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 目を覚ますと、そこは白い空間だった。


 やわらかな光が差し込み、鳥のさえずりさえ聞こえる。

 一瞬、本当に天国に来たのかと思ったが、視界を埋める白は、壁とカーテンであると気づいた。

 ぽん、ぽん、何かの電子音が規則的に響いている。


 自分の腕を見る。点滴が何本か入れられていて、指先には何かを測定する機械が繋がれている。


(生きているのか…)


 絶対に死ぬと思ったが、生き延びたらしい。

 まさか助かってしまうとは。どうやらしっかり治療を受けているようだ。

 クッションや抱き枕のようなものを挟み込まれ、横向きにされている。


 背中の傷は、思ったほどは痛まない。

 痛み止めの類が点滴されているのだろう。頭がぼーっとする。


 ここはどこだろう。病院だろうか。誰かが俺を運んでくれたのか。



「あれ、起きてる」


 カーテンを少しだけ開けて、聞き慣れた声が飛び込んできた。

 思わず目を向けると、そこに立っていたのはマリノだった。


「おはようゼンくん。痛みはどう?」


「…いや」


 声を出した瞬間に、背中がちりちりと痛んだ。

 思わず眉をひそめると、おおよそ察したらしいマリノは苦笑した。


「死ぬところだったらしいよ。ラッキーだったね、ゼンくん」


「俺もさすがに、死んだかと…」


 マリノは仕切りのカーテンを開けて、ベッドサイドの丸椅子に腰を下ろした。


「…スイは」


 一番気になっていることを訪ねる。

 腕と足が破損し、人工皮膚の間から金属が露出するほどの傷を負った、スイの安否。


 マリノはため息をついて、知ってるんだ、そう短く言った。


「スイは無事だよ。基幹部が無傷だったのが大きかった。機械化人間は生身の身体の生命活動と連動してるから…基本的には生身の心臓が無事なら、死ぬことはないんだけど…今はうちのラボで修理してる。…それでも破損が大きいから、時間はかかると思うけど」


「…そうか…」


 それを聞いて安堵した。自分の身なんてどうでもいいみたいに、破壊されながらも戦う少女の姿が思い出される。

 酷い傷だった。


 ただ、まだ疑問は山ほどある。

 ただの少女に思えたスイが、どうしてあの場所にいたのだろう。どうして、スイは戦っているんだ。


「…スイがなんであの場にいたか、だよね」


「…ああ」


 俺の顔を見て、マリノは諦めたみたいに言った。


「もう知っちゃったなら隠さないけど。スイは軍直属の機械化人間で、軍の最高戦力なんだ。ああ見えて大の男10人がかりでも勝てないくらいに強いから、しょっちゅう前線に立たされて、しょっちゅう故障して帰ってくる」


「…」


「そのとき、いかに早く修理して、次にまた出すかが大事だから。うちのラボでスイの身体を引き取って、メンテナンスと修理をしているんだ。あとは私は…スイのケアというか、全体的な世話というか、そういう仕事もしてる。強くてもまだ子供だからね。一応持ってる看護師資格を買われて、スイのメンタルのケアもしてるんだ」


 マリノの言葉に、脳がかっと熱くなった。

 まるで、スイを道具のように扱っている。

 ただの機械かなにかだと思って、あの子供を、戦場に立たせているのか。


「…どうしてスイが、戦わないといけないんだ」


 怒りに任せて、低い声が出た。


「あんな子供に戦わせて。あんな危ないところに身を置かせて、彼女がそれを望んでるのか?何か事情があったとしても、どんなに強くても、子供を戦わせていいわけがないのに。結局は大人の都合だろ。碌な教育もせずに。スイは、自分の名前も書けなかったんだ。戦いさえなければ、勉強でも遊びでも、好きなことができるだろ」



