第7話 世界のどこかで 中編
翌朝、カイが目を覚ました時には、窓の外がすっかり明るくなっていた。
通りを行き交う荷車の音と、宿の一階から漂ってくる焼き魚の匂い。いつもなら、そのどちらかに気付いた時点で寝台から飛び起きる。
けれど今日は、身体を起こしたところで肩に鈍い痛みが走った。
「……痛ぇ」
「起きた?」
窓際の卓で帳簿を広げていたスイが、こちらへ顔を向ける。
すでに着替えを終え、淡い緑色の髪も整えられていた。卓の端には空になった湯飲みと、二人分の冒険者証が並んでいる。
「スイ、早くない?」
「カイが遅いの。朝の鐘、もう二回鳴ったよ」
「昨日疲れてたから仕方ないだろ」
「私も同じだけ歩いたけどね」
「箱庭使った分、スイの方が疲れてたんじゃねぇの?」
「だからいつもより長く寝たよ」
「何時に起きた?」
「鐘が一回鳴る前」
カイは少し考え、また毛布へ戻ろうとした。
「じゃあ俺も、あと一回鳴るまで」
「もう起きたんだから駄目」
「身体を休めるのも大事だろ」
「朝ご飯が終わっちゃうよ」
毛布が止まる。
カイは数秒だけ迷ったあと、ゆっくりと寝台から降りた。
「先に言えよ」
「最初から匂いしてるでしょ」
「焼き魚?」
「それと卵焼き」
「早く行こう」
「顔を洗って、薬を塗ってからね」
スイは卓の上に置いていた小さな薬瓶を持ち上げた。
昨夜、治療師から渡されたものだ。
カイの耳が目に見えて伏せる。
「朝飯の後じゃ駄目?」
「食べたら忘れるでしょ」
「忘れない」
「昨日、宿へ戻ってすぐ塗るって言ってたのに、肉を食べたら忘れたよね」
「あれは忘れたんじゃなくて、酒が半杯しかなくて考え事してた」
「それを忘れたって言うんだよ」
スイに促され、カイは寝台へ座り直した。
肩へ巻かれた布を外すと、昨日より腫れは引いている。黒く変色していた部分も薄くなり、傷そのものは順調に塞がり始めていた。
スイは指先へ薬を取り、傷の周囲へ慎重に塗っていく。
「痛かったら言ってね」
「昨日より全然――痛っ」
「今、押してないよ」
「薬が染みる」
「少し我慢して」
「スイの箱庭でどうにかならない?」
「昨日、同じ話したでしょ。治りやすくはできても、薬の代わりにはならないよ」
「便利だけど万能じゃないんだな」
「カイの力もそうでしょ」
「俺のは仲間がいないと弱いからな」
何気なく答えたあと、カイは少しだけ口を閉じた。
仲間がいないと弱い。
言葉にすると、能力の名前以上に自分らしい気がしてしまう。
「何?」
スイが顔を覗き込む。
「いや」
「また名前のこと気にしてる?」
「違うって」
「耳、赤いよ」
「薬が熱いんだよ」
「あはは! そういうことにしておくね」
傷へ新しい布を巻き終えると、二人は階下の食堂へ向かった。
朝食はスイの言ったとおり、川魚の塩焼きと卵焼き、それに味噌を使った汁物だった。
昨夜三皿の肉を食べたはずのカイは、席へ着くなり大盛りの米を頼んだ。
「よく食べられるね」
「昨日使った分を戻してる」
「魔力はご飯だけじゃ戻らないよ」
「身体は戻るだろ」
「お腹いっぱいになったら、また寝るんじゃない?」
「今日はギルド行くんだろ?」
「森の調査結果を聞きにね。それから、ユニークスキルの測定を受けるか決める」
「今日受けるの?」
「身体が治ってからの方がいいって言われるかもしれないけど、説明だけは聞いておきたい」
スイは汁物の椀へ口をつける。
温かな湯気が頬を撫で、冷えていた身体の内側へゆっくりと広がった。
魔力を使い切りかけた疲労は、一晩眠ったことでかなり軽くなっている。それでも、普段より身体の奥が重かった。
《私の箱庭》。
力の存在を意識すると、今でも胸の奥に小さな領域があるような気がする。
広げようと思えば、広げられる。
けれど、どこまで使っていいのかは分からない。
「カイは測りたくない?」
スイが尋ねる。
「必要ならやる」
「名前を言わなくていいって分かったから?」
「それもあるけど」
カイは焼き魚の骨を器用に外し、身を米の上へ乗せた。
