第5話 旅のはじまり 中編
街道へ出てから、二人はしばらく言葉少なに歩いていた。
朝の山道は涼しく、木々の隙間から差し込む光が、細い道の上へまだらな模様を落としている。足元には夜露が残り、踏むたびに草の匂いが立った。
里を離れた実感は、すぐには湧かなかった。
見える景色は、幼い頃から慣れ親しんだ山とよく似ている。
鳥の声も、風の冷たさも、湿った土の感触も変わらない。
ただ、振り返っても里の屋根が見えなくなった頃から、周囲の静けさが少し違って感じられた。
ここには、困った時にすぐ呼べる大人がいない。
道を間違えても、怪我をしても、二人でどうにかするしかない。
その事実が、荷袋の重さとは別の重みとなって背中へ乗っていた。
「スイ」
「なに?」
「静かじゃね?」
「山の中なんだから普通でしょ」
「いや、俺たちが」
スイは前を向いたまま、少しだけ耳を動かした。
「カイが静かだからじゃない?」
「俺のせい?」
「だいたいそう」
「さっきから考え事してた」
「珍しいね」
「失礼だな」
「あはは!」
いつもの笑い声が聞こえ、カイは少しだけ肩の力を抜いた。
やはり、こうしてくだらない話をしている方が自分たちらしい。
「何考えてたの?」
「旅に出たんだなって」
「今さら?」
「だって、景色あんま変わんねぇじゃん」
「国境までは和の国の山道だからね。宿場町も、たぶん見慣れた建物が多いと思うよ」
「じゃあ、外国って感じになるのはもっと先か」
「うん。南の宿場町から西へ進めば、少しずつ人の服装や言葉も変わるらしいけど」
「言葉、通じんの?」
「共通語があるから大丈夫。方言はあるみたいだけど」
「方言かぁ」
カイは顎へ手を当て、少し考える。
「俺たちも外の人から見たら、変な話し方してんのかな」
「してるんじゃない?」
「スイは丁寧に話せば平気そう」
「カイは無理そう」
「何でだよ」
「初対面でも今と同じ感じで話しそうだから」
「立場で話し方変えるの、面倒じゃん」
「偉い人にそれやったら怒られるよ」
「偉いだけで怒る奴とは仲良くなれねぇな」
「そういう問題じゃないって」
スイはため息をついたが、口元には笑みが残っていた。
前方の道が緩やかに下り始める。
山を抜けるにつれ、左右の木々が少なくなり、視界が開けていった。
遠くには細い川が流れ、その向こうに畑が広がっている。街道沿いには荷車の轍が増え、道端には旅人向けの小さな石碑が立っていた。
カイは足を止め、石碑へ近付く。
表面には、この先にある町までの距離と、街道沿いの水場が刻まれていた。
「読める?」
「一応」
「一応って何」
「字は読めるけど、こういう昔の書き方苦手なんだよ」
カイが目を細めながら石碑へ顔を近付ける。
「南の宿場町まで……二里?」
「三里」
「三か」
「数字から間違えないで」
「削れてんじゃん」
「そこじゃなくて、こっち」
スイが隣から指を差す。
カイはしばらく見比べたあと、何事もなかったように立ち上がった。
「まぁ、夕方には着くな」
「最初からそう言ってたよ」
「確認は大事だろ」
「読めてなかったけどね」
二人は再び歩き始める。
日が高くなるにつれ、街道を行き交う人の姿も増えていった。
籠を背負った農夫。
荷車を引く商人。
旅装の巡礼者。
中には、獣人ではない者もいた。
耳も尾も持たない人間の家族とすれ違った時、カイは思わず振り返った。
「本当に耳ないんだな」
「聞こえるよ」
スイが小声で注意する。
「いや、分かってるけどさ。里じゃほとんど見ないじゃん」
