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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
第二章 もうひとりの私へ

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第3話 魂が震える少女


 伯爵邸は、街を見下ろす高台に建っていた。


 白い石壁と青灰色の屋根を持つ、領主の屋敷としては落ち着いた造りだ。正面には広い庭園があり、昨夜の雨を受けた草木が朝日に濡れている。


 街の中心から続く坂道を上りながら、ゆうきは屋敷を見上げた。


「想像してたより、派手じゃないな」


「伯爵家にもいろいろあるからね。財力を見せつける家もあれば、領地の整備を優先する家もある」


「昨日見た街の様子だと、後者に見える」


「今のところはね」


 アムは最後まで断定しなかった。


 街の兵士たちはよく働いていた。


 水路も整備され、商人や職人たちも領地へ信頼を置いているように見えた。


 だが、それだけで伯爵家のすべてを判断しない。


 昨日から一貫しているアムの慎重さを、ゆうきも理解し始めていた。


「紹介状、持ってる?」


「あるよ」


 ゆうきは外套の内側を軽く叩いた。


「それよりアム、まだ気になる?」


「何が?」


「アイって名前を聞いた時の違和感」


 アムは歩きながら、わずかに目を伏せた。


「消えてはいないかな。でも、昨日より薄い」


「危険な感じは?」


「ないよ。あれが何だったのか分からないから、会って確かめたいだけ」


「なら、今日はアムに任せた方がよさそうだな」


「ゆうきもちゃんと見ててよ」


「魂とか魔力のことは、俺よりアムの方が分かるだろ」


「人の表情を見るのは、ゆうきの方が得意でしょ。うちが能力を見てる間に、相手が何を感じてるのか見てて」


「分かった。役割分担だな」


「うん。あと、貴族の家だからって変に緊張しないでね」


「大丈夫。昨日から少し考えてたけど、令嬢でも困ってるなら普通に話すよ」


「それでいいと思う」


 アムはそう答え、屋敷の門へ目を向けた。


 門の前には二人の兵士が立っていた。


 ゆうきたちが近づくと、片方が一歩前へ出る。


「止まれ。伯爵邸へ何用か」


「冒険者ギルドから紹介を受けました。伯爵令嬢の相談を聞くために来ています」


 ゆうきは紹介状を取り出した。


 兵士は封の紋章を確認し、もう一人へ合図を送る。


 紹介状の中身へ目を通すと、二人の冒険者証も確認した。


 アムの等級を見た瞬間だけ、兵士の眉がわずかに動く。


 しかし、昨日のギルド職員のように驚きの声を漏らすことはなかった。


「確認した。邸内へ案内する」


「ありがとうございます」


 門が開く。


 屋敷へ続く石畳の道を進むと、庭師たちが雨で落ちた枝葉を集めていた。


 ゆうきたちの姿を見て手を止める者もいたが、必要以上に見つめてはこない。


 正面玄関の前には、一人の女性と一人の男性が待っていた。


 女性は落ち着いた色の侍女服を身につけている。


 年齢は二十代半ばほどに見えた。背筋をまっすぐ伸ばし、穏やかな表情を浮かべている。


 その隣に立つ男性は、伯爵家の紋章が刻まれた軽装の鎧を身につけていた。


 剣を腰へ下げているが、手は柄に触れていない。


 ゆうきたちへ向ける視線には警戒がある。


 だが、それは敵意ではなく、守る立場の者として当然のものだった。


「お待ちしておりました」


 侍女が丁寧に頭を下げる。


「アイ様よりご相談を受けてくださる冒険者の方々ですね」


「はい。ゆうきです」


 ゆうきは頭を下げた。


「こっちはアムネジア。俺はアムって呼んでます」


「アムネジアです。今日はよろしくお願いします」


 アムが続ける。


 侍女は一瞬だけアムの名へ反応した。


 冒険者に詳しくなくても、二つ名を持つSランクの噂を耳にしたことはあるのだろう。


 隣の騎士もわずかに目を細める。


「……失礼ですが、千貌のアムネジア殿でしょうか」


「そう呼ばれることもあるね」


 アムは少しだけ困った顔をした。


「今日は一人の冒険者として来てるから、あまり気にしないでもらえると助かるな」


