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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
間章 獣人の約束

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第4話 最初の一杯 前編


祝いの席が始まる頃には、空に薄い藍色が広がっていた。


銀狼の里の中央広場には、いくつもの篝火が焚かれている。火の上では大きな肉の塊が回され、落ちた脂が炭へ触れるたび、香ばしい煙が立ち上った。


長卓には炊きたての米、山菜の煮物、川魚の塩焼きが並んでいる。


普段よりも多くの料理が用意されていた。


成人の儀を終えた若者たちは、広場の中央に設けられた席へ集められている。銀狼の里で成人を迎えた者はカイエンを含めて五人。その隣には、妖狐の里から祝いに訪れたスイリンが座っていた。


まだ少し落ち着かない。


着慣れない晴れ着のせいだけではなかった。


卓の上に置かれた二つの小さな杯が、ずっと気になっている。


透明に近い白磁の杯。


その隣には、黒い陶器の酒瓶が一本。


幼い頃から何度も話してきた約束が、手を伸ばせば届くところまで来ていた。


「見すぎじゃね?」


隣に座るカイエンが言った。


「カイもさっきから見てるでしょ」


「俺は瓶の中身がちゃんと入ってるか確認してただけ」


「外から見えないじゃん」


「重さで分かる」


「触ってないのに?」


「見れば分かる」


「分からないでしょ」


スイリンが小さく笑う。


それでも視線は、また杯へ戻ってしまった。


酒の味は知らない。


夢の中で飲んでいた感覚はある。


けれど、味だけはどうしても思い出せなかった。


冷たかったのか。


甘かったのか。


喉が焼けるようだったのか。


断片の中にあるのは、杯を持つ手と、誰かの笑い声だけだ。


「スイ、緊張してる?」


「少しだけ」


「酒飲むだけだろ」


「カイは緊張してないの?」


「全然」


言い切った直後、カイエンの耳がわずかに動いた。


スイリンはそれを見逃さない。


「耳、立ってるよ」


「酒の匂いがしただけ」


「まだ開けてないじゃん」


「肉の匂いかも」


「じゃあ緊張してるんだ」


「してねぇって」


いつも通りのやり取りに、少しだけ肩の力が抜ける。


広場の奥では、カイエンの父親が里長と話していた。やがて話がまとまったのか、父親が酒瓶を持ってこちらへ歩いてくる。


その後ろには、スイリンの両親もいた。


母親は穏やかに笑っている。


父親はどこか落ち着かない様子で、何度も娘の姿を見ていた。


「待たせたな」


カイエンの父親が二人の前へ座る。


「これは、銀狼の里で造られた山葡萄の酒だ。お前たちが生まれた年に仕込み、今日まで蔵で寝かせていた」


カイエンが目を丸くした。


「俺が生まれた年?」


「ああ。本来は、お前が成人した日に家族で開けるつもりだった」


「じゃあ、スイが飲んでいいのか?」


「お前が最初の一杯を誰と飲みたいか、昔から嫌というほど聞かされていたからな」


父親は苦笑しながら、酒瓶の封を解いた。


乾いた音がする。


栓が抜かれた瞬間、甘い果実の香りが広がった。


スイリンは思わず鼻を動かす。


山葡萄の濃い香りの奥に、木と土を思わせる匂いが混じっている。果汁とは違う。少し重く、知らないのに懐かしい香りだった。


「いい匂い」


「思ったより甘そうだな」


カイエンが身を乗り出す。


父親は二人の杯へ、少しずつ酒を注いだ。


薄い紅色の液体が白磁の中で揺れる。


篝火の光を受け、赤と金の間を行き来するように見えた。


「最初だから、これくらいにしておけ」


杯の半分にも満たない量だった。


カイエンは不満そうに眉を寄せる。


「少なくね?」


「お前たちは今日成人したばかりだ。身体が急に大人になるわけではない」


