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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
間章 獣人の約束

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第2話 同じ空を見上げて 前編


次の春が来るよりも早く、二人は再び顔を合わせた。


祭りから三月ほどが過ぎた、雪の深い日のことだった。


妖狐の里へ続く山道は白く埋もれ、竹林の葉にも薄い雪が積もっている。風が吹くたび、枝先から細かな雪がこぼれ、朝の光を受けてきらめいた。


里の入り口に立つ見張り台から、澄んだ鈴の音が聞こえてくる。


一度。


二度。


一定の間隔で、歩みに合わせて近づいてきた。


門番をしていた妖狐の男が目を細める。


雪道の向こうから現れたのは、銀狼の親子だった。


父親の方は、大きな荷を背負っている。厚手の外套には雪が積もり、その後ろを歩く少年は何度も足を取られながら、それでも先へ進もうとしていた。


腰には、小さな狐の鈴が結ばれている。


「妖狐の里へ何用だ」


門番が声を掛けると、銀狼の男は荷を背負い直した。


「薬草と毛皮の取引だ。里長には話を通してある」


「そちらの子は?」


「ついてくると言って聞かなかった」


少年は父親の陰から顔を出すと、門の先を覗き込んだ。


人を探すように耳を動かしている。


その姿を見て、門番は鈴へ目を落とした。


妖狐の里で作られる、子ども用の護符。


銀狼の少年が身につけているのは珍しい。


「誰かに会いに来たのか?」


尋ねられた少年は、少しだけ胸を張った。


「スイ」


名を呼ぶ声に、迷いはなかった。



その頃、スイリンは家の裏庭で木剣を振っていた。


上段から振り下ろし、足を踏み込み、横へ払う。


動きの一つ一つはまだ荒い。


身体も小さく、木剣に振り回されているように見える。それでも、転びそうになるたび足を踏ん張り、何度も同じ動きを繰り返していた。


「十七、十八……十九……!」


最後の一振りで、木剣が地面へ刺さる。


勢いを止めきれず、スイリンもそのまま前へ倒れ込んだ。


雪の積もった地面へ、顔から突っ込む。


「つめたっ!」


慌てて顔を上げると、額から鼻先まで雪が張り付いていた。


軒下で洗濯物を畳んでいた母親が、呆れたようにこちらを見る。


「剣は地面と戦うためのものではありませんよ」


「分かってる。今のはちょっと足が滑っただけ」


「同じところで三回滑っています」


「ぐぬぬ……」


スイリンは袖で顔を拭い、木剣を引き抜いた。


祭りでカイエンと別れてから、剣の稽古を始めていた。


特別な理由があったわけではない。


ただ、次に会った時、何か一つくらい自慢できるものが欲しかった。


魔法はまだうまく使えない。


火花を出せば前髪を焦がし、水を動かせば自分の足元を濡らす。


ならば剣ならどうかと思ったのだ。


妖狐の一族は、魔法や短刀を扱う者が多い。


長い刀よりも、身軽さを活かせる短い刃を好む。


そのため、子ども用の木剣も長さは控えめだった。


それでも今のスイリンには重い。


「もう一回」


「少し休んだらどうです」


「あと十回だけ」


「さっきもあと十回と言っていませんでしたか?」


「今回は本当に最後」


母親は返事をせず、小さく息を吐いた。


娘は一度決めると、なかなかやめない。


諦めが悪いというより、できないまま終わることを嫌う。


失敗した直後は「ぐぬぬ」と悔しがるくせに、少し経つとまた同じことを始める。


