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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
第一章 始まりの再会

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第13話 名前を呼ぶ声 後半


 氷の光が、夕暮れの広場を白く照らした。


 アムネジアの指先から放たれた魔力は、魔物の四肢だけを正確に凍らせていた。爪も牙も人に届かない。けれど命までは奪わない。


 ゆうきはその横をすり抜け、剣の柄で魔物の首筋を打った。


 硬い手応え。


 魔物は短く呻き、そのまま石畳の上へ崩れ落ちた。


 もう一体も、アムネジアの氷に動きを封じられたまま、すでに意識を失っている。


 広場に、遅れてざわめきが戻ってきた。


 子どもを抱きしめる母親の声。腰を抜かしていた老人へ駆け寄る人々。離れた場所で、誰かがほっと息を吐く音。


 何も壊れなかった。


 誰も傷付かなかった。


 それは、きっと特別な勝利ではない。


 けれど、ゆうきにはひどく大切な勝利に思えた。


 アムネジアはゆっくりと手を下ろした。


 水色の髪が、夕風に揺れる。


 彼女は倒れた魔物ではなく、ゆうきの方を見ていた。


 その瞳には、戦いの鋭さがまだ残っている。


 けれどその奥に、もっと別のものが揺れていた。


 戸惑い。


 懐かしさ。


 怖さ。


 そして、ほんの少しの期待。


「……ゆうき。」


 呼ばれた声に、ゆうきは剣を鞘へ戻した。


 言わなければならないことがある。


 けれど、何を言えばいいのか分からなかった。


 自分が叫んだ名前。


 アム。


 それは知らないはずの呼び名だった。


 ぽぽがそう呼んでいたから、頭のどこかに残っていたのかもしれない。


 そう言い訳することはできた。


 でも、違う。


 あの瞬間、ゆうきは考えていなかった。


 ぽぽの真似をしたわけでもない。


 危ないと思った。


 守りたいと思った。


 そして、喉の奥から出てきた。


 まるで何度もそう呼んできたみたいに。


「ごめん。俺、今……なんでああ呼んだのか、自分でも分かってない。」


 ゆうきは正直に言った。


 曖昧に誤魔化すことは、したくなかった。


「ただ、あの瞬間、アムネジアって呼ぶより先に出た。頭で考えたんじゃなくて、身体が勝手に動いたみたいに。」


 アムネジアは黙って聞いていた。


 その表情は、いつもの少女らしい柔らかさではない。


 けれど、Sランク冒険者としての冷静さとも違っていた。


 もっと奥の、ずっと古い場所から、何かを探している顔だった。


「……うちもね。」


 彼女は小さく息を吸った。


「呼ばれた瞬間、普通に振り向いた。ぽぽに呼ばれた時みたいにじゃなくて、もっと……ずっと前から、その声を知ってたみたいに。」


 広場の喧騒が、遠くなる。


 夕陽が二人の間に落ちていた。


 ゆうきは、胸の奥に手を当てる。


 そこが熱かった。


 痛みではない。


 でも、静かに締め付けられるような感覚。


 忘れていた何かが、内側から扉を叩いている。