「一杯だけって言ってたじゃん」


「その一杯がこれだ」


「これ、一口じゃね?」


「飲む前から文句を言うなら、下げてもいいが」


父親が杯へ手を伸ばすと、カイエンはすぐに両手で守った。


「飲む。これでいい」


「素直でよろしい」


スイリンの母親が、娘の前へ身を寄せる。


「無理に飲み切らなくてもいいのよ。口に合わなければ残しなさい」


「うん」


「喉へ一気に流し込まないこと。ゆっくり味わって」


「分かってる」


答えながら、スイリンは杯へ手を伸ばした。


指先が白磁に触れる。


冷たい。


両手で持ち上げると、中の酒がわずかに揺れた。


カイエンも隣で杯を持つ。


いつもならすぐに口をつけそうなのに、今日はまだ飲まない。


スイリンの方を見ていた。


「何?」


「いや。先に飲むの、違うかなって」


「珍しく気を遣ってる」


「約束しただろ。一緒に飲むって」


「……そうだね」


幼い頃。


囲炉裏の前で、大人たちの杯を眺めながら交わした約束。


大人になったら、一緒に飲む。


あの日は、こんなに早く来るとは思っていなかった。


七年という時間は、子どもにとってあまりにも長い。


それでも振り返れば、季節はあっという間に積み重なっていた。


雪の日に再会したこと。


一緒に夢を書き残したこと。


山で迷ったこと。


稽古で泥だらけになったこと。


失敗して、笑って、また次の約束をしたこと。


そのすべてが、今の一杯へ繋がっている。


カイエンが杯を少し持ち上げた。


「何て言うんだ?」


「何が?」


「こういう時の言葉」


「乾杯じゃない?」


「それ、夢の中でも言ってた気がする」


「私も」


言葉の響きが、不思議なくらい自然に胸へ落ちた。


この世界にも、杯を交わす時の言葉はいくつかある。


長寿を願うもの。


戦勝を祈るもの。


家族の繁栄を祝うもの。


けれど今の二人には、その短い言葉が一番馴染んだ。


スイリンは杯を掲げる。


「成人、おめでとう。カイ」


「スイもな」


「それから」


スイリンは一度言葉を止めた。


これから先のことを考える。


まだ旅には出ない。


一年間、準備をする。


武器を選び、魔法を学び、里の外で生きる術を身につける。


十三歳になった時、二人で和の国を出る。


探すのは、前の世界で笑い合っていた仲間たち。


そして、まだ知らない酒。


簡単に叶うとは思っていない。


それでも、ここで口にしておきたかった。


「これからの旅に」


カイエンは一瞬だけ目を丸くした。


すぐに笑い、杯を寄せる。


「それな。俺たちの旅に」


白磁同士が触れ、小さな音が鳴った。


「乾杯」


「乾杯」


二人は同時に杯へ口をつけた。


最初に感じたのは、山葡萄の甘さだった。


熟した果実の香りが舌の上へ広がる。


思っていたより飲みやすい。


そう感じた次の瞬間、強い熱が喉を通った。


「んっ……!」


スイリンは慌てて杯を離す。


喉の奥がかっと熱くなり、胸のあたりまで焼けるようだった。


隣を見る。


カイエンも同じように目を見開いている。


けれど彼は、先に弱音を吐くまいとしているのか、口を固く閉ざしていた。


銀狼の耳だけが完全に後ろへ倒れている。


「カイ、大丈夫?」


「……余裕」


声が掠れていた。


スイリンは堪えきれずに笑う。


「あはは! 全然余裕じゃないじゃん!」


「スイだって変な顔してただろ」


「思ったより熱かっただけ」


「俺もそれ」


「じゃあ余裕じゃないでしょ」


「飲めたから余裕」


カイエンは再び杯へ口をつけた。


今度は慎重に、ほんの少しだけ。


スイリンも真似をする。


先ほどよりゆっくり舌へ乗せると、最初には分からなかった味が見えてきた。


甘さの奥に、わずかな酸味がある。


そのあとに木のような香りと、少しの苦味が残る。


母親が以前話していた通りだった。


甘いのに、苦い。


