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58.ある機械化人間の独白5





 その後、あっという間に母は死んだ。


 朝方、呼吸が止まっているのに、父が気づいた。

 ベッドに寝そべる体は何も変わらないのに、母は動かなくなってしまった。


 それを聞いても、オレはもう、心が麻痺したみたいに何も思わなかった。




 1ヶ月後、家の中で、何もないところで転んだ。

 2ヶ月後、箸を取り落としてしまって、うまく食べられなくなった。

 3ヶ月後、口に力が入らなくなって、うまく話せないことが増えた。


 母と、同じ症状だった。病院に行ったオレには、聞き慣れた病名がつけられた。


 何もかも、終わってしまった。そう思った。

 もう終わりだ。本当に終わりだ。

 心中に失敗して助かったはずのオレの人生、結局終わってしまった。


 絶望に打ちひしがれて、脚は無意識にあの場所に向かっていた。

 オレも近いうちに、母のようになる。どこにも行けなくなる。

 現代の医療では治療不可能な病気。それに侵されきってしまう前に、あの人に会いたかった。




 数か月ぶりに訪れたグリ下。いつもの階段のところに、彼女はいなかった。

 代わりに、ゾンビのように地面に這いつくばる、知らない女がいるだけだ。

 女は胸元を吐瀉物で汚し、虚ろな瞳でぶつぶつと何かをつぶやいている。


 ——そのくっきりとした二重に、見覚えがある。

 ああ、と思った。——どうして。


「……ティアさん」


 呼びかけると、彼女はゆっくりと顔をあげた。虚ろな瞳のまま、オレを見つめる。

 そして数秒遅れて、汚れた唇を動かした。


「……だれ」


「……」


 もうオレのことも、分からなくなっていた。


 左の腕には切り刻まれた無数の縞模様、そしていくつもの注射痕。

 このグリ下で、同じような人を何人か見てきた。

 こうなってしまった人間は、もう、戻れない。


 明るくて優しかったティアさん。

 オレと同じかそれ以上に不遇で、それでも明るくカラカラ笑う彼女の闇に、気づいてあげられなかった。


 いや、気づいていたのかもしれない。見て見ぬふりをしていただけか。

 だって普通に考えて、13歳のガキ相手にできる時点で、なあ、ティアさん。


「ティアさん。あんたもあかんかったんやね」


 それから彼女がどうなったかは、分からない。






【和暦:維新24年 東大阪市】


 機械化手術の実用化、そして保険適用というニュースは、医師から告げられた。


 17歳になったオレは、病院で呼吸が止まるのを待っていた。

 ただ天井を見ては微睡むだけの日々。呼吸も、栄養摂取も、排泄も、人の手を借りなければできない。

 

 父は見舞いに来なかった。

 入院手続きだけは一応してくれたが、俺を大阪に置いて、自分の田舎にさっさと引っ込んでしまったらしいと、看護師が噂しているのを聞いた。


 そんな暗闇の中、突如飛び込んだ知らせは、あまりにもまぶしかった。


「すでに国内では数例、成功例があるけれど……若年者への適用はまだない。きみが一例目ということになる。大きな手術だからもちろんリスクもある。……きみが選んでいい、きみはどうしたい」


 飛び跳ねたいほど、叫びまわりたいほどの歓喜に、心が震えた。

 実際にはオレの身体は自在に動くことなんてなくて、それでも唯一まともに動かせる瞼を下ろすたびに、涙がぼろぼろこぼれた。


 この地獄から抜け出せる唯一の手段。それが目の前にぶら下げられて、迷わず飛びついた。

 迷うわけがなかった。



 こうしてオレは、機械の身体を手に入れた。





本作には、進行性の疾患描写が含まれています。これらは物語上の演出および設定として描かれたものであり、実在する特定の疾患や患者団体、および闘病中の方々を中傷・否定する意図は一切ございません。

本作はあくまでフィクションであり、実在の人物・団体・医学的事実とは無関係であることをご理解いただけますと幸いです。

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