「外に出れば、人間もエルフもいるって習ったでしょ」
「習ったのと見るのは違う」
「じろじろ見ない」
「見てねぇって」
「見てたよ」
前を歩いていた人間の子供が、今度は逆にカイたちを振り返った。
銀狼の耳と妖狐の尾が珍しいらしい。
目が合うと、子供は慌てて母親の陰へ隠れた。
カイは一瞬迷ってから、軽く手を振った。
子供は母親の服を掴んだまま、小さく手を振り返す。
「ほら、向こうも見てる」
「子供だからでしょ」
「俺もまだ子供だろ」
「成人したんじゃなかったの?」
「こういう時だけ大人扱いすんのやめろよ」
「あはは!」
笑いながら進んでいく。
やがて、川沿いの開けた場所へ出た。
道端には大きな柳の木があり、その下に旅人が休めるよう石の腰掛けが並んでいる。近くには水汲み場もあった。
時刻はまだ昼より少し前だったが、朝から歩き続けていたせいで足に疲れが溜まり始めている。
スイが柳の木陰を指差した。
「少し休もう」
「まだ歩ける」
「歩けるかどうかじゃなくて、休める時に休むの」
「さっき母ちゃんにも似たようなこと言われた」
「じゃあ聞いて」
「はいはい」
二人は石の腰掛けへ荷物を下ろした。
背中から重みが消えた瞬間、カイは思わず大きく息を吐く。
「荷物、重っ」
「出発してから気付いたの?」
「背負ってる時は平気だった」
「今度、いらない物を減らそうね」
「まだ何も使ってないのに?」
「使わないから減らすの」
スイはそう言いながら、自分の荷袋から水袋を取り出した。
それから、母たちが持たせてくれた弁当を広げる。
布包みを開いた途端、焼いた肉と香草の匂いが木陰へ広がった。
「肉だ」
「見れば分かるよ」
「朝も肉食った」
「魚だったでしょ」
「似たようなもんじゃん」
「全然違うよ」
中には、甘辛く焼いた鶏肉、握り飯、漬物、蒸した芋が詰められていた。
どちらの弁当も量が多い。
スイは自分の包みを見て、少し眉を下げた。
「これ、夜の分まであるんじゃない?」
「昼で食えるだろ」
「カイはね」
「スイも食うじゃん」
「食べるけど、今はそこまでお腹空いてない」
「朝、何食った?」
「お味噌汁と魚とご飯と卵焼き」
「俺と同じじゃん」
「里が違うのに似てるね」
「今さらだな」
二人は握り飯を手に取り、並んで食べ始める。
川のせせらぎを聞きながら、木陰で食べる弁当は思っていた以上に美味しかった。
まだ半日も経っていないのに、家の味が少し懐かしく感じられる。
カイは鶏肉を頬張りながら、向こう岸へ目をやった。
川面が日差しを反射し、細かな光を揺らしている。
「スイ」
「うん?」
「帰りたくなった?」
スイはすぐには答えなかった。
握り飯を一口食べ、ゆっくり飲み込んでから川を見る。
「少しだけ」
「そっか」
「カイは?」
「俺も」
「さっき前だけ見るって顔してたのに」
「前向いてても、帰りたい時はあるだろ」
スイは小さく笑った。
「そうだね」
風が吹き、柳の細い枝が揺れる。
「でも、今帰ったら笑われるかな」
「笑われるだろうな」
「ひどい」
「俺も一緒だから大丈夫」
「何が大丈夫なの」
「二人で帰れば、半分ずつ笑われる」
「ならないよ」
「あはは」
カイは笑いながら、残りの握り飯を口へ放り込んだ。
湿っぽい気持ちは、笑えば全部消えるわけではない。
それでも、隣にスイがいるだけで少し軽くなる。
スイにとっても、きっと同じなのだろう。
二人は昼食を食べ終え、水場で水袋を満たした。
休憩を終えようとした時、街道の向こうから、車輪の軋む音が聞こえてきた。
見ると、一台の荷車がゆっくりと近付いてくる。
