しだけ」
「ほら!」
「あはは! 置いていかないよ。カイが持つならね」
「当たり前だろ」
カイは胸元の小袋へ手を当てた。
今持ち歩いているのは、自分とスイを表す二つだけ。
残りは宿の荷袋にしまってある。
小さな木の駒。
旅の役には立たない。
荷物を増やすだけだと分かっている。
それでも、これから先に仲間が増えることを、形にして持っていたかった。
昼食を終えた頃には、冒険者ギルドの掲示板へ新しい依頼が貼り出されていた。
東の交易都市へ向かう商隊の護衛。
出発は四日後。
街道を六日かけて移動し、荷馬車七台を守る。
主な護衛はCランク以上の冒険者隊。
Fランクは野営準備や周辺警戒、荷車の補助を担当する。
報酬は一人あたり銀貨八枚。
「結構いい」
カイが依頼書の前で呟く。
「六日間だからね。それに、途中で戦闘になる可能性もある」
「野営の飯は?」
「商隊から出るって書いてある」
「受ける」
「ご飯で決めないで」
「行き先も同じだろ」
「そうだけど、護衛をまとめる隊を確認してから」
周囲には、すでに何組かの冒険者が集まっていた。
商隊護衛は長期間の依頼になる。
報酬は悪くないが、目的地へ着くまで途中で離脱できない。
応募する者たちも、依頼書を読みながら仲間と相談していた。
「仮申請を出してくれる?」
スイが言う。
「俺が?」
「私は今朝から帳簿も買い物もやってる」
「分かったよ」
カイは受付へ向かい、昨日受け取った申請用紙を差し出した。
担当の女性が内容を確かめる。
「カイさんとスイさんですね。希望役割は周辺警戒と野営補助」
「俺、戦えるぞ」
「申請書では補助要員としての参加です。戦闘が起きた場合は護衛隊の指示に従ってください」
「それは分かってる」
「採用の判断は、主護衛を担当する冒険者隊が行います。今日の夕方に顔合わせがありますが、参加されますか?」
「行く」
カイが答えた後、少し離れた場所にいるスイを見る。
スイも頷いた。
「二人で行きます」
「では、日が傾く頃にこちらへ来てください」
申請を終えて受付を離れると、掲示板の前にいた数人がこちらを見ていた。
中には朝、風牙狼について話した冒険者もいる。
「お前たちも応募するのか」
髭の男性が声をかける。
「東へ行きたいから」
「Fランクになったばかりだろ。商隊護衛は歩くだけじゃないぞ」
「知ってる」
カイの声が少し硬くなる。
スイはその横へ並んだ。
「主護衛ではなく、補助として応募します。採用するかは担当の隊が決めるので」
「そうか」
男は二人の装備を一通り見た。
カイは修理中のため簡素な肩当てだけ。
スイも二本の短剣は持っているが、どちらも高価な武器ではない。
「悪く言うつもりはない。ただ、今の東街道は小型魔物だけじゃなく、盗賊が出るって噂もある」
「盗賊?」
スイが聞き返す。
「商隊を直接襲うほど大きな集団じゃないらしいが、遅れた荷車や少人数の旅人を狙ってる」
「ギルドの依頼書には書いてない」
「確認が取れてない噂だからな」
男は声を少し落とした。
「俺の知り合いが一週間前に東から戻った。街道沿いで、誰かに見張られてるような気配が何度かあったらしい」
「襲われたの?」
「護衛が多かったからか、何もなかった。ただ、夜中に荷馬車の近くで足跡が見つかった」
カイは面白がる様子を見せなかった。
昨日までなら、盗賊と聞けば戦えるかもしれないと考えたかもしれない。
だが今は、商隊を守る依頼だと理解している。
「俺たちだけで戦うわけじゃないだろ」
「ああ。指示を聞けるなら、補助としては問題ないかもしれん」
「聞けるよ」
スイが言う。
「カイは少しだけ先へ行きたがるけど、止めれば戻ります」
「少しだけ?」
カイが横を見る。
「結構?」
「そこまでじゃないだろ」
「昨日もゴブリンメイジを追いかけたよね」
「あれは杖を壊さないと風牙狼を助けられなかったから」
「ちゃんと理由があれば動くんです」
スイが男性へ説明する。
「ただ、理由があると自分で思った時は早いです」
「褒めてる?」
「半分くらい」
男性は苦笑した。
「顔合わせでは、今みたいに正直に話せよ。できることを大きく見せる奴ほど、護衛では信用されない」
「分かった」
「お前たちが採用されたら、俺も同じ商隊になるかもしれん」
