エピローグ また来るから
廃城へ吹く風は、季節の匂いを運んでくる。
春には花の香りを。
夏には深い森の青さを。
秋には枯葉の音を。
冬には張りつめた静けさを。
長い時を生きていると、一年は驚くほど早く過ぎていく。
だからこそ、時折ここを訪れる足音は、グレイにとって特別なものだった。
「レイー。」
城門の向こうから、聞き慣れた声が響く。
グレイは読んでいた本を閉じ、小さく息をついた。
「毎回思うんだが、結界を正面から突破して大声を出す奴は、お前くらいだぞ」
「ちゃんと壊してないからいいじゃん。」
軽い足取りで現れたアムネは、水色の長い髪を揺らしながら笑う。
肩には大きな荷物を提げ、旅の途中なのだと一目で分かった。
「今日は何を持ってきた?」
「東の国のお茶と、お菓子。あと、この前レイが読みたいって言ってた本も見つけたよ。」
「……優秀だな。」
「でしょ?」
アムネは得意そうに胸を張る。
その様子に、グレイは小さく笑みを漏らした。
食卓には、いつものように料理長の人形が料理を並べる。
侍女はアムネの外套を受け取り、母の人形は穏やかな笑みで席を勧めた。
誰一人言葉にはしない。
けれど、この城ではアムネも家族のように迎えられていた。
他愛のない話をした。
旅先で見た景色。
珍しい魔物。
失敗した依頼。
新しく覚えた魔法。
笑うこともあれば、静かに紅茶を飲むだけの時間もある。
そんな何気ない一日が、グレイは嫌いではなかった。
やがて空が夕焼けに染まり始める。
アムネは窓の外を見て、ゆっくり立ち上がった。
「そろそろ行くね。」
「今回はどこだ?」
「西の方。少し大きな依頼が入ってさ。終わったらまた寄るよ。」
グレイは椅子にもたれたまま頷く。
「無茶はするな。」
「うちが?」
「お前だ。」
「大丈夫、大丈夫。」
アムネは苦笑しながら荷物を背負った。
城門まで見送ると、夕暮れの風が二人の間を静かに通り抜ける。
しばらく並んで景色を眺めたあと、アムネが一歩前へ踏み出した。
「じゃあ、レイ。」
「ああ。」
「また来るから。」
グレイは少しだけ目を細める。
「ああ。待ってる。」
その一言だけで十分だった。
アムネは軽く手を振り、森の小道へ消えていく。
姿が見えなくなっても、グレイはしばらくその背中があった場所を眺めていた。
「姫様。」
侍女が静かに声をかける。
「今日は、少し嬉しそうでございました。」
グレイは照れたように肩をすくめた。
「……リアルか、それ。」
その呟きに、侍女は穏やかに微笑む。
城へ戻る足取りは、ほんの少しだけ軽かった。
──それから、およそ二百五十年。
世界は少しずつ姿を変え、人々の営みは受け継がれていく。
そしてある日。
冒険者ギルドの扉が開き、一人の青年がその世界へ足を踏み入れた。
その出会いが、止まっていた時間をもう一度動かし始めることを、この時まだ誰も知らない。




