73.独白1
ナグモ女史に、職員寮の前に到着したことをラインすると、既読はすぐについた。
女子職員寮の内部に自分は立ち入れないし、お釣りも返したいので、エレベーターホールまで降りてきてもらう。
暗い夜道から、蛍光灯で照らされたエレベーターホールに入ると、少し目の奥が痛んだ。
ナグモ女史は伸びた前髪をかき上げながら、気だるそうに現れた。
「遅かったな」
彼女の言う通り、既に時刻は夜の9時を回ろうとしていた。
大学生の夜遊びにしては健全な時間ではあるが、子供を連れまわすのは憚られる時間。
「すみません。でも、楽しそうでしたよ」
「それならいいが」
封筒に入ったお釣りを手渡すと、ナグモ女史は中身も見ずにそれをポケットに突っ込んだ。
「スイ、どうだった」
短い問いに、スイは大きくうなずく。
「買い物、楽しかったです。お金も、ありがとうございます」
「別にそれはいい。バイト代だと思ってくれれば」
普段からものすごい速度で辺りを散らかすナグモ女史の部屋を、綺麗に保つのは骨が折れるだろう。
自分も同類だからわかる。
「じゃあ、お疲れ様。きみも気を付けて帰れよ」
ナグモ女史が踵を返そうとするのを、スイが制止する。
「先生、待ってください」
「……」
ナグモ女史は怪訝そうに眉をひそめ、もう一度スイに向き直った。
「あの、……この場で、聞いてほしいことがあって」
「……なんだ」
「あの、……あの」
スイは言いよどみながら、必死に言葉を探している。
後ろ手で指をもじもじさせて、居心地が悪そうにゆっくりと身体を左右に揺らす。
そんなスイを見て、俺は勝手に応援する気持ちになる。
スイ、頑張れ。きみが信じた大人は、きみのことをきっと分かってくれる。
「……8年前の、瑞白大災害について、お話したくて」
意を決したように、スイは言葉を紡いだ。
その言葉を聞いて、ナグモ女史は目を見開く。
「……驚いた。きみはまるで何も教えられなかったみたいに……いや、馬鹿にする意図はないんだが、……不思議なくらい、軍の外のことを知らないから」
きみからその言葉が出るのか。ナグモ女史は声のトーンを変えずに言った。
そんな反応になるだろうな、そう思った。
ナグモ女史はスイの正体はおろか、出生も、育ちも、事情も、何も聞かされないまま、ただスイを自宅に置いてくれている。
驚きの表情を浮かべるナグモ女史に、スイはゆっくり、重い口を開いた。
「先生。わたしは、瑞白大災害を引き起こしました」
細く高い声が、震えていた。
それは、期待か、不安か。
何も知らずに自宅に住まわせてくれた、いわば恩人に、自分の事情を明かす。
それは救済を望む教徒のようであり、断罪を待つ死刑囚のようでもあった。