「最近、ずっと変だったんだ。アムネジアといると落ち着くし、初めて見る笑い方なのに知ってる気がするし、飯の時も、半分こって言葉が勝手に出た。」


「うちも。ゆうきの皿に料理を分けるのが、すごく自然だった。熱いから気を付けてって言われた時も、なんでか胸が苦しくなった。」


 互いの言葉が、ばらばらだった欠片を拾い集めていく。


 パン。


 スープ。


 噴水広場。


 市場の小さな花。


 焼きたての匂い。


 他愛のない会話。


 どれも小さな出来事だった。


 けれど、その小さな出来事が積み重なって、今の一言に繋がっていた。


 アム。


 その名前は、ただの呼び名ではなかった。


 きっと、二人が失くしていた時間の鍵だった。


 ゆうきの視界の端が、白く滲んだ。


 夕焼けの広場が遠ざかる。


 代わりに、別の景色が浮かぶ。


 見覚えのあるような、ないような場所。


 画面越しの声。


 笑い声。


 くだらない話で夜更かしした時間。


 誰かが泣きそうな声で、それでも笑っていた夜。


 アム。


 ぽぽ。


 すいちゃん。


 グレイ。


 さわら。


 あす。


 カイ。


 名前が、一つずつ胸の奥から浮かび上がってくる。


 現代日本。


 配信アプリ。


 Avvi。


 思わず息を呑んだ。


 忘れていたわけではない。


 現代の記憶はあったつもりでいた。


 けれど、この世界で出会ったアムネジアと、あの頃のアムが、心の中で結び付いていなかった。


 同じだと思うには、あまりにも遠すぎた。


 姿も、時間も、種族も、何もかもが違いすぎた。


 でも。


 声の奥にある温度だけは、変わっていなかった。


「……アム。」


 今度は、ゆうきが確かめるように呼んだ。


 アムネジアの肩が小さく震えた。


 彼女の瞳が揺れる。


 ゆっくりと、唇が開いた。


「……ゆうき。」


 その声を聞いた瞬間、ゆうきの中で何かが繋がった。


 叫ぶような衝撃ではなかった。


 もっと静かで、もっと温かい。


 長い間なくしていた手紙を、古い箱の底から見つけた時のような感覚。


 懐かしくて、嬉しくて、少しだけ泣きたくなる。


 アムネジアはその場に立ったまま、両手を胸の前で握りしめていた。


「うそ……。」


 声が震えていた。


「うち、ずっと探してた。みんなのこと、探してた。でも時間が長すぎて、顔も声も、少しずつ曖昧になっていって……それでも、忘れたくなくて。」


 ぽろりと、涙が落ちた。


 アムネジアはそれを隠そうとしなかった。


 ただ、困ったように笑った。


「……ハハ。変だね。1300年も生きてきたのに、今さらこんなことで泣くんだ。」


 ゆうきは一歩近付いた。


 けれど、抱きしめるのではなく、ただ手を差し出した。


 友達に向ける、まっすぐな手だった。


「変じゃない。大切だったんだろ。だったら、泣いていいんじゃないか。」


 何かを察したアムネジアはその手を見つめた。


「…うん。」


 そして、ゆっくりと自分の手を重ねた。


 握手。


 最初に出会った時と同じ形。


 けれど、あの時とは何もかもが違っていた。


 魔力が走る。


 《魂の共鳴》。


 今度は暴れるような発動ではなかった。


 互いの魂が、静かに名前を確かめ合うように重なった。


 ゆうきの中に、アムネジアの長い時間の断片が流れ込む。


