父
遠くに見える白かった山は、日に日にその白を失い、代わりに麓のほうには鮮やかな緑が茂っていた。
窓から差し込む光は強くなり、暑いとさえ感じるようになった。
だから、ベッドの周りのカーテンを閉めて過ごしている。
俺の命をモニターしていた機械はすべて外された。
昼も夜もお構いなしに脈に合わせて鳴る電子音から解放されると、ここはとても静かなことに気が付く。
「…暇すぎる」
俺の独り言は病室の空気に溶けていった。
やることがない。
ベッド上安静。
許されているのは横になったままスマホやテレビを観ることと、車椅子に乗ってトイレに行くことくらいだ。
そのトイレもこの個室内に完備されているので、つまり俺は、この部屋からは一切出してもらえない。
スマホをぼうっと眺めることにも飽きてしまった。
勉強以外のことにあまり縁がない人生なので、キシのおすすめの映画も、サカイが今ハマっているアニメも、とりあえず言われるがままに観てみたものの、正直よくわからなかった。
今まで手を出してこなかったSNSにも登録してみたが、いまいち楽しみ方が分からない。
次々流れる短い動画はそれなりに楽しめたが、30分もすると目が疲れてきて、見続けられない。
背中の傷の処置の間に、勉強系の動画もありますよ、と親切な看護師が教えてくれたが、それもあまり楽しめなかった。
読み上げてくれるのはありがたいが、正直タイパが悪いと感じてしまった。
文章で読めば数分のものを、40分もかけて解説されるのは、とても非効率に感じる。
暇をつぶすのが目的であるので、タイパを求めるのはおかしいと自分でも思うが、これは仕方ない。
こういう性分に生まれてきてしまった。
というのを正直にキシとサカイに相談した。
建設的なアドバイスとまではいかなくても、慰めてほしかった。
ほんの少しの時間、LINEで相手をしてくれるだけでよかった。
それなのに二人からは「今までがおかしかったんだよ、いい機会だしたくさん寝たら」「空虚な人間 かなしいね」とバッサリいかれてしまった。
なあ、俺たち友達じゃなかったのかよ。
かといってやることもないので、動画サイトを適当にスクロールする。
と、ちょうど目に留まったのは、ある報道系の生配信だった。
「対モンスター防衛機関 施設長 会見」。
どうやら世間では今回の事件——モンスターがゲートを越えて大学構内に侵入してきた、前例のない出来事が、「軍の失態」として捉えられているようだった。
よその飼い猫の動画やゲーム配信の切り抜き動画に比べれば、圧倒的に興味をそそられた。
なんといっても当事者である。
今回の件では奇跡的に死者は出ず、不運な学生1名が重傷、学生と警備員あわせて7名が軽傷を負ったとのことだった。
不運な1名の学生とは俺のことである。
興味のまま、俺は画面をタップした。
「えー、停電によりモンスター侵入防止ゲートが停止し、予備電源にもトラブルがあり、えー、ゲートの再起動が困難であったため、今回のような重大な事案が発生しました」
壮年の軍人が手元の紙を読み上げる。
白いクロスがかけられたテーブルに、「施設長」という肩書とともに名前が書かれた紙が貼られている。
以前テレビで見たときは切れ者のオヤジという感じだったのに、今は弱った老人のような印象を受ける。
白髪が目立ち、頬は窪んでいた。
彼含め3人の男が椅子に座り、世間の目に晒されている。
「今回は重軽症者8名の、民間の人的被害。また、えー、大学の校舎の破壊。絶対安全とされてきたモンスター処理フローでこのような、安全性を根底から覆すような重大な事案が発生したことについて、えー、全責任は私にございます。大変申し訳ありませんでした」
施設長は立ち上がり、深々と頭を下げる。
カシャカシャカシャ、シャッター音が響き、画面がフラッシュで激しく点滅する。
数秒、白い頭頂を晒した男は、ゆっくりと顔を上げた。
「えー、今回の事態を重く受け止め、防衛責任者としての任を全うできなかったことに対し、深く反省しております。私自身、身を引くことでこの混乱に区切りをつけ、組織の刷新を図る所存です」
画面の隅から、会場のざわめきが拾われる。
数秒遅れて、画面下部にテロップで「対モンスター防衛機関 施設長 辞任」と表示された。
「後任には、事態の収拾と再発防止の適任者として、イズミノ タカミチ陸将を指名いたしました」