「応募してるの?」
「ああ。俺たちは三人組だ。採用されれば補助のまとめ役になる可能性がある」
男性は親指で後ろを示した。
少し離れた場所に、弓を持った女性と、槍を背負った若い男がいる。
「俺はダグ。あっちはミラとセトだ」
「カイ」
「スイです」
「知ってる。昨日から名前が広まってる」
「何で?」
「新人二人が、風牙狼を連れてダンジョンから出てきたんだ。目立たない方が難しいだろ」
カイは少し考え、口元を緩めた。
「格好よかった?」
「そこを気にするの?」
スイが呆れる。
「風牙狼がな」
「俺じゃないのかよ」
「お前は肩から血を流して、名前を聞かれて顔を赤くしてたって聞いた」
カイの表情が固まる。
「誰から?」
「酒場にいた奴らが話してた」
「能力名も?」
「何の話だ?」
ダグが首を傾げた。
カイはすぐに首を横へ振る。
「何でもない」
「よかったね。そこまでは広まってないみたい」
スイが小声で言う。
「絶対言うなよ」
「私からは言わないよ」
「笑いながら言っても信用できない」
「あはは!」
顔合わせまで時間があったため、二人は一度宿へ戻った。
部屋へ入ると、スイは卓の上へ今日買った物を並べる。
薬。
保存食。
雨具を補修する糸。
虫除けの香。
新しい水袋。
カイは寝台の下から荷袋を引き出し、中身を一つずつ床へ置き始めた。
「これは持ってく」
木の駒。
「それは分かってる」
「酒入れる小瓶」
「いらない」
「いる」
「旅の途中で飲むの?」
「寒い時に少し飲むと温まる」
「それ、身体が温かく感じるだけって薬屋さんに言われたよ」
「気持ちも温まる」
「水袋を増やした方がいい」
「両方持てばいいだろ」
「荷物重くなるよ」
「俺が持つ」
「肩は?」
「四日後には治ってる」
「治ってなかったら置いていくからね」
「酒を?」
「小瓶を」
「中身だけ別の瓶に移す」
「同じでしょ」
スイは呆れながら、自分の荷物を整理した。
服は最小限。
薬と帳簿。
短剣の手入れ道具。
里を出る時に家族から持たされた、小さな裁縫箱。
そして、耳元の鈴。
旅立ちの日から変わらず、いつも身につけている物だった。
「スイ」
「ん?」
「里に手紙出す?」
突然の問いに、スイの手が止まった。
「次の町へ行くって?」
「ああ。ここに着いた時、一回出しただろ」
「うん」
里を出てから、まだ大きく離れたわけではない。
それでも家族にとっては、二人がどこで何をしているのか分からない。
最初の町へ着き、冒険者になったこと。
宿を見つけ、しばらく暮らすこと。
それだけは手紙で知らせていた。
「書こうかな」
「俺も書く」
「カイ、字大丈夫?」
「書けるよ」
「前の手紙、一枚全部使って『元気。酒うまい』しか書いてなかったって聞いたけど」
「大事なことだろ」
「お母さん、心配したと思うよ」
「帰ってないんだから元気って分かるじゃん」
「帰ってこないから心配するんだよ」
スイは荷袋から紙と墨を取り出し、卓の上へ置いた。
二人で並んで座る。
しばらくは、紙を擦る筆の音だけが部屋に続いた。
スイは町で受けた依頼や、冒険者ランクが上がったことを書いた。
初めてのダンジョンについては、ゴブリンメイジや風牙狼のことまで細かく書けば心配をかける。
少し危険なこともあったが、二人とも無事だった。
それくらいに留めた。
そして、東にある交易都市へ向かうつもりであること。
これからも二人で旅を続けること。
最後に、家族の体調を気遣う言葉を添えた。
横を見ると、カイは一行目を書いたまま止まっている。
「何て書いたの?」
「元気」
「また?」
「次が思いつかない」
「昨日あったこと書けば?」
「ゴブリンメイジと戦った」
「心配するよ」
「風牙狼助けた」
「もっと心配する」
「Fランクになった」
「それはいいんじゃない?」
カイは頷き、紙へ書き加えた。
筆を置き、少し考える。
「東の町へ行く」
「うん」
「仲間探す」
「うん」
「酒も探す」
「それはいらない」
「旅の目的だぞ」
「家族に伝える必要ある?」
「俺が変わってないって安心する」
「逆に心配すると思う」
結局、カイの手紙には、元気でいること、Fランクになったこと、東へ向かう予定であることが短く記された。
