75.切先
「どうして瑞白だったんだ? よりによって、どうして、私の家族がいるところだったんだ?」
怒りに燃えるナグモ女史の瞳が涙に覆われて、一筋、頬を濡らすのを、どこか現実ではないような感覚で見つめていた。
「どうして親の言いつけを守らず、外に出たんだ? 答えろ、スイ」
見開いたままの翡翠の瞳が、行き場もなく揺れていた。
長い間をあけて、閉じられた口の端から、ようやく言葉を絞り出す。
「……ごめんなさい」
その謝罪に怒りは一層燃え上がり、スイの胸倉を掴んで引き寄せた。
スイは動揺した表情のまま、されるがままによろめいて、二歩、前に動いてなんとかバランスを保っている。
「質問に答えなさい!」
真正面から感情をぶつけられ、スイはびくりと肩を震わせた。
そして泣きそうになりながら、消えそうな声で答える。
「……そのときは、知らなかったんです。……わたしが外に出たらどうなるか」
知らなかったのだからスイは悪くない。これは疑いようもなく事実であると、俺は思う。
それでも、ナグモ女史が納得しないことはわかっていた。
「わたしはあの日、……どうしても、おかあさんに会いたかったんです」
おかあさん。その言葉に動揺したのは、俺だけではなかった。
スイの胸倉をつかむ力が、その一瞬、ゆるんだように見えた。
スイはその一瞬で、洋服の内側から、一本のナイフを取り出した。
そのナイフには見覚えがある。
スイがモンスターを狩るために、与えられた唯一の武器だ。
持ち歩いていたのか。
そんな必要はなかったのに、心の底では完全に自由になれなかったスイは、未だに武器を持ち続けていた。
刃先が蛍光灯を反射してきらめていている。
その光景に、別の意味で血の気が引いた。
「スイ、やめろ」
それは駄目だ、それだけは駄目だ。
凍り付いていた声帯が、ようやく鈍く震えた。
情けない声で、やっとの思いでスイに言葉をかけるが、スイがこちらを見ることはない。
スイはゆっくりと、刃をナグモ女史に向けた。
ナグモ女史は目を見開いたまま、鈍く光る刃先を見つめている。
「やめろ!」
俺の叫びは届くことはない。
スイは手に力をこめると——ナグモ女史に、ナイフを差し出した。
「……何のつもりだ」
低く、ナグモ女史は言った。
刃を向けられているというのに、そんなことはまるで問題じゃないみたいに、スイの瞳を見つめている。
「……地下室に、わたしの本当の身体があります」
先程の泣きそうな様子とは打ってかわって、スイの表情は凪いでいた。
まるですべての覚悟を決めたような、何かから解放されるような心地で、薄くわらっている。
「心臓が止まれば、この惨劇は終わります。……瑞白大災害は、ようやく、終わります」
まさか、と思う。
スイは、自分の望みをようやく、叶えようとしているのか。
自らの命を絶つことはしない。それを遂げた果てにこの国がどうなってしまうのかを、分かりきっていると、スイは言っていた。
それでも。
もしも、それが復讐という物語を与えられるのだとしたら。
「先生、わたしを終わらせてください」
それは、終わりにふさわしいものに変わる。