「俺の力、スイが危ない時に急に強くなるだろ。限界が分かってないと、身体だけ壊れるかもしれない」
「そうだね」
「守れたと思ったのに、あとで動けなくなったら意味ないじゃん」
カイは魚を口へ運びながら、当たり前のことのように言った。
昨日までなら、力が出るなら使えばいいと思っていたかもしれない。
どれほど負担があろうと、その場を乗り越えられればいい。
だが、旅はその場だけで終わらない。
戦いの後にも道が続く。
仲間を守り、自分も一緒に帰る。
そのためには、力の限界を知る必要があった。
「成長したね」
スイが小さく笑う。
「何だよ、その言い方」
「前のカイなら、使えるなら使うって言いそうだったから」
「スイも、使いすぎて座り込んでただろ」
「私は風牙狼を放っておけなかったの」
「俺もゴブリンを放っておけなかった」
「じゃあ、お互い様だね」
「それな」
二人は朝食を終え、宿の主人へ今日も部屋を借りることを伝えた。
元々、この町を拠点にし続けるつもりはなかった。
冒険者としての基礎を覚え、ある程度の旅費が貯まれば、次の町へ向かう。
三か月前からそう決めている。
だが、具体的な日までは決めていなかった。
「そろそろ出るのか?」
宿の主人が、帳場の中から尋ねた。
「分かる?」
カイが聞き返す。
「荷物が増えすぎないよう、最近よく整理してるだろ。長く滞在する奴は、部屋へ物を広げ始めるもんだ」
「もう少ししたら、次の町へ行こうと思ってる」
「北か?」
「まだ決めてない」
カイはそう答えて、スイを見る。
旅の目的は仲間を探すこと。
どの方角にいるかは分からない。
手掛かりもない。
ただ大きな町や冒険者の集まる場所を巡り、転移者や転生者の噂を探すしかなかった。
「北へ行くなら、森の件が片付いてからにしろ。南へ戻るなら、今の季節は街道が混む。西は山道だが、次の町まで距離が短い」
主人は壁に掛けられた古い地図を指差した。
「東へ行けば、湖沿いに大きな交易都市がある。ここより人の出入りはずっと多い」
「大きな町?」
カイの耳が立つ。
「商人も冒険者も集まる。仲間探しなら、噂は聞きやすいかもね」
スイも地図へ近付いた。
この町から東へ伸びる街道。
途中に小さな村が二つあり、その先に大きな湖が描かれている。
「歩いて何日くらい?」
「寄り道しなければ五日。初めてなら六日は見た方がいい」
「ダンジョンはある?」
カイが尋ねる。
「あるらしいが、今のお前たちが入れる場所かは知らん」
「酒は?」
「交易都市なら何でもあるだろ」
「東にしよう」
「決めるの早すぎ」
スイは呆れながらも、地図から目を離さなかった。
人が集まる場所なら、仲間の情報を得られる可能性も高い。
今いる町で聞き込みは続けてきた。
だが、アムやゆうきたちの名前を知る者はいなかった。
容姿や話し方を説明しようとしても、記憶はまだ曖昧な部分が多い。
前世と同じ姿でいる保証もない。
自分たちと同じように、別の種族として生まれているかもしれない。
「ギルドで、東の町についても聞こうか」
「行く?」
「まだ決定じゃないよ。道の安全とか、受けられる護衛依頼があるかも確認してから」
「護衛依頼?」
「同じ方向へ行く商人がいれば、旅費を稼ぎながら移動できるでしょ」
「いいじゃん」
「ただし、私たちはFランクになったばかり。受けられるかは分からないよ」
「聞くだけならいいだろ」
「うん」
主人へ礼を言い、二人は宿を出た。
昨日と同じ道を歩いているのに、町の景色が少し違って見えた。
三か月を過ごした場所。
初めて冒険者になり、最初の依頼を受け、何度も帰ってきた町。
いつの間にか、知らない場所ではなくなっている。
「ここ出るの、ちょっと寂しい?」
スイが尋ねた。
「少しな」
「私も」
「でも、ずっといたら仲間探せないし」
「うん」
「また戻ってくればいいだろ」
カイは歩きながら、通りの店へ手を振った。
屋根を走った日に焼き餅をくれた店主が、呆れたような顔で手を上げ返す。
「まだ出るって決めてないよ」
「いつでも戻れるって話」
「それなら、そうだね」