 魔界の暗い空。


 知らない国の戦場。


 何度も姿を変えながら、人々を救った記憶。


 公爵家の屋敷。


 崩れていく居場所。


 それでも誰かを探して歩き続けた背中。


 全部ではない。


 ほんの一部だけ。


 けれど十分だった。


 アムネジアの中にも、ゆうきの記憶が届いていた。


 現代日本の夜。


 画面越しの声。


 笑い合った時間。


 何でもない話。


 明日もまた会えると思っていた日々。


 その温度が、ゆっくりと彼女の中に染み込んでいく。


「……本当に、ゆうきなんだ。」


「ああ。俺も、やっと分かった。アムネジアじゃなくて、アムなんだな。」


「うん。でも、この世界ではアムネジアでもあるよ。長く生きすぎて、どっちが本当か分からなくなる時もあったけど……今は、どっちも自分なんだって思える。」


 ゆうきは頷いた。


「だったら、俺はどっちも呼ぶよ。みんなの前ではアムネジア。親友として話す時は、アム。嫌だったら言ってくれ。」


 アムは少しだけ驚いた顔をして、それから心底ほっとしたように笑った。


「嫌じゃない。むしろ、そうしてくれると嬉しい。全部を昔に戻したいわけじゃないけど、あの時間までなかったことにはしたくないから。」


 その言葉は、二人の間に静かに落ちた。


 あの時間をもう一度。


 戻ることはできない。


 同じ日々を繰り返すこともできない。


 でも、もう一度出会うことはできた。


 もう一度、名前を呼ぶことはできた。


 それだけで、失くしたと思っていた時間に、意味が戻ってくる気がした。


「おーい。」


 場違いなほど明るい声が、広場の端から聞こえた。


 ぽぽだった。


 いつもの調子で手を振っている。


 けれど、その目元は少し赤い。


「いやー、やっとだね。見守る側って、なかなか心臓に悪いんだよ? 俺、途中で何回『それそれ!』って言いそうになったか分かんないもん。」


 アムはぽぽを見る。


 その顔が、少しだけむっとした。


「…ぽぽっち、知ってたんだね。」


「知ってたよ。でも俺が言っても意味ないと思ったんだ。二人が自分で気付かなきゃ、きっと本当の再会にはならないからさ。」


 ぽぽは笑っていた。


 けれど、その声の奥には、長く待っていた人の静かな震えがあった。


 ゆうきはぽぽへ向き直る。


「ぽぽも、俺のことを覚えてたんだな。戦場で会った時、ずっと何か言いたそうだった。」


「そりゃ覚えてるよ。俺にとっては30年ぶりだったんだから。ゆうきはあの頃のまま急に来るし、アムは横にいるし、もう心の中は大騒ぎだったよ。」


 ぽぽは大げさに肩をすくめた。


 その仕草に、少しだけ広場の空気が和らぐ。


 アムも涙を拭いながら、小さく笑った。


「言えばよかったのに。」


「言いたかったよ。でも、アムが自分で気付く瞬間も、ゆうきが自分で呼ぶ瞬間も、俺が奪っちゃだめだと思った。そういうの、親友同士の大事なところでしょ。」


 ゆうきは何も言えなかった。


 ぽぽらしいと思った。


 明るくて、ふざけていて、でも誰よりも人の心の置き場所を考えている。


 彼は昔からそうだったのだろう。


 そして、この世界でも変わっていない。


「ありがとう、ぽぽ。」


 ゆうきがそう言うと、ぽぽは一瞬だけ目を丸くした。