「承知しました」


 騎士は深く頭を下げた。


 その態度には畏れよりも、相手の意向を尊重しようとする誠実さが見えた。


「私はアイ様の護衛を務めています。本日の面会中も、同席させていただきます」


「もちろんです」


 ゆうきは即答した。


「俺たちは初対面ですし、その方が安心だと思います」


 騎士の表情がわずかに緩んだ。


 アムが小さな声で呟く。


「ちゃんとしてるね」


「何が?」


「護衛を邪魔だって言わないところ」


「言う理由がないだろ」


「貴族の依頼だと、自分の実力を見せたがる冒険者もいるから」


「俺は新人だから、見せられる実力もないよ」


「そこまで素直に言わなくてもいいと思うけど」


 侍女が口元へ手を添え、かすかに笑った。


「お二人は、とても仲がよろしいのですね」


「親友です」


 ゆうきが答える。


 アムも否定せず、わずかに笑みを浮かべた。


「昔からのね」


「そうでしたか」


 侍女は柔らかく頷いた。


「アイ様も、お二人をお待ちしております。どうぞこちらへ」


 扉が開かれる。


 屋敷の中は、外観と同じく華美ではなかった。


 床には深い色の絨毯が敷かれ、壁には風景画や歴代の領主らしい肖像画が飾られている。


 高価そうな調度品はある。


 しかし、客へ財力を見せつけるように並べられているわけではない。


 廊下を歩く使用人たちは、侍女へ軽く頭を下げたあと、ゆうきたちにも丁寧に礼をした。


「昨日、突然ご相談を受けてくださる方が決まったと聞き、アイ様はとても喜んでおられました」


 先導する侍女が言う。


「これまでも何人かの冒険者へお声を掛けたのですが、事情を説明する前に断られることが多くて」


「貴族の個人的な相談って聞くと、警戒するのも分かります」


「はい。それも無理のないことだと、アイ様ご自身も理解しておられます」


「伯爵は、この相談を知らないんですか?」


 ゆうきが尋ねると、侍女は少しだけ表情を曇らせた。


「現在はまだ、お伝えしておりません」


「理由を聞いても?」


「アイ様ご自身の口からお話しされると思います。ただ……お父上を信頼していないからではありません」


 侍女は言葉を選ぶように続ける。


「むしろ、アイ様は伯爵様を深く敬愛しておられます。だからこそ、ご心配を掛けたくないのです」


「心配させるような内容なんですね」


「少なくとも、アイ様はそう考えておられます」


 廊下を進む間、騎士はゆうきたちの少し後ろを歩いていた。


 前方の侍女と、後方の騎士。


 挟むような位置ではあるが、監視されているような息苦しさはない。


 どちらも、アイを守ることを最優先にしている。


「アイ様は、どんな方なんですか?」


 ゆうきが尋ねる。


 侍女は足を止めずに答えた。


「明るく、心優しい方です。少しお転婆なところもございますが、身分を理由に人を遠ざけることはありません」


「お転婆なの?」


「その表現をアイ様へお伝えになるのは、どうかお控えください」


「本人は認めない感じですか」


「ええ。ご本人は、好奇心が強いだけだとおっしゃいます」


 後ろから騎士の低い声が聞こえる。


「好奇心だけで、護衛へ何も告げず市場まで出向くことはありません」


「その件は、もう反省されているはずです」


「先月も似たようなことがありました」


「……それは存じませんでした」


 侍女の笑顔が少しだけ硬くなった。


 騎士は何も言わず前を向く。


「仲がいいな」


 ゆうきが小さく言う。


「二人とも、令嬢を大切にしてるんだね」


 アムも静かに答えた。


 やがて、一行は二階の奥にある扉の前へ着いた。


 侍女は軽く扉を叩く。


「アイ様。冒険者の方々がお見えになりました」


 中から何かが倒れる音がした。


 続いて、慌ただしい足音が近づいてくる。


「お待ちください、アイ様」


 侍女が止めるより早く、扉が勢いよく開いた。


「来たの!?」


 明るい声が廊下へ響く。


 扉の向こうから現れたのは、柔らかな色の髪を持つ少女だった。


 上質だが動きやすそうな淡い色のドレスを着ている。年齢は、ゆうきと大きく離れてはいないように見えた。


 その顔には、伯爵令嬢らしい取り澄ました表情はない。


 期待を隠せない大きな瞳で、ゆうきたちを見つめている。