 軍の最高戦力として、彼女は重宝されているのだろう。

 ナイフ一本でモンスターを切り裂いてしまう強さ、臆さない勇敢さ、そして何よりも、大人によって作られた無知。

 機密情報を漏らさないように、彼女が何も知ることがないように。

 彼女は文字さえ与えられず、大人の都合で、戦わされてきた。


 まだまだ言い足りなくて、ベッドから身を乗り出そうと、体を起こす。

 …瞬間、背中に激痛が走った。


「い゛っっってぇ!」


「あー!痛いに決まってるでしょ、ちょっと、ちゃんと横になって」


 渋々、再びベッドに体を横たえる。


 心臓がばくばくと鳴っている。こんなにやるせない気持ちになったのは初めてだった。

 大人の都合で戦わされている少女。

 本当は学ぶことが大好きで、ふつうの少女と同じように笑うのに。


 やるせなさと痛みで、涙さえ出てきた。


 涙で滲む視界越しに、マリノと目が合う。

 ふ、と視線がすぐに逸らされて、気づかないふりをしてくれているんだろう。


「ゼンくんの言う通りだよ。本当に、皆、あの子をいいように利用して。本当なら守られないといけない、ただの子供なのに…そんなこと、ずっと前から分かってるんだ」


 マリノは体を横に向けて、窓の外を見る。春の暖かい光が差し込んでいた。


「でも、スイは戦うことを望んでるんだ。何もできないより、戦いたいって、言うんだよ…それが自分の贖罪なんだって。…でも、そんな難しい言葉を、スイが知ってるわけないもんね。だから誰かほかの人に、言われたことなんだと思う。…けど、身が滅ぶまで戦い続けるのが、スイの望みなんだって」


 どうして、と思う。

 身が滅ぶまで。いつか、生身の心臓が止まるまで。

 永遠とも思えるような、長い時間。傷つきながら戦い続ける。

 何かの罪をあげつらって、それを赦されるためにと、そう、思いこませた大人がいる。


「…ごめん」


 冷静になって、マリノに謝罪する。

 マリノの言葉は、スイに対する罪悪感と愛に溢れているように聞こえた。

 俺よりもずっと長い時間をスイと一緒に過ごしているマリノは、ずっと、スイに対してやるせない気持ちを持ち続けているのだろう。


「ううん。…私も、私がやっていること、正しくないって思うよ」


 自嘲するみたいに、マリノは笑った。



「スイがね、文字を教えてもらうんだって、めちゃくちゃ喜んでたんだ。それ見て、私、止められなかったよ。あんまり嬉しそうだからさ。文房具一式とノート、買ってあげちゃった。本当は駄目なんだけどね」