荷台には木箱や袋が高く積まれ、その横を三人の男たちが歩いていた。先頭にいるのは小柄な獣人の商人で、後ろの二人は護衛らしい。
荷車の片輪がぬかるみへ沈み、進めなくなっているようだった。
商人が御者台から降り、何度も荷車を押している。
「押せ! もう少しだ!」
「これ以上は無理だって!」
「荷を減らすしかないぞ!」
護衛たちの声が街道へ響く。
カイは立ち上がった。
「手伝うか」
「うん」
スイも迷わず頷く。
二人は荷物を背負い直し、荷車へ駆け寄った。
「押せばいい?」
カイが声をかけると、商人が驚いて振り返る。
「旅の子供か?」
「成人してる」
「その歳で?」
「和の国じゃ十二で成人」
カイが荷車の横へ回る。
ぬかるみに沈んだ車輪は、半分ほど泥へ埋まっていた。
積荷もかなり重そうだ。
「後ろから押せば出ると思う」
「いや、簡単に言うが、この荷車は大人三人でも動かなかったんだぞ」
「やってみれば分かるって」
カイは荷袋を下ろし、荷車の後ろへ両手を当てた。
足を踏ん張る。
息を吸い、身体の内側へ魔力を巡らせた。
無属性の身体強化。
さらに足元の地面へ意識を向け、沈み込まないよう土を固める。
まだ自在に使えるほどではない。
それでも、一年間の修行で覚えた範囲ならできる。
「スイ、車輪の前の泥どかせる?」
「少しなら」
スイは短剣を抜き、車輪の前へ溜まった泥を削り始めた。
護衛の一人が慌てて手伝う。
「せーので押すぞ!」
商人の声に合わせ、カイが全身へ力を込めた。
「せーの!」
荷車が軋む。
車輪は一度空回りしたが、固めた土へ引っかかり、少しだけ前へ動いた。
「もう一回!」
「おお!」
護衛たちも加わる。
カイは歯を食いしばり、足の裏で地面を踏み抜くように押した。
土属性の魔力が一瞬揺らぎ、足元がわずかに沈む。
それでも力を緩めない。
「うおおおっ!」
大きな音と共に、車輪がぬかるみから抜けた。
荷車が勢いよく前へ進み、御者台にいた商人が慌てて手綱を引く。
「止まれ、止まれ!」
荷車が数歩先で止まる。
カイはその場に座り込み、泥まみれの手を見た。
「できた」
「できたじゃないよ、急に押すから荷車に轢かれそうになったじゃん」
「スイは横にいただろ」
「護衛の人がだよ」
「悪い!」
カイが素直に頭を下げると、護衛の男は笑って手を振った。
「いや、助かったよ。すごい力だな、お前」
「銀狼だから」
「それだけじゃないだろ。魔力で地面を固めたな?」
「分かった?」
「俺も少し土魔法を使うからな。まだ荒いが、十三であれだけできれば十分だ」
褒められ、カイは照れたように鼻の下を擦った。
「まぁな」
「すぐ調子に乗る」
スイが呟く。
商人は荷車を安全な場所へ寄せると、二人へ深く頭を下げた。
「本当に助かった。このままだと荷を下ろすしかなかった」
「困ってたなら手伝うじゃん」
スイが自然に答える。
商人は目を丸くしたあと、柔らかく笑った。
「ありがたいことだ。君たちはどこへ向かっている?」
「南の宿場町。そこで冒険者登録する」
「なるほど。ちょうど私たちも同じ町へ向かうところだ」
商人は荷台から小さな布袋を取り出した。
「礼として、少ないが受け取ってくれ」
中には硬貨が入っているらしく、手渡された時に小さな音がした。
カイは袋を見て、すぐに商人へ返そうとする。
「別にいいよ。ちょっと押しただけだし」
「だが、働きには対価を払うものだ」
「でも」
カイは困ったようにスイを見る。
スイも少し迷ったが、商人の表情を見て、静かに頷いた。