見ている方が先に疲れるほどだった。


スイリンが木剣を構え直した時、表の方から声が聞こえた。


誰かが門を叩いている。


続いて、父親の驚いた声が上がる。


「銀狼の里から?」


スイリンの狐耳がぴくりと動いた。


木剣を持ったまま、家の脇から顔を出す。


門の向こうに、大きな銀狼の男がいた。


その隣には、黒に近い灰色の髪を雪で濡らした少年が立っている。


腰の鈴が鳴った。


「カイ!」


スイリンは木剣を放り出し、そのまま駆け出した。


「お、おい!」


父親が止めるより早く、門を開けて外へ飛び出す。


雪の上で足を滑らせ、前へ倒れそうになった。


カイエンが慌てて手を伸ばす。


二人はぶつかり、そのまま雪の中へ転がった。


「いってぇ!」


「カイがちゃんと受け止めないから!」


「受け止めたからこれで済んだんだろ!」


「もっとかっこよくできたでしょ!」


「急に飛んでくる方が悪い!」


言い争いながら顔を上げる。


目が合った途端、どちらからともなく笑い始めた。


「あはは!」


「ははっ!」


三月ぶりの再会だった。


けれど二人にとっては、何年も離れていたようにも、昨日別れたばかりのようにも感じられた。


カイエンの父親が頭を掻く。


「会いたいと言っていた割には、ずいぶんな挨拶だな」


スイリンの父親も、雪まみれの二人を見下ろして苦笑した。


「祭りの時から、ずっとこんな調子だったそうです」


「うちでも、あの狐の子は剣を使えるのかだの、魔法は得意なのかだの、そればかり聞かれた」


「うちの娘も似たようなものです。銀狼はどのくらい速いのか、山二つとはどれほど遠いのかと、毎日のように」


大人たちが話している間に、二人は立ち上がった。


スイリンがカイエンの腰へ目を向ける。


鈴はまだそこにあった。


雪で濡れてはいたが、紐も切れずに残っている。


「まだつけてるんだ」


「なくすなって言ったの、お前だろ」


「走る時うるさいって言ってたじゃん」


「慣れた」


カイエンは鈴を指で軽く弾いた。


澄んだ音が鳴る。


「これが鳴ると、お前がうるさく笑ってるの思い出す」


「それ褒めてる?」


「半分くらい」


「半分なんだ」


スイリンは不満そうに頬を膨らませたが、尻尾は嬉しそうに揺れていた。


「スイも持ってるか?」


「もちろん」


首元へ手を入れ、紐に通した木彫りを引っ張り出す。


狼の牙を模した飾りは、毎日触っていたせいか、以前より表面が滑らかになっていた。


カイエンはそれを見て満足そうに頷く。


「ちゃんと持ってたな」


「なくすわけないじゃん」


「スイって、わりと物なくしそうだけど」


「カイに言われたくない」


「俺はなくさねぇよ」


「祭りでお菓子取られそうになってたじゃん」


「あれは落としただけだって!」


二人の声が雪の中へ響く。


家の前でいつまでも話し続けそうだったため、母親が間へ入った。


「まずは中へ入りなさい。二人とも風邪を引きますよ」


「カイ、家入っていいの?」


「取引の間だけだぞ」


銀狼の父親が答える。


カイエンはそれだけで十分だったらしく、雪を払いながら門をくぐった。



囲炉裏の火が、ぱちぱちと音を立てていた。


カイエンは厚手の外套を脱ぎ、火の近くへ座っている。


冷え切っていた耳や尻尾が温まり、徐々に力を取り戻していく。


スイリンはその向かいに座り、祭り以降に起きたことを途切れることなく話していた。


「それでね、火の魔法はちょっとだけできるようになったんだよ。前みたいに髪も燃やしてないし、水も前より動かせるようになった。剣も練習してるんだけど、さっきのはたまたま転んだだけだから」