冒険者ギルドへ着くと、入口横の掲示板に《風抜けの洞・立入禁止》と書かれた札が増えていた。
その前には何人かの冒険者が集まり、昨日の出来事について話している。
「本当にゴブリンメイジがいたのか?」
「新人二人が見つけたらしい」
「風牙狼まで出たって話だぞ」
「新人が風牙狼を倒したのか?」
聞こえてきた言葉に、カイの足が止まる。
「倒してない」
思わず口を挟むと、集まっていた冒険者たちが一斉に振り返った。
全員、カイとスイより年上だった。
装備の使い込み方を見ても、自分たちより経験がある。
「もしかして、お前らが見つけた新人か?」
短い髭を生やした男性が尋ねる。
「新人だけど、もうFランク」
カイが胸元の冒険者証を見せる。
「昨日上がったばかりでしょ」
スイが横から小声で言う。
「上がったのは本当だろ」
男性は木札を確認し、感心したように眉を上げた。
「本当だ。三か月でFか」
「それより風牙狼は倒してない。ゴブリンに捕まってたから助けただけ」
「助けた?」
別の冒険者が怪訝そうに聞き返す。
「魔物を?」
「傷ついてたから」
「襲われなかったのか?」
「襲われてない。最奥まで案内してくれた」
周囲の視線が二人へ集まる。
信じていない者。
驚いている者。
面白がっている者。
その中で、一人の年配の冒険者だけが、静かに顎へ手を当てていた。
「風牙狼は誇りが高い。命を助けられたことを理解していたのかもしれんな」
「魔物が恩を返すってことか?」
「人間より義理堅い魔物もいる。逆もいるがな」
年配の冒険者はカイを見た。
「ただし、次に会った時も同じとは限らん。野生の獣との関係は、人間同士の約束とは違う」
「分かってる」
「ならいい」
カイは少しだけ胸を張った。
分かっている。
すべてを信用したわけではない。
それでも、また会いたいと思う気持ちまで否定する必要はない。
「ところで、ゴブリンメイジはどうなった?」
「逃げた」
「追わなかったのか?」
「必要なかったから」
カイは迷わず答えた。
「俺たちは風牙狼を助けて、調査札まで行くのが目的だった。追って別の群れに入ったら危ないだろ」
男性は一瞬目を丸くし、それから頷いた。
「いい判断だ」
「倒せたかもしれないけどね」
スイが付け加える。
「でも、倒せることと倒す必要があることは違うから」
「誰に教わった?」
「里の人」
「いい里だな」
話を終え、二人は受付へ向かった。
昨日と同じ女性が、二人を見るなり小さく笑う。
「おはようございます。お身体は大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫」
「私は少し疲れが残ってるくらいです」
「治療師からは、今日は魔法を控えるよう伝言を受けています」
「もう伝わってるの?」
スイが目を瞬く。
「安全に関わる内容だけです。能力の詳細までは共有されていません」
受付の女性はそう答え、カイの肩へ視線を向けた。
「傷は?」
「薬塗った」
「スイさんが?」
「俺が自分で塗ろうとしたら、見えない場所だから任せろって」
「カイに任せたら、傷の周りだけ塗りそうだったので」
「傷に塗ればいいんじゃないの?」
「その周りも含めて薬を馴染ませるの」
「初めて聞いた」
「朝説明したよ」
「痛くて聞いてなかった」
「堂々と言わないで」
受付の女性は笑いを堪えながら、奥から一枚の紙を持ってきた。
「森の調査隊は夜明け前に出発しました。まだ正式な報告は戻っていませんが、先ほど連絡用の鳥が一羽届いています」
二人の表情が変わる。
「風牙狼は?」
カイがすぐに尋ねた。
「洞窟内にはいなかったそうです。石室に血痕は残っていましたが、新しい争いの跡はありません」
「ゴブリンは?」
「逃げた個体も確認されていません。ただし、洞窟の外で複数の足跡が見つかっています」
女性は紙へ目を落とす。
「六匹より多い。少なくとも十数匹が、数日の間に森を出入りしていた可能性があります」
「群れがいるんだ」
スイが呟く。
「その可能性が高いです。調査隊は足跡を追わず、まず洞窟内の安全確認を優先しています」