「もらおう。断るのも失礼かもしれない」
「いいの?」
「その代わり、町まで一緒に歩いてもいい?」
スイの言葉に、商人は嬉しそうに頷いた。
「もちろんだ。こちらとしても、旅の人数が増えるのは心強い」
こうして二人は、商人一行と共に宿場町を目指すことになった。
荷車の進む速さは、二人だけで歩くより少し遅い。
だが、道中で話を聞けるのはありがたかった。
商人の名はダンロ。
狸の獣人で、和の国と南方の都市を行き来しながら、布や薬草、工芸品を扱っているという。
護衛の二人は冒険者で、どちらもDランクだった。
「冒険者登録したら、最初は何するんだ?」
カイが尋ねると、護衛の一人が腰の剣へ手を置いた。
「まずは講習だな。町によって違うが、依頼の受け方や魔物の危険度、違反した時の罰なんかを教わる」
「すぐ依頼できないの?」
「簡単な採取や雑用ならできる。討伐依頼は、実力を見るために試験がある場合もある」
「面倒だな」
「命がかかるからな」
もう一人の護衛が苦笑する。
「冒険者は自由に見えるが、好き勝手していいわけじゃない。依頼人を騙したり、町で問題を起こしたりすれば資格を失うこともある」
「カイ、ちゃんと聞いてね」
「聞いてるって」
「顔が面倒って言ってる」
「実際面倒そうだし」
「登録前から規則を嫌がるなよ」
護衛たちが笑う。
カイも頭を掻きながら笑った。
「でも、依頼を受ければ金になるんだろ?」
「ああ。宿代も食費も、自分たちで稼がなきゃならない」
「そこが問題だよね」
スイが少し真剣な顔になる。
里から持ってきた旅費はある。
だが、長い旅をするには到底足りない。今後は依頼や仕事を受けながら進まなければならなかった。
「最初は欲張らないことだ」
ダンロが御者台から振り返る。
「旅立ったばかりの者は、つい大きな依頼へ手を出したがる。だが、実力と旅の経験は別物だ」
「俺たち、野営ならできる」
「一晩か?」
「三日もやった」
「それなら立派だ。しかし、一月続けば話は変わる」
ダンロの言葉に、二人は黙った。
たった数日の野営でも、雨や寒さに苦労した。
食料の配分を間違え、火がつかず、眠れない夜もあった。
一月。
それが半年、一年となれば、今までとは比べものにならない。
「旅は、強いだけでは続かない」
ダンロは前を向いたまま続ける。
「疲れている時に進まない判断ができるか。少ない金で何を買うか。誰を信用し、誰を疑うか。そういう積み重ねの方が大事だ」
カイは前編の朝、父に言われた言葉を思い出した。
力だけでは生きられない。
あの時は分かっているつもりだった。
けれど、外の人から同じようなことを言われると、少しだけ現実味が増す。
「スイ」
「なに?」
「金の管理、任せた」
「最初からそのつもりだけど」
「俺が持つと使いそう」
「分かってるなら偉いね」
「何に使うと思う?」
「酒と、変な武器と、見たことない食べ物」
「全部必要じゃん」
「ほらね」
ダンロたちが声を上げて笑う。
カイは納得できない顔をしたが、反論はしなかった。
日が傾き始めた頃、街道の先に高い木造の門が見えた。
門の左右には土壁が続き、その向こうに何十もの屋根が並んでいる。
通りからは人々の声、荷車の音、家畜の鳴き声が聞こえてきた。
風に混じり、焼いた魚や味噌、甘い菓子の匂いまで漂ってくる。
カイは足を速めた。
「町だ!」
「見れば分かるって」
「すげぇ、人多い!」
「走らないで」
「宿取るんだろ? 早く行こうぜ」
「荷車と一緒に来たんだから、勝手に先へ行かない」