最後に少し迷い、《スイと一緒だから大丈夫》と書き加える。
それを見たスイは、何も言わずに自分の手紙を折り畳んだ。
「何だよ」
「別に」
「笑ってるじゃん」
「カイも、ちゃんと家族を安心させる言葉を書けるんだなって」
「俺だってそれくらい考えるよ」
「前の手紙は?」
「酒がうまいなら元気だろ」
「あはは! やっぱり変わってないね」
夕方になると、二人は再びギルドへ向かった。
広間の奥には、顔合わせのためにいくつかの卓が寄せられている。
応募者は十人ほど。
その中には昼間話したダグたちの姿もあった。
やがて、受付の女性と共に、一人の女性冒険者が現れた。
二十代後半ほど。
栗色の髪を後ろで一つに束ね、軽量の金属鎧を身につけている。腰には細身の剣。背筋は真っ直ぐ伸び、歩き方にも無駄がなかった。
「今回、商隊護衛の主隊を任されるエレナです」
落ち着いた声が広間へ通る。
「私たちは四人で活動しているCランク隊《青燕》。今回は補助要員として、二組から三組を加えます」
エレナの後ろには、盾を持つ大柄な男と、弓を背負った女性、杖を持つ青年が並んでいた。
「最初に言っておきます。護衛依頼で最も大切なのは、敵を倒すことではありません。荷と依頼人を目的地まで運ぶことです」
カイとスイは、自然に顔を見合わせた。
何度も聞き、今では自分たちも口にするようになった考え方とよく似ている。
「魔物を見つけても、避けられるなら避けます。盗賊が現れても、追い払えた時点で追撃はしません。指示を無視して前へ出る者は、どれほど強くても採用しません」
エレナは応募者たちを見渡した。
「戦えることを示したい者ではなく、役割を守れる者を求めます」
説明の後、一組ずつ簡単な聞き取りが始まった。
経験。
得意な役割。
野営や警戒の知識。
街道を歩いたことがあるか。
カイとスイの順番が来ると、二人はエレナの正面へ座った。
「カイとスイ。共にFランク。登録から三か月ですね」
「はい」
スイが答える。
「昨日、ダンジョン内でゴブリンメイジを発見した二人でもある」
「話、広まってるな」
カイが呟く。
「受付から、依頼に関わる範囲だけ共有を受けています。ユニークスキルについては聞いていません」
カイの耳が少しだけ上がった。
「強制じゃないんだよな」
「ええ。護衛に必要な情報でなければ、話す義務はありません。ただし、戦闘中に使用する可能性がある能力なら、できることだけは伝えてもらえると助かります」
スイは少し考えた。
「私は一定範囲にいる仲間の位置を感じ取れます。少しだけ身体や魔力の回復を助けることもできます。ただ、長時間は使えません」
「範囲は?」
「まだ正確には分かりません。昨日使えたのは、広い部屋の半分くらいです」
「戦闘以外では、周辺警戒に使える?」
「使えます。でも魔力の消費が大きいので、ずっとは無理です」
エレナは頷き、用紙へ書き込んだ。
「カイは?」
「仲間が近くにいると強くなる」
「どの程度?」
「分からない。誰かが危ない時は、もっと強くなる」
「自分で発動を制御できる?」
「普段の強化は何となくできる。でも、危ない時のは勝手に出る」
「分かりました。護衛中、能力を当てにした無理な配置はしません」
エレナの返答は淡々としていた。
能力の珍しさに驚く様子も、それ以上を聞き出そうとする様子もない。
「二人は、昨日ゴブリンメイジを追わなかったそうですね」
「ああ。風牙狼の鎖を壊した後は、追う必要なかったから」
「他のゴブリンも?」
「逃げたから追ってない」
「風牙狼を助けた理由は?」
カイは少しだけ考えた。
「傷ついてたから」
「それだけ?」
「助けたら俺たちを襲うかもしれないとは考えた。でも、ゴブリンに魔力を吸われたまま死ぬのを見てるのは嫌だった」
「危険だと分かっていて、自分の感情を優先した?」
言葉だけを聞けば、責められているようにも思えた。
カイはエレナの目を見たまま答える。
「助けたいって気持ちだけでは動いてない。数と位置を確かめて、無理なら戻るってスイと決めた。風牙狼を連れて帰ろうともしてない」
「逃げ道は?」
「最初に確認した」
「救助用の信号は?」
「スイが持ってた」
「使わなかった判断は、今も正しかったと思う?」
