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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
間章 獣人の約束

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第6話 忘れていた名前 中編


 淡い光は、スイを中心にゆっくりと広がっていた。


 洞窟の床を這うように進み、濡れた岩肌へ触れると、輪郭を薄く揺らして止まる。


 目に見える範囲は、半径にして十歩ほど。


 その内側では冷たかった空気が少しだけ和らぎ、呼吸をするたびに身体へ染み込んでいた疲労が薄れていく。


 カイは治りかけた腕の擦り傷を指でなぞった。


 傷口は完全に消えてはいない。赤く残った跡が、時間をかけて塞がろうとしていた。


「回復魔法とは違うよな」


「うん。私が治してる感じはしない」


 スイは右手を開き、足元へ広がる光を見下ろした。


「この中にいると、傷が治りやすくなるみたい。魔力の流れも整ってる」


「俺の身体が軽くなったのも、それか」


「たぶん。ただ……」


 スイは目を閉じた。


 光の届いている範囲を意識すると、その内側にあるものがぼんやりと浮かび上がる。


 壁の割れ目。


 地面の小石。


 天井から落ちる雫。


 カイが立っている位置。


 先ほど洞窟鼠が残した、薄い血の跡。


 目で見るのとは違う。


 自分の手のひらへ、小さな箱庭を乗せているような感覚だった。


「見なくても分かる」


「何が?」


「この光の中にあるもの。全部じゃないけど、どこに何があるか感じる」


 スイは目を閉じたまま、カイの方へ指を向ける。


「カイは私の前、三歩くらい。大剣は右側。左足の後ろに、少し尖った石がある」


 カイが足元を見る。


 言われた場所に、拳ほどの石が転がっていた。


「本当だ」


「それから、少し先の壁に細い穴がある。風がそこから来てる」


「便利すぎない?」


「でも、広い場所全部は無理みたい。私の近くじゃないと分からない」


 意識を強くすると、光がわずかに揺れた。


 同時に、スイの額へ薄く汗が滲む。


 身体の内側から、少しずつ魔力が抜けている。


「無理すんなよ」


 カイがすぐに言った。


「まだ大丈夫」


「その言い方する時、大体大丈夫じゃないだろ」


「カイに言われたくないなぁ」


「俺はちゃんと分かりやすいだろ」


「確かに。無理してる時も顔に出るもんね」


「褒めてないよな、それ」


 スイは目を開け、足元の光へ意識を向けた。


 力を抑えようとすると、広がっていた領域がゆっくりと狭まっていく。最後には二人の足元だけを照らし、やがて淡い粒となって消えた。


 洞窟には、魔石灯の白い光だけが残る。


 冷たい空気が戻ってきた。


「消せるんだな」


「ずっと出てたら困るよ。魔力がなくなっちゃう」


「俺のはどうやって止めるんだ?」


「まだ使ってるの?」


「いや、分かんねぇ」


 カイは大剣を片手で持ち上げ、軽く振ってみた。


 刃が風を押し分ける。


 普段より速い。


 けれど、先ほどスイを背にして戦っていた時ほどの力は感じなかった。


「少し弱くなってる気がする」


「私の《私の箱庭》が消えたから?」


「それもあるかもしれないけど……たぶん、俺の方も条件がある」


 カイは剣を肩へ乗せ、しばらく考え込んだ。


 自分の中へ浮かんだ能力名と共に、言葉では説明しづらい感覚が流れ込んできている。


 何ができるのか。


 どうすれば強くなるのか。


 誰かから教えられたわけではないのに、身体の奥では理解していた。


「仲間が近くにいると、力が上がる」


「仲間なら誰でも?」


