白い世界と魚の女神
「……暇だな」
ゆうきは、自分の部屋でぼんやりと呟いた。
スマホの画面には、見慣れた配信アプリの通知が並んでいる。
Avvy。
昨日まで、当たり前みたいに開いていた場所。
笑ったり、話したり、誰かの声を聞いたり。
特別なようで、特別じゃない日常。
「今日は誰か配信してるかな……」
そう言いながら、ゆうきは机の上のボールペンを指先で転がした。
その時だった。
ほんの出来心。
くだらない好奇心。
あとから考えれば、何をしているんだと思うような一瞬。
次の瞬間、視界が真っ白になった。
音が消えた。
身体の感覚も、重さも、呼吸も、全部が遠くなっていく。
「……え?」
それが、元の世界での最後の言葉だった。
⸻
目を開けると、そこは白い世界だった。
床もない。
壁もない。
空もない。
ただ、どこまでも白い。
「……ここ、どこ?」
ゆうきが呟くと、正面にぽん、と水音が響いた。
水たまりもないのに。
波紋だけが白い空間に広がる。
そして、その中心から一人の女性が現れた。
水色の髪。
魚の形をした髪飾り。
白と青の神衣。
にこにこと笑うその人は、なぜか片手に漫画の単行本を持っていた。
「やっほー!」
「え」
「死んじゃったね!」
「軽っ」
ゆうきは思わず真顔になった。
女性は慌てて口元を押さえる。
「あ、ごめんごめん。言い方が悪かったかも」
「悪かったかもじゃなくて、だいぶ悪いです」
「だよね!」
なぜか嬉しそうに頷く。
「私は魚神もぐ。幸せを与えることが趣味の女神です!」
「趣味なんだ……」
「うん。趣味」
もぐは胸を張った。
「君にはこれから、新しい世界に行ってもらいます」
ゆうきは黙った。
死んだ。
新しい世界。
女神。
転生。
あまりにも聞いたことがある流れだった。
もぐは目を輝かせる。
「いい反応! さては君、サブカル分かる人だね?」
「まあ……多少は」
「やっぱり!」
もぐは漫画を抱きしめた。
「日本の文化、最高だよね。異世界転生ってロマンだよね」
「当事者になると全然ロマンじゃないです」
「それもそう!」
もぐは笑った。
けれど、その笑顔は不思議と嫌な感じがしなかった。
軽いのに、冷たくない。
ふざけているのに、どこか優しい。
「大丈夫。君には、ちゃんと生きられるだけの知識を渡すよ」
「知識?」
「言葉、常識、魔法の基本、危ない魔物、食べられる草、食べたらだめな草」
「最後けっこう大事ですね」
「大事だよ。お腹壊すからね」
もぐはゆうきに近づき、そっと額に指を当てた。
その瞬間、知らないはずの言葉や景色が、頭の奥に流れ込んでくる。
王国。
冒険者。
魔物。
魔法。
ギルド。
剣。
精霊。
そして、ユニークスキル。
ゆうきは目を細めた。
「……すごい」
「でしょ?」
もぐは得意げに笑う。
「それから、君にもユニークスキルをあげます」
「俺にも?」
「うん。魂に合ったものをね」
もぐはゆうきの胸元に手をかざした。
白い空間に、淡い光が広がる。
しばらくして、もぐは小さく笑った。
「優しいね」
「え?」
「でも、抱え込む」
ゆうきは何も言えなかった。
もぐは続ける。
「信じた人には、はっきり言える。でも、本当に大切な人ほど、本心を隠す」
「……」
「だから、君にはこれ」
光が形になる。
胸の奥に、名前が刻まれるような感覚。
《魂の共鳴》
ゆうきは、その言葉を自然に理解した。
信頼した相手の力を、自分の力として扱う。
そして、共鳴した相手の力も引き上げる。
ただし、握手と同意が必要。
右手と左手。
最大二人まで。
「……俺だけが強くなる力じゃないんだ」
もぐは嬉しそうに笑った。
「うん」
「だって、君はそういう人じゃないから」
その言葉だけが、妙に胸に残った。
ゆうきは小さく息を吐く。
「俺は……その世界で何をすればいいんですか」
「好きに生きていいよ」
「え?」
「新しい人生だから。楽しんでいい」
もぐは、白い世界の向こうを見た。
「それに、会いたい人がいるんじゃない?」
ゆうきの表情が変わる。
Avvy。
画面越しに笑っていた人たち。
名前しか知らない人もいた。
声しか知らない人もいた。
でも、確かにそこにいた人たち。
「……みんなも、いるんですか」
もぐは答えなかった。
ただ、少しだけ困ったように笑った。
「探してごらん」
その一言で、十分だった。
ゆうきは頷いた。
「行きます」
「うん」
もぐは両手を広げた。
白い世界に、風が吹く。
「いっぱい笑って」
光が強くなる。
「いっぱい泣いて」
足元が消える。
「いっぱい幸せになってね」
最後に見えたもぐの顔は、なぜか少し泣きそうだった。
「それが、私の幸せだから」
そして、ゆうきの意識は白い光に飲み込まれた。




