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あの時間をもう一度  作者: ゆうき
第一章 始まりの再会

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第1話 「降り立った草原」

風の匂いがした。


やわらかな草が頬や指先をくすぐり、少しひんやりとした風が肌を撫でていく。その心地よさに誘われるように、ゆうきは小さく息を漏らした。


「……ん。」


重たいまぶたをゆっくりと開くと、そこには雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。視界いっぱいに揺れる草原は陽の光を受けてきらきらと輝き、遠くでは風に乗って草の波が静かにうねっている。


「ここ……。」


身体を起こし、ゆうきはそっと足元へ手を伸ばした。


指先に触れた草はみずみずしく、握れば湿った土の感触が掌へ伝わる。鼻をくすぐる土の匂いも、風が運ぶ草木の香りも、どれ一つとして夢のような曖昧さはなかった。


「異世界……か。」


不思議と恐怖はなかった。


胸の奥にあるのは戸惑いよりも、長い間心のどこかで思い描いていた景色へ、本当にたどり着いてしまったような高揚感だった。


「本当に来たんだ。」


立ち上がって辺りを見渡す。


果てしなく続く草原の向こうには深い森が広がり、そのさらに奥には山脈が連なっている。視線を巡らせると、遠くで細く立ち上る煙が目に入った。


「街……かな。」


そう呟いて歩き出そうとした、その時だった。


頭の奥がふっと熱を帯びる。


《魂の共鳴》


聞き覚えのある言葉が、不意に脳裏へ浮かび上がった。


「そういえば……。」


女神もぐから授かったユニークスキル。


思い返してみても、その力は誰かと共鳴して初めて意味を持つものだった。


「今は試しようがないか。」


苦笑しながら肩の力を抜き、ゆうきは草原を歩き始める。


風に揺れる草の音だけが、静かに耳へ届いていた。



どれほど歩いただろうか。


穏やかな空気を切り裂くように、森の奥から獣の咆哮が響いた。


「ギャアアアア!!」


思わず足を止める。


静まり返っていた景色が、一瞬で張り詰めた。


「……え。」


次の瞬間、森の木々をなぎ倒しながら一頭の巨大な魔物が姿を現す。


三メートルはあろうかという巨体。


灰色の毛並みに鋭い牙、そして獲物を見据える真っ赤な瞳がゆうきを捉えた。


「嘘だろ……。」


目が合う。


わずかな沈黙。


それだけで、背筋を冷たいものが駆け抜けた。


「グルルルル……。」


低く唸る声が胸へ響く。


「……いやいや、待ってくれ。」


逃げなければ。


そう思った瞬間、魔物が大地を蹴った。


「速っ――!」


視界いっぱいに迫る巨体。


避けられない。


そう覚悟した、その刹那だった。


ヒュン――。


鋭い風切り音とともに一本の矢が空を裂き、魔物の頬をかすめて飛んでいく。


「そこの人! 伏せて!!」


澄んだ女性の声が響いた。


反射的に身を低くすると、頭上を一陣の風が駆け抜ける。


その先には、一人の少女が魔物へ向かって一直線に駆けていた。


水色の髪を風になびかせ、迷いのない足取りで距離を詰める。その右手には、一振りの剣が静かに握られていた。


「──邪魔。」


穏やかな声だった。


けれど、その一言が零れた次の瞬間、水色だった髪が淡い赤色へと染まる。


少女は躊躇なく剣を振るった。


炎を纏った斬撃が一直線に走り、魔物の巨体を大きく吹き飛ばす。


轟音とともに地面が揺れ、土煙がゆっくりと舞い上がった。


やがて静けさが戻る。


少女は剣を鞘へ納めると、ゆっくりとゆうきへ振り返った。


「怪我はない?」


その声は先ほどまで戦っていた人物とは思えないほど穏やかだった。


ゆうきは荒くなった息を整えながら、小さく頷く。


「あ、ありがとうございます。本当に助かりました。」


少女はほっとしたように目を細める。


「こんなところを一人で歩いてたら危ないよ。この辺は街道から少し外れてるから、魔物もよく出るんだ。」


「そうだったんだ……。」


礼を言いながら顔を上げた瞬間、ゆうきは初めて少女の表情をしっかりと見た。


初対面のはずだった。


それなのに、水色の髪も、澄んだ青い瞳も、優しく笑うその表情も、どこか胸の奥に引っかかる。


理由は分からない。


