86.アマガセ
「……どうですか」
「ふむ……」
ウダガワ教授は胸ポケットから分厚い眼鏡を取り出して、タブレットに視線を落とした。
「おもしろい仮説だね。証明の方法も理にかなっている。……ただ、現実問題。この手法は、本当に可能なのか」
「……いや」
それは本当に、その通りだ。
機密であるスイの生身が保管されている地下室に忍び込む、あるいは厳重に隠されたスイの身体を盗み取る。
とうてい実現は不可能で、確実に犯罪だ。
どんなに甘く見ても誘拐罪か監禁罪。
厳しく見積もれば、国家反逆罪。
「髪や爪の先を拝借するくらいならいいだろうが、腹部のサンプル採取だって、きみがメスを持ってやるわけにいかないだろう」
おっしゃる通りだ。傷害罪も追加。
悪ければ殺人未遂かも。
「それに、これが証明されたとして。きみが目指すもの——泉野翠の身体を取り戻すことが、医学的に可能なのか」
「……」
その点に関しても、完全に未知だ。
俺にも高校生物の範囲くらいの知識はあるが、医学に関しては全くの門外漢である。
証明の方法に散々突っ込まれながら、昨年の今頃受けた卒論の査読を思い出す。
ナグモ女史に夜通し激詰めされたトラウマがよみがえってくる。
「まあ、ここは私も専門外だから、今日は友人を呼んでいる」
「え?」
友人? 聞き返すより先に、背後で部屋の扉が開かれた。
現れたのは、長身の男だった。
ウダガワ教授の友人という言葉から想像される姿とは違い、年齢はおそらく、自分の親くらい。
黒々とした髪とすっと伸びた背中から、どう見てもウダガワ教授より、ずっと若く見える。
俺でもわかるほど仕立てのいいニットとスラックスを身に着けて、足元はよく手入れされた革靴が光っていた。
「お久しぶりです、ウダガワ教授」
男は慣れた様子で研究室に入ると、上品な所作で椅子に腰かけた。
その姿に圧倒されそうになる。
一目でわかる上流階級。
根拠はないが、生きる世界が違いそうな感じ。
「紹介するよ、彼はアマガセ教授だ。専門はモンスターによって受けた外傷の治療で、古い友人だ。今はうちの大学病院で外科部長をやっている」
「げ、外科部長」
なるほど、医者か。
個人的な医者の知り合いはいないけれど、なんとなくイメージ通りだ。
良い服を着て、上品で、ちょっと生きる世界が違う。
言葉を発せない俺にお構いなしに、ウダガワ教授は続ける。
「僕が、モンスターの被害を聞きつけては、フィールドワークに飛び回っていた頃。彼は被害地域に赴いて、傷ついた人々の治療をしていた。当時から凄腕と言われていてね、ちぎれた四肢をくっつけ、破れた内臓を塞ぎ、数々の命を救ってきた。ちょっとした有名人だ」
「先生、ちょっと言いすぎです」
「事実だろうに」
そんなこと、本当に可能なのか。
その頃からの知り合いなら、この人本当は何歳なんだろう。
そもそも、ちぎれた四肢ってくっつくのか。
「きみからのメールを読んでもらったところ、アマガセくんも興味を持ったらしい。協力してくれるとのことだ」
協力。その言葉に心臓が大きく鳴った。
緊張で冷えた指先に、少しずつ血流が戻ってくる感覚。
というのも、最近、なんだか人に拒絶されることが多かった。
HETをめぐって喧嘩別れになった友人、災害のことで分かり合えなかった恩師。脳裏に顔が浮かぶ。
「……そんな、凄い、人が」
思わず漏れた声に、アマガセ教授は首を横に振った。
「くっつけられなかった脚もあるよ」
そりゃあそうだろう、と思うと同時に、そうなのか?と思う。
正解がわからないから、反応に困る。
「この脚はもういいと、何度も言っているだろう」
隣で、ウダガワ教授が困ったみたいに笑う。
ウダガワ教授のズボンの裾から、無機質な金属が覗いていた。