「追わないの?」
カイが尋ねる。
「人数と装備が、群れを追跡するためのものではありません。痕跡だけ記録し、一度戻る予定です」
昨日の自分たちと同じだ。
できることを確認し、それ以上は追わない。
カイは少し安心したように息を吐いた。
「風牙狼、逃げられたんだな」
「おそらくは。ただし、森のどこにいるかまでは分かりません」
「元気ならいい」
女性は二人へ紙を見せながら続ける。
「調査隊が戻り次第、詳しい結果をお伝えします。立入禁止の解除は、その後の討伐隊が周辺を確認してからになるでしょう」
「討伐隊?」
「ゴブリンの群れが街道へ近付いている場合は、放置できません。規模によっては、近隣の町からも冒険者を集めます」
カイは掲示板の方を振り返った。
昨日まで、ただの小規模なダンジョンだった場所。
その奥に、自分たちが知らなかった問題が隠れていた。
「俺たちも参加できる?」
「今の段階では何とも言えません。ただし、ゴブリンの集団討伐は、最低でもEランク以上が中心になります」
「俺たちFだぞ」
「だから一つ足りません」
「一個くらい」
「ランクは数字ではありません。討伐人数が増えるほど、個人の強さより連携と経験が必要になります」
受付の女性の口調は優しい。
だが、断る意志ははっきりしていた。
「今回は、情報を見つけたところまでが二人の仕事です」
「でも、俺たちが見つけた群れだろ」
「だからこそ、無事に報告してくれたことに意味があります。見つけた者が、最後まで戦わなければならないわけではありません」
カイは何かを言いかけ、口を閉じた。
自分たちが見つけた。
風牙狼を助けた。
なら、その先まで見届けたい。
そう思う。
けれど、今の自分たちが討伐隊へ加わったところで、他の冒険者に守られる側になるかもしれない。
それでは意味がない。
「分かった」
少しだけ悔しそうに答える。
「カイ」
スイが隣から呼びかける。
「大丈夫。勝手についていかない」
「本当?」
「昨日約束しただろ」
「ならいいけど」
受付の女性は二人が落ち着いたのを確認してから、別の用紙を取り出した。
「ユニークスキルの測定について、説明を聞きに来られたのですか?」
「はい」
スイが答える。
「受けるかどうかは、話を聞いてから決めたいです」
「もちろんです。測定は任意で、結果も本人の許可なく公開されません」
女性は、測定できる内容を一つずつ説明した。
魔力の消費量。
効果の及ぶ範囲。
能力を維持できる時間。
使用後の身体への負担。
カイの場合は、スイとの距離を変えながら身体能力の変化を確認する。
ただし、危険な状況を意図的に作ることはない。
「仲間を守ろうとした時の強化は測れない?」
カイが尋ねる。
「本人が本当に危険だと思わなければ、正確な効果は出ないでしょう。測定のためにスイさんを危険へ晒すこともできません」
「じゃあ、そこは分からないまま?」
「実戦で起きたことを記録し、少しずつ推測するしかありません」
カイは自分の手を見た。
スイが落とし穴へ滑りかけた時。
矢が飛んできた時。
考えるより早く身体が動いた。
測ろうと思って出せる力ではない。
「スイの方は?」
「安全な範囲から少しずつ領域を広げ、魔力の減り方を確認できます。回復効果については、軽い疲労や訓練後の筋肉痛で測定します」
「傷ついた人は使わない?」
「測定のために人を傷つけることはありません」
「よかった」
スイは胸元へ手を当てた。
誰かを治せるのなら、どこまでできるのか知りたい。
けれど、そのために誰かが傷つくのは違う。
「今日は二人とも万全ではありません。測定を受けるなら、数日休んでからがいいでしょう」
「その間に森の結果も出る?」
「はい」
「じゃあ、それまでこの町にいる」
カイが答え、スイも頷いた。
「測定が終わったら、東の交易都市へ向かいたいんです。護衛依頼がないかも聞けますか?」
スイの言葉に、受付の女性が少し驚いた顔をする。
「旅立たれるんですね」
「まだ日にちは決めてません。でも、仲間を探すなら人が多い場所へ行きたいので」
