83.夜明け
【緯新30年 国立エネルギー総合大学 男子寮】
カーテンの端から差し込む光で、やっと朝か、そう思った。
少しも眠れやしない、長い長い夜だった。
何日分かの脱ぎ散らかしたままの服の下から発掘されたぺしゃんこのクッションを枕にして、固い床の上でじっと横たわって、夜を耐えていた。
受け入れてくれると思っていた。スイの生い立ちを知って、つらかったな、もう大丈夫だ、そう言ってくれると思っていた。
しかし、それは勘違いだったのだ。
ナグモ女史は、あの災害で大切な家族を喪っていた。
思い返せば、それらしい様子はあったように思う。
電波の入らない無人地帯、マップアプリも紙の地図も持たずに、瑞白町内をすいすい進む彼女。
原型がないほどに崩れ落ちた瓦礫の山が、病院だったと知っていた。
崩落した幹線道路を避けるように、地元の人しか知らないような細い農道を迷わず進んでいた。
どうして気づかなかったんだろう、彼女こそが地元の人だ。
そこに生まれ、そこで生きたということは、すなわち瑞白大災害を経験している。
人口の9割を喪失した瑞白町で暮らしている以上、普通に考えて、確率だけでみたとしても、大切な誰かが亡くなっている。
ナグモ女史は、災害の元凶であるスイを受け入れなかった。
スイにナイフを渡されても、それを受け取らなかった。
ただ、泣き叫ぶように、目の前から消えてほしいと口にした。
目を閉じると、耳に残った二人分の声が、脳内に響いた。
『あの災害で息子が死んだ』
『先生、わたしを終わらせてください』
それを引き起こしたのは俺だ。
俺が、ふたりを引き合わせてしまった。
朝日をたよりに、ふとベッドのほうを見上げる。
枕に栗色の髪を投げ出して、スイは寝息を立てていた。
よかった。せめて、スイが少しでも休めたらいい。
あれから、どうやってここに帰ってきたのか覚えていない。
スイと何か言葉を交わしただろうか。
スイは、泣いていただろうか。
ただ、再び行き先を失ったスイを野宿させるわけにはいかないと、それくらいのことは分かる程度には、頭が働いていたらしい。
身体を起こすと、フローリングに預けていた背中が軋んだ。
充電が残り僅かのスマホを手に取って、一晩中考えていたことを、文字に起こす。
この状況で、スイを救うのなら。
スイの身体を、取り戻すのなら。
液晶の上で、指先を滑らせる。
文字にすると、ぐちゃぐちゃの脳内がまとまるような感じがした。
大災害、機械の身体、人類の電池。運命の赤子、目の前で眠る一人の少女。
俺の中で、ひとつの仮説が浮かんでいた。
スイを救うためには、これに賭けるしかない。
俺はメールのアプリを開いて、文面を打ち込んだ。
「ゼン?」
声をかけられて、指を止める。
いつの間にかスイは起き上がって、しろい指で髪を梳いていた。
「スイ。眠れた?」
「ちょっとだけ……」
それきり、しばらくの無言。何を話せばいいかわからない。
その無言を破ったのは、スイの方だった。
「ゼンは、今日も、学校?」
「……」
どうしようか。研究室に行けば、ナグモ女史とは必ず顔を合わせるだろう。
どんな顔で研究室に行けばいいのか、わからない。
顔を合わせるのも拒絶されてしまうかもしれない。
ただ、後になればなるほど、研究室に行きにくくなる気はしている。
このまま研究室を飛んで、退学。
そんなことさえ頭をよぎった。
というか、ナグモ女史に拒絶されてショックを受けているスイを、一人残していいものなのか?
こういうとき、ふつうどうするんだ。
「迷い中……」
「そう」
スイは短く言うと、再びベッドに横たわった。
「まだ寝る?」
「うん。……ちょっと、疲れた」
それだけ言うと、スイはすぐに寝息を立て始めた。
よほど疲れているのだろう。
当然だ。あんなことがあったばかりだ。
「……」
散らかった部屋の中で横たわるスイを見ていたら、なぜか急に恐ろしくなった。
まるでそのままスイが、ごみ溜めの中に沈んでいってしまうのかと思われた。
人並みの自由を求めただけの少女が、このまま朽ちていく。
そんな恐ろしい想像に取りつかれた俺は、いてもたってもいられなかった。
それでもスイを叩き起こすわけにもいかず、どうにもならない俺は、床に散らばった数日ぶんの洗濯物を片っ端からひっつかんで、洗濯機に突っ込んでいった。




