第11話 旅する吟遊詩人
冒険者ギルドは、朝から人の声で満ちていた。
昨日まで戦場だった街に、完全な平穏が戻ったわけではない。壊れた家屋の修繕、怪我人の治療、避難していた住民の帰還。やるべきことは山ほどあった。
それでも、ギルドの中に漂う空気は重くなかった。
誰かが笑い、誰かが肩を叩き合い、受付前では報酬の確認をする冒険者たちが列を作っている。壁際の掲示板には、復旧作業の臨時依頼がいくつも貼り出されていた。
その列の少し後ろに立ちながら、昨日の光景を思い返していた。
オークジェネラルの重い斧。
バルドの怒号。
ぽぽの演奏。
そして、遠く離れた戦場でオーガキングを相手にしながら、街全体を支えていたアムネジアの姿。
あれから一晩経ったのに、まだ現実感が薄い。
「おう、ゆうき。ちゃんと生きてたな」
低い声に振り返ると、バルドが片手を上げて近づいてきた。昨日の戦いで傷だらけだった鎧は修理に出しているのか、今日は簡素な革鎧姿だ。
「バルドさんも無事でよかったです。昨日は本当に助かりました」
「そりゃこっちの台詞だ。お前とあの吟遊詩人がいなきゃ、オークジェネラル相手にもう少し苦戦してた」
バルドはそう言って、豪快に笑った。
その笑い方に、少し安心する。昨日の戦いを乗り越えた者同士だからだろうか。まだ数日しかこの世界にいないのに、不思議と距離が縮まった気がした。
「ぽぽさん、すごかったですね。支援も回復も攻撃もできて、しかも戦場の空気まで変えてました」
「あいつは変わり者だが、腕は確かだ。Aランクってのは伊達じゃねぇ。まあ、本人はあんまり前に出たがらねぇけどな」
「そうなんですか?」
「自分が目立つより、誰かを立たせる方が好きな奴なんだろ。昨日もお前の動きをよく見て、合わせてただろうが」
言われて、昨日の戦いを思い返す。
確かに、ぽぽは前に出すぎなかった。強力な魔法を使えるはずなのに、ゆうきやバルドの攻撃が通るように支援し、隙を作り、必要な時だけ火力を出していた。
自分が倒すのではなく、倒せるようにしてくれた。
その戦い方は、派手ではない。けれど、確かに強かった。
「……すごい人ですね」
「だな。ああいう奴が一人いるだけで、戦場ってのは持ち直す。剣一本で斬るだけが冒険者じゃねぇってことだ」
バルドの言葉は、不思議と胸に残った。
やがて列が進み、ゆうきの番になる。
受付の女性は、昨日より少し疲れた顔をしていたが、それでも丁寧に微笑んだ。
「ゆうきさんですね。昨日のスタンピード防衛、お疲れさまでした。オークジェネラル討伐への貢献も確認されています」
「ありがとうございます。俺だけじゃなくて、バルドさんとぽぽさんがいてくれたからです」
「もちろん、共同討伐として記録されています。ただ、ゆうきさんの動きも高く評価されていますよ」
そう言われて、少し戸惑った。
この世界に来てから、まだ日は浅い。冒険者としても駆け出しだ。褒められるほどのことをできたのか、自分ではよく分からなかった。
受付の女性は書類を確認しながら、穏やかに続ける。
「正式な昇級判断は後日になりますが、今回の貢献は記録に残ります。無理をしすぎず、今後も活動を続けてください」
「はい。ありがとうございます」
報酬の入った小袋を受け取ると、手の中にずしりと重みが残った。
命を懸けた対価。
そう思うと、単純に喜ぶことはできなかった。
けれど、生きていくには必要なものだ。この世界で生きると決めた以上、避けては通れない。
ギルドの隅へ移動すると、バルドが腕を組んで待っていた。
「どうだった?」
「思ったより評価されてて、少し驚きました」
「素直に受け取っとけ。昨日のお前は、ちゃんと冒険者だったぞ」
その言葉は短かったが、不思議と重かった。
小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
「礼はいい。強くなりたいなら、死なねぇ範囲で場数を踏め。お前は器用だが、まだ経験が足りねぇ」
「はい。そこは自分でも感じてます」
「分かってるならいい。焦るなよ。焦って死ぬ奴は、才能があってもそこで終わりだ」
厳しい言葉だった。
けれど、突き放すような冷たさはない。
この世界で生きるための忠告なのだと分かった。
その時、ギルドの入口から軽やかな弦の音が一つ鳴った。
その場にいた何人かが振り向く。
そこに立っていたのは、ギター型の魔導具を背負ったぽぽだった。
「おはようございまーす。昨日がんばった皆さまに、旅する吟遊詩人から朝のご挨拶でーす」
軽い口調に、ギルド内の空気が少し和らぐ。
受付の女性が困ったように笑った。