「たぶん、俺が仲間だと思ってる相手。近い方が強くなるみたいだ」


「私一人でも?」


「今はスイしかいないだろ」


「それもそうだね」


「あと、守ろうとした時に一気に強くなった」


 先ほどの戦いを振り返る。


 洞窟鼠がカイの死角からスイへ向かった瞬間、身体の芯から力が湧いた。


 考えるより早く踏み込み、大剣を振り抜けた。


 単なる身体強化ではない。


 仲間を失いたくないという感情そのものが、力へ変換されたようだった。


「愛を求めるっていうより、愛を力にする感じじゃん」


 スイが言った。


「その言い方なら、まだマシだな」


「《愛を力にする怪獣》」


「結局、怪獣は入るのかよ」


「そこは大事でしょ」


「大事じゃねぇ」


「カイの名前だよ?」


「今の名前はカイだ」


「怪獣もカイでしょ」


「そうだけど、能力名に入れる必要はないだろ」


 カイは顔をしかめる。


 恥ずかしい名前ではあった。


 けれど、拒絶するような嫌悪感はなかった。


 怪獣という名前は、かつて仲間たちから呼ばれていた大切なものでもある。


 そして、愛を求めているという部分にも、心当たりがないわけではなかった。


 自由に生きたい。


 面白いことをしたい。


 誰かと笑っていたい。


 一人でいることが嫌いなわけではない。それでも、自分が仲間だと認めた者とは、できるだけ長く一緒にいたかった。


 だからこそ、名前を否定しきれないことが、余計に恥ずかしい。


「誰にも言うなよ」


「ギルドには報告しないと駄目じゃない?」


「能力だけでいいだろ」


「ユニークスキルの名前も登録すると思うよ」


「嘘だろ」


「危険な能力じゃないか確認するために、詳しく聞かれるんじゃないかな」


 カイはその場へしゃがみ込んだ。


「帰りたくなくなってきた」


「さっきまで奥へ行く気満々だったのに」


「ダンジョンよりギルドの方が怖い」


「ロウさんに言うだけでしょ」


「あの人、絶対笑わない顔で聞くじゃん。そっちの方が恥ずかしい」


「あはは! 確かに、真面目に記録される方が嫌かも」


「笑うなよ」


「ごめん。でも、想像したら……」


 スイは口元を押さえたまま肩を震わせる。


 カイは恨めしそうに見たが、やがて自分も小さく笑った。


「スイの名前はずるいな」


「《私の箱庭》?」


「普通に格好いい」


「でも、箱庭って狭そうじゃない?」


「スイらしいだろ。自分の近くにいる奴を守る感じで」


 何気なく口にされた言葉に、スイは少しだけ目を伏せた。


「……そっか」


 足元へ広がった光。


 その中に、カイがいた。


 自分の手が届く場所にいる相手を守る力。


 遠くにいる誰かまで、すべて救えるわけではない。


 それでも、隣にいる者を包み込むことはできる。


「嫌?」


「ううん。好きかも」


「だろ?」


「カイに言われると、ちょっと悔しいけど」


「何でだよ」


「あはは!」


 明るい声が、再び洞窟へ響いた。


 その直後、奥から細かな石が転がる音が返ってくる。


 二人は同時に口を閉じた。


 カイが大剣を構え、スイも短剣を握り直す。


 笑っていても、警戒まで緩めたわけではない。


「さっきの洞窟鼠?」


 カイが小声で尋ねる。


 スイは目を閉じ、周囲の魔力を探った。


 ユニークスキルを使わなくても、これまで鍛えてきた感知はできる。


「違う。もっと小さい……一匹だけ。こっちには来てない」


「なら進むか」


「待って。地図を確認する」


 スイは荷袋から折り畳んだ紙を取り出した。


 入口から最初の分岐までは一本道。


 そこから右へ進み、風の強い通路を抜ければ小さな石室へ出る。調査札がある最奥までは、その先をさらに下るはずだった。


