表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの時間をもう一度  作者: ゆうき
第二章 もうひとりの私へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/94

第11話「アイハナ」中編 二人分の人生


 礼拝堂を満たしていた光が、ゆっくりと形を変え始めた。


 これまで二人を包んでいた淡い輝きは、外へ広がるのではなく、中心へ向かって静かに集まっていく。


 光の中に見えていた二つの輪郭も、少しずつ重なっていた。


 アイ。


 ハナ。


 それぞれの姿はまだ確かにそこにある。


 けれど、境界だけが曖昧になり始めていた。


「……アム。」


 ゆうきが小さく呼ぶ。


 アムは答えず、光の流れを見つめ続けた。


 先ほどまで礼拝堂を揺らしていた荒々しい力は、もう感じられない。


 代わりに、深い水の中へ静かに沈んでいくような魔力が広がっている。


 穏やかだった。


 それでも、決して弱いものではない。


 二つの魂が互いを押し退けるのではなく、長い時間を掛けて失われた形を思い出そうとしている。


 そんな流れだった。


「二人は、どうなっているんだ。」


 きたまくらの声は低い。


 焦りを隠そうとしているのが分かる。


 アムはすぐには答えなかった。


 分からないことを、安心させるためだけに言葉で埋めたくなかった。


「たぶん、互いの記憶を見てる。」


「記憶?」


「自分が生きた二十四年だけじゃなくて、相手が生きてきた時間も。」


 くららが胸元へ手を置く。


「それって……全部?」


「全部かどうかは分からない。でも、魂が一つへ戻るなら、どちらかの人生だけを残すことはできないと思う。」


 サーヤの表情が僅かに揺れた。


 アイの記憶。


 幼い頃から共に過ごした時間。


 初めて歩いた日も、熱を出した夜も、些細なことで喧嘩した日も。


 それが知らない誰かの記憶と混ざってしまう。


 そう考えれば、不安がないはずはなかった。


「お嬢様は……お嬢様のまま戻ってこられるのでしょうか。」


 震える問いだった。


 アムはサーヤを見る。


 簡単に大丈夫とは言えない。


 戻ってくる者は、今までと全く同じアイではない。


 ハナもまた、同じだった。


「アイちゃんだけでは、戻ってこないと思う。」


 サーヤの瞳へ涙が滲む。


 けれど、アムは続けた。


「ハナちゃんだけでもない。二人が選んだのは、どちらかを消すことじゃないから。」


「では……。」


「二人分を持った、一人として戻ってくる。」


 サーヤは光へ視線を戻した。


 怖い。


 それでも、アイが自分で選んだのなら。


 その選択まで否定することはできなかった。


「なら、私は。」


 涙を指先で拭い、静かに息を整える。


「お戻りになった方へ、きちんとお仕えします。」


 リクが隣で僅かに目を見開く。


「サーヤ。」


「アイお嬢様が大切にされた方です。その方の人生も、もうお嬢様の一部になるのでしょう。」


 声はまだ震えている。


 けれど、迷いはなかった。


「でしたら、知らないままでいる方が失礼です。」


 リクは何も答えなかった。


 自分はどうするのか。


 アイではない誰かを、同じように守れるのか。


 問いは胸の奥へ残った。


 けれど、光の中で手を繋いだ二人を見ていると、別人になるという考えだけでは足りない気がした。


 アイが消えるのではない。


 アイが選んだものを抱えて、先へ進もうとしている。


 ならば、騎士としてすべきことは一つだった。


「私も同じです。」


 リクは光へ向けて静かに頭を下げた。


「どのようなお姿で戻られても、お守りします。」


     ◇


 白い世界が閉じた後も、アイとハナの意識は消えていなかった。


 姿はない。


 手もない。


 それでも、互いが近くにいることだけは分かる。


 言葉にしなくても、感情が伝わってきた。


 アイの不安。


 ハナの恐怖。