カイはすぐには答えなかった。
傷を負った。
スイも魔力を使いすぎた。
少し違えば、二人とも帰れなかったかもしれない。
「結果だけなら、うまくいった」
カイはゆっくりと言う。
「でも、次も同じようにいくとは思ってない。もう少し強い奴がいたら、信号を使うべきだった」
隣でスイが頷いた。
「私も、能力を使えば大丈夫だと思いすぎました。自分の魔力がどこまで残ってるか、分かってなかったです」
エレナは二人の答えを書き留め、筆を置いた。
「正直ですね」
「駄目?」
「いいえ。失敗しかけたことを隠す者より信用できます」
エレナは椅子の背へ身体を預けた。
「最後に一つ。護衛中、指示と自分の判断が違った場合、どうしますか?」
「理由を聞く」
カイが答えた。
「聞く時間がない時は?」
「指示に従う」
「本当に?」
「納得できなくても、隊全体が動いてる時に俺だけ違うことしたら危ないだろ」
言い切ったカイを、スイが少し驚いたように見る。
「何だよ」
「ちゃんと答えられたなって」
「俺を何だと思ってるんだ」
「先に走る銀狼」
「一応周り見てるからな」
エレナの口元が僅かに緩んだ。
「スイは?」
「私も従います。ただ、危険に気付いた時はすぐ伝えます。誰かが見落としてる可能性もあるから」
「いいでしょう」
聞き取りを終え、二人は少し離れた場所で待つことになった。
ダグたちも面談を終えている。
「どうだった?」
ダグが尋ねる。
「指示を聞けるか、すごく確認された」
「護衛はそこが大事だからな」
「俺、聞けるって答えた」
「スイに聞くまで信用できんな」
「何でだよ」
ダグは笑い、仲間の二人を紹介した。
弓使いのミラは落ち着いた女性で、周辺警戒を得意としている。
槍使いのセトはダグより若く、カイの大剣へ興味を持ったらしい。
「その身体で振れるのか?」
「振れる」
「今度見せてくれ」
「今は怪我してるから無理」
「治ったら模擬戦しようぜ」
「いいぞ」
「駄目」
スイが二人の間へ入る。
「治ったらいいだろ?」
「旅立つ前にまた怪我したらどうするの」
「模擬戦だぞ」
「カイは本気になるでしょ」
「ならないって」
「昨日、角兎の話で『いつか見返す』って言ってた人が?」
「角兎とセトは違う」
「比べられた俺はどうすればいいんだ?」
セトが困ったように笑う。
「カイの話は半分で聞いてください」
「半分は本当なんだな」
「全部本当だよ」
やがて、エレナが採用する組を発表した。
ダグたち三人。
もう一組のEランク二人組。
そして最後に、カイとスイの名前が呼ばれた。
「本当?」
スイが目を見開く。
「補助要員として採用します。ただし、二人は最年少で経験も浅い。基本的にはダグたちと行動してください」
「分かりました」
「また、カイの傷が出発前日までに治らない場合、今回は不参加とします」
「治す」
「気合いでは治りません。治療師の判断に従ってください」
「はい」
「スイも魔力が回復していなければ同様です」
「分かりました」
商隊の出発時刻と集合場所。
必要な持ち物。
護衛中の役割。
夜番の組み方。
一通りの説明を受けると、外はすでに暗くなっていた。
ギルドを出た二人は、夜風の中でしばらく立ち止まる。
「決まったな」
カイが言う。
「うん。四日後に、この町を出る」
言葉にすると、急に現実味を帯びた。
三か月暮らした宿。
何度も通ったギルド。
顔を覚えた店の人たち。
最初の町で過ごす時間には、終わりが近付いている。
「寂しい?」
カイが尋ねる。
「少し」
「俺も」
スイは夜の通りを見渡した。
提灯の灯り。
酒場から漏れる笑い声。
走り回る子供たち。
ここへ来たばかりの頃は、何も知らなかった。
今では道も、人の顔も、どの店の料理が美味しいかも知っている。
旅を続けるということは、出会うだけではない。
慣れた場所を離れることでもある。
「でも、行きたい」
スイが言う。
「東の町?」
「その先も」
「仲間を探すため?」
「それもある。でも、もっと色んな場所を見たい」
里を出たばかりの頃は、外の世界に何があるのかさえ知らなかった。
この三か月で、町の暮らしと冒険者の仕事を知った。
初めてのダンジョンへ入り、命の危険も経験した。
