第3話 握手 前編
食事を終え、店を出る頃には、城下町の通りはさらに賑わいを増していた。
太陽は高くなり、石畳の道を明るく照らしている。露店の前には人だかりができ、荷車を引く商人たちが忙しなく行き交っていた。
腹が満たされたからか、昨日よりも街の景色が鮮明に見える。
ゆうきは隣を歩く少女の後ろ姿を見ながら、先ほどの料理のことを思い返していた。
あの麺料理。
見た目も味も、あまりにも馴染みがありすぎた。
この世界が独自に発展させたものなのか。それとも、誰かが持ち込んだものなのか。
答えはまだ分からない。
けれど、少なくとも一つだけ確かなことがある。
この世界には、自分の知らない歴史がある。
そして、その中には自分と同じように、別の世界から来た者の痕跡が混ざっているのかもしれない。
「どうしたの?」
前を歩いていた少女が振り返る。
「いや。少し考え事をしてた。」
「また?」
「また、だな。」
ゆうきがそう答えると、少女は小さく笑った。
「考えすぎると疲れちゃうよ?」
「そうかもな。」
「でも、考えられるのはいいことだと思う。何も考えないで突っ込む人、ギルドには多いから。」
「……それは少し怖いな。」
「怖いよ。ほんとに。」
少女は冗談めかして言ったが、その声音には少しだけ実感が混じっていた。
この街で暮らしている者にとって、冒険者ギルドという場所は日常の一部なのだろう。
だが、ゆうきにとっては違う。
冒険者。
ギルド。
依頼。
どれも物語の中では見慣れた言葉だ。
けれど、それが現実に存在するとなると、胸の奥にわずかな緊張が生まれる。
「もうすぐ着くよ。」
少女の言葉に、ゆうきは顔を上げた。
大通りの先。
ひときわ大きな建物が見えた。
石造りのしっかりとした建物で、正面には巨大な木製の扉がある。入口の上には剣と盾を模した紋章が掲げられていた。
周囲には武装した人々が多い。
革鎧を着た男。
大きな杖を背負った女性。
弓を肩にかけた若者。
見た目も装備もばらばらだが、全員に共通しているのは、どこか張り詰めた空気を纏っていることだった。
「ここが冒険者ギルド。」
少女が少し得意げに言う。
ゆうきは建物を見上げた。
想像していたよりも大きい。
酒場のような雑多な場所を想像していたが、実際には役所に近い雰囲気がある。人の出入りは多いが、無秩序ではない。
「緊張してる?」
「少し。」
「大丈夫。登録だけなら難しくないよ。」
そう言って、少女は大きな扉を押し開けた。
中へ入った瞬間、ざわめきが耳に届く。
広いホール。
右手には依頼書らしき紙が並ぶ掲示板。
奥にはいくつもの受付窓口。
左手には食事や飲み物を出すスペースもあり、冒険者たちが集まって何かを話していた。
視線がいくつかこちらへ向く。
だが、そのほとんどは一瞬だけだった。
見慣れない顔を確認し、すぐに興味を失う。
ゆうきは内心で息を吐いた。
無駄に注目されることはなさそうだ。
少女は迷いなく受付へ向かう。
その足取りは慣れていた。
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ。……あら。」
受付にいた女性が、少女を見るなり一瞬だけ目を丸くした。
けれど、すぐに表情を整える。
「本日はどうされましたか?」
「この人の冒険者登録をお願いしたいの。」
「かしこまりました。新規登録ですね。」
受付嬢はゆうきへ視線を向ける。
「身分証はお持ちですか?」
「……ありません。」
「では、身分証なしでの登録になります。初回登録料が必要ですが、よろしいですか?」
ゆうきは一瞬だけ言葉に詰まった。
この世界の金は持っていない。
昨日の宿代も、食事代も、すべて少女が出してくれている。
さすがに登録料まで払ってもらうわけにはいかない。
そう思い、口を開こうとした。
だが、それより早く少女が小さな革袋を取り出した。
「私が払うよ。」
「いや、それは――」
「いいの。」
少女はきっぱりと言った。
「困ってる人を助けるって言ったでしょ? ここまで来たら最後まで付き合うよ。」
「でも、さすがにそこまでしてもらうのは悪い。」
「じゃあ、いつか返して。」
「いつか?」
「うん。お金じゃなくてもいいよ。困った時に助けてくれたら、それで。」
あまりにも自然に言うものだから、ゆうきは返す言葉を失った。
見返りを求めているようには見えない。
けれど、ただの善意だけでここまでできるものなのか。
不思議だった。
同時に、ありがたかった。
「……分かった。ありがとう。」
「うん!」
少女は満足そうに笑い、受付嬢へ硬貨を渡した。
受付嬢はそれを確認し、奥から一枚の紙と小さな金属板を取り出す。
「では、こちらに必要事項を記入してください。文字が分からない場合は代筆も可能です。」
ゆうきは紙を覗き込んだ。
そこに並んでいる文字は、昨日見た看板と同じものだった。
読めない。
だが、不思議と意味は理解できる。
言葉は通じる。
文字は読めない。
その差に少しだけ違和感を覚えたが、今は深く考えている余裕はなかった。
「代筆、お願いしてもいいですか。」
「はい。お名前をお願いします。」
「ゆうきです。」
受付嬢がさらさらと文字を書き込んでいく。
「年齢は?」
「……十八です。」
そう答えてから、ゆうきは少しだけ迷った。
この世界で年齢の数え方が同じかどうかは分からない。
だが、受付嬢は特に不審がる様子もなく頷いた。
「出身地は?」
「……遠い場所です。」
「国名などは?」
「すみません。今は説明が難しくて。」
受付嬢は少しだけ手を止めたが、隣に立つ少女を見ると、それ以上は追及しなかった。
「では、出身地不明として登録いたします。」
その対応の早さに、ゆうきは内心で驚く。
本来なら怪しまれてもおかしくないはずだ。
だが、少女が隣にいるだけで、受付嬢の態度が明らかに柔らかい。
この少女は、ただ親切なだけの一般人ではないのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
「登録内容はこちらで問題ありません。最後に、ギルドカードへ魔力登録を行います。」
受付嬢は小さな金属板を机の上に置いた。
「この板に手を置いてください。」
言われた通りに手を置く。
金属板が淡く光った。
掌にわずかな温かさが伝わる。
「はい。完了です。」
受付嬢は金属板を確認し、頷いた。
「こちらがあなたのギルドカードになります。紛失しないようお気をつけください。」
差し出されたカードを受け取る。
薄い金属でできたそれには、読めない文字が刻まれていた。
だが、その中に自分の名前があることだけはなんとなく分かる。
「これで俺も冒険者、か。」
「うん。おめでとう!」
少女が嬉しそうに言う。
ゆうきはカードを見つめながら、小さく息を吐いた。
この世界で生きるための、最初の証。
それを手にした実感が、じわりと胸に広がっていく。
だが、そこでふと気づいた。
自分はまだ、隣にいる少女の名前を知らない。
昨日からずっと世話になっているのに。
宿を用意してもらい、食事まで奢ってもらい、ギルド登録まで付き添ってもらった。
それなのに、名前すら聞いていない。
「そういえば。」
ゆうきが口を開くと、少女が首を傾げた。
「まだ、名前を聞いてなかった。」
その言葉に、少女は一瞬だけきょとんとした顔をした。
そして、照れたように笑う。
「そうだったね。」
少女は少しだけ姿勢を正した。
まるで、改めて出会い直すように。
「私は――」