「アイ様。まずはご挨拶を」


「分かってるよ。でも、ずっと待ってたから……」


 アイは侍女へ答えながら、ゆうきへ視線を移した。


 その瞬間だった。


「――っ」


 アイの身体が、小さく揺れた。


 右手が胸元へ伸びる。


 笑顔が消え、目を見開いたまま、ゆうきを見つめている。


「アイ様?」


 侍女がすぐに身体を支えようとする。


 騎士も一歩前へ出た。


 ゆうきは動かなかった。


 近づけば、かえって警戒させると思ったからだ。


「大丈夫ですか?」


「……だい、じょうぶ」


 アイは答えたものの、胸元から手を離さない。


 魂の奥が震えていた。


 昨日、窓の外を見ていた時よりも強い。


 何かが近づいてきたという曖昧な感覚ではない。


 目の前にいる。


 この青年の中に、自分の知らない何かがある。


 懐かしい。


 けれど、探していた相手そのものではない。


 アイには、その違いだけが分かった。


「あなた……」


 アイはゆうきへ一歩近づく。


 騎士が制止しようとしたが、侍女が小さく首を振った。


「あなた、どこから来たの?」


 問いは、街や国を聞いているようには聞こえなかった。


 ゆうきもそれを感じ取った。


「今は、少し離れた街から来ました。でも、生まれた場所はそこじゃありません」


「そうじゃなくて……」


 アイは胸元を押さえたまま、言葉を探している。


「もっと、遠いところ。空の向こうでも、海の向こうでもない……ここじゃない場所」


 ゆうきとアムの表情が変わった。


 騎士は意味が分からないように眉を寄せる。


 侍女も戸惑っていた。


「どうして、そう思うんですか?」


 ゆうきは声を柔らかくして尋ねた。


「分からない。でも、あなたを見た瞬間、胸の中が震えたの」


 アイはゆうきを見つめたまま続ける。


「ずっと探してた人を見つけた時とは、たぶん違う。でも、同じ場所を知ってる人に会ったような気がする」


 ゆうきはすぐには答えなかった。


 アイの瞳に嘘はない。


 作り話をしている様子も、こちらを試している様子もなかった。


 本人にも分からない感覚を、どうにか言葉へしようとしている。


 アムが静かにアイへ近づいた。


「うちを見ても、同じことを感じる?」


 アイは初めて、アムを正面から見た。


 水色の髪。


 穏やかな瞳。


 魔力を隠しているにもかかわらず、普通の人間とは異なる深い気配。


 次の瞬間、胸の震えが大きくなった。


「……また」


 アイは息を呑んだ。


 ゆうきへ向けられた反応とは、少し違う。


 ゆうきから感じるのは、同じ場所から来た者へ触れたような近さ。


 アムから感じるのは、それよりも遥かに古く、深い何かだった。


 長い時間を越えてきた魂。


 自分と同じように、この世界の外から落ちてきた存在。


「あなたも」


 アイの声が震えた。


「二人とも、ここで生まれた人じゃない」


 室内が静まり返った。


 開いたままの扉の向こうでは、窓から朝の光が差し込んでいる。


 騎士が、警戒を強めるようにゆうきたちへ視線を向けた。


「どういう意味だ、アイ様」


「分からない。でも、分かるの。この人たちは、私と同じ……」


 そこまで言って、アイは自分の言葉に戸惑った。


「私と、同じ?」


 問いかけるように、自分の胸へ手を当てる。


 ゆうきはアムを見た。


 アムはほんのわずかに頷く。


 ここで完全に隠す必要はない。


 ただし、すべてを話す必要もなかった。


「まず、中で話しませんか」


 ゆうきが提案する。


「廊下で話す内容じゃなさそうですし、アイさんも少し落ち着いた方がいい」


「……うん」


 アイは小さく頷いた。


「あと、さんはいらないよ」


「え?」


「アイでいいの。私も、ゆうきって呼んでいい?」


 名前を伝えていない。


 ゆうきは一瞬、首を傾げた。


 すぐに、侍女が紹介状で名前を知っていたのだと気づく。


「ああ。もちろん」


 アイの表情へ、少しだけ明るさが戻る。


「じゃあ、ゆうき。アムネジアさんは……」


「アムでいいよ」


 アムが答える。


「親しい人は、そう呼ぶから」


「アム……」


 アイはその名を口にした。