 それと同じくらいの、前へ進みたいという意思。


 無数の記憶が、二人の間を流れていく。


 先ほどまでは一つずつ景色として見えていたものが、今はもっと速く、もっと深く混ざり始めていた。


 アイが覚えている、伯爵の大きな手。


 ハナが覚えている、欠けた器の感触。


 サーヤが髪を結んでくれた朝。


 盗賊団の仲間に初めて靴を渡された夜。


 リクと剣の稽古をして転んだ痛み。


 短剣の握り方を叩き込まれ、指の皮が破れた痛み。


 どちらの記憶か、区別はまだできる。


 けれど、感じたものはもう分けられなかった。


 愛された温かさ。


 奪われた悲しみ。


 羨ましさ。


 罪悪感。


 怒り。


 安心。


 全てが同じ胸の中へ流れ込む。


『苦しい?』


 アイの声がする。


『少し。』


 ハナが答える。


『私も。』


『離したい?』


『離したくない。』


 すぐに返ってきた。


 それだけで、ハナの中にあった恐怖が僅かに薄れる。


 誰かに必要とされることは、怖い。


 失えば、また同じ痛みを知る。


 それでも、アイの感情は嘘ではなかった。


 自分を哀れんでいるのでもない。


 罪滅ぼしのためでもない。


 ただ、失いたくないと思っている。


 自分がアイを失いたくないと思い始めているように。


『ねえ。』


 アイの声が、少しだけ近くなる。


『ハナは、伯爵をどうしたい?』


 避けては通れない問いだった。


 魂が一つになっても、過去は消えない。


 伯爵が下した命令によって、盗賊団が壊滅した事実も変わらない。


 アイの父親。


 ハナの家族を奪った領主。


 どちらも同じ一人の男だった。


『まだ、許せない。』


 ハナは正直に答えた。


『顔を見たら、殺したいと思うかもしれない。』


『うん。』


『でも、お前が悲しむことも分かる。』


 それが一番苦しかった。


 以前なら、伯爵を殺した後に誰が悲しむかなど考えなかった。


 領民。


 サーヤ。


 リク。


 そしてアイ。


 今は、その全てが自分の記憶として存在している。


『復讐したい気持ちが消えたわけじゃない。』


『消さなくていいと思う。』


 アイの答えに、ハナは驚く。


『いいの?』


『だって、消そうって言われて消せるものじゃないでしょ。』


 アイの声は静かだった。


『私がお父さんを大切に思う気持ちも、ハナが家族を奪われて憎む気持ちも、どっちも本当だから。』


『矛盾してる。』


『うん。』


『一つになったら、もっと苦しくなるかもしれない。』


『それでも、一人でどっちかを選ぶよりいい。』


 善か悪か。


 許すか憎むか。


 どちらか一つへ決めなければならないと思っていた。


 けれど、人の心はそんなに単純ではない。


 愛しながら怒ることもある。


 憎みながら、その人が大切にしているものを知ってしまうこともある。


 矛盾したまま、生きていくしかないこともある。


『すぐに答えを出さなくてもいいよ。』


『ずっと出なかったら?』


『その時は、ずっと考えよう。』


『一生?』


『私たち、二人分だから。時間もいっぱいあるよ。』


 冗談のような言葉だった。


 ハナは呆れながらも、僅かに笑った。


『変な理屈。』


『でも、少し楽になったでしょ?』


『少しだけ。』


 感情が重なる。


 笑った感覚が、どちらのものか分からなくなる。


 それでも不快ではなかった。


     ◇


 礼拝堂の外では、風が止んでいた。


 光は二人の身体を完全に包み込み、足元には淡い輪が広がっている。


 その輪に触れた石片が、小さく浮き上がった。


 アイの《共振》。


 ハナの《共鳴》。


 二つの能力が同時に働いている。


 けれど、先ほどのように互いを増幅し、周囲を壊す力ではない。


 浮かんだ石片は柔らかな音を鳴らしながら輪の周囲を巡り、やがて元の場所へ静かに降りた。


「制御されている。」


 120が目を細める。


「二人は意識を失っているように見えますが、能力は完全に制御下にある。」