「今のところ、道は地図どおりだね」


「ダンジョンって形変わるんだろ?」


「少しずつって言ってたから、大きく違わなければ使えると思う。でも、地図だけ信じるのは駄目」


「スイの箱庭で道分かんない?」


「壁の向こうまでは見えないよ。私の近くにあるものが分かるだけ」


「じゃあ、罠探すのには使えそうだな」


「たぶん。でも、ずっと使うと魔力が足りなくなる」


「必要な時だけにしよう」


 カイは前へ向き直った。


「戦いになったら俺が前。道や罠はスイ。疲れたら言う」


「カイもね」


「俺は大丈夫」


「今決めたこと、もう破るの?」


「……疲れたら言う」


「よろしい」


 二人は再び歩き始めた。


 通路は奥へ進むほど狭くなり、天井も少しずつ低くなっていく。


 カイの大剣は、背負ったままでは岩へ当たりやすい。片手で持ち、切っ先を下へ向けながら進んでいた。


 足元には小さな水の流れがあり、靴底が何度も濡れた。


 風は一定ではない。


 正面から吹いたかと思えば、横の亀裂へ吸い込まれていく。


 いくつもの穴を通った音が重なり、ときおり誰かの話し声のように聞こえた。


「アムたちも、この世界にいると思う?」


 スイが不意に尋ねた。


 カイは足を止めずに答える。


「いるだろ」


「根拠ないよ」


「俺たちがいる」


「二人だけかもしれないじゃん」


「それでも探す」


 迷いのない声だった。


「いなかったら?」


「世界中探してから考える」


「何年かかるか分からないよ」


「別にいいだろ。旅するつもりだったんだし」


 カイは振り返り、笑った。


「仲間を探して、美味い酒も探す。一個で二つできるじゃん」


「酒は忘れないんだね」


「大事だからな」


「真面目な話してたのに」


「俺は真面目だぞ」


「顔が酒飲みたいって言ってる」


「今は言ってねぇよ。ダンジョンの中だぞ」


「終わったら飲む?」


「飲む」


「即答じゃん」


 二人の会話は軽かったが、スイの胸にあった小さな不安は少し薄れていた。


 戻った記憶は、まだところどころ途切れている。


 仲間たちの顔も、声も、鮮明な者と曖昧な者がいた。


 何を話したかまでは思い出せないのに、安心できた感覚だけが残っている相手もいる。


 それでも、探す理由には十分だった。


 存在した。


 大切だった。


 もう一度会いたい。


 それだけでいい。


「カイ」


「ん?」


「見つけようね」


「それな」


 前を向いたまま、カイの尾が一度大きく揺れた。


 通路を進むと、やがて最初の分岐が見えてきた。


 左側の道は緩やかに下り、右側からは冷たい風が吹いている。


 地図では右だった。


 カイは迷わず右へ向かおうとする。


「待って」


 スイが服の裾を掴んだ。


「地図は右だろ?」


「左から魔物の気配がする」


「右じゃなくて?」


「うん。少し遠いけど、三……四匹くらい。動いてる」


「左なら関係ないんじゃね?」


「今はね。でも、こっちへ回り込める道があるかもしれない」


 スイは分岐の中央へ立ち、周囲の壁を見渡した。


 右の通路は風が強く、匂いも音も流される。


 カイの鼻や耳だけでは、背後から近づく相手へ気付くのが遅れるかもしれない。


「箱庭、使う?」


「少しだけ」


 スイは深く息を吸った。


 足元から淡い光が広がる。


 先ほどよりも抑えられた、薄い領域。


 右の壁。


 左の地面。


 天井の小さな亀裂。


 その一つ一つが、輪郭を持って意識の中へ浮かび上がる。


「……右の通路、少し先で広くなってる」


「何かいる?」


「今は何もいない。でも、床に穴がある」


「落とし穴?」


「自然に崩れたのかもしれない。深さまでは分からない」