ただ、昔から知っていた誰かに再会したような、不思議な懐かしさだけが心に残った。


少女はそんなことには気付かないまま、倒れた魔物の傍らへ歩み寄る。


腰の短剣を抜き、慣れた手つきで胸元へ刃を入れると、小さく呟いた。


「……あった。」


取り出したのは、親指ほどの大きさの淡い紫色の結晶だった。


陽の光を受けて、透き通るように輝いている。


「それって?」


ゆうきが尋ねると、少女は結晶を小袋へしまいながら振り返った。


「魔石だよ。魔物の体内で魔力が固まってできるもので、売ればお金になるし、魔道具の材料にも使われるの。」


「あぁ……。」


説明を聞いた途端、頭の片隅にあった知識がゆっくりと繋がる。


女神から与えられた知識の中に、確かにそんな内容があった。


知っていたはずなのに、実際に目の前で見るとまるで別物のように感じる。


思わず見入っていると、少女が小さく笑った。


「初めて見た?」


「うん。知識では知ってたけど、本物は全然違うね。」


「そっか。」


少女はそれ以上、何も尋ねなかった。


普通なら、どこから来たのか、一人で何をしていたのかと聞かれてもおかしくない。


けれど彼女は、それを当然のように飲み込んでしまう。


そのさりげない気遣いが、ゆうきには少しだけ不思議で、どこかありがたかった。


少女はゆうきの様子をひと目見て、小さく頷いた。


「歩けそう?」


「うん、大丈夫。助けてもらったおかげで、どこも怪我はしてないみたい。」


「それならよかった。」


柔らかく微笑むと、少女は森の外へ続く細い道へ視線を向ける。


「街まで一緒に行こう。この辺りはまだ魔物が出ることもあるし、一人で歩くには少し危ないから。」


「本当に? 助かるよ。」


自然と表情が緩む。


見知らぬ世界で、たった一人だと思っていた心細さが少しだけ薄らいでいくのを感じた。


少女もそんな様子に気付いたのか、どこか安心したように笑った。


「そんなに嬉しそうな顔をしなくても。」


「いや……街って聞いただけで安心したんだ。ここへ来てから、ずっと草原しか見てなかったから。」


「ふふっ、確かに何もない場所だったね。」


並んで歩き始めると、木漏れ日が二人の足元へまだらな影を落としていく。


風が枝葉を揺らすたび、どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、先ほどまでの緊張が少しずつ森の静けさへ溶けていった。


しばらく歩いていると、ゆうきはふと思い出したように口を開く。


「そういえば……さっきの髪。」


「ん?」


「途中で色が変わってたよね。」


少女は少しだけ自分の髪へ触れ、それが当たり前のことのように頷いた。


「属性に合わせて変わるの。さっきは火属性を使ったから赤くなってたんだ。」


そう言われて改めて見ると、今は元の水色へ戻っている。


「便利というか……すごいな。」


「最初は私もびっくりしたけど、慣れると普通かな。」


照れくさそうに笑う姿は、どこにでもいる年頃の少女のようだった。


その飾らない笑顔を見ていると、胸の奥に残る違和感がまた小さく揺れる。


どこかで見たことがある。


そんな気がしてならない。


けれど、その記憶に手を伸ばそうとすると、霧がかかったように何も掴めなかった。


森を抜ける風だけが、二人の間を静かに吹き抜けていく。


「そういえば。」


少女が前を向いたまま口を開く。


「まだ名前を聞いてなかったね。」


「あ、俺はゆうき。」


「ゆうき……。」


その名前を口にした瞬間だった。


少女の歩みが、ほんの一瞬だけ止まる。


風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに流れた。


(……ゆうき。)


胸の奥が、不意に締めつけられる。


懐かしい。


でも、どうして懐かしいのか分からない。


手を伸ばせば届きそうなのに、指の隙間から零れ落ちていくような感覚だけが残る。


「どうした?」


ゆうきに声を掛けられ、少女ははっと我に返った。


「……ううん、何でもない。」


少しだけ笑みを作る。


「いい名前だね。」


「ありがとう。」


その返事を聞きながら、少女はそっと横顔を見つめた。


黒髪に黒い瞳。


穏やかな雰囲気の、ごく普通の青年。


それなのに、胸の奥では理由の分からない鼓動だけが静かに続いていた。


(初めて会った……はずなのに。)