 ピンク色のペンケース、三角えんぴつ、青白黒のスリーブに入った消しゴム、チューリップの写真が表紙の学習帳。

 文字を初めて習う子供が真っ先に買い与えられるセットを手に入れたスイは、きっと嬉しかっただろう。

 俺も、小学校入学のときに親にはじめて買ってもらったペンケースの色は、いまでも覚えている。


「あ、私そろそろ離れようかな…もうじき、来ると思うから」


「え?」


「急ごしらえでとりあえず、右脚くっつけただけなんだけど。…来るって聞かなくて」


 マリノは唐突に立ち上がって、カーテンの外を窺った。

 来るって、なにが。そんな疑問を浮かべた矢先、ゆっくりと2回、扉がノックされる。


「はい」


 そう返事をすると、静かに扉が開かれた。


 マリノと入れ替わるようにして現れたのはスイだ。

 帽子を深くかぶっている。顔を含めて一切肌を出さずに、すべてが布できっちりと覆われている。

 季節外れのオーバーサイズのポンチョを着ているため目立たないが、よくよく見ると左腕がない。


「スイ!?」


 ボディの修理には随分とかかると聞いていた。もう動けるのか。

 スイは、初めて研究室を訪れた日のように、俯いて、黙り込んでいた。


「スイ、来てくれたのか?」


 スイはこくん、頷いて、病室の入り口で立ち尽くしている。

 背中に響かないように慎重に左手をあげて手招きすると、ようやくスイはこちらに歩いてきた。

 先ほどまでマリノが座っていた丸椅子に、スイも腰かける。


「…暑いだろう、脱いでいい」


「…わたし、暑いとか、ないよ」


「いや、顔が見えない」


 スイは逡巡して、ゆっくりと帽子をとった。

 現れた顔は、頬のあたりの人工皮膚の一部が裂けたままで、間からむき出しの金属が覗いている。


 色素の薄い髪が春の陽気に照らされて、はじめてスイを見た時もそうだったなあ、と思った。

 さほど時間は経っていないはずなのに、随分と前のことみたいだ。


 まっすぐに目を合わせると、翡翠の瞳がみるみるうちに歪んでいった。

 涙は流せなくても、泣いているのだとすぐにわかる。


「い、生きてる、よかった。ゼン、いっぱい血がでて、はなしかけても、返事しなくて、わたし、わたし…」


 震える声で、スイは言う。ひとつひとつ、言葉をこぼしていく。

 話すことが得意ではないスイが、一生懸命、伝えようとしている。


「生きてるよ。きみのおかげで助かった。ありがとう…戦わせて、ごめん」


「ううん。わたしが、ゼンに、謝りたいの。大けが、させちゃったから」


「きみのせいじゃない。謝らないでくれ」


 スイはきゅっと目を閉じて、首を横に振った。


「ゼンを、守りたかったのに」


 えぐえぐとしゃくりあげながら泣くスイ。

 こういうとき、どうすればいいのだろう。目の前で泣く女の子を泣き止ませるには、いったいどうしたら。


 ふと、思い至って、スイの肩に手を伸ばす。そしてそのまま体を引き寄せた。

 自分が起き上がれないから、スイにこっちに来てもらうしかない。


 スイは驚いたように固まって、されるがままになっている。

 中型モンスターに引っ張られる程度では倒れないスイが、けが人に肩を抱かれただけで、胸に倒れこんできた。


「…守られたよ、きみに」


 スイが居なかったら、俺は最初にモンスターに出会った時点で死んでいた。

 だから、どうか泣かないでほしい。自分を責めるようなことは、しないでほしい。


「ゼン、」


 固まっていたスイが動き出し、ゆっくりと俺に寄り添った。

 一瞬腕を背中に回しそうになって、所在なさげに右手を彷徨わせる。そしておずおずと、洋服を控えめにつかんだ。


「ゼン、守ってくれて、ありがとう…」


「うん」


 スイ。俺はきみとちがって、勇敢ではないし、強くもない。知らないことばかりだ。


 あのとき、必死にきみの身体を覆うことしかできなかった。

 傷ついていくきみをみるのが、自分が死ぬことより恐ろしいように思えた。


 だから俺は、俺ができる方法で、きみが傷つかない世界に変えたい。


「スイ。俺と一緒に、本当にきみがしたいことを探そう」


 どんな事情があるかは分からないけれど、贖罪のために戦うことを望むなんて、そんな悲しいことを言わせないように。

 きみを利用するために、きみの罪をあげつらって、責める大人の言うことなんて、本当は聞かなくていいんだ。


「…ゼンと、いっしょに?」


「うん」


 スイは少し考えて、そして、ゆっくりうなずいた。


 スイの身体の重みで、背中がちりちりと痛かった。

 それでも、スイの痛みや孤独に比べたら、なんでもないことなのだと思った。


 冷たい金属の感触が、俺の身体に触れていた。

 わからないことだらけだけど、スイが傷つくのを見たくないことだけ、本当だと思った。


 遠くの山の白は少しずつ消えて、鮮やかな青が見え始めている。

 春の日差しが、スイと俺を照らしていた。


 スイを救いたい。ただ、そう思った。


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