けれど嫌ではない。


喉へ落ちた熱が、身体の内側へゆっくり広がっていく。


冷えていた指先まで温かくなるようだった。


「どうだ?」


父親が尋ねる。


カイエンは杯を見つめ、少し考えてから答えた。


「うまい」


「本当に?」


スイリンが横から聞く。


「最初は熱かったけど、二口目はうまい」


「私は……思ってた味と違う」


「まずい?」


母親が心配そうに見る。


スイリンは首を振った。


「ううん。変な味。でも、もう一口飲みたい」


大人たちが笑う。


スイリンは少し恥ずかしくなりながら、もう一度杯を傾けた。


飲むほどに味が変わる。


口へ含んだ時より、飲み込んだ後の方が香りが残る。


夢の中で、以前の自分もこうしていたのだろうか。


誰かと杯を合わせ。


一口目に顔をしかめ。


それでも笑いながら、もう一度飲んだのかもしれない。


「なんか、懐かしい」


スイリンが呟く。


カイエンも杯を持ったまま頷いた。


「俺も思った」


「味を覚えてたわけじゃないのにね」


「こうやって飲んでる感じかもな」


隣に誰かがいる。


同じ杯を持ち、同じ酒を味わう。


その空気を、身体のどこかが覚えていた。


父親たちは顔を見合わせたが、詳しくは尋ねなかった。


二人が生まれる前のような夢を見ること。


同じ景色を思い出すこと。


両親には、少しずつ話していた。


すべてを信じてもらえたわけではない。


けれど、頭から否定されることもなかった。


妖狐にも銀狼にも、魂が形を変えて生まれ直すという言い伝えがある。


記憶を持つ者は稀だが、絶対にいないとは言い切れない。


ただ両親が心配していたのは、過去の記憶によって今の人生が薄れてしまうことだった。


今の家族より、思い出せない過去を大切にするのではないか。


いつか、この里を捨てるように去ってしまうのではないか。


その不安を、スイリンも感じ取っていた。


だから彼女は、杯を置いた後、両親へ向き直った。


「父さん、母さん」


「どうしたの?」


「私、来年になったらカイと旅に出たい。その気持ちは変わってない」


母親の表情が僅かに曇る。


父親は黙ったまま、娘の言葉を待った。


「でも、前の自分に戻りたいわけじゃないの。今の私を捨てたいわけでもない」


スイリンは胸元の木彫りへ触れる。


狼の牙を模した、小さな飾り。


幼い頃からずっと持ってきたものだ。


「私はスイリンで、二人の子ども。妖狐の里で育ったことも、全部私のものだから。旅へ出ても、それは変わらない」


自分の中に、二つの人生がある。


以前の世界で生きた自分。


和の国で生まれ、スイリンとして育った自分。


どちらかを選ぶ必要はない。


成人の儀で見た幻術の中で、そのことをはっきりと理解した。


過去へ戻るのではなく。


今の自分として、過去に繋がる誰かを探しに行く。


「帰ってくる?」


母親の声は、静かだった。


スイリンはすぐに頷いた。


「帰ってくるよ」


「何年かかるか分からなくても?」


「うん。私の家はここだから」


母親は目を伏せる。


その横で、父親がゆっくりと息を吐いた。


「帰る場所を忘れないのなら、旅に出ることを止めはしない」


スイリンが顔を上げる。


父親は厳しい表情のままだった。


「ただし、一年後までに私たちが納得できるだけの力を身につけること。戦えるだけでは駄目だ。金の管理、食料の確保、病や怪我への備え、土地ごとの決まりも学びなさい」


「分かってる」


「今の返事だけでは信用しない。行動で示せ」


「……はい」


思わず背筋が伸びる。


それでも、胸の中には小さな喜びが広がっていた。


明確に許されたわけではない。


条件を与えられただけだ。


けれど以前のように、子どもの夢として退けられたのではない。


自分で選んだ道として、初めて向き合ってもらえた。


「私、ちゃんとできるようになる」


「一人で全部できる必要はない」


父親はカイエンへ視線を向ける。