スイに荷袋の紐を掴まれ、カイは前のめりになったまま止まる。
「首締まるって」
「止まらないからでしょ」
宿場町の門前には、旅人や商人の列ができていた。
門番が一人ずつ行き先や荷物を確認し、通行札を渡している。
二人もダンロたちと並び、順番を待った。
「初めてか?」
門番がカイとスイを見て尋ねる。
「分かる?」
「顔に書いてある」
「どこに?」
「そういうところだ」
門番は苦笑しながら、二人の旅証を確認した。
和の国の里から発行されたものだ。
「十三歳で二人旅とは珍しいな」
「成人してる」
「分かってる。だが、外じゃ子供扱いされることも多い。気をつけろ」
「俺ら、そんな弱そうに見える?」
「弱いかどうかじゃない。若い奴は騙しやすいと思う者がいる」
門番の目が少しだけ鋭くなる。
「特に金と宿、それから酒だ」
「酒?」
「酔わせて金を取る店もある」
「最低だな」
「そう思うなら、知らない店へ簡単に入るな」
「分かった」
カイの返事を聞き、門番は今度はスイを見た。
「そっちの嬢ちゃんがしっかりしてそうだな」
「私も初めてなので、気を付けます」
「カイを見張っておけ」
「はい」
「即答すんなよ」
門番は笑いながら、二人へ通行札を渡した。
門をくぐった瞬間、町の喧騒が一気に押し寄せてきた。
街道沿いには商店や宿が並び、軒先には色とりどりの布や提灯が吊るされている。魚を焼く屋台、団子を売る店、旅道具を並べた露店。
獣人だけではない。
人間。
小柄な種族。
長い耳を持つ者。
見たことのない服装の旅人。
さまざまな人が行き交い、いくつもの言葉と匂いが混ざっていた。
「すげぇ」
カイは立ち止まったまま、右を見て左を見る。
「里の祭りより人いる」
「毎日こんな感じなのかな」
「見ろ、あれ何だ?」
「どれ?」
「あの丸い食い物」
「焼き餅じゃない?」
「色が赤い」
「辛い味噌が塗ってあるんじゃないかな」
「食おうぜ」
「先に宿」
「一個だけ」
「宿」
「スイ、旅は遊び心が必要だろ」
「それ、朝も聞いた」
スイがカイの腕を引く。
だが、今度は彼女自身も露店や建物へ視線を奪われていた。
初めて見る町。
知らない人々。
里の外へ出たのだという実感が、ようやく二人の胸へ届き始める。
ダンロは荷車を止め、二人へ振り返った。
「私はこの先の商会へ荷を届ける。君たちは、まず宿だったな」
「うん」
「なら、中央通りを少し進んだ右手に《旅籠・朝霧》という宿がある。値段も良心的で、食事も悪くない」
「酒は?」
「カイ」
スイが低い声で名前を呼ぶ。
ダンロは声を上げて笑った。
「酒もある。ただし、飲みすぎるなよ」
「分かってるって」
「その返事をする者ほど信用できない」
「今日、同じようなこと何回言われた?」
「五回くらい」
「数えてたの?」
「うん」
スイが真顔で頷く。
カイは少し傷付いたような顔をした。
ダンロは懐から一枚の木札を取り出し、二人へ渡した。
「宿の主人にこれを見せれば、少し安くしてくれるだろう」
「いいの?」
「荷車を助けてもらった礼だ。金も渡したが、あれだけでは足りん」
「十分だったのに」
「では、いつか君たちが誰かに返してやればいい」
スイリンは木札を両手で受け取った。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
カイエンも少し遅れて頭を下げる。
「冒険者登録を終えたら、商会へ顔を出してくれ。町の近くでできる簡単な仕事なら紹介できるかもしれない」
「本当?」
「ああ。旅立ち初日に出会ったのも何かの縁だ」