 そして、照れくさそうに鼻の下をこすった。


「やめてよ、そういう真っ直ぐなの。俺、泣く準備してなかったんだからさ。」


 その言葉に、三人は笑った。


 広場の人々は、何が起きたのか完全には分かっていない。


 ただ、魔物の脅威が去り、Sランク冒険者と新米冒険者と吟遊詩人が、なぜか泣き笑いしている。


 それだけの景色だった。


 けれど三人にとっては、長い時間の終わりであり、始まりだった。


 その後、魔物はギルドへ引き渡された。


 スタンピードの残留魔力に侵された個体であることが分かり、ギルドは森の再調査を進めることになった。


 広場の騒ぎが落ち着いた頃には、空はすっかり藍色へ変わっていた。


 噴水の水面に、街灯の光が揺れている。


 三人は広場の端にあるベンチへ腰を下ろした。


 アムは少しだけ疲れた顔をしている。


 それでも、その表情は今までよりずっと軽かった。


「ねえ、ゆうき。」


「ん?」


「みんなを探しに行こう。」


 それは唐突ではなかった。


 むしろ、ずっと前から決まっていたことを、ようやく口にしたような声だった。


「すい、グレイ、さわら、あすか、カイ……他にも、この世界に来てるかもしれない人たちがいる。うちはずっと探してたけど、一人だと届かない場所が多すぎた。」


 アムは自分の手を見つめる。


「でも、ゆうきがいるなら、もう一度ちゃんと探せる気がする。昔みたいに戻るんじゃなくて、今のうちらとして、もう一度会いに行きたい。」


 ゆうきは夜空を見上げた。


 星が見えていた。


 現代日本で見ていた空とは違う。


 けれど、星を見上げる気持ちは変わらない。


 誰かを思い出す時、人はきっと同じように空を見る。


「行こう。」


 迷わず答えた。


「俺も探したい。みんながこの世界のどこかにいるなら、会いに行きたい。アム一人に背負わせるんじゃなくて、今度は一緒に探す。」


 アムは少し目を伏せた。


 その横顔は、嬉しそうで、泣きそうだった。


「……ハハ。そういうところ、ほんと変わってない。」


「アムもな。大事なことを一人で抱え込むところ、たぶん変わってないんだろ。」


「それは……否定しにくいかも。」


 二人は笑った。


 そこにあるのは恋ではない。


 寄り添いすぎる甘さでもない。


 長い時間を越えて、ようやく名前を呼び合えた親友同士の距離だった。


 信頼しているから、踏み込みすぎない。


 大切だから、ちゃんと隣に立つ。


 その距離が、二人には一番自然だった。


「ぽぽは?」


 ゆうきが尋ねると、ぽぽはギター型魔導具の弦を軽く鳴らした。


 小さな音が、夜の広場に溶ける。


「俺も一緒に行きたいところなんだけどね。実は今、大きめの依頼を受けてるんだ。北西の街で起きてる連続失踪事件。魔物か、人か、魔法絡みかもまだ分かってない。」


 アムの表情が引き締まる。


「それ、かなり危ない依頼じゃない?」


「うん。だからこそ放っておけない。笑顔が消えた街に歌を届けるのが、笑奏の吟遊詩人のお仕事だからね。」


 ぽぽはいつものように明るく言った。


 けれど、その目は真剣だった。


「俺はそっちを解決しながら、別ルートで仲間の情報を集める。旅芸人とか吟遊詩人って、噂を拾うのには向いてるんだよ。酒場、宿場、商隊、冒険者ギルド。どこにでも入れるから。」


