77.「あの日」2
それ以来、おかあさんは再び、地下室で暮らすようになった。
前と同じように一緒にごはんを食べて、一緒に遊んで、一緒に眠った。
ただ、ひとつだけ違うことがあった。
何日かに一回、お母さんは決まって、地下室を出ていった。
その度に泣き叫ぶわたしをなだめて、夕方には帰ってくるよ、そう泣きそうな顔で言っていた。
おかあさんは約束通り、毎回、その日のうちに帰ってきた。
それでも、置いて行かれたあの恐怖が心から消えなくて、おかあさんが出かけるたびに、わたしは大げさなくらいに泣き叫んだ。
地下室に戻った直後、おかあさんは決まってぐったりしていた。
しろい肌をさらに白くして、よろよろと歩いていた。
その日おかあさんは、ゼリーを少しとか、果物をひとかけらとか、ほんの少しの食事しかとらなかった。
おかあさんは、日に日に痩せていった。
もともと細かったおかあさんは目が窪んで頬がこけて、抱き着くと骨が身体に当たって痛かった。
やわらかくて温かいおかあさんの身体は、すこしずつ削られていった。
おそろいのなみなみの髪は、どういうわけかあとかたもなく無くなってしまって、かわりに毛糸の帽子をいつもかぶっていた。
ある日おかあさんは、改まって言った。
「スイ。おかあさんね、ここを出ていくことになったの。……だから、もう、お別れなの」
言われた意味が分からなかった。
おかあさんがいなくなる。永遠に、失われる。それがどういう意味なのか。
暗いこの地下室で、ずっと、一人。
足元が崩れ去って、宙ぶらりんになったような心地がした。
ごめんね。おかあさん、病気なの。今まではスイと暮らしながら病気を治そうとしていたんだけど、これからはもう治すのをやめて、つらくないように過ごそうと思うの。こことは違う、とても穏やかなところ——『瑞白サンクチュアリホスピス』というところに行くの。だから、スイ、お別れだよ。
意味が、意味が分からない。病気ってなに? 治すってなに?
それはおかあさんが、どんどん小さくなっていってしまうのと、何か関係があるの?
病気を治すのをやめると、どうなるの?
お別れってなに?
そのあともおかあさんは泣きながら、わたしになにかを言っていた。
けれど呆然と立ち尽くすしかできないわたしにはその言葉は届かなくて、あのときどんな言葉をかけてくれたのかは、永遠に思い出せない。
あれはおかあさんが最後にわたしに残してくれた言葉だったんだから、ちゃんと聞いていればよかった。今思えば、ただ、もったいない。
それからどれくらいの時間が経ったんだろう。
つめたい床に横たわりながら、何も考えられないような心地で、暗い地下室に一人でいた。




