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70.未知の感情



「スイ、かわいいよ超かわいい」


「えへ、えへへ」


「なんでも似合うねぇ……うわぁ悩ましい~!」


 

 鏡に映るスイの姿に、マリノが口を手で覆いながら感嘆している。

 スイは口元をゆるませながら、抵抗せずにマリノの着せ替え人形となっていた。


 試着室の前の椅子に座って、はしゃぐ女子たちを眺めている。

 目の前ではかれこれ数十分、同じようなやりとりが続いていた。


 男子校の中高一貫校から工学部へ。女子と出かけたことなど当然ない俺は、目の前の光景に変な関心すらおぼえていた。

 女子の買い物には時間がかかるらしいと聞いたことがあるが、ほんとうにこんな感じなのか。



「……俺、要る?」


 先程から思っていたことを口にする。

 女子ふたりが楽しそうすぎて、口をはさむ余地もないし、口をはさむ気も起きない。


「財布」


 即答でマリノにバッサリと切り捨てられてしまい、押し黙るしかない。

 この場での俺の存在意義は財布であり、しかも今回の財布の本質はナグモ女史だ。

 つまり、要らない。


 空しい気持ちが胸中に広がるが、それでも、スイが楽しそうだから良いかな、と思い直した。



「ゼンくん、さっきのとこれ、どっちがいいと思う?」


「……え」


 油断していたところに、キラーパスが飛んできた。

 さっきの、とは、どんな服だったっけ。

 正直ちゃんと見ていなかったが、見ていませんでした、というのはこの場では不正解だろう。


「……」


 何かを絞り出そうと、スイの姿をまじまじと見る。


 薄いピンク色の服だ。よくわからないが、袖や裾に、透ける素材のヒラヒラがたくさんついている。薄い色のジーンズ生地の、膝上のスカートを組み合わせている。


「……なんか」


「うん」


「短い」


「おじさんじゃん……」


 思ったことを言っただけだ。季節は春から初夏に向かおうとしているところだが、大腿部から下が全開になっているその恰好では、冷えてしまいそうな気がする。

 と、ここまで考えて、機械化人間であるスイには、暑いも寒いもないことに気が付いた。


 呆れたように俺をおじさんと呼んだマリノは、再び試着中のスイに向き直った。そしてまた、「迷う~~」と頭を抱えている。

 俺の意見は特に参考にされることはないらしい。

 じゃあなんで聞いたんだよ、と内心思ったが、スイ自身が好きなものを選べばいいと思いなおした。


「スイはどれが好き?」


 マリノに問われたスイは、一瞬困惑した表情を浮かべる。


「え、と、わかんない……けど」


 ハンガーに吊るされている数々の洋服の中から、スイは一着を選んだ。

 スイの足首のところまでの長さの、きゅっとしたシルエットの、白いスカート。


「いま着てるブラウスと、これだと、変じゃない?」


「……変じゃないよ!超かわいい!」


 マリノはスイの腰にスカートをあてながら、感嘆の声を上げている。

 スイは小さくわらって、俺の方を見た。


「ゼンがいうなら、長い方にしようかなって」


「えっ」


 スイの言葉に俺は焦ってしまう。洋服のことなどなにも分かっていない俺の、カスの感想を参考にしたのか。

 そんなものより、自分が好きだと思うほうを着ればいいじゃないか。

 意図せずスイの自己決定を妨げてしまうのなら、それは本意ではない。


「お、俺?」


「うん。ゼンがいいって思うほうにする」


「いや、スイが好きなものを選ぶべきで……」


「ううん」


 しどろもどろになる俺をまっすぐ見たまま、スイは小さく首を振った。


「ゼンがいいって思うのが、いちばん嬉しい」


 ——その言葉に、思考が一瞬止まり。


「……え」


 そしてすぐに鈍く動き出す。


 いや、俺はそんなつもりで言ったんじゃない。

 女性の洋服のことなど何もわからない。どんな服を着たとしても、俺に分かるのは何色なのかと、長いか短いかということくらいだ。

 いや、色も丈も怪しいのかもしれない、白だけでも200色あるという話も聞いたことがあるし、見分けなんてまったくつかない。

 スイの自己決定を妨げるつもりなどはなく、ただなんの感想もないというのも礼儀に欠ける気がして、無理に絞り出した感想がたまたま「短い」だっただけで。

 そんな意図はない。はじめから。


 と同時に、その思考が的外れであると理解もしている。

 今考えるべきは、スイの言葉の真意だ。

 スイが俺に向けている言葉の意味を、そのまま受け取るのであれば、それは。……それは?


「……」


 圧倒的な未知を目の前に差し出されて、俺は何も言えなかった。



 そしてほぼ一日かけて、3組の洋服と、2組のパジャマを入手した。

 正直パジャマなんて人にみせるものでもなし、なんでもいいだろうと思ったが、楽しそうに試着を繰り返す女子二人に意見するような度胸など俺にはなかった。


 ショッピングモール内を歩き回って棒のようになってしまった脚と、まるで実験後のように脳全体にまとわりつく疲労感。

 なにがなんだか分からないまま、無事に俺はナグモ女史からのミッションを達成した。



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