「行って見てみるか」


「ゆっくりね」


 二人は右の道へ進んだ。


 風が強くなり、魔石灯の光が揺れる。


 十歩ほど歩くと、通路は小さな空洞へ繋がっていた。


 スイが感じたとおり、中央付近の地面が黒く抜けている。


 穴の幅は一歩半ほど。


 飛び越えることは難しくない。


 だが、暗くて底が見えなかった。


 カイが近くの小石を拾い、穴へ落とす。


 石が壁へぶつかりながら落ちていく。


 数秒後、かすかな水音が返ってきた。


「結構深いな」


「落ちたら上がるの大変そう」


「縄はある」


「落ちる前提で進まないでよ」


 スイは穴の周囲を調べた。


 端の岩は湿っていて、踏めば崩れる可能性がある。


 助走をつけて飛べば越えられるが、着地する場所も狭い。


「左の壁沿いなら、足を置けるところがある」


「俺から行く」


「荷物を下ろした方がよくない?」


「このくらいなら平気」


 カイは大剣を背中へ固定し直し、穴の手前で足を止めた。


 跳ぶだけなら簡単だった。


 しかし、勢いをつけすぎれば向こう側の壁へぶつかる。


 着地地点を見定め、地面を蹴る。


 銀狼の身体が穴を越え、向こう側へ降りた。


 靴底が滑る。


 カイはすぐに腰を落とし、片手を壁へついて止まった。


「大丈夫?」


「余裕」


「今滑ったよ」


「止まったから余裕」


 カイは腰の縄を外し、片方を岩の突起へ巻き付けた。


「掴まって来い」


「飛べるよ」


「落ちた時のため」


「なら借りる」


 スイは素直に縄を受け取った。


 穴の前で呼吸を整え、二歩だけ助走をつける。


 軽い身体が宙を渡る。


 着地した瞬間、足元の石が小さく崩れた。


「スイ!」


 カイが腕を伸ばす。


 スイの身体が穴側へ傾く前に、手首を掴んだ。


 そのまま強く引き寄せる。


 スイはカイの胸元へぶつかり、二人揃って壁際へ倒れ込んだ。


 細かな石が穴へ落ちていく。


 しばらくして、水音が響いた。


「……危なかった」


「だから縄使えって言っただろ」


「使ってたよ」


「もっとしっかり掴め」


「カイが急に引っ張ったから離したの」


「引っ張らなかったら落ちてたぞ」


「それは、ありがとう」


「怪我は?」


「ない。カイは?」


「平気」


 スイは起き上がろうとしたが、カイの腕がまだ手首を掴んでいた。


「カイ?」


「……今、力上がった」


「ユニークスキル?」


「たぶん」


 スイが落ちる。


 そう思った瞬間、身体が一気に軽くなった。


 普段なら支えきれない体勢でも、迷わず引き戻すことができた。


 カイは自分の手を見つめる。


「やっぱり、危ない時ほど強くなる」


「私が危なくなる必要があるの?」


「それは嫌だ」


「じゃあ、試せないね」


「試さなくていい。必要な時に出ればそれでいいだろ」


 カイはそう言って立ち上がり、スイの手を離した。


「次から俺が先に足場確認する」


「最初からそうしてたよ」


「もっとちゃんと確認する」


「うん。私も、箱庭で分かったからって安心しすぎないようにする」


 能力があれば、何でもできるわけではない。


 気配を感じられても、足場が崩れる瞬間までは正確に分からなかった。


 力が目覚めたばかりだからではない。


 どんな能力にも、届く範囲と届かない範囲がある。


 二人はそれを、最初の危険で理解した。


 穴を越えた先には、細い道が続いていた。


 地面は先ほどより乾いている。


 風も少し弱まり、代わりに生き物の匂いが濃くなった。


 カイが鼻を鳴らす。


「何か臭う」


「魔物?」


「たぶん。腐った肉みたいな匂いもする」


 スイは《私の箱庭》を一度消し、通常の魔力感知へ切り替えた。