 ゆうきは納得した。


 ぽぽが一緒に来ないのは寂しい。


 けれど、それは別れではない。


 違う道を進みながら、同じ目的地を目指すだけだ。


「じゃあ、俺たちは正面からギルドや街を巡る。ぽぽは噂と依頼の流れから探す。何か分かったら合流しよう。」


「そういうこと。俺の方が先に誰かを見つけたら、ちゃんと連絡するよ。アムも、無茶して歴史に残るようなことしないでね。」


 アムは少しだけ目を逸らした。


「……しないよ、たぶん。」


「たぶんって言った。ゆうき、ちゃんと見張ってて。この子、放っておくと一人で国ひとつ救いに行くから。」


 ゆうきはアムを見る。


 そっぽを向いている。


「否定しないんだな。」


「状況による。」


「それが一番怖いやつだ。」


 ぽぽが笑い、ゆうきもつられて笑う。


 アムは少し不満そうに頬を膨らませたが、すぐに笑った。


 その笑顔は、最初の頃に見せていた少女らしさを残しながらも、少しだけ落ち着いていた。


 心の奥に閉じ込めていたものが、ようやく外へ出てきたのだろう。


 夜風が吹く。


 噴水の水音が、静かに三人の間を流れていた。


「いつ出る?」


 ぽぽが尋ねる。


 アムは少し考えてから答えた。


「明後日。明日は準備と挨拶。ギルドにも話を通しておく。ゆうきの冒険者登録や装備も、旅向けに整えないといけないし。」


「俺も宿の整理をしておく。あと、バルドさんにもちゃんと報告しないとな。」


「うん。勝手に出ると怒られるよ。あの人、顔は怖いけど面倒見いいから。」


 アムの声は穏やかだった。


 この街で過ごした時間は短い。


 けれど、ゆうきにとって確かに始まりの場所だった。


 異世界で最初に辿り着いた街。


 冒険者になった場所。


 アムと再会した場所。


 ぽぽと出会い直した場所。


 焼きたてのパンを食べた場所。


 きっと旅に出ても、この街のことは忘れない。


 翌日。


 街は朝から忙しかった。


 ゆうきはギルドへ向かい、バルドに旅へ出ることを伝えた。


 バルドはしばらく黙っていたが、最後には大きく息を吐いて頷いた。


「お前さんが決めたなら止めはしねえ。ただし、無茶と勇気を履き違えるな。仲間を探すってんなら、生きて会いに行くことを一番に考えろ。」


「はい。ちゃんと帰ってきます。この街にも、まだ食べたいパンがありますから。」


 バルドは鼻で笑った。


「理由がパンかよ。まあいい。そういう奴の方が案外しぶとい。アムネジアの嬢ちゃんにも言っとけ、たまには顔を出せってな。」


 ゆうきは笑って頷いた。


 その後、装備を整え、保存食を買い、旅用の外套を選んだ。


 アムは慣れた手つきで必要な物を選んでいく。


 水袋、簡易結界石、火打ち石、薬草、携帯用の調理器具。


 ゆうきが少し多めに荷物を持とうとすると、アムはすぐに止めた。


「旅は気合いじゃなくて配分だよ。持てる量より、歩き続けられる量を考えないと途中で後悔する。」


「なるほど。経験者の言葉は重いな。」


「うちは何回も後悔して覚えたからね。雨の日に荷物が倍くらい重く感じた時は、本気で全部捨てたくなった。」


 そんな話をしながら準備を進める時間は、不思議と楽しかった。


 旅立ちの支度なのに、寂しさだけではない。


 これから始まるものへの静かな高揚があった。


 夕方、ぽぽは広場で一曲だけ演奏した。


 別れの曲ではなかった。


 明るく、軽やかで、少しだけ泣きたくなる曲。


 子どもたちは手を叩き、街の人たちは笑った。


 曲が終わると、ぽぽは深く頭を下げた。


「またね。笑顔が足りなくなったら、呼ばれなくても勝手に来るから。」


 その言葉に、広場から笑いが起きた。


 ゆうきは少し離れた場所でそれを見ていた。


 ぽぽの音楽は、やっぱり人を無理に笑わせるものではない。


 心の中に残っていた温かいものを、そっと思い出させる音だった。


 夜。


 三人は城門近くの丘に立っていた。


 街の灯りが見える。


 遠くには森。


 そのさらに向こうには、まだ知らない世界が広がっている。


 ぽぽは北西へ。


 ゆうきとアムは、まず魔法都市ルーメンを目指すことにした。


 学院、研究所、図書館、職人本部、魔石市場。


 人も情報も集まる都市なら、仲間の手がかりが見つかるかもしれない。


「じゃあ、ここで一旦別行動だね。」


 ぽぽが明るく言った。


「合流場所は?」


 ゆうきが尋ねる。


