63.生存の意味
どれくらい逃げていただろうか。いつの間にか俺たちは、地下通路にいた。
「……」
スイは無言のまま、俺を地面に下ろす。
転びそうになりながらよろよろと着地すると、スイはふ、と短く笑った。
「……ゼン、叫びすぎ……」
「…………」
そりゃあ叫ぶだろう。内臓ごと揺さぶられて、そのへんのジェットコースターよりも怖かった。
……と言い訳が浮かぶが、さすがにダサすぎるので、黙った。
あたりを見渡す。
この地下通路は、かつて訪れたところだと気づいた。工学部の地下から伸びる通路だ。
なるほど、軍の施設まで繋がっていたのか。
スイは呼吸一つ乱さずに、俺を黙って見つめている。
「……助けてくれたのか」
俺の問いに、スイはゆっくりうなずいた。
「……どうして。俺はきみに、ひどいことを言ったのに」
スイの生身の身体を前に、俺はスイの犠牲を肯定してしまった。
「もういい、って、言ったの、ナシにしたくて」
「……」
あのとき、確かにスイは言った。俺の手を振り払って、「もういい」と。
……思い出すだけで、気持ちが沈んでいくような心地がする。自業自得なのは、わかっている。
「ナシにする、って」
スイは視線を巡らせたあと、再びゆっくりと俺のほうを見た。
「……ゼンが、わたしにしてくれたこと、本当にうれしかったの。ハンカチを拾ってくれて、文字を教えてくれて、……モンスターからわたしをかばってくれて。……今でもずっと、うれしいの」
スイが並べた出来事は、俺にとっては当たり前のことだった。
大切な落とし物はちゃんと持ち主に帰るべきだし、文字を覚えたいと望む少女には、きちんとそれが与えられるべきだ。
未だに痛む背中の傷も、スイを守れたのなら、ひとつも後悔はない。
……たとえスイが、機械の身体を壊されて、命を喪うことがないのだとしても。
意識があるまま、自分よりもずっと大きなモンスターに、身体をバラバラに引き裂かれるなど、想像するだけで心がはちきれそうになる。
「だから、よくないって、思ったの」
スイの声は震えていた。
慎重に、ひとつひとつ、言葉を選んでいる。
「ゼンにまで見捨てられるのは、ぜんぜん、よくない……」
いまにも泣きそうになりながら、それでも正直に、言葉にしてくれた。
それを理解して、自分の愚かさに気が付いた。
俺は勝手に、スイを諦めようとしていた。
自分が何かをしたところで、世界は変わらない。
スイを犠牲にし続けることを受け入れて、豊かな暮らしに身を置こうとしていた。
友人も先生も、町も山も川も雪もすべてが焼かれたあの日。
何のために生き残ったのか?
分からない。8年間考え続けても、未だにはっきりとした答えはない。
それでも、これだけは分かる。
俺は、犠牲になった友人のぶんまで善く生きたい。
エゴかもしれない。そんなこと、誰にも望まれていないかもしれない。
それでも。
俺は俺が、生き残った意味が欲しい。
「あのときは、酷いことを言ってごめん」
スイに向かって真っすぐ、頭を下げる。
「俺はきみを見捨てない。信じてほしい」
スイがはっと、息を呑む音がした。慌てたようにスイが俺の肩を押して、姿勢を正させる。
暗闇にふたつ輝く翡翠がゆれるのが見えた。
「ゼンは、わたしを救って、かわりに皆が不幸になっちゃうのは、善いことだと思う?」
「思わない」
これは本心だ。最悪の二者択一だが、それを選ぶことはできない。
肩に触れたままのスイの指が、不安で震えている。
「……じゃあやっぱり、みんなの幸せのために、わたしが犠牲になるのは、……仕方ないと、思う?」
首を横に振る。迷う理由なんてない。
答えははじめから、決まりきっていた。
「……絶対に、思わない。そんなわけない!そんなことがあってたまるか!」
スイの瞳をまっすぐ見たまま、俺は心の底から叫んだ。