「少し先に何かいる。動いてない」


「さっき感じてたやつ?」


「違うと思う。こっちは一つだけ。でも、魔力が大きい」


 二人の足が止まる。


 事前に聞いていた情報では、このダンジョンにいるのは低級の魔物が中心だった。


 大きな魔力を持つ個体がいるとは聞いていない。


「戻る?」


 スイが尋ねた。


 カイはすぐに答えず、通路の奥を見た。


「向こうは俺たちに気付いてる?」


「動かないから分からない」


「避ける道は?」


「今のところ一本道」


 依頼の目的は、最奥の調査札へ魔力を登録すること。


 この先へ進めなければ達成できない。


 だが、正体の分からない相手へ近づく必要もない。


「少しだけ見に行く」


「見て、危なそうなら戻る?」


「ああ。戦うためじゃなくて、確認だけ」


 スイはカイの表情を見つめた。


 戦いたい気持ちを隠しているようには見えない。


 未知の相手を確認し、進めるか判断しようとしている。


「分かった。でも、私が止まってって言ったら止まって」


「スイも、危ないと思ったらすぐ言えよ」


「うん」


 カイが先へ進む。


 大剣は抜かず、すぐ手が届く位置へ置いたまま。


 スイは半歩後ろを歩き、魔石灯の光を少し絞った。


 明るすぎれば、相手にこちらの位置を知らせてしまう。


 通路の先に、広い空間が見えてきた。


 岩壁へ反射する、弱い青色の光。


 天然の魔石が露出しているらしく、魔石灯を消しても輪郭が見えるほどだった。


 二人は入口の陰に身を寄せ、内部を窺う。


 最初に見えたのは、地面へ散らばる骨だった。


 洞窟鼠。


 角兎。


 小型の魔物のものが多い。


 その中央に、大きな影が横たわっていた。


 狼に似た姿。


 ただし、カイよりもはるかに大きい。


 灰色の毛皮は血と泥で汚れ、背中にはいくつもの傷が走っている。


 魔物は倒れていた。


 死んではいない。


 腹がゆっくりと上下し、苦しそうな呼吸音が空洞へ響いている。


「風牙狼……」


 スイが小さく呟いた。


 町の資料で見たことがある。


 風の魔法を使う狼型の魔物。


 通常はBランク。


 低級の魔物しかいないはずの場所へ現れる相手ではない。


「怪我してる」


 カイが言う。


「罠かもしれないよ」


「分かってる」


 風牙狼の前脚には、黒い鎖のようなものが巻き付いていた。


 金属ではない。


 濁った魔力が形を作り、傷口へ食い込んでいる。


 その鎖から、空洞の奥へ細い線が伸びていた。


 自然に生まれたものには見えない。


「誰かの魔法?」


「たぶん」


 スイは目を凝らす。


 風牙狼から感じていた大きな魔力とは別に、奥の暗がりから薄い反応があった。


 一つではない。


「カイ」


 スイの声が低くなる。


「奥にいる。五匹くらい」


「何が?」


「ゴブリン。でも、普通のゴブリンと魔力が違うのが一匹いる」


 暗がりの中で、小さな赤い光が揺れた。


 次いで、低い笑い声が聞こえる。


 風牙狼の身体がびくりと震えた。


 黒い鎖が強く締まり、傷口から新しい血が流れる。


「捕まえてんのか」


 カイの声から、先ほどまでの軽さが消えた。


 倒せることと、倒す必要があることは違う。


 その言葉は忘れていない。


 だが、目の前では傷ついた魔物が嬲られている。


 風牙狼が人を襲う危険な魔物であることも事実だった。


 助ければ、自分たちへ牙を剥くかもしれない。


 それでも、見捨てることが正しいとは思えなかった。


「どうする?」


 スイが尋ねる。


 答えを任せたわけではない。


 二人で決めるための問いだった。


 カイは空洞の中を見渡す。