 胸の奥がまた震えた。


 ただし、先ほどよりも穏やかな反応だった。


「うん。二人とも、中へ入って」


 アイは扉を大きく開ける。


「ずっと誰かに話したかったの。信じてもらえないと思って、誰にも全部は言えなかったけど……二人なら、たぶん分かってくれる気がする」


 その言葉へ、侍女は少し寂しそうな顔をした。


 アイはすぐにそれへ気づいた。


「あ、ごめんね。二人に話せなかったって意味じゃないの。ずっと聞いてくれてたのは分かってるよ」


「承知しております」


 侍女は穏やかに微笑んだ。


「私どもでは、アイ様がお感じになっていることの正体まで理解できなかっただけです」


「ありがとう」


 その短いやり取りだけで、二人の関係の深さが伝わってくる。


 アイは侍女を、ただの使用人として扱っていない。


 侍女もアイを、守るべき伯爵令嬢というだけではなく、一人の少女として見ている。


 騎士も警戒を解いたわけではないが、剣へ手を伸ばす様子はなかった。


「失礼する」


 騎士が先に室内へ入り、窓や奥の扉を確認する。


「安全に問題はありません」


「いつもそんなに確認するの?」


 ゆうきが尋ねる。


「アイ様の身に関わることなら、当然だ」


「信頼されてるんですね」


「私がアイ様を信頼している」


 騎士は真面目な顔で答えた。


「だからこそ、アイ様が信じた相手であっても、私自身の目で確認する」


「なるほど」


 ゆうきは素直に頷いた。


 アムはその様子を見ながら、少しだけ騎士への評価を改めたようだった。


 応接室には、低い卓を挟んで長椅子が置かれている。


 アイが窓側へ座り、ゆうきとアムは向かいへ腰を下ろした。


 侍女は茶を用意し、騎士はアイの斜め後ろへ立つ。


「座らないの?」


 ゆうきが騎士へ尋ねる。


「私は護衛だ」


「話が長くなるかもしれないぞ」


「問題ない」


「そういう人だから」


 アイが困ったように笑う。


「何度言っても、仕事中は座ってくれないの」


「アイ様。私のことはお気になさらず、お話を」


「もう。真面目すぎるんだから」


 明るい声。


 初対面でありながら、部屋の空気を和らげようとする自然な振る舞い。


 アイの周囲に人が集まる理由が、ゆうきには少し分かった気がした。


 侍女が茶を注ぐ。


 湯気と共に、花に似た柔らかな香りが広がった。


「まず、こちらの事情を少しだけ話します」


 ゆうきは茶へ口をつける前に言った。


「俺とアムは、この世界とは違う場所の記憶を持っています」


 侍女の手が止まる。


 騎士の視線が鋭くなった。


 アイは身を乗り出す。


「やっぱり」


「ただ、俺とアムでは、この世界へ来た時期も方法も違います。詳しいことは簡単には説明できません」


「うん。話したくないことまで聞くつもりはないよ」


 アイは迷わず答えた。


 好奇心は強い。


 それでも相手の事情へ無遠慮に踏み込まない。


 その線引きが自然にできている。


「アイは、別の世界の記憶があるのか?」


 ゆうきが尋ねた。


「はっきりした記憶はないの」


 アイは両手で茶器を包み込んだ。


「夢みたいなものなら、昔から見る。知らない部屋。光る板。誰かの声。たくさんの人が、離れた場所にいるのに一緒に笑ってる」


 ゆうきの胸が小さく跳ねた。


 光る板。


 離れた場所にいる人々と交わす会話。


 それが何を指しているのか、ゆうきには想像できた。


「ほかには?」


「名前を呼ばれてた気もする。でも、目が覚めると全部ぼやけてる。自分の名前だったのか、誰かの名前だったのかも分からない」


「転生前の記憶が、断片だけ残ってるのかもしれないね」


 アムが静かに言った。


「転生……」


 侍女がその言葉を繰り返す。


 騎士も理解が追いつかないように黙っている。


 アイだけは、不思議なほど落ち着いていた。


「やっぱり、そういうことってあるんだ」


「信じるの?」


 ゆうきが尋ねる。


「信じるよ。二人を見た時、胸が教えてくれたから」


 アイは迷いなく答えた。


「それに、昔から自分がここだけの人間じゃないような気がしてた。伯爵家の娘であることも、父様やみんなのことも大切。でも、それとは別に、もっと前の自分がいる気がするの」