「全部失敗してる話じゃん」


「ちゃんと聞いてた?」


「聞いてたから言ってんだろ」


「カイは何かできるようになったの?」


「山で鹿を追えるようになった」


「捕まえたの?」


「途中まで追った」


「逃げられてるじゃん」


「でも父ちゃんより先に見つけた」


「それはすごいかも」


素直に褒められ、カイエンは少しだけ得意そうな顔をした。


「あと、剣もやってる」


「ほんとに?」


「ああ。父ちゃんのやつより小さいけど、ちゃんと鉄の剣」


「ずるい。ボクなんて木剣なのに」


「当たり前だろ。お前、さっき地面に刺してたじゃん」


「見てたの?」


「家の前に来た時」


「ぐぬぬ……」


スイリンは湯呑みを両手で持ち、悔しそうに口を尖らせた。


中身は薄く煮出した茶だった。


少し苦い。


けれど大人と同じ器で出されるのが嬉しくて、飲みにくそうな顔を隠しながら口をつける。


カイエンは一口飲んで、すぐに眉を寄せた。


「苦い」


「子どもだね」


「お前も変な顔してただろ」


「してないけど」


「耳が伏せてた」


スイリンは慌てて頭へ手を当てる。


妖狐の耳は感情が出やすい。


自分では隠せているつもりでも、驚いたり嫌がったりするとすぐに動いてしまう。


「カイの耳も分かりやすいよ」


「俺のは分かりにくい」


「さっき褒めたら立ってた」


「立ってねぇ」


「立ってたって」


二人は湯呑みを置き、互いの耳を見ながら言い合う。


囲炉裏を挟んだところで、父親たちは毛皮と薬草の取引について話していた。


妖狐の里では、冬の薬を作るために銀狼の山で採れる薬草を必要としている。


銀狼の里では、妖狐が作る傷薬や結界札が重宝されていた。


元々、二つの里の間には細い交流があった。


だが距離もあり、頻繁に行き来するほどではない。


今回はカイエンが何度も頼み込み、父親が取引の時期を少し早めたのだった。


「泊まっていかれるのでしょう?」


スイリンの母親が尋ねる。


「雪が強くなる前に戻りたいが、今日中に山を一つ越えるのは厳しい。迷惑でなければ、一晩頼みたい」


「客間を使ってください。どうせこの子たちも、今日だけでは話し足りないでしょうし」


母親が二人を見る。


スイリンとカイエンは、同時に耳を立てた。


「泊まるの?」


「いいのか?」


「大人しくできるなら」


スイリンはすぐにカイエンを見る。


カイエンも彼女を見る。


「大人しくできる?」


「スイ次第」


「なんでボク次第なの」


「お前が先に何かするだろ」


「カイの方がするじゃん」


「二人ともです」


母親の声に、二人は揃って口を閉じた。


それでも数秒後には、顔を見合わせて笑っていた。



昼を過ぎる頃、雪は弱くなった。


空はまだ厚い雲に覆われていたが、風は止み、外へ出られないほどではない。


取引の話が続く間、二人は里の中で遊ぶことを許された。


ただし遠くへ行かないこと。


川へ近づかないこと。


夕方までには戻ること。


三つの約束を聞かされ、二人は揃って頷いた。


「守れますね?」


「守る!」


「おう!」


母親は返事だけでは信用できないのか、しばらく二人を見つめていた。


「今度こそ、本当に守るんですよ」


「今度は大丈夫」


スイリンが胸を張る。


カイエンも隣で頷いた。


数分後、二人は里の裏手にある斜面を駆け上がっていた。


遠くへは行っていない。


川にも近づいていない。


夕方にもなっていない。


今のところは、すべて守っていた。


「カイ、遅い!」


「雪の上は慣れてるからって調子乗んなよ!」


「銀狼なのに雪道で負けるの?」


「里の道知らねぇだけだ!」


スイリンは笑いながら斜面を駆ける。


淡い緑色の髪と尻尾が白い景色の中で揺れる。


カイエンもすぐに速度を上げた。


銀狼の脚力は、平地ならスイリンより上だった。


しかし雪の下には石や木の根が隠れている。道を知るスイリンは迷いなく進み、カイエンは何度か足を取られた。


「待てって!」


「追いついたら待つ!」


「それ待ってねぇだろ!」


斜面を登り切ると、小さな社があった。


里を守る精霊を祀る、古い建物だった。


積もった雪の下から朱色の柱が覗き、軒先には氷柱が下がっている。


スイリンは社の裏へ回り、大きな岩の前で足を止めた。


「ここ、ボクの秘密の場所」


「里から見えてたけど」


「場所が秘密なんじゃなくて、ここに来るのが秘密なの」