ダンロはそう言うと、荷車へ乗り直した。
二人は道の端へ寄り、荷車が人混みの向こうへ消えていくまで見送った。
「いい人だったね」
「うん」
「外にも親切な人、いるんだね」
「当たり前だろ」
「門番さんに騙されるって言われたばっかりじゃん」
「悪い奴もいる。いい奴もいる。それでいいんじゃね?」
カイは荷袋を背負い直し、宿のある方角を見る。
「全員疑ってたら、仲間なんか見つけられねぇし」
スイは少し目を細めた。
慎重でいることは大事だ。
けれど、疑うことばかり覚えたくはない。
困っている時に手を差し出し、差し出された手を受け取る。
その積み重ねの先に、きっと出会いがある。
「そうだね」
「だろ?」
「でも、宿はちゃんと確認してから入るよ」
「まだ疑うの?」
「それとこれは別」
「あはは! スイらしいな」
「笑わない」
二人は並んで中央通りを歩き始めた。
町の奥には、冒険者ギルドの看板も見えている。
剣と盾を重ねた意匠。
その建物の前を、武器を持った冒険者たちが出入りしていた。
カイの視線は、自然とそちらへ向かう。
「登録、今日できるんじゃね?」
「まず宿」
「見るだけ」
「荷物を置いてから」
「入口まで」
「駄目」
「スイ」
「駄目」
スイは前を向いたまま、きっぱりと言った。
カイは名残惜しそうにギルドを振り返る。
その時だった。
建物の扉が勢いよく開き、中から一人の男が転がるように飛び出してきた。
「危ない!」
スイの声に、カイが反応する。
男は石畳へ倒れ込み、そのすぐ後を追って、大柄な冒険者が外へ出てきた。
「逃げられると思うなよ!」
通りの空気が、一瞬で変わる。
周囲の人々が足を止め、店先の者たちが不安そうに様子を窺う。
倒れた男は顔を上げ、必死に後ずさった。
「違う、俺は盗ってない!」
「だったら、その懐の物は何だ!」
大柄な冒険者が男の胸倉を掴む。
その懐から、小さな革袋が石畳へ落ちた。
硬貨の音が響く。
カイの足が止まった。
「行くの?」
スイが隣で小さく尋ねる。
大柄な冒険者の方が強い。
倒れた男が嘘をついている可能性もある。
事情も分からない。
今の二人は、町へ着いたばかりの旅人だ。
関わらずに宿へ向かうこともできる。
カイは少しだけ眉を寄せた。
「分かんねぇ」
即座に飛び込まなかったことに、スイは何も言わなかった。
山犬の時とは違う。
倒せるかどうかではない。
何が起きているのかを見極める必要がある。
カイは周囲へ目を向けた。
革袋。
怒る冒険者。
怯える男。
そして、ギルドの入口から様子を見ている受付らしき女性。
次の瞬間、スイの耳がわずかに動いた。
「……カイ」
「どうした?」
「あの人、嘘ついてないかも」
「分かるの?」
「分からない。でも」
スイは革袋を見つめる。
「落ちた時、変な音がした」
「金の音じゃなくて?」
「うん。中に何か、魔力が流れてる」
本人にもまだ正体の分からない感覚。
旅立ち前から少しずつ芽生えていた、魔力の流れを捉える力。
その感覚が、革袋の中にある違和感を知らせていた。
カイはスイの表情を見る。
「調べる?」
「うん。ただ、いきなり割って入るのは危ない」
「じゃあ、ギルドの人呼ぶか」
カイは建物の入口へ目を向ける。
受付の女性も事態へ気付いていたらしく、すでにこちらへ向かっていた。
二人はその場で立ち止まり、騒ぎの行方を見守る。
宿へ向かうはずだった足は、まだ動かなかった。
旅立ち初日の町で、二人は早くも、自分たちの知らない揉め事へ足を踏み入れようとしていた。