 アムはアイを見つめていた。


 魔力の流れ。


 呼吸。


 魂の輪郭。


 目に見えないものを確かめるように、静かに観察している。


「アイ。さっき胸が震えたって言ったよね」


「うん」


「いつからそうなるの?」


「昨日から。二人が街へ来た頃だと思う」


「うちらが門へ近づいた時かな」


「たぶん。急に胸の奥が震えて、誰かが近づいてきたって思ったの」


「痛みは?」


「ないよ。苦しくもない。ただ、何かが私に気づいてって言ってるみたい」


 アムは少し考えた。


「普段から似たことはある?」


「ある。でも、昨日みたいに強いのは初めて」


「どんな時?」


「分からない。祭りで人がたくさんいる時とか、市場を歩いてる時とか。知らない人を見て、違うって思うことがある」


「違う?」


「探してる人じゃないって」


 アイは自分でもおかしいと思っているように笑った。


「誰を探してるのかも知らないのにね」


 その笑顔には、ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。


「それが、今回の相談?」


 ゆうきが尋ねる。


「うん」


 アイは茶器を卓上へ置いた。


 明るい表情を一度消し、真剣な目で二人を見る。


「私、ずっと誰かを探してるの」


 部屋の空気が静かになる。


「顔も知らない。名前も知らない。男の人か女の人かも分からない。どこにいるのかも、本当にいるのかも分からない」


「それでも、いると思ってる?」


「思ってる」


 即答だった。


「小さい頃から、誰かが足りないって感じてた。家族もいる。大切にしてくれる人もいる。友達だっている。私はすごく幸せなの」


 アイは侍女と騎士へ目を向けた。


 二人とも黙って話を聞いている。


「なのに、夜になると窓の外を見てしまう。人が集まる場所へ行くと、知らない誰かを探してしまう。見つからないと、胸の奥が寂しくなる」


 アイの指先が、膝の上で重なった。


「自分でも、贅沢だと思う。こんなに大切にされてるのに、何かが足りないなんて」


「贅沢じゃないよ」


 ゆうきはすぐに言った。


 アイが顔を上げる。


「満たされてることと、欠けてるものがあることは別だろ。今の幸せを大切に思ってるからって、分からない寂しさまで嘘にはできない」


「でも、みんなに失礼な気がして……」


「アイが幸せだと思ってることは、言葉を聞けば分かる。それに、誰かを探したい気持ちがあるからって、今そばにいる人を大切にしてないことにはならないよ」


 アイは答えなかった。


 その代わり、侍女がわずかに目を伏せる。


 騎士もゆうきを見る目を少し変えた。


「ゆうきは、すぐそういうこと言うよね」


 アムが小さく呟いた。


「変なこと言った?」


「ううん。ゆうきらしいなって」


 アイはしばらく黙っていた。


 やがて、少しだけ目元を緩める。


「ありがとう」


「まだ何もしてないよ」


「話を信じてくれた」


「信じたというより、嘘をついてるように見えなかった。それに、実際に何かが起きてるなら調べる価値はある」


「本当に探してくれるの?」


「見つかると約束はできない」


 ゆうきははっきり答えた。


「手がかりが少なすぎる。存在しない可能性も、もうこの領地にはいない可能性もある。だから、必ず見つけるとは言えない」


 アイの表情に、一瞬だけ影が落ちる。


 それでも、ゆうきは言葉を濁さなかった。


「でも、最初から思い込みだって決めつけるつもりもない。調べられることは調べる。アムも、アイの反応がただの気のせいじゃないと思ってるんだろ?」


 アムへ視線を向ける。


「うん」


 アムは静かに頷いた。


「アイの魂に、普通とは違う揺れがある。うちらを見た時に、その揺れが強くなったのも確かだと思う」


「魂……」


「怖がらなくていいよ。壊れてるとか、危険だって意味じゃない」


 アムはアイを安心させるように続けた。


「それに、たぶんアイはユニークスキルを持ってるよね」


 アイの目が大きくなる。


 侍女と騎士も反応した。


「どうして分かったの?」


「魔力の動きが、普通の魔法とは少し違うから。見せてもらってもいい?」


「うん」


 アイは長椅子から立ち上がった。


 部屋を見回し、卓上に置かれていた銀色の小さな匙を手に取る。


「このくらいなら、壊れないと思う」