「それ、母ちゃんたちに来るなって言われてる場所じゃねぇの?」


「危ないことしなければ大丈夫」


「言われてるんだな」


カイエンは呆れたように笑い、岩の上へ登った。


そこからは、妖狐の里を見渡すことができた。


雪をかぶった家々。


細く立ち上る煙。


竹林の向こうを流れる川。


さらに遠くには山々が連なり、その先に銀狼の里がある。


「俺の里、あっち」


カイエンが北西を指す。


「山二つ越えたところ」


「ほんとに遠いね」


「俺がもう少し大きくなったら、一人でも来れる」


「大人に怒られるよ」


「見つからなきゃいい」


「それで迷ったらどうするの」


「勘で行く」


「絶対迷うじゃん」


「狼は道に迷わねぇ」


「カイは迷いそう」


「なんでだよ」


スイリンは笑いながら、岩の端へ腰を下ろした。


カイエンも隣へ座る。


祭りの日と同じように、二人の肩が並んだ。


しばらくは里を眺めていた。


話すことはたくさんあったはずなのに、不思議と沈黙は苦にならない。


風が止み、雪が落ちる小さな音だけが聞こえた。


「ねぇ、カイ」


「ん?」


「祭りの時に話した、変な感じ。まだある?」


カイエンは少し考えた。


何のことか聞き返す必要はなかった。


出会ったばかりなのに、以前から知っているような感覚。


名前を呼んだ時に浮かぶ、知らない景色。


二人だけが抱えている違和感だった。


「ある」


「どんなの?」


「夢を見る」


カイエンは自分の膝へ肘を置いた。


「前にも話した、鉄の乗り物。あれに乗ってる夢」


「馬車じゃないんだよね?」


「ああ。馬がいないのに動く。すげぇ速くて、音もうるさい」


「ボクも見たことある」


スイリンは空を見上げる。


厚い雲の向こうに、白い太陽がぼんやりと見えていた。


「ボクはね、明るい部屋にいる夢。手の中に小さい板みたいなのを持ってて、そこから誰かの声がするの」


「人が入ってんのか?」


「違うと思う。でも、話はできる」


「魔道具?」


「この国のとは全然違う」


記憶は曖昧だった。


夢から目覚めるたび、細かな部分は消えてしまう。


それでも、懐かしさだけは残る。


知らない道具。


知らない服。


知らない街。


そこにいた自分は今とは違う姿だった。


けれど、自分だった。


「カイも、その夢の中にいる気がする」


スイリンが言うと、カイエンは驚いた様子を見せなかった。


代わりに、小さく頷く。


「俺も。隣を走ってるやつが、たぶんスイ」


「顔、見える?」


「見えねぇ。頭に変なの被ってる」


「変なの?」


「硬そうなやつ。顔まで隠れてる」


「ボクも被ってる?」


「たぶん」


「似合ってた?」


「分かんねぇよ」


「そこは似合ってたって言うところじゃん」


「見えてねぇのに言えるか」


スイリンは唇を尖らせる。


けれど、そのやり取りさえ懐かしい気がした。


以前も同じように、どうでもいいことで言い合っていた。


そんな感覚がある。


「これってさ」


スイリンは膝の上で指を組んだ。


「ボクたち、前にも生きてたってことなのかな」


言葉にすると、急に現実味が増した。


生まれる前に、別の場所で生きていた。


それは和の国にも伝わる昔話に似ている。


死んだ者の魂が再びこの世へ生まれる、輪廻の話。


けれど、それを自分たちのこととして考えると、妙な怖さがあった。


今の家族は本当の家族ではないのか。


今の自分は、以前の誰かの続きでしかないのか。


答えのない疑問が胸の中へ広がる。


カイエンも同じことを考えたのか、しばらく黙っていた。


やがて彼は、雪の上へ手を伸ばす。


掌で掬い、丸く固めた。


「前にも生きてたとしてさ」


「うん」


「今の俺がいなくなるわけじゃないだろ」


カイエンは作った雪玉を空へ放り上げ、受け止める。


「俺はカイエンで、父ちゃんと母ちゃんの子ども。それで、前にも誰かだったかもしれない。それだけじゃね?」


「簡単に言うね」


「難しくしても分かんねぇし」


「それはそうだけど」


「スイだってスイだろ。前の名前が違っても、今はスイ。それでいいじゃん」


雪玉が高く上がる。


受け止めようとしたカイエンの手を外れ、頭へ落ちた。


「冷たっ!」


スイリンは思わず吹き出した。


「あはは! かっこつけたのに!」


「今のは風のせい」


「風、吹いてないよ」


「じゃあ雪のせい」


「自分で投げたんじゃん」


