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69.なにもかも新鮮




 バスに揺られながら、市外につながる地下道路を抜けると、シャッターが立ち並ぶ田舎の閑散とした駅前に降ろされる。

 週末らしく車通りはそれなりにあるが、やはりどこか寂れている感がぬぐえない。

 それなのに、隣に立つスイは、目をきらきらさせて、あたりを見回していた。


「電車って、はじめて!」


 はしゃいだままのテンションで駅員の横をすり抜けようとしたスイの腕を制して、券売機の前まで連れてくる。

 一台だけある、緑色の券売機。そこに小銭を投入し、紙のきっぷを二人分買った。


「なにしてるの?」


「きっぷを買ってるんだよ。電車に乗るのに必要なんだ」


 券売機から吐き出された紙のきっぷをスイに手渡すと、スイは手元のそれをまじまじと見た。


「それを、駅員さんに渡して」


「駅員さん、ってあの人?」


「そう。あの男の人」


 穂積市から山を越えた先にあるここも、立派な田舎だ。

 自動改札なんてものは存在しないし、電子決済にも非対応。

 東京の実家を出てはじめてここを訪れたときは軽いカルチャーショックを受けたが、今ではすっかり慣れたものだ。


 きっぷに穴をあけてもらい、改札を抜けると、この駅始発の電車がすでに待っていた。


 電車に乗り込み、ガラガラの車内を見渡す。

 人がいないのをいいことに、スイは二両しかない電車の端から端まで歩いて、構造をまじまじと見ていた。

 翡翠の瞳がきらきらと輝いている。


 満足したスイがようやく着席したところで、俺はボックスシートにもたれかかり、目を閉じた。




 こんな状況になったきっかけは、ナグモ女史の一言だった。


「ゼン。おつかい頼めるか」


「おつかい? いいですけど」


 てっきり購買で軽食を買ってくるとか、軍のスーパーまで行って必要な物資を調達してくるとか、そんなことだと思って、二つ返事で引き受けた。

 しかしそのあとで明かされた今日のミッションは、想像していたよりも重大だった。


「よかった。じゃあ今からスイを連れて、電車でショッピングモールまで行ってくれ。スイの洋服を洗い替えも含めて3組と、パジャマを2組。ひとまずは春物だけでいい。あとついでに、スイに買い物の仕方を教えてやってくれ」


「……ちょっと待ってください」


 思っていたのと違う。

 慌てて食い下がるが、ナグモ女史は気にも留めずに、財布の中から現金を手渡してきた。


「はいこれ、軍資金。5万渡しておくが、足りなかったら送金するから連絡してくれ。それじゃ、気を付けて」


「待ってください!」


 俺の困惑を完全に無視して、ナグモ女史は実験室に消えていった。

 扉を閉める直前で、「おつりで好きなお菓子を買っていい。ひとつずつだぞ」と、子供に含めるように言い残した。

 全然、そういう問題じゃない。



 修論発表までまだ時間があるとはいえ、俺も俺で研究を進めないといけない。

 それに、女ものの服を買えと急に言われても、自分の服の組み合わせでさえ考えることを放棄しているというのに、スイの服を選べるわけがない。


 これはアカハラとかパワハラの類では?

 

 握らされた万札を持って呆然としていると、横からキシが生暖かい笑みで言った。 


「デートじゃん、よかったね」


 クソ、絶対言われると思った。



 震える手で、ポケットからスマホを取り出す。

 メッセージアプリを開き、「marino.」を選ぶ。


『たすけてください』


 藁にもすがる思いで、文字を入力した。


 その後マリノとの通話で、事情をすべて説明した。

 それを聞いた彼女の第一声は大爆笑であり、『ゼンくん、いつ見ても同じ服着てるもんね!』と余計なお世話すぎることも言われた。


『おもしろそうだから私も行くね。ただ、ちょっと片付けたい仕事があるから。先に行ってて、たぶん1時間くらいで合流するから』


 その言葉に、肩の荷が下りた気分になった。

 1時間、ショッピングモールで時間をつぶす必要はあるが、それでも、スイの服を選ぶとかいう意味不明なミッションに比べれば、圧倒的に希望が持てる。


「助かる……救世主か……」


『人のお金でスイを着せ替えできるんでしょ? 最高だよ、任せて』


「言ってることヤバ……」


 変なテンションになっているマリノは、秒で仕事終わらせるわ! と宣言して電話を切った。

 以前から薄々気づいてはいたが、マリノはスイに対して、境遇に心を痛めている以外に、シンプルに心底かわいがっている。



 そういうわけで、俺はスイを連れてショッピングモールに向かっていた。

 車窓から流れる景色、何の変哲もない田んぼや川、遠くの山々にすら、スイは目を輝かせている。

 踏切待ちをしている散歩中の犬を見て、「ねぇねぇ何あれ!?」と高くはしゃいだ。


「……犬だよ」


「犬!? 本物の犬!」


「ただの犬……」


 目に映るもの全てに対してこんな感じである。


 マリノが来るまでの1時間、どうやって時間をつぶそうかと考えていたが、この調子であれば、ショッピングモールの中をぐるぐる回るだけであっという間に過ぎ去りそうだ。

 問題があるとすれば、無邪気で屈強で体力という概念がないこの好奇心の化身に、俺がついていけるかということだけだ。




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