「東の交易都市なら、四日後に商隊が出発する予定です」
「護衛を募集してる?」
「正式な募集は今日の午後に出されます。ただし、Fランク二人だけで受けられる依頼ではありません」
カイの耳が僅かに下がる。
「またランク?」
「今回は、湖までの街道で魔物の目撃が増えているためです。護衛の中心はCランクの隊が担当し、Fランクは補助要員として加わる形になります」
「補助なら受けられる?」
「商隊側と、護衛をまとめる隊の判断になります」
「その隊、どんな人たち?」
「まだ正式には決まっていません。依頼が掲示されれば、複数の隊から応募があります」
スイは少し考えた。
知らない冒険者たちと、六日近く行動する。
二人だけの旅とは違う。
連携や規則も、相手の隊に合わせなければならない。
「応募するだけしてみようか」
「それな」
カイがすぐに頷く。
「駄目って言われたら、普通に歩いて行けばいいし」
「護衛なしで?」
「街道なら大丈夫だろ」
「魔物が増えてるって聞いたばかりでしょ」
「じゃあ、別の商隊を探す」
「それがいいね」
受付の女性は仮の申請用紙を二人へ渡した。
「午後に依頼が出されたら、こちらを提出してください。採用されるかは分かりませんが、今回のダンジョン調査で見せた判断力は評価として記載できます」
「ユニークスキルは?」
カイが警戒するように尋ねる。
「本人の許可なく、依頼主へ伝えることはありません」
「名前も?」
「もちろんです」
「よかった」
「そんなに嫌なの?」
スイが笑う。
「交易都市までずっと《愛を求める怪獣》って呼ばれたらどうすんだよ」
「呼ぶ人いないよ」
「スイがいる」
「私はカイって呼ぶよ。戦う時だけは分からないけど」
「絶対呼ぶ気じゃん」
「あはは!」
二人は申請用紙を受け取り、受付を離れた。
午後まで時間がある。
傷の残るカイも、魔力を使えないスイも、今日は依頼を受けられない。
「どうする?」
スイが尋ねる。
「旅の準備」
「珍しく真面目だね」
「俺の革鎧、見てもらうんだろ?」
「覚えてたんだ」
「朝飯の時に言ってたじゃん」
「昨日の話だよ」
「……覚えてた」
「今、思い出したでしょ」
「細かいことはいいんだよ」
二人はギルドを出て、防具屋へ向かった。
朝の通りには、今日も多くの人が行き交っている。
商人。
冒険者。
旅人。
この町へ来る者もいれば、どこかへ去っていく者もいる。
自分たちも、もうすぐその一人になる。
「東の町に、誰かいるかな」
スイが小さく呟いた。
「いるかもしれない」
「いなかったら?」
「次に行く」
「そこにもいなかったら?」
「また次」
「世界中回ることになるよ」
「最初からそのつもりだろ」
カイは前を向いたまま笑う。
「見つかるまで旅すればいい。酒も増えるし」
「やっぱりそっちも大事なんだね」
「仲間見つけて、一緒に飲むんだよ」
「アム、お酒飲めたかな」
「飲めなかったら果実水でいいだろ。ゆうきは?」
「どうだろ。ぽぽは飲みそう」
「絶対飲む」
二人の記憶の中で、仲間たちの輪郭はまだ曖昧だった。
顔を鮮明に思い浮かべられない者もいる。
声だけが残っている者もいる。
それでも、その名前を口にすると、胸の奥に温かなものが生まれた。
確かに一緒に笑った。
大切だった。
なら、探す。
それだけで十分だった。
「全員見つかったら、木の駒も使えるな」
カイが言う。
「まだ諦めてなかったの?」
「人数分あるって」
「足りる?」
「足りなかったら作る」
「最初に持ってきた十個、無駄じゃなかったって証明したいだけでしょ」
「違う。仲間が増えるって信じてた」
「今、いい話みたいに言ったね」
「本当だぞ」
スイは少しだけ笑い、それ以上はからかわなかった。
カイの荷袋の底に眠る木の駒。
今は二つしか使われていない。
けれど、いつか卓を囲む者が増えるかもしれない。
遠い場所にいる仲間たちが、もう一度同じ場所へ集まる日が来るかもしれない。
その時まで、二人は歩き続ける。
世界のどこかにいる、忘れたくない名前を探して。