「二人で旅をするのなら、互いに足りないものを補えるようになりなさい。ただし、相手がいるから何とかなると甘えるな」


カイエンは少し驚いた後、真面目な顔で頷いた。


「分かった」


「お前にも言っているからな」


カイエンの父親が横から口を挟む。


「分かってるって」


「お前の『分かってる』は信用できないと、先ほど話したばかりだろう」


「じゃあ、行動で見せる」


「それでいい」


父親同士が視線を交わす。


二人の旅について、すでに何度か話し合っていたのだろう。


カイエンが思っていたより、大人たちは先のことを考えている。


「一年か」


カイエンが杯の中を見つめる。


「短いな」


「長いよ」


スイリンが言う。


「覚えること、たくさんあるんだから」


「でも、今までの七年よりは短いだろ」


「それはそうだけど」


「すぐだって」


カイエンは残った酒を少しずつ飲み切った。


空になった杯を卓へ置く。


「来年、旅に出る」


その言葉は、幼い頃よりもずっと重く聞こえた。


「仲間を探す」


「うん」


「うまい酒も探す」


「それもね」


「一番うまいやつ見つけたら、持って帰る」


カイエンは両親を見る。


「父ちゃんと母ちゃんにも飲ませる」


母親が目を細める。


「一本で足りるかしら」


「じゃあ、何本か持って帰る」


「割らずに運べるのか?」


父親が尋ねる。


「そこはスイが何とかする」


「私に任せるの?」


「俺が持ったら走る時に割りそう」


「分かってるなら走らないでよ」


「急ぐ時もあるだろ」


「酒を持ってる時は急がないの」


「あはは」と笑うスイリンの声に、周囲の大人たちも笑った。


旅の話をしているのに、広場の空気は重くならなかった。


危険が消えたわけではない。


心配がなくなったわけでもない。


それでも、二人が帰ってくる未来を言葉にすると、少しだけ先を信じられる。


篝火の向こうでは、楽師たちが太鼓を鳴らし始めていた。


成人した若者たちを祝う踊りが始まる。


銀狼の者たちは火を囲み、力強く地面を踏む。


妖狐の者たちは袖と尾を揺らし、軽やかに輪へ加わっていった。


カイエンが立ち上がる。


「行こうぜ」


「踊るの?」


「成人した奴は、最初に輪へ入るんだって」


「私、銀狼の踊り知らないよ」


「見てれば分かる」


「カイが教えてよ」


「俺もちゃんと覚えてねぇ」


「駄目じゃん」


「まあ何とかなるって」


カイエンが手を差し出す。


スイリンはその手を見て、小さく笑った。


「今日、それ何回目?」


「数えてねぇ」


「便利に使いすぎ」


「実際、何とかなってるだろ」


スイリンは手を重ねる。


篝火の近くまで行くと、熱が頬へ触れた。


太鼓の音が腹の奥へ響く。


見よう見まねで足を動かすが、銀狼の踊りは思っていたより難しかった。力強く踏み込んだ直後に身体を回し、周囲の者と位置を入れ替える。


カイエンは最初こそ得意そうにしていたが、二度目の回転で隣の青年と肩をぶつけた。


「カイ、違う!」


「分かってる!」


「逆だって!」


「スイこそ足止まってるぞ!」


「カイが変なところに来るからでしょ!」


二人は何度もぶつかり、そのたびに笑った。


周囲の者たちも、間違いを責めることはない。


成人の祝いは、上手に踊るためのものではなかった。


同じ火を囲み。


同じ地面を踏み。


これから里を支える者として、その輪へ加わるためのものだ。


スイリンは次第に動きを掴んだ。


カイエンの踏み込みに合わせ、身体を回す。


今度はぶつからない。


互いの手が一瞬だけ触れ、すぐに離れる。


昔から何度も一緒に走り、稽古をしてきた。


戦い方は違う。


歩幅も違う。


けれど相手がどこへ動くのかは、何となく分かる。


太鼓が速くなる。


カイエンが笑う。


スイリンも笑い返した。


「楽しいな!」


