49.不可逆
「そんなこと……」
スイが死んでしまったら、この国は崩壊する。
それは分かっている。分かりきっている。
死なせてはいけない。生きてもらわなければいけない。それは紛れもない真実だ。
でも、ひとりの少女を犠牲に成り立つシステムの中で、これからものうのうと生きていく。
それが正しいのか、なんて。
そんなのは、考えなくても分かる。
ふ、と息をつく音がする。スイが小さく笑った音だ。
「だいじょうぶ、本当に死んだりしないよ。わかってるよ。わたしが死んだら、この国が、どうなっちゃうのか。……だからこれは、ふと、思っただけ」
スイの握った指がほどかれて、ゆっくり、横たわる自身の頬を撫でた。
「わたしが普通の子で、誰かを不幸にすることもなくて、ほんとうの体のまま、自由に生きられたら、よかったのになあって」
でもそうじゃないから。……もう、生きていたくない。
スイは消えそうな声で、そう言った。
スイに自由はない。
スイがどんなに望んでも、「それ」は選べない。
奪われたのではない、最初から与えられなかった。
何もかも与えられなかったのに、急に機械の身体だけを与えられて。
はじめて外に出たスイは、何を思っただろうか。
自分と肉親以外の人間が存在すること。
豊かな社会で暮らしていること。
勉強、仕事、友人との交流、自分の好きなことを持っている、大勢の人々。
それらをはじめて目の当たりにしたスイは、自分の境遇を呪ったのだろうか。
羨んで、普通になりたくて、でも、彼女は「それ」を選べない。
いてもたってもいられずに、俺はスイに駆け寄った。
冷たい、血の通わない金属の手を握る。
「……スイに助けられている人は大勢いる。スイが生まれるまで、この国は長い不況にあったし、エネルギーだって、いつか確実に枯れると、そう言われていた。そんな社会にとって、スイは救いのはずだ」
救われた社会。繁栄した社会。喪われなかった命。
過去のものとなった貧困、環境問題、エネルギー問題。
それらはすべてスイの存在があってこそで、そのことは紛れもない真実だ。
「スイのおかげで病気の人も救われているし、俺だって、勉強できているのも、生きていられるのも、いまの社会があってこそだ。それは、スイのおかげってことなんだ。だから、」
だから死ぬなんて、言わないでほしかった。
「……ふ、」
俺の言葉にスイはもう一度、力なく笑った。
そして俺の手を振りほどく。
「……知ってるよ、そんなの」
そう言われてはじめて、自分が発した言葉の意味を、遅れて理解した。
少女の犠牲を、肯定してしまった。
俺は、間違えたのだ。
「スイ、違う」
反射的に、慌てて取り繕おうとするが、言葉が出てこない。
取り返しのつかないことを、してしまった。
「うん。……もう、いいよ」
スイはそのまま踵を返して歩き出す。
違う。違う。スイを犠牲に成り立つ社会なんて、正しいわけがない。
歪んだ世界のしわ寄せを、スイにだけに負わせるのが、許されるわけがない。
1億3000万の豊かな暮らしの責任を、すべてスイにかぶせるのが、善いことなはずがないのだ。
俺の方を見ないまま、スイは歩く。
俺はただ、スイに笑ってほしいだけ。泣き止ませたいだけなんだ。
なのに、スイを傷つけてしまった。
その事実が突きつけられて、心臓がはちきれそうな心地がした。
「スイ!」
呼びかけに、スイが答えることはない。
スイは俺を一瞥もせずに、部屋を出ていった。