その答えは、まだ誰も知らない。


二人は並んで森を抜けていく。


木々の間から差し込んでいた木漏れ日が少しずつ開け、視界の先に灰色の石壁が見え始めた。


「あれが街?」


ゆうきが思わず足を止めると、少女はその視線の先を見て頷いた。


「うん。この辺りでは一番大きな街だよ。」


近付くにつれて、その大きさがはっきりと分かる。


高く積み上げられた城壁は街全体を囲み、正門には大勢の人が行き交っていた。


荷馬車を引く商人。


鎧姿の冒険者。


大きな荷物を背負った旅人。


耳の長い種族や獣耳を揺らす子どもたちまでいて、目に映るものすべてが新鮮だった。


「すごい……。」


思わず漏れた声に、少女がくすりと笑う。


「そんなに珍しい?」


「うん。本当に物語の世界に来たみたいで……いや、実際そうなんだけど。」


少し照れながら答えると、少女は楽しそうに肩を揺らした。


「ふふっ。ゆうきって面白いね。」


そんな他愛のない会話を交わしているうちに、二人は門の前までたどり着く。


門番を務める兵士が二人へ目を向け、慣れた様子で声を掛けた。


「身分証の提示をお願いします。」


少女は首から下げていた銀色のプレートを取り出し、兵士へ見せる。


それを見た兵士の表情が一変した。


「失礼いたしました。」


姿勢を正し、深く頭を下げる。


「どうぞ、お通りください。」


ゆうきは思わず少女を見つめた。


(そんなに偉い人なのか……?)


街へ入ろうとしたところで、兵士の視線がゆうきへ移る。


「そちらの方は?」


その一言で、ゆうきの足が止まった。


(しまった……。)