「ぽぽさん、ギルド内で演奏するなら短めにしてくださいね。今日は手続きが多いんですから」
「もちろんもちろん。僕も報酬を受け取りに来ただけだから、今日は大人しくしてるよ」
「その言葉、毎回あまり信用できないんですよね」
「ひどいなぁ。僕ほど信用できる吟遊詩人もなかなかいないよ?」
ぽぽの冗談に、近くの冒険者たちが笑う。
昨日、戦場で見た姿とはまた違う。けれど、根っこの部分は同じだった。
人の緊張をほどくのが上手い。
重たい空気を、ほんの少しだけ軽くする。
ぽぽはゆうきを見つけると、嬉しそうに手を振った。
「ゆうき、いたいた。報酬の手続き終わった?」
「はい。今終わったところです」
「じゃあ、少し付き合ってよ。昨日は戦闘中でゆっくり話せなかったし、僕も君とちゃんと話したかったんだ」
その言葉に、一瞬だけ首を傾げた。
ちゃんと話したかった。
初対面の相手にしては、少しだけ距離が近い言い方に聞こえた。
けれど、ぽぽの笑顔はあまりに自然で、深く考えるほどの違和感にはならなかった。
「俺でよければ」
「やった。じゃあ、街を歩きながら話そっか。こういう日は、建物の中にいるより外の空気を吸った方がいいからね」
ぽぽはそう言って、踵を返す。
ゆうきはバルドへ軽く会釈した。
「少し行ってきます」
「おう。妙な歌を覚えさせられねぇようにな」
「ちょっとバルド、それどういう意味? 僕の歌はどれも名曲だよ?」
「名曲かどうかは知らんが、耳に残りすぎるんだよ」
ぽぽは胸に手を当て、わざとらしく傷ついた顔をした。
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。人の心に残る歌こそ、吟遊詩人の本懐だからね」
ギルド内にまた小さな笑いが起きる。
その笑い声を背に、ぽぽと並んで外へ出た。
扉を開けると、朝の光が眩しかった。
石畳にはまだ戦いの傷が残っている。けれど、通りを行き交う人々の表情には、昨日よりも確かに生気が戻っていた。
ぽぽはその景色を眺めながら、少しだけ目を細める。
「よかった」
「何がですか?」
「街がちゃんと息をしてる。昨日みたいなことがあった後はね、それが一番大事なんだ」
明るい声だった。
けれど、その奥にある感情は、少しだけ静かだった。
ゆうきは隣を歩くぽぽの横顔を見る。
笑っている。
でも、ただ軽いだけの人ではない。
昨日から何度も感じていたことが、少しずつ形になっていく。
「ぽぽさんは、いろんな街を見てきたんですか?」
「うん。あっちこっち旅してるからね。楽しい街も、静かな村も、ちょっと怖い森の中の集落も、いろいろ見てきたよ」
「旅って、大変じゃないですか?」
「大変だよ。道に迷うし、お金はなくなるし、宿が取れない日もある。でもね、その先で誰かが笑ってくれたら、まあいっかって思えるんだ」
ぽぽは何でもないことのように言った。
その横顔が、どこか遠くを見ているように見えた。
不思議と、その言葉を軽く流せなかった。
「……すごいですね。俺はまだ、この街の外のこともほとんど知らないです」
「なら、これから知ればいいよ。世界は広いし、面白いものも、悲しいものも、たくさんあるから」
ぽぽはそこで一度言葉を切り、ゆうきを見て笑った。
「でも、急がなくていい。君はまだ、この世界に来たばかりみたいな顔をしてるからね」
心臓が、ほんの少し跳ねた。
この世界に来たばかり。
その言葉は、ただの比喩かもしれない。
冒険者になったばかりの自分を見て、そう言っただけかもしれない。
けれど、ゆうきにはなぜか、その言葉が胸の奥をかすめた。
「……そんなに分かりやすいですか?」
「うん。分かりやすいよ。初めて見るものにちゃんと驚ける人は、顔に出るんだ」
ぽぽは楽しそうに笑った。
それ以上は何も言わない。
ゆうきも、それ以上は聞けなかった。
通りの向こうで、子どもたちの笑い声が聞こえる。
ぽぽはそちらへ視線を向けると、少しだけ歩調を緩めた。
「ねえ、ゆうき。少し寄り道してもいい?」
「もちろんです」
「ありがと。ちょっとだけ、届けたいものがあるんだ」
ぽぽはギターケースの肩紐を直し、子どもたちのいる広場へ向かって歩き出した。
その背中は軽やかだった。
けれど、ゆうきにはなぜか、昨日の戦場で仲間を支えていた時と同じくらい頼もしく見えた。
ぽぽが向かった先は、昨日まで避難所として使われていた小さな広場だった。
建物の壁にはまだひびが残り、積み上げられた木材や石材が戦いの爪痕を物語っている。
それでも、広場の中央では数人の子どもたちが元気よく走り回っていた。
