26.父
「ゼンってば」
名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。
ベッドを囲うカーテンを控えめに開いて、立っていたのはスイだった。
左手にピンクのペンケースと緑色の学習帳を抱えている。
人工皮膚の滑らかな肌色で覆われていて、修理、というか、治療は、すっかり完了したらしい。
「スイ……」
「何回も呼んだ、けど、……やっぱり、痛い?」
「いや、もう痛くない。気づかなかったのはその、俺の悪癖みたいなもので」
「……それなら、いいよ」
スイはカーテンの内側に体を滑り込ませて、いつものようにベッドサイドの丸椅子に座った。
オーバーテーブルにノートを広げて、ペンケースのファスナーを開く。
俺はスマホを一旦置いて、ベッドに手をつきながら、慎重に体を起こす。
もう痛みはないが、一気に行くと傷が開くらしい。
以前、一度何も気にせず起き上がったところ、看護師からガチで怒られた。
白衣の天使とは幻想である。もうあんな思いはごめんだ。
ようやく体を起こしてスイを見やると、視線が俺のスマホの画面にくぎ付けになっていた。
目を見開いて、唇の端が震えている。スイのしろい指から、ペンケースが滑り落ちた。
「……スイ?」
「……」
画面内ではイズミノ陸将が、今後のことについて展望を語っている。
よく通る低い声で、さながら演説のような語り口だ。
それを見つめながら、スイは固まっていた。ペンケースを拾うこともせず、完全に停止している。
「……スイ、大丈夫か?」
戸惑いながら声をかけると、スイの唇から一言、言葉が零れ落ちた。
「おとうさん」
幼いころから呼び慣れた名前。見慣れた姿。
スイの表情は、家族に対する親愛ではなく、見知った顔がライブ配信に映った驚きでもない。
そこにあったのは「恐怖」。
恐れ、おののき、言葉を失っていた。
「……おとうさん、だ」
震える手で、俺のスマホを拾い上げる。
画面の中身を確かめるようにまじまじと見ながら、スイのしろい指がカタカタと震えていた。
イズミノ陸将。イズミノ タカミチ。スイの父親。
おそらく、スイに教育を与えなかった本人。
自分より大きなモンスターにも立ち向かう勇敢なスイの、恐怖の対象。
この国の根幹を担うエネルギー産業の、最高責任者。
スイの瞳が恐怖に揺れていた。床に散らばった鉛筆は先が折れて、使い物にならなくなっている。
画面の中のイズミノ陸将は、まっすぐにカメラを見据えながら、演説を続けている。
「意外とまともそう」「威厳がある」「いいこと言ってる」おおむね好意的なコメントが流れていくが、スイには読めていないはずだ。
スイは長い時間、父の姿を見つめていた。