身分証どころか、この世界の住人である証明すら何一つ持っていない。


答えに詰まるゆうきを見て、少女は少しだけ考えるように視線を落とした。


そして兵士へ向き直る。


「私の保護対象です。一時的に身元は私が保証します。」


落ち着いた声だった。


兵士は少女とゆうきを見比べると、すぐに頷く。


「承知しました。では記録だけ残しますので、そのままお通りください。」


特に詮索されることもなく、門がゆっくりと開いていく。


城壁をくぐった瞬間、外とはまるで違う空気がゆうきを包み込んだ。


石畳の道を行き交う人々。


露店から漂う焼きたてのパンの香り。


鍛冶屋から響く金属を打つ澄んだ音。


子どもたちの笑い声と、商人たちの威勢のいい呼び込み。


さまざまな音や匂いが重なり合い、街全体が生きているように感じられた。


ゆうきは思わず立ち止まり、辺りをゆっくり見回す。


「……すごい。」


その一言しか出てこなかった。


少女はそんな横顔を見て、小さく微笑む。


「今日は市場も賑わってるみたい。夕方になると、もっと人が増えるよ。」


「見てるだけでも全然飽きないな。」


目を輝かせるゆうきを見ていると、少女まで少し嬉しそうに目を細めた。


「でも、その前に宿を探そうか。」


そう言って歩き出しかけると、少女は何かを思い出したように振り返る。


「……ゆうき、お金は持ってる?」


その問いに、ゆうきは苦笑いを浮かべた。


「実は、一円……じゃなくて、この世界のお金は何も。」


言いかけて慌てて言葉を飲み込む。


少女は不思議そうに首を傾げたものの、それ以上は深く追及しなかった。


「やっぱりね。」


どこか納得したように頷くと、穏やかな口調で続ける。


「今日は私が出すから心配しなくていいよ。宿代くらいなら何とかなるし、困った時はお互い様だから。」


「でも、それはさすがに悪いよ。」


「命を助けたついで。」


少しだけ悪戯っぽく笑う。


「それに、一人放っておく方が後味悪いしね。」


ゆうきは思わず笑ってしまった。


「……ありがとう。本当に助かる。」


少女は照れくさそうに目を逸らし、小さく頷く。


「どういたしまして。」


そうして二人は、人々で賑わう石畳の道をゆっくりと歩き始めた。


まだ互いのことはほとんど知らない。


それでも、不思議なくらいその距離は心地よく、並んで歩く足取りはどこか自然だった。


宿を探すため、大通りを外れて石畳の細い道へ入る。


喧騒は少しずつ遠ざかり、代わりにパンを焼く香ばしい匂いや、窓辺に飾られた花の甘い香りが風に乗って流れてきた。


ゆうきは歩きながら、何度も辺りを見回してしまう。


道端で果物を売る露店。


店先に並ぶ見慣れない魔道具。


子どもたちが笑いながら駆け抜け、その後ろを母親が困ったように追いかけていく。


どれも初めて見る景色なのに、不思議と温かく感じられた。


「きょろきょろしすぎ。」


少女が少しだけ笑う。


「ご、ごめん。見るもの全部が珍しくてさ。」


「怒ってないよ。ただ、そのままだと誰かにぶつかりそう。」


そう言われた直後だった。


前から荷車を押してきた男性と危うくぶつかりそうになり、ゆうきは慌てて身を引く。


「す、すみません!」


男性は気にした様子もなく手を振り、そのまま通り過ぎていった。


少女は堪えきれず、小さく吹き出す。


「言ったそばから。」


「面目ない……。」


頭をかくゆうきを見て、少女は楽しそうに肩を揺らした。


そんな何気ないやり取りが、二人の間の空気を少しだけ柔らかくしていく。


しばらく歩くと、三階建てほどの石造りの建物が見えてきた。


入口には木製の看板が掲げられ、その中央にはベッドの絵が描かれている。


「ここなら空いてると思う。」


少女が扉を開けると、小さな鐘が軽やかな音を鳴らした。


中は落ち着いた雰囲気で、木の香りが心地よい。


暖炉には火が入り、数人の旅人が食事を楽しんでいる。


受付にいた年配の女性が顔を上げると、少女を見るなり穏やかに笑った。


「あら、アムネジアちゃん。今日はずいぶん早い時間だね。」


「こんにちは、おばさん。」


少女――アムネジアは自然に笑みを返す。


「部屋は空いてる?」


「もちろん。今日は二部屋?」


そう尋ねられたアムネジアは、一瞬だけゆうきへ視線を向けた。


「一部屋……いや、二部屋お願い。」


少し考え直すように言うと、受付の女性は「はいよ」と頷き、帳簿を開き始めた。


ゆうきはそのやり取りを聞きながら、ようやく少女の名前を知る。


(アムネジア……。)