 ゴブリンは少なくとも五匹。


 奥にいる一匹は、杖のような物を持っている。


 黒い鎖を操っている個体だろう。


 通路は狭く、こちらへ引き込めば数の不利を減らせる。


 しかし、風牙狼を巻き込む可能性がある。


「助けたい」


 カイは正直に答えた。


「でも、俺たちまで死ぬのは違う」


「うん」


「だから、倒せるか確認する」


「私の箱庭を使えば、中の位置は分かると思う。でも、あそこまで広げたら魔力をかなり使う」


「一度だけでいい。数と場所が分かったら、後は俺が前へ出る」


「一人で行かないって約束したよ」


「スイも来いって意味じゃない。俺が先に出る。スイは届く場所にいてくれ」


 スイは少し考え、頷いた。


「分かった。カイが戦うなら、私も支える」


「危なくなったら戻る」


「風牙狼が襲ってきたら?」


「その時は逃げる。それでも無理なら戦う」


「ゴブリンを倒して、鎖を切って、逃げ道を作る。そこまででいい?」


「ああ。助けた後まで責任持てるとは限らないからな」


 助けたい。


 その気持ちだけで動かない。


 できることと、できないことを分ける。


 里を出る前に学び、旅の三か月で何度も確かめてきたことだった。


 スイは目を閉じた。


 足元から、淡い光が広がる。


 通路を抜け、空洞の中へ滑り込む。


 風牙狼。


 その周囲に四匹。


 奥の岩陰に一匹。


 さらに高い場所――天井近くの足場にも、もう一つ。


「六匹いる」


 スイが囁く。


「地面に五。上に一匹。奥の杖持ちが鎖を操ってる。天井近くに弓を持ってるのがいる」


「見落とすとこだった」


「右の壁際に細い道がある。ゴブリンの後ろへ回り込めるかもしれない」


「そこまで行ける?」


「私は無理。途中で箱庭の外に出る」


 カイは空洞の入口から右の壁を見る。


 岩の影が連なり、身を隠しながら進めそうだった。


「俺が右から杖持ちを狙う。スイは入口で弓を止められる?」


「距離があるから、短剣は届かない。でも石なら、風魔法で飛ばせる」


「使えたっけ?」


「少しだけ。里で習った基礎だよ」


「外してもいい。撃たせなきゃ十分」


「カイが出たら、私の位置も気付かれるよ」


「俺を狙わせる」


「それ、危ないって言ってるんだけど」


「当たらなきゃ平気」


「当たる可能性があるから言ってるの」


「じゃあ、スイの箱庭で守れる?」


「攻撃を防ぐ力はないと思う。でも、動きやすくはなる」


「十分」


 カイは背中の大剣をゆっくり抜いた。


 刃が岩へ触れないよう、両手で低く構える。


「俺が三つ数えたら行く」


「待って」


 スイがカイの肩へ手を置く。


 柔らかな光が二人を包んだ。


 身体の中を巡る魔力が整い、音がわずかに鮮明になる。


 カイの胸の奥で、《愛を求める怪獣》が反応した。


 スイが隣にいる。


 自分を信じ、背中を預けている。


 それだけで、腕へ力が満ちていく。


「いける?」


「ああ」


「名前、呼んであげようか?」


「今それ言う?」


「緊張してるかなって」


「別の意味で力抜けるわ」


「あはは! なら大丈夫だね」


 カイは小さく息を吐いた。


 肩から余計な力が抜ける。


 目の前にいるのは六匹。


 自分たちより数は多い。


 それでも、勝つためではない。


 救える命へ手を伸ばし、二人で帰るために戦う。


「一」


 カイが数える。


 ゴブリンの笑い声が響く。


「二」


 スイは石を一つ拾い、指先に風を集めた。


「三」


 カイが地面を蹴った。


 岩陰から飛び出す。


 空洞の空気が、一瞬で張り詰めた。

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