笑いながら、スイリンは肩の力を抜いた。


胸の奥にあった怖さが、少しだけ薄れている。


カイエンの言葉に明確な根拠はない。


けれど、彼がそう言うなら大丈夫な気がした。


今の自分も、夢の中の自分も。


どちらかを消す必要はない。


どちらも自分の中にある。


「じゃあさ」


スイリンは木彫りの飾りを服の上から握った。


「一緒に思い出そうよ」


「何を?」


「前のボクたちのこと。カイも同じ夢を見てるなら、二人で話せば分かることがあるかもしれない」


「分かったらどうする?」


「分かってから考える」


「それ、俺と同じじゃん」


「カイよりちゃんと考えてるし」


「本当か?」


「本当」


スイリンは小指を差し出した。


祭りの日と同じ仕草だった。


「誰にも言わない。二人だけで確かめる」


カイエンはその指を見つめる。


「父ちゃんと母ちゃんにも?」


「今は言わない。変な心配させるかもしれないから」


「まあ、信じてもらえないかもな」


「それに、ボクたちもまだよく分かってないし」


「分かった」


カイエンも小指を伸ばす。


二人の指が絡んだ。


「約束」


「おう」


触れた瞬間、また一つの景色が浮かぶ。


夜。


無数の灯り。


風を切る音。


並んで走る二つの影。


今度は、微かに声が聞こえた。


――次、どこ行く?


誰の声かは分からない。


それでも一人ではなかった。


隣には誰かがいた。


答える声に、笑いが混じっていた。


――どこでもいいんじゃね。走れれば。


景色はすぐに消えた。


スイリンは絡めた指を見つめる。


カイエンも、何かを感じたらしい。


「今……」


「見えた?」


「ああ」


二人は顔を見合わせた。


同じものを見たのかは、まだ分からない。


それでも、同じ瞬間に何かを思い出した。


偶然ではない。


少なくともスイリンには、そう思えた。


「やっぱり、カイだったんだ」


「何が?」


「夢の中で一緒にいたの」


「まだ決まってねぇだろ」


「カイもそう思ってるくせに」


カイエンは答えず、顔を逸らした。


だが耳は少しだけ立っている。


スイリンはそれを見て、楽しそうに笑った。


二人の秘密が、その日ひとつ増えた。


出会う前の記憶。


別の世界。


今とは違う姿。


それを知ることが、何へ繋がるのかは分からない。


ただ、二人でなら怖くない。


同じ夢を見て。


同じ違和感を抱いて。


分からないことを、分からないまま一緒に追いかけられる。


スイリンは、絡めた指を離した。


「今日から、覚えてる夢は全部話すこと」


「会えない時はどうすんだよ」


「次に会った時にまとめて」


「忘れるかもしれない」


「じゃあ書く」


「字、ちゃんと書けるのか?」


「カイよりは書ける」


「俺だって書けるし」


「昨日の稽古の日記、なんて書いた?」


「……剣を振った」


「それだけ?」


「あと、疲れた」


「それ日記じゃなくて感想じゃん」


「同じだろ」


「全然違うよ」


二人の声が、静かな社の裏へ響く。


雪雲の切れ間から、淡い光が差し込んだ。


白い景色の中で、二人の影が隣り合う。


この時の約束を、二人はまだ軽く考えていた。


夢を忘れないため。


自分たちが何者なのかを確かめるため。


それだけの約束。


けれど、記憶の断片を言葉にし、互いに重ねていくうちに、二人は少しずつ遠い世界の輪郭を取り戻していくことになる。


そしていつか。


自分たち以外にも、同じ空を知る者がいるのではないかと考え始める。


その最初の種は、この雪の日に生まれた。


「帰ろうか」


スイリンが立ち上がる。


「まだ夕方じゃねぇだろ」


「お腹空いた」


「さっき菓子食ってたじゃん」


「走ったし、いっぱい話したから」


「話すと腹減るのか?」


「減るよ」


「初めて聞いた」


「カイも減ってるでしょ」


言われた途端、カイエンの腹が小さく鳴った。


スイリンが肩を揺らす。


「あはは! ほら!」


「今のは違う」


「何が違うの?」


「……雪のせい」


「また雪のせいにしてる」


二人は岩から飛び降りた。


来た道を戻る足跡が、雪の上へ並んで刻まれていく。


片方は軽く、もう片方は少し深い。


歩幅も、足の形も違う。


それでも進む方向は同じだった。

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