その名前を心の中で繰り返した瞬間、どこか引っかかるような感覚が胸をよぎる。


聞いたことがあるような。


それでいて、思い出せない。


霧の向こうに何かがあるのに、手を伸ばしても届かないようなもどかしさだけが残った。


「どうした?」


アムネジアが不思議そうに振り返る。


「いや、名前を聞いてなかったなって思って。」


「あっ、そうだった。」


少しだけ照れたように笑い、彼女はゆっくりと名乗る。


「私はアムネジア。冒険者をやってるの。」


「アムネジアか。」


その名を口にすると、胸の奥がまた小さく波打つ。


理由は分からない。


それでも、その名前は初めて聞いたとは思えないほど、不思議と耳に馴染んでいた。


受付を済ませると、宿の主人が木札を二枚取り出した。


「二階の奥だよ。夕飯は一時間くらいしたらできるから、それまでゆっくり休んでいきな。」


「ありがとうございます。」


アムネジアが頭を下げると、主人はにこやかに手を振った。


二人は階段を上り、廊下の奥へ向かう。


床板は歩くたびに小さく軋み、窓から差し込む夕暮れ前の光が長い影を落としていた。


「ここ。」


アムネジアが木札を差し込み、部屋の扉を開ける。


中は質素ながら清潔だった。


木製の机と椅子が一組。


窓際には小さな花瓶が置かれ、野の花が一輪だけ飾られている。


柔らかな陽射しが白いシーツを照らし、旅人を迎えるには十分すぎるほど落ち着いた部屋だった。


「今日はここで休んで。隣が私の部屋だから、何かあったら遠慮なく呼んでね。」


「ありがとう。本当に助かるよ。」


「気にしなくていいよ。」


アムネジアは穏やかに笑う。


「ゆうきは疲れてるだろうし、夕飯まで少し休んでるといいかも。」


そう言い残すと、静かに部屋を出ていった。


扉が閉まる音を聞きながら、ゆうきはようやく大きく息を吐く。


「……本当に異世界なんだな。」


荷物は何もない。


あるのは着ている服だけ。


それでも、不思議と絶望は感じなかった。


窓を開けると、街を吹き抜ける風が部屋へ流れ込んでくる。


市場からは人々の話し声が聞こえ、どこかでは鍛冶屋が金属を打つ澄んだ音が響いていた。


その音をぼんやりと聞いているうちに、緊張していた身体から少しずつ力が抜けていく。



日が傾き始めた頃、廊下から控えめなノックが聞こえた。


「ゆうき、起きてる?」


「うん、今開ける。」


扉を開けると、アムネジアが立っていた。


水色の髪が夕焼けに照らされ、昼間とは少し違う柔らかな色合いに見える。


「夕飯できたみたい。一緒に食べよう。」


「もちろん。」


二人は一階の食堂へ降りる。


食堂には旅人たちが集まり始めており、木のテーブルには温かな料理が次々と運ばれていた。


焼きたてのパン。


湯気の立つ野菜のスープ。


香草で味付けされた肉料理。


空腹を刺激する香りが店いっぱいに広がっている。


「好きなところ座って。」


向かい合って腰を下ろすと、主人が料理を運んできた。


「今日は猪肉の煮込みだよ。たくさん食べな。」


「いただきます。」


自然と声が重なる。


パンを一口ちぎって口へ運ぶと、小麦の甘みが広がった。


「美味しい……。」


思わず漏れた言葉に、アムネジアが嬉しそうに微笑む。


「この宿のご飯、美味しいんだ。街に来た時はよく泊まるの。」


「納得だよ。今まで食べたことない味なのに、どこかほっとする。」


「それならよかった。」


穏やかな空気の中で食事は進んでいく。


少ししてから、ゆうきは気になっていたことを口にした。


「そういえば、アムネジアは冒険者なんだよね。」


「うん。」


「今日みたいに一人で依頼を受けることも多いの?」


スプーンを持つ手がほんの少し止まる。


けれど、それは一瞬だった。


「一人の方が動きやすいからね。昔からそんな感じ。」


「そっか。」


深くは聞かなかった。


どこか踏み込んではいけないような気がしたからだ。


アムネジアも、それ以上は自分のことを話さない。


代わりに街のおすすめの店や、冒険者ギルドのこと、近くに大きな湖があることなど、旅人同士の雑談のような話をぽつぽつと続けた。


その時間は不思議なくらい心地よく、初めて会った相手とは思えないほど自然だった。



食事を終える頃には、外はすっかり夜になっていた。


宿を出ると、夜風が昼間の熱を優しくさらっていく。


石畳の道には街灯が灯り、行き交う人も昼間より少なくなっていた。


「少しだけ歩く?」


アムネジアが空を見上げながら尋ねる。


「せっかくだし。」


二人は宿の近くをゆっくり歩いた。


昼間の賑わいとは違い、夜の街は静かだった。


どこかの酒場から笑い声が聞こえ、噴水の水音が静かに響く。


「街って、昼と夜で全然雰囲気が違うね。」


「私は夜の方が好きかな。」


「どうして?」


「静かだから。」


それだけ答えて、アムネジアは夜空を見上げる。


ゆうきもつられるように視線を上げた。


無数の星が瞬き、見たこともない星座が夜空を彩っている。


「綺麗だな……。」


その言葉に、アムネジアは小さく頷いた。


「うん。」


短い返事だった。


けれど、その横顔はどこか懐かしい景色を見つめているようにも見えた。


やがて二人は宿へ戻る。


廊下で立ち止まり、アムネジアが柔らかく笑った。


「今日はゆっくり休んで。明日は冒険者ギルドに行けば、身分証のことも相談できると思う。」


「分かった。本当に今日はありがとう。」


「お礼は、ちゃんと生活が落ち着いてからでいいよ。」


少しだけ悪戯っぽく笑うと、アムネジアは自分の部屋の扉を開けた。


「おやすみ、ゆうき。」


「おやすみ。」


扉が静かに閉まる。


ゆうきも自分の部屋へ戻り、窓の外に広がる静かな街を一度だけ眺めた。


異世界で迎えた最初の夜。


不安がないわけではない。


それでも今日一日を思い返すと、自然と口元が少しだけ緩んだ。


ベッドへ身体を預けると、心地よい疲れに包まれながら、ゆうきはゆっくりと眠りへ落ちていった。

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