 アイは匙を掌へ載せた。


 目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。


 魔力が指先へ集まる。


 量は多くない。


 それでも、流れには独特な揺らぎがあった。


 やがて、匙がかすかに震え始める。


 カタカタと小さな音を立て、掌の上で細かく揺れる。


「物を震わせる能力か」


 ゆうきが言う。


「うん。近くにある物なら、もっと細かく動かせるよ」


 アイは窓の近くへ歩き、金具に触れた。


 もう一度魔力を流す。


 鍵の内部から、細かな金属音が聞こえた。


「中にある部品の形を感じられるの。慣れれば、鍵を開けることもできるよ」


「便利だな」


「壁の中に空洞があるか調べたり、遠くへ音や衝撃を伝えたりもできる。でも、戦うのはあまり得意じゃないかな」


 アムは魔力の流れをじっと観察していた。


「名前は?」


「《共振(レゾネイト)》」


「レゾネイト……」


 アムの瞳が、わずかに細くなる。


「どうした?」


 ゆうきが尋ねる。


「ううん。能力の形が、少し不自然だと思って」


「不自然?」


 アイが不安そうに見つめる。


「悪い意味じゃないよ」


 アムはすぐに付け加えた。


「ただ、能力の中心に空いてる場所があるみたいに感じるの。完成してないというより、何かと繋がる前提で作られてるような……」


「誰かと繋がる?」


「まだ分からない」


 アムは結論を急がなかった。


「この能力が、探してる相手に反応してる可能性はある。うちらへ反応したのは、同じ世界から来た魂を感じ取ったからかもしれない」


「じゃあ、二人は探してる人じゃない?」


 アイの声に、ほんの少しだけ落胆が滲んだ。


 ゆうきは誤魔化さず答える。


「たぶん違うと思う」


「そっか」


 アイは胸元へ手を当てた。


 それでも、昨日から感じていた震えは消えていない。


「でも、二人が来たことで、この力がこんなに強く反応した。だったら、探してる人へ近づく方法があるかもしれないよね」


 アイは顔を上げた。


 落胆の中から、自分で希望を見つけている。


「そうだな」


 ゆうきは頷いた。


「まずは、アイがこれまで強く反応した場所や時期を調べよう。生まれてから今までの記録も確認したい」


「出生記録とか?」


「ほかにも、同じ頃に領内で生まれた子どもや、流れ着いた人がいないか。探し人がアイと関係してるなら、どこかに手がかりがあるかもしれない」


「冒険者ギルド、教会、孤児院も見た方がいいね」


 アムが続ける。


「ただし、アイが転生者かもしれないことは伏せよう。余計な噂が立つと調べにくくなる」


「分かった」


 アイは真剣に頷いた。


 そのあと、何かを思いついたように表情を明るくする。


「じゃあ、依頼を受けてくれるの?」


「うん」


 ゆうきは答えた。


「必ず見つけるとは約束できない。でも、アイが感じてるものの正体を一緒に調べる」


 アイは一瞬、言葉を失った。


 次の瞬間。


「ゆーちゃーーん!!」


「え?」


 アイが勢いよくゆうきへ近づいた。


 そのまま両手を握ろうとして、寸前で騎士に肩を掴まれる。


「アイ様。初対面の男性へ、その距離は近すぎます」


「だって、依頼を受けてくれたんだよ!」


「感謝を伝える方法はほかにもございます」


「じゃあ、握手ならいい?」


「まずは相手へ確認を」


 騎士は真顔だった。


 アイはゆうきへ向き直る。


「握手してもいい?」


「もちろん」


 ゆうきが手を差し出す。


 アイは嬉しそうにその手を握った。


 触れた瞬間。


 二人の間で、魔力が揺れた。


「――あ」


 アイの魂が強く震える。


 それと同時に、ゆうきの《魂の共鳴》が反応した。


 相手の了承を必要としない、握手だけの第一段階。


 アイの魔力の性質が、ゆうきの内側へわずかに流れ込む。


 無機物へ触れ、震えを伝える感覚。


 だが、それだけではない。


 その力の奥には、はっきりと欠けた部分があった。


 半分。


 本来一つだったものが、途中から裂けているような不完全さ。


「ゆうき?」


 アムがすぐに気づいた。


「共鳴した?」


「うん。でも、変だ」


 ゆうきはアイの手を離した。


 アイは自分の掌を見つめる。