「三か月後、ルーメン。もし俺の依頼が長引いたら、ギルド経由で連絡を飛ばすよ。逆に二人が誰かを見つけたら、俺にも教えて。」


 アムは頷いた。


「分かった。ぽぽっちも無茶しすぎないでね。運がいいからって、自分を雑に扱ったら怒るよ。」


「アムに言われると説得力がすごいようで、まったくないんだよね。」


「……ぽぽっち。」


「はい、ごめんなさい。」


 ぽぽは両手を上げて笑った。


 そのやり取りに、ゆうきも自然と笑っていた。


 たぶん、こういう時間を取り戻したかったのだと思う。


 特別な言葉ではなく。


 大きな奇跡でもなく。


 くだらないやり取りで笑える時間。


 それが、何よりも大切だった。


 ぽぽはギター型魔導具を背負い直し、ゆうきへ手を差し出した。


「また会おう、ゆうき。今度は戦場じゃなくて、ゆっくりご飯でも食べながら話そうね。聞きたいこと、山ほどあるんだから。」


「ああ。また会おう、ぽぽ。そっちの依頼も気を付けてな。何かあったら、ちゃんと頼れよ。」


 握手を交わす。


 ぽぽの手は温かかった。


 次に、ぽぽはアムへ向き直る。


「アム、ゆうきをよろしく。ゆうきも、アムをよろしく。二人とも人のことは見えるのに、自分のことになると急に下手になるんだから。」


 アムは少しだけ黙った後、柔らかく笑った。


「うん。今度は一人で抱え込まないようにする。ゆうきにも、ぽぽっちにも、ちゃんと頼る。」


「よろしい。じゃあ、笑奏の吟遊詩人は一足先に行ってきます。」


 ぽぽは背を向けた。


 そして数歩進んだところで、振り返らずに手を振った。


「みんなを見つけようね。もう一度、全員で笑うために。」


 その声は夜風に乗って届いた。


 ゆうきとアムは、並んで見送った。


 ぽぽの背中が道の向こうへ小さくなっていく。


 明るい人なのに、その背中は少しだけ寂しそうだった。


 けれど、迷いはない。


 彼もまた、自分の道で仲間を探しに行くのだ。


 やがて姿が見えなくなると、アムが静かに息を吐いた。


「行っちゃったね。」


「ああ。でも、また会える。」


「うん。今度は、ちゃんと会える気がする。」


 二人はしばらく夜の道を見つめていた。


 やがてアムが、ゆうきの方を見る。


「ゆうき。」


「ん?」


「改めて、よろしく。昔の続きじゃなくて、今のうちらの旅として。」


 ゆうきは頷いた。


「こちらこそよろしく、アム。親友として、相棒として、一緒にみんなを探しに行こう。」


 アムは少しだけ目を細めた。


 そして、いつものように笑った。


「……ハハ。うん、行こう。」


 夜明け前。


 街の門が開く。


 空はまだ薄暗く、東の空だけが淡く白み始めていた。


 ゆうきは旅装を整え、門の前に立つ。


 隣にはアムがいる。


 水色の髪を外套の下に隠し、いつものように少しだけ眠そうな顔をしていた。


「眠い?」


「少し。でも、朝の旅立ちは好き。世界がまだ静かで、誰にも邪魔されずに歩き出せるから。」


「分かる気がする。」


 門番が二人へ手を振る。


 街の奥では、早起きのパン屋から焼きたての匂いが流れてきた。


 ゆうきは振り返る。


 この街で過ごした時間は短かった。


 けれど、ここで多くのものを受け取った。


 冒険者としての始まり。


 守りたいと思える景色。


 ぽぽとの再会。


 そして、アムという親友。


「また戻ってこよう。」


 ゆうきが言うと、アムは隣で頷いた。


「うん。焼きたてのパン、まだ全部食べてないしね。」


「結局そこなんだ。」


「大事でしょ。旅の理由は、大きいものばかりじゃ疲れちゃうから。」


 その言葉に、ゆうきは笑った。


 小さな幸せを見つけられること。


 それを守りたいと思えること。


 きっと、それがこの旅の始まりにふさわしい理由だった。


 二人は門を抜ける。


 朝露に濡れた道が、遠くまで続いていた。


 まだ見ぬ街へ。


 まだ見ぬ仲間へ。


 もう一度、あの時間を呼び戻すために。


 けれど、過去へ戻るためではない。


 今を生きる自分たちで、もう一度笑い合うために。


 ゆうきは一歩を踏み出した。


 隣でアムも同じ歩幅で歩き出す。


 空の端から、朝日が昇る。


 長い夜の終わりを告げるように。



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