87.IC
「……それで、スイ。これがきみの身体を取り戻すために、必要な準備だ」
「……」
スイはウダガワ研究室の高級なソファにちょこんと座ったまま、口を真一文字に結んでいた。
指先ではピンク色のハンカチをもてあそんでいる。
一気に説明してしまったが、きちんと理解できただろうか。
「もちろんスイの身体に、なるべく害がないようにするけれど。検査の中で、身体の中の組織を採取することもあり得るから、身体に傷ができるようなものも必要になると思う」
傷、という言葉に、スイはきょとんと目を見開く。
「……痛いとかは、ないから、大丈夫……」
たどたどしく言葉を絞り出すスイ。
成人男性3人に囲まれて、スイはいつにも増して小さくなっている。
「そういうことじゃないよ。身体に傷ができるんだよ」
俺の言葉に、スイは短く、あ、そっか。そう漏らした。
機械化したまま長年戦い続け、無数の「故障」を修理してきたスイは、そこで初めて理解したようだった。
そして手の中のハンカチをきゅっと握って、はっきり言った。
「身体を取り戻すためなら、いいよ」
それが必要なことなのなら。
スイは真っすぐ、俺を見ていた。
「決まりだね」
アマガセはにっこりと笑うと、立ち上がった。
「僕に協力できることは、時間が許す限りなんでもするよ」
差し伸べられた手を見つめながら、スイは固まっていた。
突然向けられたそれに、理解が追い付いていない。
「握手だよ」
俺が小声でスイに伝えると、スイははっとして、おずおずとその手を取った。
「それにしても」
和やかな雰囲気を遮ったのは、ウダガワ教授の言葉だった。
「一体どうやって、サンプルを採取するのか。そこはまだ解決していないね」
そこを突かれると痛い。
地下室に忍び込み、スイの体を盗み出す。それはとてもじゃないけれど現実的ではなくて、俺は頭を抱えたくなる。
「……あの」
スイの小さな声が、俺の手を止めた。
「おとうさんに、頼んでみます」
「えっ」
まさかの正面突破。その方法は地下室に忍び込むこと以上に、実現不可能なように思える。
それでもスイが大まじめな顔で語るから、聞き間違いかとすら思った。
「……それ、本当にいけるのか?」
「……頼み方を工夫すれば、たぶん」
スイのその言葉を聞いても、俺は全く信じられなかった。
スイのことを信用していないわけではないが、あのイズミノ陸将がこの計画に協力してくれるビジョンが、一切思い浮かばない。
むしろイズミノ陸将は、間違いなく反対するだろう。
そもそもイズミノ陸将は、スイを生身の身体に戻すことを望んでいない。
万が一何かのトラブルがあって、HETシステムそのものに不都合が生じるのなら。
イズミノ陸将にしてみれば、現状維持で何も問題ないのだ。
むしろ話すら聞いてもらえない可能性が高い。
「何か作戦があるんだね?」
動揺で言葉を紡げない俺とは対照的に、ウダガワ教授はゆっくりとスイに語り掛けた。
「はい、あります。作戦」
それでも。
そう断言するスイに真っすぐ見つめられたから、なぜか、理由もなくそれを信じてしまいそうになった。