イズミノ タカミチ。
その名前に、肩が一瞬震えた。
イズミノ、珍しい苗字だ。一瞬、脳裏にスイの顔が思い浮かぶ。
それでも偶然という線もあると思い直し、再び画面を見つめた。
「彼には、この難局を乗り越えるための全権を託しております」
施設長が着席し、代わりに、画面左側、施設長の隣に座っていた男が立ち上がる。
「新任の防衛責任者を拝命いたしました、イズミノ タカミチです。 この度の事態を重く受け止め、まずは徹底した原因究明と再発防止に邁進する所存です」
真っ黒な短髪に、彫りが深い顔立ち。隣に並ぶ施設長と比べると、随分身体が大きいように見える。
カーキ色の分厚い軍服の上からでも、肩や胸板が盛り上がっているのがわかった。
そして何よりも、若い。
国立エネルギー総合機関の長たちは、皆役人上がりの老人たちだが、イズミノ陸将はその中でも異質に見えた。
年代だと中年といったところで、自分たちの親世代くらいに見えるが、一般人とは全く異なる大きな身体と、鋭い眼光。
さきほどまでのざわめきは完全に止んでいて、カメラのフラッシュさえ、止まる。
画面越しでも感じる、生き物としての恐怖。
畏怖すら感じる鋭い眼光に射貫かれたように、記者たちは動けない。
「我々の責務は、この国の安寧と、豊かな社会の根幹を断絶させぬことにあります。 いかなる代償を払ってでも、市民の日常を、そしてこの国の光を守り抜く。 私は、そのためにここへ参りました」
まっすぐ伸ばされた背中。
有無を言わせないような迫力に、数秒の静寂のあと、思い出したように記者たちは次々とシャッターを切った。
「ゼンってば」
名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。
ベッドを囲うカーテンを控えめに開いて、立っていたのはスイだった。
左手にピンクのペンケースと緑色の学習帳を抱えている。
人工皮膚の滑らかな肌色で覆われていて、修理、というか、治療は、すっかり完了したらしい。
「スイ…」
「何回も呼んだ、けど、…やっぱり、痛い?」
「いや、もう痛くない。気づかなかったのはその、俺の悪癖みたいなもので」
「…それなら、いいよ」
スイはカーテンの内側に体を滑り込ませて、いつものようにベッドサイドの丸椅子に座った。
オーバーテーブルにノートを広げて、ペンケースのファスナーを開く。
俺はスマホを一旦置いて、ベッドに手をつきながら、慎重に体を起こす。
もう痛みはないが、一気に行くと傷が開くらしい。
以前、一度何も気にせず起き上がったところ、看護師からガチで怒られた。
白衣の天使とは幻想である。もうあんな思いはごめんだ。
ようやく体を起こしてスイを見やると、視線が俺のスマホの画面にくぎ付けになっていた。
目を見開いて、唇の端が震えている。スイのしろい指から、ペンケースが滑り落ちた。
「…スイ?」
「…」
画面内ではイズミノ陸将が、今後のことについて展望を語っている。
よく通る低い声で、さながら演説のような語り口だ。
それを見つめながら、スイは固まっていた。ペンケースを拾うこともせず、完全に停止している。
「…スイ、大丈夫か?」
戸惑いながら声をかけると、スイの唇から一言、言葉が零れ落ちた。
「おとうさん」
幼いころから呼び慣れた名前。見慣れた姿。
スイの表情は、家族に対する親愛ではなく、見知った顔がライブ配信に映った驚きでもない。
そこにあったのは「恐怖」。
恐れ、おののき、言葉を失っていた。
「…おとうさん、だ」
震える手で、俺のスマホを拾い上げる。
画面の中身を確かめるようにまじまじと見ながら、スイのしろい指がカタカタと震えていた。
イズミノ陸将。イズミノ タカミチ。スイの父親。
おそらく、スイに教育を与えなかった本人。
自分より大きなモンスターにも立ち向かう勇敢なスイの、恐怖の対象。
この国の根幹を担うエネルギー産業の、最高責任者。
スイの瞳が恐怖に揺れていた。床に散らばった鉛筆は先が折れて、使い物にならなくなっている。
画面の中のイズミノ陸将は、まっすぐにカメラを見据えながら、演説を続けている。
「意外とまともそう」「威厳がある」「いいこと言ってる」おおむね好意的なコメントが流れていくが、スイには読めていないはずだ。
スイは長い時間、父の姿を見つめていた。