「じゃあ、成功してるってこと?」


 くららが尋ねる。


「成功の定義が分かりません。」


「また難しいこと言う。」


「ただ。」


 120は一度言葉を止めた。


 視線は光の中へ向けたまま。


「少なくとも、危険な状態ではない。」


 くららの肩から、少しだけ力が抜けた。


「そっか。」


 それでも、手はきたまくらの袖から離れない。


 きたまくらは気付いていたが、何も言わなかった。


「団長。」


 今度は120が呼ぶ。


「何だ。」


「依頼についてです。」


 この状況で口にすることではないようにも思えた。


 だが、120は先を考える。


 戻ってきた時、ハナは以前のハナではない。


 依頼主の意思も、目的も変化する可能性が高い。


「融合後、依頼主が一人の人格として成立した場合、契約の継続確認が必要です。」


「そうだな。」


「復讐を望まない可能性もある。」


「ああ。」


「その場合、契約は終了します。」


 きたまくらは光の中を見つめたまま、静かに笑った。


「依頼が終わるだけだ。」


 くららが顔を上げる。


「それだけ?」


「それ以上、何がある。」


 きたまくらは当然のように続ける。


「依頼がなくなっても、あいつがいなくなるわけじゃない。」


 120は一瞬だけ黙る。


「……合理的ではありません。」


「知ってる。」


「契約外の人間を団へ加えれば、食料、報酬、編成を見直す必要があります。」


「それも知ってる。」


「団員の合意も必要です。」


「反対する奴がいると思うか?」


 野営地でハナへ食事を渡し、怪我をすれば薬を塗り、眠っていなければ見張りを代わってきた団員たち。


 答えは考えるまでもなかった。


 120は僅かに息を吐く。


「いませんね。」


「なら決まりだ。」


「まだ本人へ確認していません。」


「そこは戻ってきてからだな。」


 くららがようやく袖から手を離し、大きく頷いた。


「じゃあ、名前何て呼べばいいんだろ。アイっち? ハナっち? アイハナっち?」


「最後は長い。」


「でも分かりやすいよ。」


 普段通りの声が戻り始めている。


 その明るさに、周囲の緊張も少しずつ解けていった。


     ◇


 光の中で、アイとハナはさらに深い記憶へ触れていた。


 白い天井。


 電子音。


 誰かの手。


 先ほど見えた景色が、今度は少しだけ鮮明になる。


 身体が動かない。


 声も出せない。


 けれど、誰かが近くにいる。


『大丈夫。』


 遠くから聞こえる声。


 泣いているような。


 笑おうとしているような。


 誰の声なのかは分からない。


 それでも、忘れてはいけない人だった。


 次に見えたのは、小さな画面の中に並ぶ色鮮やかな姿。


 現実の顔ではない。


 それぞれが選んだ姿。


 そこでは、距離も年齢も関係なく、同じ時間を過ごしていた。


『アイハナー。』


 誰かが呼ぶ。


 明るい声。


 別の誰かが笑う。


 名前。


 自分の名前。


 アイハナ。


 記憶の中の自分は、その呼び声へ楽しそうに返事をしていた。


 きたまくら。


 くらら。


 120。


 顔はまだ曖昧だ。


 けれど、声や空気が今の三人と重なる。


『みんな……。』


 アイとハナの意識が同時に呟く。


 だから懐かしかった。


 魂が覚えていた。


 異なる姿。


 異なる人生。


 それでも、一緒に過ごした時間までは失われていなかった。


 記憶はさらに奥へ進もうとする。


 けれど、その先には濃い霧があった。


 全てを一度に取り戻すことはできない。


 無理に触れようとすると、白い天井と電子音だけが強く浮かび、胸の奥へ鋭い痛みが走る。


『ここは、まだ駄目。』


 どちらからともなく、そう感じた。


 今は進まなくていい。


 失われた記憶は、これから少しずつ取り戻せばいい。


 大切なのは、自分たちが誰だったかだけではない。


 これから誰として生きるか。


『アイハナ。』


 ハナが名前を確かめる。


『うん。』


