6.講義室の少女1
誰もいない、校舎の外れの講義室。
30人ほどの学生が座れる座席、ホワイトボードが壁に2枚付いている程度の、小さな部屋だ。
大学院生になってからは研究室にこもりきりになっており、ほとんど講義を受ける必要もなくなっているが、週に何度かは、研究に幅が出そうな授業をとっている。
必修でもなく、おじいちゃん先生が延々とマニアックな話をしているような授業だ。
はじめは10人程度の学生がいたように思うが、必要最低限の単位数をとるのが目的の学生には合わなかったのだろう、少しずつ人数が減っていき、今では数人の学生のみが受講する。
講義が始まるまで30分ほど余裕がある。
まだ誰も来ていない講義室で、暖房をつけ、研究データの整理をする。この時間が意外と集中できるため、習慣のようになっている。
いつものようにノートパソコンと筆記用具を抱え、講義室に入る。
と、今日は珍しく先約が居た。
少女だ。
講義室の後ろのほうの端の席で、少女が机に突っ伏して眠っている。
小さな講義室に疎らに座る生徒はもう顔を覚えてしまっているが、見慣れないその少女に、俺は思わず目を開く。
暖房もつけずに冷え込む講義室で、色素の薄いベージュの髪が、窓から差し込んだ光で透き通っていた。
静かに、少女が眠っている。
あまりにも熟睡しているように見えるので、起こすのは忍びないような気もした。
暖房のスイッチを入れて、音を立てないように、ゆっくりと席に向かう。
数人の学生たちが座る席はいつもなんとなく決まっていて、俺はいつも後方の右側の席に座っている。
つまり、ひとつ開けて隣の席になる。
俺が近くに座ってパソコンを開いても、少女が起きることはなかった。
そのまま10分、20分と時間が経過したが、少女は物音ひとつ立てず、静かに眠り続けている。
本当に生きているのか不安になって少女を見るが、かすかに肩が上下しているのが見えたので、再度パソコンの画面に目を落とした。
ぱらぱらと生徒が集まってくる。
生徒はそれぞれ少女に気づいて、一瞬ぎょっとしたような顔をするが、誰も少女に声をかけることはなかった。
各々が、なんとなく決まった席につく。
講義の開始時間になっても眠り続ける少女に、顔は知っているが話したことのない男子学生たちが、「えっこれ誰も起こさないの」みたいな空気を醸し出すが、誰も話しかける勇気がない。
俺は陰気な男であることを自覚しているが、悲しいことにこの講義室に集まった生徒たちは、全員俺と同じようなタイプの人間であるらしかった。
そうこうしているうちに、腰の曲がった白髪の教授が、杖をつきながら入ってきた。
教授は座席を一瞥し、異様な少女の存在に気付いた様子だったが、特に気にも留めずに講義を開始した。
「……モンスターは局地的に発生し、何か目的地があるかのように、一直線に走っていく。ただ、その目的地は、誰にも分かっていない……というのは、皆さんが知っている通りですな。……ただ、モンスターが向かう先には必ず人間の居住地があり、そして、一部の事例で、その日に生まれたばかりの赤子が死んでいるというのが、私どもの研究で示されておるわけです」
配布された手元の試料には、いかにも老人が作ったらしい視認性の悪いグラフが記載されている。
すっかり背が丸くなっている老いた教授は、どうやら数年前まで生粋のフィールドワーカーだったらしい。
定年はとうに超えているような年齢で、名誉教授なんていう称号を得ている老人による、好き放題のマニアックな授業。
最初に聞いたときはまるで陰謀論のようだと半ば聞き流していたが、教授の持つその称号が、その話の説得力を増しているように思えた。
人間は押しなべて、権力に弱い。
「まあ、損傷が激しかったり、埋葬されていたりで、死体が残っていない場所も多かったもんですから。この論は一般的には、根拠の薄い話として扱われているわけですがね」
異国の研究者に大切な我が子の死体を見せろというのは、なかなか受け入れられない話である。
特に、もともと赤子が死ぬのが珍しくない国の多くは、赤子の死と土着の宗教が強く結びつけられているため、十分なサンプルを得ることが難しいのだと、教授は語った。