「お兄ちゃん!」
一人の女の子がぽぽを見つけると、ぱっと表情を明るくした。
「昨日のお兄ちゃんだ!」
「お、覚えててくれた?」
「うん! お歌のお兄ちゃん!」
その声を聞いて、ほかの子どもたちも次々と集まってくる。
「今日は歌うの?」
「昨日のやつ聞きたい!」
「もっと速い曲!」
ぽぽは苦笑しながら頭を掻いた。
「そんなに一気に注文されたら困っちゃうなぁ。」
そう言いながらも、その顔はどこか嬉しそうだった。
少し離れた場所から、その様子を眺める。
「人気なんですね。」
「たまたまだよ。」
そう答えながら、ぽぽはケースからギター型魔導具を取り出した。
昨日の戦場では、魔石が眩く輝き、支援魔法を次々と放っていた。
だが今は違う。
魔力を込めることなく、ただ一本の楽器として抱える。
「今日は魔法はなし。」
ぽぽは子どもたちへ笑いかける。
「その代わり、元気になる歌を歌おうか。」
軽く弦を弾く。
澄んだ音が青空へ溶けていく。
昨日とは違う、明るく軽快な旋律。
子どもたちは手拍子を始め、大人たちも自然と足を止めた。
商人が笑いながら荷物を置く。
修復作業をしていた職人も、手を止めて耳を傾ける。
広場に、小さな笑顔が少しずつ増えていく。
演奏が終わると、大きな拍手が響いた。
「ありがとー!」
子どもたちの歓声に、ぽぽは深々と頭を下げる。
「みんなの拍手の方が元気になるよ。」
その一言だけで、また笑いが起きた。
人を笑わせようと無理をしているわけではない。
自然体で、そこにいる人たちの表情を柔らかくしてしまう。
昨日の戦場を思い出す。
あの時も同じだった。
演奏が始まるだけで、不思議と肩の力が抜けた。
「……ぽぽさん。」
「ん?」
「どうして、そんなに人を笑わせようとするんですか?」
ぽぽは少しだけ空を見上げた。
すぐには答えない。
風が吹き抜け、ギターの弦が小さく震える。
「笑顔ってさ。」
ぽつりと口を開く。
「作るものじゃないと思うんだ。」
黙って耳を傾ける。
「怖かったり、悲しかったりすると、人は笑えなくなる。でもね、本当はその人の中から笑顔がなくなったわけじゃない。」
ぽぽは優しく笑った。
「ちょっと奥に隠れちゃっただけなんだよ。」
その言葉には、不思議な説得力があった。
「だから僕は、笑わせたいんじゃない。」
子どもたちが走り回る姿を見つめながら続ける。
「その人が元々持ってた笑顔を、もう一度見つけるお手伝いをしたいだけ。」
静かな声だった。
それは誰かへ言い聞かせるようでもあり、自分自身へ言い聞かせるようでもあった。
「笑顔は作るものじゃない。」
一拍置いて、
「取り戻すものだ。」
その言葉が、ゆうきの胸へ静かに落ちる。
派手な言葉ではない。
けれど、ぽぽという人間が歩いてきた人生そのものが、その一言に込められている気がした。
「……だから旅を?」
「うん。」
ぽぽは迷いなく頷いた。
「一人でも笑ってくれる人が増えたら、それだけで旅した意味があるからね。」
あまりにも自然に言うものだから、返す言葉を失う。
見返りを求めていない。
名声でも、お金でもない。
本当に、それだけなのだ。
そんな生き方があることを、初めて知った。
その時だった。
「ぽぽー!」
子どもが駆け寄ってくる。
「また来る?」
「もちろん。」
ぽぽはしゃがみ込み、目線を合わせて笑った。
「次に来た時は、新しい歌を持ってくるよ。」
「約束?」
「約束。」
小さな指が差し出される。
優しく指切りを交わした。
その光景を見ていたゆうきは、自然と笑みを浮かべる。
「ぽぽさんって、本当に子どもが好きなんですね。」
「好きだよ。」
立ち上がりながら答えた。
「子どもの笑顔って、嘘がないから。」
そして少しだけ遠くを見る。
「……昔から、そうだった。」
その一言だけ、どこか懐かしむような響きがあった。
ゆうきは首を傾げる。
「昔から?」
「あっ。」
ぽぽは一瞬だけ目を丸くすると、すぐに笑った。
「旅を始めた頃からってこと。」
「ああ、なるほど。」
自然な返事だった。
けれど、ぽぽは心の中で小さく息を吐く。
(危ない危ない。)
(まだ早い。)
三十年前。
あの頃のことを口にするには、まだ早すぎる。
ゆうきは何も気付いていない。
アムも、きっとまだ。
だから今は、このままでいい。
ぽぽは青空を見上げる。
ゆっくりと流れる雲を眺めながら、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「もう少しだけ、待っててね。」
その言葉の意味を知る者は、この街にはまだ一人しかいなかった。