前よりも、世界が広いことを感じている。
「私たち、まだ何も知らないね」
「これから知ればいいだろ」
「簡単に言うね」
「難しく考えても、歩くしかないじゃん」
カイは東へ続く通りの先を見た。
この町の門は閉じられている。
今はまだ、暗闇の向こうに何があるか分からない。
それでも四日後には、あの門を抜けて歩き始める。
「スイ」
「なに?」
「絶対見つけような」
誰を、とは言わなかった。
言わなくても分かる。
「うん」
「何年かかっても」
「うん」
「世界中回っても」
「うん」
「酒が全部なくなっても」
「それはないよ」
「例えだろ」
「カイ、酒がなくなったら旅やめそう」
「やめねぇよ。自分で造る」
「あはは! 結局そこなんだ」
カイも笑った。
その笑い声に重なるように、遠くから夜の鐘が響く。
二人は宿へ向かって歩き出した。
夕食を終え、部屋へ戻ると、卓の上には書き終えた二通の手紙が置かれていた。
明日の朝、里へ向かう商人へ預ける予定だ。
スイは荷物の隙間に手紙をしまい、寝台へ腰を下ろした。
カイは窓を開け、夜空を見上げている。
雲の切れ間から、いくつかの星が見えた。
「アムたちも、同じ空見てるかな」
スイが呟く。
「見てるかもな」
「同じ時代にいるかな」
「いる」
「また根拠ないよ」
「なくていいだろ」
カイは窓枠へ腕を乗せた。
「いないって決めたら、探せない。でも、いるって思ってれば探し続けられる」
スイはその横顔を見た。
難しいことを考えているようには見えない。
ただ、自分が信じたいものを疑わずに持っている。
それがカイの強さであり、危うさでもあった。
「じゃあ、いるね」
「だろ?」
「世界のどこかに」
「俺たちを待ってるかもしれない」
「待ってなかったら?」
「会った時に驚かせる」
「忘れられてたら?」
「もう一回仲良くなる」
少しの迷いもない答えだった。
記憶が同じ形で残っているとは限らない。
姿も名前も変わっているかもしれない。
すでに別の生活を持ち、二人を知らない可能性だってある。
それでも、探すことをやめる理由にはならない。
「カイ」
「ん?」
「見つけた人が、私たちと一緒に来たくないって言ったら?」
カイは少しだけ考えた。
「それなら無理には連れてかない」
「寂しくない?」
「寂しい」
正直に答える。
「でも、仲間だからって同じ道を歩かなきゃいけないわけじゃないだろ。元気でいるって分かれば、それでいい時もある」
スイは静かに目を細めた。
探して、会う。
それだけを考えていた。
再会した後のことまでは、まだ分からない。
誰もが同じ願いを持っているとは限らない。
それでも、その人が選んだ道を認められるなら、再会は悲しいだけでは終わらない。
「カイ、たまにすごくいいこと言うよね」
「たまに?」
「普段が酒と肉ばっかりだから」
「俺はいつもいいこと言ってる」
「今日の朝は『焼き魚が俺を呼んでる』って言ってたよ」
「あれもいいことだろ」
「あはは!」
スイの笑い声が、静かな部屋へ広がった。
やがて窓を閉じ、二人はそれぞれの寝台へ入った。
灯りを消すと、暗闇の中に町の音だけが薄く残る。
遠くの酒場。
荷車の車輪。
宿の廊下を歩く足音。
「スイ」
「なに?」
「四日後、晴れるかな」
「分からないよ」
「雨だったら?」
「出発はするでしょ」
「最初から雨は嫌だなぁ」
「旅は天気を選べないよ」
「酒があれば大丈夫か」
「持っていかないって言ったでしょ」
「まだ決まってない」
「小瓶は置いていく」
「おやすみ、スイ」
「話を終わらせないで」
「傷が痛いから寝る」
「都合よすぎ」
暗闇の向こうから、カイの小さな笑い声が聞こえた。
スイは呆れながらも、それ以上は言わなかった。
窓の外では、星が雲の向こうへ隠れていく。
東へ続く道も、遠く離れた仲間たちの行方も、まだ何一つ見えない。
それでも二人の荷袋には、次の旅へ持っていく物が少しずつ増えていた。
薬と食料。
新しい冒険者証。
家族へ宛てた手紙。
仲間の数だけ持ってきた、小さな木の駒。
そして、離れていてもいつか会えると信じる、幼い約束。
夜が明ければ、旅立ちまであと三日。
カイとスイは同じ町の同じ部屋で、まだ見ぬ道の続きを夢見ながら眠りについた。