「カイ、さっきまで踊りたくなさそうだったじゃん!」


「やったら楽しかった!」


「単純!」


「スイも笑ってるだろ!」


「それはそうだけど!」


二人の声は、太鼓と歓声の中へ混ざっていった。


酒の熱がまだ身体に残っている。


頬が少しだけ熱い。


足元も、普段より軽く感じた。


けれど酔っているほどではない。


ただ、長く待っていた日を迎えられたことが嬉しかった。


子どもとして交わした約束を、二人で叶えた。


そして今度は、大人として次の約束をする。


一年後。


二人は里を出る。


その日までに、旅を続けられるだけの力を身につける。


夢の中に残る仲間を探す。


いつか再会できた時、今日よりもおいしい酒で杯を交わす。


踊りの輪が終わる頃、夜空には星が広がっていた。


篝火の煙が細く昇り、風に流されていく。


カイエンとスイリンは広場の端へ座り、少し乱れた呼吸を整えていた。


「疲れた」


カイエンが地面へ両手をつく。


「稽古より疲れてるじゃん」


「踊りって意外ときついな」


「カイが無駄に大きく動くからでしょ」


「格好いい方がいいだろ」


「踊りでもそれ言うんだ」


スイリンは笑いながら、空になった自分の杯を見た。


白磁の底には、赤い酒が一滴だけ残っている。


指で触れることはせず、そのままじっと眺めた。


最初の一杯。


きっと、これから先も忘れない。


味だけではない。


喉を通った熱。


カイエンが強がっていた顔。


両親が見守っていたこと。


二人で杯を合わせた、小さな音。


そのすべてが、ひとつの記憶として胸へ残っている。


「ねえ、カイ」


「ん?」


「次に飲むお酒は、これよりおいしいのにしようね」


カイエンは少し考え、首を傾げた。


「これ、かなりうまかっただろ」


「他を知らないからでしょ」


「じゃあ、もっと探さないとな」


「うん」


「一年後から」


「一年後じゃなくても、町へ行けば飲めるよ」


「それな」


カイエンはすぐに立ち上がりかけた。


「今から行くか?」


スイリンは袖を掴んで引き戻す。


「行かないよ」


「近くの町なら、夜でも――」


「成人したばっかりで里を抜け出したら、旅に出る前に信用なくすでしょ」


「ちょっと見るだけ」


「駄目」


「一杯だけ」


「さっき一杯だけって言われたじゃん」


「少なかっただろ」


「カイ」


スイリンが少し低い声で名を呼ぶ。


カイエンは数秒だけ黙り、それから座り直した。


「……今日はやめとく」


「今日は、じゃなくて勝手に行くのはずっと駄目」


「分かってる」


「本当に?」


「行動で見せる」


父親に言われた言葉をそのまま使い、カイエンは笑った。


スイリンも呆れながら笑う。


「じゃあ、明日から頑張ろうね」


「何を?」


「旅の準備」


「明日は休もうぜ」


「一年しかないんだよ」


「今日成人の儀だったんだぞ。普通は休むだろ」


「じゃあ午前中だけ」


「午後も休みたい」


「少しだけ稽古」


「少しってどれくらい?」


「朝から夕方まで」


「それ全然少しじゃねぇ!」


二人の声が、夜の広場へ響いた。


少し離れたところで、両親たちが顔を見合わせる。


心配は尽きない。


一年で、本当に旅へ出せるほど成長するのか。


二人だけで、知らない土地を歩いていけるのか。


まだ答えは出ていない。


それでも今夜だけは、未来への不安よりも、無事に成人したことを祝っていた。


篝火が静かに燃える。


空の杯が二つ、並んで置かれている。


その向こうで、スイリンとカイエンは明日の予定を巡って言い合っていた。


幼い頃から変わらない声。


けれど二人はもう、ただ遠い未来を夢見るだけの子どもではなかった。


最初の一杯を飲み終えた夜。


二人の旅へ向けた一年が、静かに始まった。

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