「今、何かした?」


「俺のユニークスキルが反応した。握手した相手の技術や魔力の性質を、少しだけ借りる力なんだ」


「そんな能力があるの?」


「ただ、アイの力は……」


 ゆうきは言葉を探した。


「何かが足りない。アムが言ったのと同じだ。本来の形じゃない気がする」


 アイの表情が真剣になる。


「私の探してる人と関係あると思う?」


「まだ分からない。でも、無関係ではないと思う」


 アムはゆうきの隣へ立った。


「ゆうきの《魂の共鳴》は、相手の魂に近いところへ触れる。二人とも同じ違和感を感じたなら、アイの《共振》は本来の完成形じゃない可能性が高い」


「完成するには、誰かが必要……」


 アイが呟く。


 その時、胸の奥がまた小さく震えた。


 目の前にいる二人へ向けた反応ではない。


 もっと遠く。


 この街のどこか。


 まだ見えない場所から、かすかに何かが応えたような気がした。


「どうした?」


 ゆうきが尋ねる。


「今、また震えた」


「うちらに?」


「違う」


 アイは窓の外へ目を向けた。


 晴れ始めた空の下に、伯爵領の街並みが広がっている。


「もっと遠くから。誰かが、私を呼んだみたいに」


 部屋にいる全員が、アイの視線を追った。


 もちろん、そこには何も見えない。


 市場を行き交う人々。


 屋根から落ちる雨の雫。


 遠くで荷馬車が進む音。


 いつもと変わらない街の風景。


「その人が本当にいるのかも分かりません」


 アイは胸元へ手を置いたまま、静かに言った。


「でも、いないと思おうとするたび、胸の奥が違うって震えるんです」


 ゆうきは、窓の外を見つめる少女の横顔を見た。


 荒唐無稽だと笑うのは簡単だった。


 証拠もない。


 名前も顔も分からない。


 ただの思い込みだと言われれば、否定する材料もない。


 それでも、その感情が本物であることだけは伝わってきた。


「分かった」


 ゆうきは改めて言った。


「探そう。アイがずっと探してる、その人を」


 アイが振り返る。


 瞳の奥に、不安と期待が同時に浮かんでいる。


「見つからないかもしれない。それでも、最初からいないことにはしない。手がかりがなくなるところまで、一緒に調べよう」


「……うん」


 アイは笑った。


 今度の笑顔は、最初に扉を開けた時よりも少しだけ弱く、それでも心から安堵したものだった。


「ありがとう、ゆーちゃん」


「もう呼び方が変わってる」


「嫌だった?」


「いや。驚いただけ」


「じゃあ、ゆーちゃんね」


 アイは当然のように決めた。


 アムが隣で小さく笑う。


「相変わらず、すぐ懐かれるね」


「俺のせいじゃないだろ」


「ゆーちゃん、誰とでもすぐ仲良くなれそうだもん」


「アイも人のこと言えないと思うけど」


「私は普通だよ?」


 侍女と騎士が同時に、何とも言えない表情を浮かべた。


 アイは気づいていない。


 アムは二人の反応を見て、声を漏らして笑った。


「……ハハ。アイは、うちが思ってたより面白い子かも」


「アムも、そんな風に笑うんだ」


「仲間の前ではね」


「じゃあ、私も仲間になれる?」


 アムはすぐには答えなかった。


 アイを見つめる。


 明るく、人懐っこい少女。


 だが、その魂の奥には確かな欠落がある。


 単なる孤独ではない。


 存在そのものが、失われた何かを求め続けている。


「依頼が終わる頃には、分かるんじゃないかな」


 アムは静かに答えた。


「うちが決めることじゃなくて、自然となるものだから」


「そっか」


 アイはその答えを嫌がらなかった。


「じゃあ、まずは一緒に探すところからだね」


 ゆうきたちが頷く。


 窓の外では、雲の切れ間から陽光が差し込み、濡れた街を照らし始めていた。


 まだ誰も知らない。


 アイが探し続けている相手が、遠い土地にいるのではないことを。


 記録の中だけに残る存在でもないことを。


 同じ街のどこかで、もう一つの魂もまた、理由の分からない音に耳を澄ませていることを。


 そして、その出会いが。


 愛されて育った少女の人生も。


 奪われ続けた少女の人生も。


 どちらも大きく変えることになることを。

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