 アイが答える。


『アイでも、ハナでもある。』


『どっちでもない、じゃなくて?』


『どっちでもある。』


 その言葉が、胸へ静かに馴染んでいく。


 アイの明るさ。


 ハナの強さ。


 アイの寂しさ。


 ハナの優しさ。


 分けられていたものが、元の場所へ戻っていく。


 どちらかが前へ出るのではない。


 互いを押し込めるのでもない。


 必要な時には、アイのように笑える。


 必要な時には、ハナのように現実を見据えられる。


 二つの人生が、一人の中で同時に息をしている。


『戻ろう。』


 アイが言う。


『みんな待ってる。』


 ハナも同じものを感じていた。


 父。


 サーヤ。


 リク。


 きたまくら。


 くらら。


 120。


 ゆうき。


 アム。


 戻る場所が、一つではない。


 それが少し不思議で、温かかった。


『手は?』


 ハナが尋ねる。


『もう繋がなくても大丈夫。』


『本当に?』


『だって、もう離れてないから。』


 二人の間にあった境界が、最後の光へ溶けていく。


 手を離すのではない。


 繋いだ手ごと、一つになる。


 恐怖はまだ残っている。


 それでも、今度は逃げなかった。


 アイの記憶も。


 ハナの記憶も。


 失われた過去も。


 まだ見えない未来も。


 全てを抱えたまま、二人は同じ方向へ歩き出す。


     ◇


 礼拝堂を包んでいた光が、ゆっくりと収束した。


「消える……。」


 サーヤが息を呑む。


 光そのものが消えているのではない。


 中心に立つ一つの輪郭へ、吸い込まれている。


 これまで並んでいた二つの影は、もう見えなかった。


 代わりに、一人の少女がそこに立っている。


 髪が光の中で揺れる。


 顔立ちはまだよく見えない。


 けれど、確かに呼吸をしていた。


 一度。


 ゆっくりと息を吸う。


 その胸の動きを確認した瞬間、サーヤの目から涙が溢れた。


「お嬢様……。」


 くららも両手で口元を覆う。


 きたまくらは前へ出ようとして、踏み止まった。


 まだ光は完全に消えていない。


 最後まで、本人が戻ってくるのを待つ。


 少女の瞼が僅かに動いた。


 指先が震える。


 足元へ広がっていた光の輪が細くなり、静かな音と共に消えていく。


 礼拝堂へ朝の風が戻った。


 砕けた窓から入り込んだ風が、少女の髪を優しく揺らす。


 ゆっくりと、瞳が開かれた。


 その目には、アイの柔らかさがあった。


 同時に、ハナの静かな強さも宿っている。


 誰も声を掛けられなかった。


 何と呼べばいいのか。


 誰が戻ってきたのか。


 答えを待つように、全員が少女を見つめている。


 少女は自分の手へ視線を落とした。


 右手を開き、閉じる。


 次に胸へ触れる。


 そこには一つの鼓動しかない。


 けれど、その中には二人分の時間が確かに流れていた。


 顔を上げる。


 伯爵家の人々。


 灰狼傭兵団。


 ゆうきとアム。


 待っている全員の顔を、一人ずつ見つめていく。


 何かを言おうとして、声が出ない。


 喉の奥へ、いくつもの感情が詰まっていた。


 長い間探していた場所へ、ようやく戻ってきた。


 そんな感覚だけがある。


 少女は一度だけ息を整えた。


 そして、小さく口を開く。


「……ただいま。」


 誰へ向けた言葉なのか。


 本人にも、まだ分からなかった。


 それでも、その場にいた全員へ確かに届いた。


 サーヤが泣き崩れ、リクが顔を伏せる。


 くららは声を上げて泣き、きたまくらは目元を押さえながら笑った。


 120は静かに目を閉じ、ほんの僅かに口元を緩める。


 アムは胸の前で手を重ね、ゆうきも隣で穏やかに笑っていた。


 朝の光が少女を照らす。


 アイでもあり。


 ハナでもある。


 失われていた一人の少女。


 アイハナが、そこに立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